デカルトの問題性が摑めなければメルロ=ポンティは分からない 6

 私は学生時代から、研究書や研究論文の焼き直しのようなことはまったくしなかったが、パリでデカルトと格闘することで、この態度を決定的に固めた。いくら情報的知識を寄せ集めても哲学は決して分からない。みずから事柄そのものに触れつつ思考しなければ哲学は決して分からないのである。

 

ところで、世の中ではメルロ=ポンティは例えば次のように紹介されている。

 (・・・)こうした高等師範学校時代(1926~1930)のメルロ=ポンティの若々しい探索を見ていると、その後の哲学思考の原型があらわれているのがわかる。ベルグソン哲学にフッサール現象学ゲシュタルト心理学がくっつき、そこにマルクス主義が接ぎ木されたのだ。/しかし、この時期のメルロ=ポンティには何かが決定的に欠けていた。それはやがて「知覚」と「身体」と「行動」、あるいはそれらの「関係」というかっこうをもってあらわれる。ぼくの領分に牽強付会すれば、まさに編集的関係である。けれども、その着想はまだ芽生えていなかった。/ただ、そうした着想の苗床になるべき体験がメルロ=ポンティにおこった。それは二つの講義を聞いたことによる体験だ。ひとつは1929年にパリ大学で年老いエドマンド・フッサールが行った講義、もうひとつはアレクサンドル・コジェーブがパリ高等研究所でほぼ5年にわたって(1933-39)ひらいたヘーゲル精神現象学』の講義である。これらがメルロ=ポンティの思索の内奥にこびりつき、関係の存在学を花開かせる苗床になった。(・・・)

        「松岡正剛の千夜/0123夜 

            モーリス・メルロ=ポンティ『知覚の現象学

これは伝聞的知識を巧みに組み合わせただけの、つまり言葉を上手に並べただけの、文章であって、誤解でさえない。誤解というのは一生懸命理解しようとしたが正しく理解できなかったということであるが、この筆者はそもそもテキストを読んで理解する努力をまったくしていないのである。恐ろしいことに、アカデミズムにおいてもこうした中身のない紹介や解説が幅をきかせている。

 

以下、最近読み直す機会があった拙稿をここに載せておくことにする。

 

         記憶の場と真理の場

    ——メルロ=ポンティの方法的合理主義——

                        実川 敏夫

 

               実証主義的な歴史学に対する批判は決して新しくはないのであろうが[i]、特に近年は言語論的転回などといった言い方で表される運動によって、実証主義に対する批判は尖鋭化した。文書資料を現実(つまり歴史的事実)の複写と看做し、記録資料に基づいて現実を再構成するという、従来の実証主義的な考え方はもはや通用しない。むしろ、現実の再構成と思われている歴史叙述、それ自身の虚構性や政治性が暴き立てられるのである。真理と称されるものは実はいかがわしいものである。こうして歴史は、事実の再現という要請から自らを解放する。ありのままの真実というものはもはや価値ではない。問題は言説としての言説である。

              しかし、こうした真理の放棄の動きには、何か釈然としないものが感じられるのではないか。人は心の奥底ではなおも、ありのままの現実に、つまり「本当はどうだったのか」ということに、歴史的関心を寄せ続けるのではないか。もしそうであるとすれば、それは、言語論的転回による実証主義批判・実在論批判は不徹底なものであるからである。言語は現実をありのままに写すという考え方から、いわゆる現実とは自立的・自己分節的な差異的体系としての言語によって構成された記号的存在でしかないという考え方に移行したとしても、もし主観-客観図式が相変わらず前提されているのであれば、実在論は実際には克服されていないのである[ii]

              ところで、近年の歴史論において眼につく動きとして、もう一つ、歴史に固有の全体化的=客観的なロゴス[iii]に対する批判を挙げることができる[iv]ヘーゲルに典型的に見られるような合理主義的・目的論的な歴史、取り分けそうした歴史によって必然的に排除され隠蔽され抑圧されるもの、つまり歴史の他者——語り得ぬもの——に、熱い眼差しが向けられるのである[v]。しかし、全体化的=客観的なロゴスに対する批判に関しても、その不徹底性を指摘することができる。ロゴスの横暴に対して如何に異議申し立てをしたとしても、もし全体性=客観性という理念そのものが掘り下げられないのであれば[vi]、合理主義——ロゴス中心主義——は実際には克服されていないのである。

                  *

              歴史論は真理や理性の放棄あるいは解体の場ではなくて、むしろ、新たな真理観、新たなロゴス観へと導く場でなければならないのではないか。即ち、歴史というものは、理性や真理についての根本的(ラディカル)な反省を可能にする特権的なテーマであるのでなければならないのではないか。

              確かに、歴史の真実とか正しい歴史という観念は素朴なものである。確かに、進歩史観的な目的論は素朴なものである。しかし、実在論にしても目的論にしても、根の深いものなのである。従って、それらの解体・自滅を企てるだけでは、即ち反抗を企てるだけでは、それらを克服することにはならない。必要なことは、素朴な信仰の根を解明することである。哲学を哲学たらしめるのはrévolteではなくてradicalismeであるということ、それがまさしく、メルロ=ポンティが我々に授ける最も重要な教訓なのである[vii]

  

(1)記憶の場

 

              初めに、フランスにおける最新の歴史学研究、『記憶の場(Les lieux de mémoire)[viii]』を瞥見することにしたい。今触れるのは、総監修者ピエール・ノラ(Pierre Nora)の手になる序論、「記憶と歴史の間:場のプロブレマティック(Entre Mémoire et Histoire : La problématique des lieux)」である。この論文は、いわゆる言語論的転回の一例と看做され得るのである[ix]

              かつては、歴史家の仕事は以前のものよりも「いっそう実証的でいっそう包括的でいっそう説明的なメモワール」を確立することであった。つまり、「真のメモワール(une mémoire vraie)」を確立することであった。しかし、ノラはこうした「記憶としての歴史(l'histoire-mémoire)」——即ち「歴史と記憶の一致(adéquation)」——の終焉を告げる。今や歴史は記憶とのその非同一化(désidenti-fication)を果たすのである。かつては、歴史はいわば記憶に奉仕するものであった。ところが、今や記憶と歴史の立場は逆転した。記憶は歴史の対象となった。記憶は歴史によって掴まれた(saisie, happée)のである。問題は今や、再現〔復活〕(résurrection)ではなくて表象であり、反復ではなくて再記憶化(remémoration)である。「歴史叙述(イストリオグラフィ)は不可避的にその認識論的時代に入った」とノラは言う。歴史はその批判主義によって自生的な記憶を失墜させる。問題となるのは今や、直接的記憶ではなくて間接的記憶である。つまり、歴史が取り組むのは今や、真の記憶ではなくて「記憶の場(les lieux de mémoire)[x]」なのである。

              さて、記憶の場は或る意味でソシュール流の記号に比せられ得るものである。つまり、それは現実を指示するものではないのである。歴史が過去の復元であった場合は、まさに史実が問題であった。「記憶への歴史学的・科学的なアプローチはすべて、・・・現実的なもの(des realia)、事物そのものを相手にし、その現実性を最大限ありのままに把握すること(saisir la réalité au plus vif)に努めていた」。ところが、記憶の場は記憶とは違って史実とは関わりのないものなのである。「記憶の場は・・・現実の中に指示対象を持たない(les lieux de mémoire n'ont pas de référents dans la réalité)。というより、記憶の場はそれ自身がそれ自身の指示対象なのであり、自己をのみ指示する記号、純粋状態の記号なのである(ils sont à eux-mêmes leur propre référent, signes qui ne renvoient qu'à soi, signes à l'état pur)」。

              ただ、史実と縁を切ったとはいっても、歴史は虚構であるというわけでは勿論ない[xi]。ノラが狙っているのは、「記憶と歴史の間」という両義的な[xii]概念によって、史実と虚構の溝を埋めつつ、歴史に何らかの真理性を確保することであると、そう考えられなくはない。しかし、もしそうだとしても、その場合の真理性とは如何なるものなのであろうか。かつての記憶としての歴史にとってとは違って、今や、「我々の過去知覚は、もはや我々に属するものではないことを我々が知っているものの熱烈な横領(appropriation véhémente)である」という言い方が示すように、問題はあくまで現在における過去であって、過去としての過去、つまり過去そのものではない。ポリフォニックな記憶の場によって構成されるものは、過去そのものではない。繰り返すと、記憶の場はそれ自身をしか指示しない記号なのである。とすれば、仮に真理ということを言ったとしても、それは名ばかりの真理でしかないのではないか。

              とはいえ、我々はここで何も、実証主義に戻るべきだということを示唆しているわけではない。ここで考えるべきことは、言語論的転回と実証主義とは、実はそれほど互いに隔たったものではないということである。——「痕跡、距離、媒介が存在するや、人はもはや真の記憶の中にはいない」とノラは言う。つまり、逆に言うと、真の記憶とは起源(過去)との間に時間的なずれのないものなのである。従って、「記憶はつねにアクチュエルな現象であり、永遠の現在との生きられる絆である」と言われる。ところが、記憶が歴史によって掴まれてしまうと、そこに距離が存在することになる。「我々の過去との関係は、記憶に期待される関係とは全く異なる。それはもはや回顧的連続性ではなくて、非連続性の露呈(la mise en lumière de la discontinuité)である」と言われる。起源(過去)そのものとの一致(時間的なずれのない一致)、即ち事物そのものとの一致は、真の記憶によって持続するが、真の記憶が断たれると、その一致は断たれるのである。

              件の一致を、別のかたちに言い換えてみよう。もしタイムマシーンがあれば、我々は過去の出来事(例えばフランス大革命)が現在であった時に戻ることができる。過去の出来事が「現在」であった時とは、それが「現実」であった時、即ちその出来事がそれ自身と完全に「一致」[xiii]していた時のことであり、要するにそれが「真理」であった時のことである。——これこそは、実証主義によっても、また記号論的転回によっても、暗黙に前提されている真理観・現実観ではないであろうか。しかし、ここで指摘しなければならないことは、この真理観が前提されている限り、即ち主観-客観図式が前提されている限り[xiv]、認識論的困難は回避し得ないのではないかということ[xv]——否、そればかりか、歴史(歴史叙述)というものは意味を失うことになるのではないかということである。

              もし歴史の真実を問題にしないのであれば、歴史とは一体何なのであろうか。歴史は過去の真実を問題にするものでなければならないのではないか。しかし、もし過去はそれが現在であった時点において真理であったのだとすると、歴史とは真理の影でしかないことになるのではないか。もし歴史家あるいは哲学者が、過去をその真理へともたらすのではないのだとすると、歴史家や哲学者の存在意味は一体何なのであろうか。時間的な隔たりというものは、真理にとって本質的なものであるのでなければならないのではないか。

  

(2)真理の場

 

              主客図式を前提しないということは、主客図式の成立を問題にするということであり、つまりは現実=事物の成立を問題にするということである。メルロ=ポンティの「現象への還帰」とは、まさに、忘却されている「事物の生誕地(le berceau des choses)」(PP.71)としての「現象」を想起するという企てである。我々の認識は事物を目指す故に、おのずから事物の生誕地を忘れる。我々の意識は客観を目指す故に、おのずから「客観の起源(l’origine de l’objet)」(PP.86)を忘れる。言ってみれば、ひとたび目的地に到達してしまうと、目的地に到達しつつあった時のことを忘れてしまうようなものである[xvi]。そこで、事物の下に埋葬されてしまっている現象——客観的世界という理念の下に埋葬されてしまっている前客観的経験——を、掘り起こさなければならない[xvii]

              そもそも事物はどのように成立したのか。我々は通常パースペクティヴというものを既に客観化されたかたちで考えているわけであるが、そうした客観化されたパースペクティヴとは違って、前客観的経験においては、パースペクティヴは決して事物を主観的にデフォルメするものではない。それはむしろ逆に、「知覚されるものをして、それ自身のうちに、汲み尽くし得ぬ隠れた豊かさを持たせるもの、つまり知覚されるものをして〈事物〉たらしめるものなのである」(SC.201)。知覚はパースペクティヴ性(制約)を被るのではなくて、それを何らか自覚しているのであり、そしてこの自覚は、実際に認識されているよりも豊かなもの——つまり現実的なもの——と交流しているという確信と一つのものなのである[xviii]。このことは、過去の出来事についても言える[xix]。パースペクティヴは歴史家や哲学者を主観的領域に閉じ込めるのではない。むしろ、歴史家や哲学者は固有のパースペクティヴを持つ(自覚的に持つ)からこそ、フランス革命とかホロコーストといった出来事は、汲み尽くし得ぬ対象、つまりリアルなものであることになるのである[xx]

              さて、現象は「事物の生誕地」であることを先に述べたが、こうしたパースペクティヴによる事物の生成という逆説的な事柄が、まさに、事物の誕生ということであり、言い換えれば「真理の実現」[xxi]ということである。現象野とは、そこにおいて真理が実現される場であるという意味で、「真理の場(le lieu de la vérité)」なのである。そこで今度は、事物の生成・誕生を、真理の実現という観点から改めて考察することにしよう。

              他の哲学者について論じることは、フランス革命などの過去の出来事について論じることと同様に、歴史の問題であるわけであるが、例えばフッサールについて論じることは、メルロ=ポンティにとっては「フッサールのアンパンセ(un impensé de Husserl)」を問題にすることであった。というのも、「思考することは、諸々の思考対象を所有することではない」(SG.202)からであり、つまり、思考するとは思考しないことであるからである。ということは、フッサールとかデカルトとかといった哲学者は、我々に思考させる(donner à penser)ものであるということである[xxii]。哲学者のパンセは、「むしろアンパンセ(un impensé)である」故に、「まさにそれ故に」、「他者を飢えさせる」パンセであり、つまり「他者において未来を持つ」(VI.159)パンセである[xxiii]。では、とすれば、デカルトの真理とか、あるいはフランス革命の真理とかといった真理は、いつから存在するのであろうか。

            「真理は初めからそこに存在する」。但し、それはあくまで「為し遂げるべき仕事として(comme tâche à accomplir)」である。つまり、「真理は未だそこに存在しない」(SG.161)。真理は未だ存在しない。歴史(歴史叙述)とは、真理の実現という任務を担うものなのである。デカルトのパンセにしろ、あるいはフランス大革命にしろ、それらは「客観的存在」——即ち「絶対的に規定された存在」——ではない故に、それらを“祖述”することは問題にならない[xxiv]。むしろ、例えば、哲学者のテキストを、「そこからは汲み取れない考察」によって解明するというように(PD.53)、我々が率先してパースペクティヴを拓き、問題を立てるのでなければならない(cf.PD.118)。一致(adéquation)は創造によってのみ獲得されるのである(VI.251)[xxv]

              但し、これは一致(真理)は創造されるということではない[xxvi]。為し遂げるべき仕事としてであれ、真理は初めから存在するのである。創造による一致の獲得、即ち真理(過去の真理)の実現とは、過去の捉え直し(reprise)ということであり、そして、この捉え直しは過去による先取り(anticipation)に応じるものである。「真理の場(le lieu de la vérité)」とは、「先取り」と、それと「対称的な捉え直し」のことである(SG.119)[xxvii]。しかし、とすれば、真理の場はそれ自身歴史的なものである。過去を捉え直す、この現在それ自身が、未来の先取りでもある。否、というより、この現在は、未来の先取りであることによってのみ、過去の捉え直しであり得るのであり、即ち、真理の実現は、真理の実現それ自身が将来において捉え直され得るという条件においてのみ可能なのである。存在は絶えず新たなパースペクティヴを要求する。創造的な自己表現が、存在の本質なのである[xxviii]

  

(3)方法的合理主義

 

              今日においては、目的論は放棄されるだけではなくて、痛烈な批判の的にもなっている[xxix]。目的論的=全体化的な歴史はそれに適合しないものを隠蔽し排除し抑圧するということが、批判の理由である。しかし翻って、歴史は目的性を欠くならば意味を欠くことになるのではないか、つまり、歴史はニヒリズムに帰着せざるを得ないのではないかと、問うこともできる。果たしてどうなのか。

            ところで他方、目的論はそれ自体ニヒリズムであるという見方もある。メルロ=ポンティによれば、目的論——厳密に言えば、或る一定の目的論であるが——は、実はニヒリズムが身を隠すための仮面なのである[xxx]。というのも、予めどこかに目的が定められているということは、未知の未来のために現在が犠牲になる(SG.91)ということであり、つまり、現在が意味を奪われるということであるからである。「歴史が不可避的に行き着くところがもし知られているのであれば、出来事の一つ一つはもはや重要性も意味も持たない」(EP.61)のである。但し、メルロ=ポンティはアンチ目的論者なのではない。

              ニヒリズムを秘める目的論とは、改めて言うと、「事物の流れの背後に〈世界精神〉(へーゲル)のようなものを想定することによって、歴史的偶然性を予め取り除く独断的合理主義」(PD.46-7)、独断的目的論であるが[xxxi]、現象への還帰という企ては、そうした独断的合理主義を相対化する。つまり、それは「我々の問いと驚きの場(le lieu de nos interrogations et de nos étonnements)」(SG.88)としての歴史を根源的な歴史として開示するのであるが、重要なことは、この問いと驚きの場は、或る種の目的論的な場、いわば目的実現の場でもあるということである。

              ここで、前節で論じた真理の実現ということを想い起してみよう。件の真理の実現は実は目的の実現であると言える。というのも、それは過去によって先取りされていたことの捉え直しであるからである[xxxii]。「我々の現在は我々の過去の約束を守る」(SG.119)。しかも、目的の実現といっても、それは予め定められていた目的の実現ではない[xxxiii]。目的の実現とは、経験が哲学によって真理となる(devenir vérité)という生成であり(cf.SG.120)、非反省的なものが反省によってその真理へと変わるという変化である(cf.SG.193)。つまり、先行的真理の反映ではなくて、真理の実現なのであるが、この場合、目的は予め定められているのではなくて、むしろ、目的は実現されて初めて定められるのである[xxxiv]。世界に先在するロゴスは存在しない。「先在するロゴスはただ一つ、世界そのものなのである」(PP.xv)。歴史とは、「予定された道のりを歩む思考」ではない。歴史とは、「己れの道のりを自ら作る思考、前進することによって己れ自身を見出す思考、道を作ることによって道が作られ得ることを証明する思考」(VI.123)なのである。

              ここで分かるように、目的の実現、合理性の成立は偶然である。つまり、合理性とは偶然性なのである。メルロ=ポンティの立場は非合理主義ではない。そうではなくて、合理性と偶然性とを同一のものたらしめる「方法的合理主義(rationalisme méthodique)」(PD.46)なのである[xxxv]。この方法的合理主義、方法的目的論[xxxvi]においては、合理性と偶然性とは同一である故に、偶然性は合理性によって乗り越えられてしまうことはない。非理性は理性によって乗り越えられてしまうことはない[xxxvii]。そして、偶然性、非理性は乗り越えられないということは、過去は現在によって乗り越えられないということである[xxxviii]。一度あったことはなかったことにはならないという問題について、メルロ=ポンティは様々なかたちで繰り返し論じている。過去は現在の犠牲にはならないのである。

              従って同様に、現在は未来の犠牲にはならない[xxxix]。現在はそれ自身未来の先取りでもあるからである。現在における目的の実現は、将来における新たなパースペクティヴによる目的の実現を先取りする。つまり、新たな課題を提出する。従って、目的実現の歩み、歴史の歩みは、延々と続くわけであるが、但し、歴史の歩みは果てしないということは、いつまでたっても目的は実現されないということではない。将来において新たに創造的な表現が試みられなければならないということ、新たなパースペクティヴが拓かれなければならないということは、現在において目的が実現されるための条件なのである[xl]

              方法的合理主義においては、歴史を全体化するロゴスは歴史に先立つのではなくて、歴史そのものである。つまり、それは真理の場としての現在に位置するパースペクティヴ的ロゴス[xli]なのであり、これによって「客観的思考のロゴス」(PP.419)は決定的に相対化される[xlii]。パースペクティヴという制約はいわば能動的否定性であり、この否定性によって全き肯定性という理想は相対化される。つまり、例えば悪に対する決定的勝利というものは、原理的に不可能であるというだけではなくて、もはや価値ではないのである。メルロ=ポンティにとっては、哲学とは、原理的に「勝利の哲学(philosophie triomphante)」へと変容することのない「戦う哲学(philosophie militante)」(SN.81, SG.199)である[xliii]。ということは、歴史は哲学が扱う一つのtopic(論題)ではなくて、哲学のtopos(場所)そのものであるということである[xliv]

 

【注】

 [i] 例えばアナール派のことを考えることができる。

[ii] 構成するものが意識であろうが言語であろうが、コペルニクス的転回は主観-客観図式を前提している。

[iii] 歴史というものは本質的に、全体を見渡す大所高所を、即ち歴史全体の意味、歴史全体の目的を見る全体的視点を、要求するものではないであろうか。逆に言うと、意味のない歴史は歴史と言えるであろうか。

[iv] この批判は、先の実在論批判と、実は別のものではない。否、より正確に言うと、両批判が批判する相手は実は別のものではない。

[v] 興味深い問題として、(歴史叙述によって排除される)〈証言〉という問題がある。杉村靖彦「証言から歴史へ——対話の臨界に立って」を参照。

[vi] カントの『純粋理性批判』の「超越論的弁証論」は、そうした掘り下げの一つであると言える。

[vii] 知覚の現象学とは、「存在の系譜」(PP.69)、「真理の系譜」(AD.79)を掘り起こすことによって、「真理の新たな観念」(SG.137)、「理性の新たな観念」(SN.7)、「客観的思考のロゴスよりも根本的なロゴス」(PP.419)を開示するradicalisme = approfondissementである。なお、révolteに関しては、特にSens et non-sensのPréfaceを参照。

[viii] これはアナール学派のいわゆる「新しい歴史」の集大成であるとされる。なお、我々が用いるテキストは< Quarto > 版(Gallimard, 1997)である。

[ix] ここでは、ナショナル・ヒストリーという観点は外して、言語論的転回という観点からのみ、ノラの論文に触れることにする。

[x]アルザス」とか「ヴェルサイユ宮殿」とか「記念行事」とか「歴史書」とか「ラ・マルセイエーズ」とか「革命歴」とかといったものが記憶の場であり得るわけであるが、例えば革命歴について、「もし我々が今日でもなお革命歴のリズムで生活しているならば、それはグレゴリオ暦と同じように我々に非常に親しいものになり、そのことによってそれは記憶の場としての力を失ってしまうであろう」と言われる。「記憶の場」という問題は、記憶がもはや内側から生きられてはいないことを含意するのである。

[xi] ノラは例えば、従来の歴史がそれである「記憶としての歴史(l'histoire-mémoire)」と、文学がそれである「フィクションとしての記憶(la mémoire-fiction)」との「ほぼ同時的な死」と入れ替わりに、「新たなタイプの歴史が誕生する」と述べている。

[xii] 「記憶の場を構成するのは、記憶と歴史の戯れである」と言われる。

[xiii] この一致は主観と客観との一致であると言ってもよい。

[xiv] 記号論的転回は主観主義・意識主義に対する批判であるかもしれないが、基本的には主客図式をそのまま残していると考えられる。ノラの場合で言えば、記憶の場に痕跡として内在する過去と、記憶の場の外部における現実としての過去、という構図は、主客構図とどう違うのであろうか。なお、「事実など存在しない。一切は解釈である」という言い方においても、主客図式は前提されていると考えられる。(因みに、我々は認識と解釈とを区別しない。この区別はやはり主客構図に基づくと考えられるのである。)

[xv] 認識論的困難とは、要するに、相対主義的・懐疑論的になるか、それとも独断論的になるか、どちらかしかないということ。

[xvi] 目的論については後述するが、認識はそれ自身目的論的なものである。

[xvii] 「東洋」は、メルロ=ポンティにとって、「我々の諸制度がそこで生まれた——そして永い間の成功によって我々が忘却した——実存野を再発見する」(SG.175)という問題を含むものであったが、この「実存野(le champ d’existence)」は「現象野(le champ phénoménal)」に他ならない。

[xviii] よく知られているように、デカルトの「第三省察」には、己の有限性の自覚は無限なるもの・完全なるものの知を前提条件とするという議論があるが、パースペクティヴに関するメルロ=ポンティの議論はそれと関係づけることができる。なお、パースペクティヴは自覚を伴うということは、パースペクティヴは他の諸パースペクティヴの意識を伴うということ、即ち他の時点でのパースペクティヴの意識および他者のパースペクティヴの意識を伴うということでもある。そして重要なことは、この場合の自覚あるいは意識は対象認識的なものではないということである。

[xix] 知覚とは現在存在する事物の知覚のことであると普通は考えられるが、例えば「歴史の知覚」(VI.140,242)という言い方もある。従って、過去の出来事についても知覚を語ることは不可能ではないと考えられる。しかしいずれにしても、重要なこと、極めて重要なことは、メルロ=ポンティにとっては、現在存在する事物の知覚であっても、それは来し方・行く末への回顧的・前望的な眼差しであるということである(cf.PP.276-7 et passim)。

[xx] メルロ=ポンティはこの場合のリアリティを「肉的な現実性(réalité charnelle)」(SC.202)と呼ぶ。「現象」への還帰とは「肉」の次元への還帰ということなのである。なお、我々の基本的な研究方針は、言葉の上っ面に囚われることなく、哲学者が面している事柄そのものに立ち臨むことである。事柄そのものが見えていれば、言葉への表面的な拘りはあり得ない。

[xxi] 「哲学は先行的存在の反映ではなくて、芸術と同様に真理の実現である」(PP.xv)と言われる。因みに、メルロ=ポンティにとっては、哲学は知覚的なものである(cf.SG.120 et passim)。「哲学を知覚たらしめる」(VI.242)とか、「哲学者の絶対知は知覚である」(EP.22)とかと言われる場合もある。

[xxii] 他の哲学者を論じることは、他の哲学者を知覚することである。「他の哲学者たちの知覚(perception des autres philosophes)としての哲学の歴史」(VI.251)などと言われる。

[xxiii] こうしたアンパンセの問題は、何ら特殊な問題ではない。「現在の未来への裂開(la déhiscence du présent vers un avenir)」(PP.487)が時間の本質的構造であり、「現在における未来の成熟(la maturation d'un avenir dans le présent)」(SG.91)が歴史の本質的構造なのである。

[xxiv] 知覚される事物であれ、歴史上の出来事であれ、哲学説であれ、客観的存在ではなくて、その「全体的志向を把握し直す」ことが問題である存在である(PP.xiii)。

[xxv] デカルトの自叙伝(『方法序説』)にしても、デカルトが40歳の時に書かれたものであることに意味がある。青年デカルトの志がその真理へともたらされるには、然るべきパースペクティヴが必要なのである。

[xxvi] 真理は創造されるとされるならば、真理は永遠(超時間的)であるとされる場合と同じく、歴史は真理にとって本質的な問題ではないことになる。因みに、真理を「作る(faire)」(SG.120)という言い方はある。

[xxvii] こうした先取り-捉え直しの関係は、過去が問題である場合だけではなくて、現在の状況が問題である場合にも当て嵌まる。また、先取りと捉え直しの対は、「〈経験〉は〈哲学〉を先取りし、〈哲学〉は解明された〈経験〉でしかない」(PP.77)といった“キアスム”によって表されるということも指摘しておきたい。なお、「真理の場(un lieu de la vérité)」(PP.24)という言い方が、客観的世界という意味で用いられることもある。

[xxviii] 沈黙のコギトの問題とは、まさにこの創造的な自己表現の問題に他ならない。沈黙のコギトとは、黙って語らないコギトということではなくて、むしろ逆に、絶えず自己表現するコギトということである。沈黙は表現の根源態を意味する。

[xxix]アイデンティティの時代は決定的に終わった」と、ノラは言う。この言葉は、歴史はもはや、フランス国民が自らの起源の偉大さを通して自らを称えることを可能にするような、そうした目的論的な物語ではあり得ないことを意味すると考えられる。また、ノラによる非連続性の強調も、目的論の放棄を意味するのであろう。というのも、逆に目的性があるということは、すべての出来事が一定の目的に向かって連なっているということ、つまり連続性があるということだからである。

[xxx] 「普遍的な歴史への訴えはすべて、出来事から意味を切り離し、実際の歴史を無意味なものとするのであって、それはニヒリズムの仮面〔隠れ蓑・覆面〕(un masque du nihilisme)である。外的な神が直ちに偽りの神であるように、外的な歴史はもはや歴史ではない」(EP.61)。なお、メルロ=ポンティは1952年に発表された論文において、歴史(弁証法)を「外的な〈力〉」と看做す歴史の偶像化は「神についての未発達な考え方を世俗化したものである」(SG.88)と語っているが、この言葉には恐らくサルトルに対する批判が込められている。

[xxxi] ヘーゲル流の合理主義が歴史的偶然性を予め取り除くとすれば、17世紀の大合理主義(le grand rationalisme)は「世界の根本的な偶然性(la contingence radicale du monde)」(SG.191)を予め取り除く。

[xxxii] ここで是非指摘しなければならないことは、一つの対象(例えば過去の或る出来事)へのパースペクティヴは、過去・未来全体への、即ち歴史全体への、パースペクティヴを伴うということである(二つのパースペクティヴは重なり合う)。パースペクティヴの自覚、有限性の自覚は、この現在は数多ある現在の中の一つに過ぎないということの自覚でもあるのである。そしてこの自覚は、我々の眼差しが時間全体・歴史全体に及んでいるという確信と一つのものである。「真理」とは「我々の現在へのあらゆる現在の現前」(SG.120)ということなのである。従って、もし歴史の目的ということについて言うとすれば、歴史の目的は真理が実現される各現在においてその都度実現されるという言い方ができる。

[xxxiii] ニヒリズムを秘める目的論とは、予め定められた目的を想定する目的論であった。ところで、そのような目的論は現象の忘却であると言える。先に述べたように、現象の忘却とは、ひとたび目的地に到達してしまうと、目的地に到達しつつあった時のことを忘れてしまうということであるわけであるが、独断的目的論は、ひとたび目的地に到達した時点(想定された時点)に立って、そこに到るまでの過程を遡行的に復元するものである。しかも、それは正確に言えば復元=想起ではなくて、合理化(偶然性の抹消)なのである。

[xxxiv] 「〈良い形態〉は形而上学的天空においてそれ自体において良い故に実現されるのではなくて、我々の経験において実現される故に良いのである」(PP.24)。——同様に、目的はそれ自体において目的である故に実現されるのではなくて、実現される故に目的なのである、と言うこともできるであろう。

[xxxv] 如何なる合理性も、メタレヴェル(神の立場)に立てば偶然的なものと看做され得るが、この場合の合理性と偶然性との同一化は、メタレヴェルを設定することによる同一化ではない。

[xxxvi] メルロ=ポンティはル・ロワに言及しつつ、「そこにおいて目的と手段、意味と偶然が互いに引き起こし合う、手探りの目的性(finalité de tâtonnement)」(EP.31)について語っている。

[xxxvii] 「最も高次の理性は非理性〔狂気〕(déraison)と隣り合っている」(SN.8)と言われる。

[xxxviii] 過去と現在は先取り-捉え直しの関係にある故に、過去は現在によって乗り越えられると同時に乗り越えられない。乗り越えることは乗り越えないことであるというのが、メルロ=ポンティ的なAufhebungである。

[xxxix] ニヒリズムとは、このような犠牲の問題であった。

[xl] 目的の実現は各々、或る意味で決定的なもの——“une fois pour toutes”——である。

[xli] パースペクティヴ的ロゴスは客観的思考のロゴスのように上空飛翔的ロゴスではないが、かといって、単なる低空飛翔的ロゴスなのではない。先に示したように、パースペクティヴは我々が被る単なる制約ではない。パースペクティヴとは「能動的超越」(PP.178,431,491)なのである。また、パースペクティヴ的ロゴスは超越である故に、語られるものを内在化させるもの、つまり“回収”するものではない。その意味で、それは抑圧的・排除的なものではない。とすると、語られ得ぬものが語られるのは、ロゴスのパースペクティヴ性が認められないからではないであろうか。

[xlii] 現象への還帰は、客観的思考のロゴスよりも根本的なロゴスを開示するわけであるが、但し、それは客観性を否定するものではない。現象への還帰とは「合理性の現象」(PP.468)への還帰ということであり、つまり根源的客観性への還帰ということである(cf.PP.xv,50 et passim)。

[xliii] 因みに、戦う教会(l'Eglise militante)とは、現世に生きている信者たちのことであり、勝利の教会(l'Eglise triomphante)とは、現世で悪に打ち勝ち天国の栄光に入った聖者たちのことである。なお、「戦う哲学」(SN.163,VI.320)という言い方と共に、「戦う有限性」(VI.305)という言い方もされる。

[xliv] 生ける現在は、「真理の場」であり、また、「哲学の座(le siège de la philosophie)」(PD.118)、「哲学の真の場(le lieu véritable de la philosophie)」(PD.119)である。哲学は現象への還帰という一種の系譜学(généalogie)であるということは、哲学は現象のメタレヴェルに立つものであるということではなくて、哲学は自覚的に現象に——つまり現在に——身を置くものであるということである。「取り分け究極的な哲学的主観にとって」、「生ける現在の光を超える光は存在しない」(SG.120)と言われる所以である。場を持たない超越、脱パースペクティヴ的な超越は、原理的にあり得ない(cf.PP.489)。言い換えれば、そのような超越は錯覚ないし偽善である。

 

【略号】

(SC) La structure du comportement   

(PP) Phénoménologie de la perception

(SN) Sens et non-sens            

(EP) Eloge de la philosophie

(AD) Les aventures de la dialectique

(SG) Signes

(VI) Le visible et l'invisible         

(PD) Parcours deux 1951-1961

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              『フランス哲学・思想研究』第9号(日仏哲学会)

 

都立大哲学会と倫理問題

都立大哲学会と倫理問題

――発会六十周年を迎えて――

 

実川 敏夫

 

 

♦ 他の学会のことはいざ知らず、せめてこの都立大哲学会だけは、哲学会という名に恥じることのない、品格dignityのある学会であってほしいと常に願ってきた者として、私は本学会の運営に対して、かねてより違和感を抱いている。

これまでは個人的な会話や研究室会議などで意見を述べるにとどめていたが、しかし今や、学会の場できちんと話をしなければ埒があかないと考えるにいたった。そこで本日は、今年迎える発会六十周年(人間でいうと還暦)が学会の新たな門出となることを祈りつつ、僭越ながら、学会の将来に向けて具体的な提言・要望を行なうことにしたい。これは本学会に永年所属する者としての責務もであると考えている。

  

 Ⅰ.『哲学誌』について

 

a.『哲学誌』に審査制を導入する議決が為されたのは19765の総会においてであり(この時は編集委員とは独立に新たに選考委員が設けられた)、そしてこの歴史的な改革の立役者は坂井秀寿・久保元彦という二人の助教授だったのであるが、両助教授がみずから選考委員を買って出る姿勢をも示したのは、まさに哲学に関して或る志を持っていたからである。当時博士課程に在学していた私は坂井邸を訪ねた際にお二人の志にインスパイアーされ、そしてそのお陰で私はこの年齢になるまでずっと哲学を続けてこられたのであるが、ここで言う志とは〈個人的な趣味・教養〉としての哲学や〈党派的なイデオロギー〉としての哲学といったタコツボ主義後述)には欠けている、「哲学に対する責任感」であり、そしてこれは教員にとっては論文の審査に対する(つまり学生に対する)責任感でもある。私は『哲学誌』の今の査読の仕方に、偶々或る時その内容を知って以来、事あるごとに疑義を呈したが、それは哲学に本質的な倫理(あるいは美)であると言える「哲学に対する責任感」に駆られて、『哲学誌』に初めて審査制を導入した二人の先達を完全に裏切るようなやり方を、黙って見過ごすことができなかったからである。

 

(注1) 今の査読の仕方は指導教授の評価を徹底的に排除することを狙うもののようであるが、学生の論文を最もよく理解していると考えられる――それ故に卒論・修論・博論の審査では主査を務める――者を、どうして徹底的に締め出さなければならないのか。そもそもそのことが不可解なのであるが、仮に指導教授の評価を絶対的に排斥しなければならないのだとしても、このことは外部委託という責任放棄的なやり方をしなければならない理由にはならないのではないか。 ★ここで念のため断っておくと、私は指導教授が査読に加わるべしと主張したいのではない。教育者として学生に対して責任を持つべき本学の現役教員が査読の役目を負うべしというのが私の主張である。但し、必要に応じて臨機応変に、指導教授にも、あるいは信頼できる外部の研究者にも、見解を聞かなければならないと考えている。

 

(注2) 聞くところによると、科学論文の場合でさえ客観的な査読が行なわれるとは限らないらしい。というのも、査読は専門が同じか近い研究者たちによって行なわれるが、彼らは論文提出者のいわば競争相手competitorでもあるので、そのことが評価を歪めることが多いからである。これはほんの一例であるが、こうした例からも分かるように、指導教授を外しさえすればフェアな審査が行なわれると見るのは余りにも楽観的過ぎる。私が他の学会の査読者として経験したことは、哲学界は好意や敵意などに左右されずに審査を行なう公平無私な人格者だけで占められているわけではないということである。 ★もう一度念を押すと、私は指導教授が査読に加わるべしと主張したいのではない。

 

b.一般的に言って、外部との交流(海外留学など)は大事なことである。従って応募論文について言うと、もちろん他大学に信頼できる人がいれば(そういう人を見つけるのは実は容易ではないが)、その人に読んでもらうのはよいことである。「(これは面白い論文だから)是非あの人にも読んでもらいたい」という人がもしいれば、その人に論評を仰ぐべきである。しかし丸投げのようなやり方はよくない。一体、他の大学でも紀要の査読を外部に委託しているのであろうか。それは知らないが、都立大哲学会は学会といっても母体を持たない全国学会とは違って、特定の大学(つまり本学)を母体とし本拠とする学会であり、しかも査読の対象となるのは実際には本学の在学生だけであるということからしても、応募論文の査読・採否決定は本学の現役教員が責任を負うのが当然である。口幅ったいことを言うようであるが、本学の教員には、坂井・久保両助教授のように気概と気骨を行動で示してほしい。

 

c.責任の所在を曖昧にすることは倫理に悖ることである。しかしそれだけではない。本学の教員の責任感が疑われるようなことがもしあれば、それは決して得なことではないのである。首都大の教員はそんなにも責任感がないのか、そんなにも的確な評価を行なう自信がないのか、そんなにも相互信頼がないのか、そんなにも世間からの信用がないのか、そんなにも権威がないのか、などと学内外で思われるならば、一体どういうことになるのか。そのことを考える必要がある。

 

d.ところで、1976年5月の総会に関する記録には、『哲学誌』の質を高めるために論文は厳選するという旨が記されているが、但し審査を専門家に委ねるというようなことは坂井・久保両助教授の念頭にはまったくなかった。両氏の念頭にあったのはむしろ逆のことである。問題とされていたのは、私が了解したところでは、専門主義=タコツボ主義の弊害である。

 

e.例えばフランスのアカデミズムにおいては(私が知っているのはデカルト研究の場合であるが)、先行研究を基本的に踏襲しつつそれを批判・修正したり補足したりすることが要求されるが、しかしこの要求にそのまま応じることは、「そもそも哲学って何なのか」とか、「そもそもどうしてデカルトを研究しなければならないのか」といった、極めて知的な根本的疑問(研ぎ澄まされた問題意識)を締め出してしまうことであり、先行研究を根本的な観点から批判することをしないことである。このようなことが、専門分野=タコツボに潜り込みそこに埋没することの弊害である。

 

f.論文の質を高めるためには、この弊害を取り除かなければならない。即ち、根本的な疑問を抱くことができなければならないのであり、言い換えれば哲学に対して責任感を持つことができなければならないのである。例えば久保元彦氏はカントしか論じなかったが、つまりカントを専門にしていたが、しかし常に「哲学とは何か」という根本的な問いを最重要視していた。「哲学とは何か」という最も根本的な問い、素朴さから懸け離れた極めて知的な問い、――これは答えによって終息する通常の問いと違って、いわば創造の源である問いである。即ち、既定の出来合いの分野にどっぷりとつかることを回避し、真にオリジナルな研究を生み出すための条件である問いであり、また哲学的に真に有意義な研究を生み出す(これこそが専門を深く究めることである)ための条件でもある問いなのである。

 

 

デカルトの問題性が摑めなければメルロ=ポンティは分からない 5

デカルト研究者でさえ、デカルトの問題性を摑めていない。

否、デカルト研究者はデカルト研究者である故に、デカルトの問題性が掴めないのである。

本ブログの最初の記事(2016.9.12)でも関連することを述べたが、

哲学研究は学問的であろうとすればするほど、皮肉にも、哲学そのものから乖離するのである。

 

デカルトは『省察』の「読者への序言」で、

「自分と共に本気で(真剣に)省察する」ことを読者に求めているが、

デカルト研究者に欠けているのは、まさにこの「真剣さ」である。

 

別の言い方をすると、

デカルトは当然、哲学に対して責任を持っている(それ故に哲学者なのである)が、

デカルト研究者はそうではない。哲学に対する責任感がないのである。

そうであるからこそ、例えば、デカルトについての本を出した後に、平気で、次にスピノザについての本を出したりするのである。

 

更に別の言い方をしよう。

デカルトにとっては哲学は「理論」ではないが、

デカルト研究者にとっては哲学は「理論」である。 

しかし哲学は「理論」であるということは、哲学は「人」そのものから切り離されるということであり、

つまり、哲学は責任感の対象にはならないということなのである。

 

 

 

 

 

デカルトの問題性が摑めなければメルロ=ポンティは分からない 4

繰り返し述べたように、 デカルトの問題性が摑めなければメルロ=ポンティは分からない。

但し、デカルトの問題性を的確に摑むことはそれ自体非常に難しいことである。

実際、デカルト研究者--彼らは基本的に哲学史家であって哲学者ではない--からして、デカルトの問題性を的確に摑めていない。

 

そしてデカルトの問題性が掴めていない故に、メルロ=ポンティに好意的なデカルト研究者でさえ、メルロ=ポンティがまるで分かっていない。

例えばデカルト研究の権威であった故ロディス・レヴィスはその著『デカルトと合理主義』の序で、メルロ=ポンティの『シーニュ』から合理主義に関する二つの文章を引用しているが、この引用はメルロ=ポンティに対する無理解をよく表している。

 

そして悲しいかな、研究業績を作るために翻訳・紹介に勤しむ我が国の研究者は、ロディス・レヴィスによる件の引用を無断でそのまま自分の論文の中で引用している(これは一種の剽窃であろう)のである。

こうした「哲学に対する責任感」をまったく欠いた者、即ち「哲学とは何か」という根本的な問いを問うことのない者に、デカルトの問題性を摑めるはずはなく、従ってメルロ=ポンティが分かるわけがない。

  

 

デカルトの問題性が摑めなければメルロ=ポンティは分からない 3

メルロ=ポンティの哲学は単なる心身合一の立場ではない。

デカルトには「心身の区別」と「心身の合一」という二つの面があるが、メルロ=ポンティはこのデカルト的二面性を引き受けているのである。

(但し、これら二つの面がどのように結ばれるのかがまさに問題であり、デカルトの場合とメルロ=ポンティの場合とではその結ばれ方は同じではない。)

 

ところで、メルロ=ポンティの哲学は単なる「心身合一の立場」ではないということ、言い換えれば単なる「非反省的なものの立場」ではないということは、この哲学は単なる「現象の記述」ではないということである。

「現象の現象」とか「現象学現象学」といったことが語られるが、

メルロ=ポンティの哲学は「現象の記述」としての現象学であると同時に、現象学現象学でもあり、そしてこれら「現象学」と「現象学現象学」とは不可分である。つまり後者なしには前者はあり得ず、前者なしには後者はあり得ないのである。

デカルトの場合には二つの面の結合はここまでは徹底されていない。)

 

 

デカルトの問題性が摑めなければメルロ=ポンティは分からない 2

私は在外研究で、ジャン・マリー・ベイサード教授(パリ大学第十大学)の授業に参加しつつ、教授の主著デカルトの第一哲学:形而上学の〈時間と整合性〉』をノートをとりながら繰り返し繰り返し読んだ。

その間、考え続けたのはもっぱら「デカルトの循環」という問題であるが、この問題を考え詰めてゆくうちに、メルロ=ポンティにおける循環の問題を「再発見」した。

パリでのデカルト経験なしには、2000年における『メルロ=ポンティ 超越の根源相』の出版にいたる道のりはあり得なかったと言える。

 

ただ、パリでのデカルト経験といっても、私はベイサードなどの代表的なデカルト研究者の言うことを鵜呑みにしたわけではない。

また、権威あるデカルト研究史に依拠してデカルトを考えたわけではない。

そうした(アカデミズムを基準にすることはしないという)姿勢を、私は帰国後年々強めてゆき、森有正小林秀雄デカルト考などを熟読しながら、デカルトの哲学を「生のあり方としての哲学」として読む読み方を確立していった。

そしてそれは同時に、「デカルトの循環」の深層(真相)に迫ることでもあった。

 

デカルトの問題性が摑めなければメルロ=ポンティは分からない 1

メルロ=ポンティデカルト論をいくら読んでもデカルトは分からない。

しかしデカルトを読めばメルロ=ポンティは分かる。

というより、デカルトの問題性が掴めなければメルロ=ポンティは分からないのである。

これが1986年度におけるパリ大学での在外研究を経て、そしてその後の30年間の思索を経て、私が確言できることである。

 

時間と永遠について言うと、

デカルト省察は時間の中で行なわれる。

この「時間の中で」という条件を外して省察を理解することはできない。

例えばコギト(我れ思う、故に我れあり)とは、時間の中で時間を突破し永遠(つまり真理)に達する企ての到達点なのである。

 

このことを押さえると、メルロ=ポンティの『知覚の現象学』とは何であるのかが分かる。

それは時間と永遠との結合なのである。

但し、メルロ=ポンティの哲学はデカルトの哲学とまったく同じであるというわけではない。メルロ=ポンティの場合はデカルトの場合よりもより荒技的に時間と永遠とは結合される(これは永遠が時間に還元されるということではない)のである。

拙著『メルロ=ポンティ 超越の根源相』(創文社)の、例えば第1章第2節「一種の永遠」を参照されたい。

「デカルトの循環」 (i) ~死の問題へ

繰り返し述べたことであるが、「デカルトの循環」と呼ばれる循環は循環論法の循環ではない。というのも、それは超越関係における循環だからである。

ところで、循環は超越関係における循環であるということは、この場合の超越関係とは循環関係であるということである。

再度、神と聖書の例で考えてみよう。

[A]神が存在することは聖書が教えるところである故に信ずべきことである。

   ーーではどうして聖書を信じることができるのか。

[B]聖書を信じることができるのは、聖書は神から授けられたものであるからである。

  • 神は聖書を超越しているのであるが、上の[B]はその超越性を表している。
  • しかし[A]は神は聖書に依存することを意味する。神は聖書によって己れを示さなければならないのである。

つまり超越とは単なる超越ではなくて超越と依存(=非超越)との矛盾であり、また神と聖書の間の循環である。

 

ところで、こうした神と聖書との関係は、精神と身体との関係でもある。

デカルトにおいては、精神は身体を超越していると同時に、身体に依存しているのである。

言い換えると、精神は身体から区別されると同時に、身体と一つになっている(心身合一)のである。

精神は身体を越えたものであると同時に、身体なしにはあり得ない。

こうしたデカルト矛盾は詩人の洞察によっても裏づけられる。

 [1]肉体をうしなって あなたは一層 あなたになった       

   純粋の原酒(モルト)になって 一層わたしを酔わしめる   

   恋に肉体は不要なのかもしれない

[2]けれど今 恋いわたるこのなつかしさは 

   肉体を通してしか ついに得られなかったもの

[3]どれほど多くのひとびとが 潜って行ったことでしょう

   かかる矛盾の門を 惑乱し 涙し          

          茨木のり子『歳月』「恋唄」

 番号はもちろん引用者が便宜上付したものであるが、デカルト的に言うと、

[1]は純粋精神の立場に立つ言葉であり、

[2]は心身合一の立場に立つ言葉である。

そして純粋精神と心身合一という矛盾した二つが同時に問題になるのは、上の詩人の場合もそうであるが、とりわけ「死」においてなのである。

というのも、

一方、死は精神が身体から離れて純粋精神になることを可能にするが、

しかし他方、死はそもそも心身合一体にとってしか存在しないからである。

 

「デカルトの循環」(h)

前の12月1日の記事で、信じることと疑うことの矛盾に言及したが、この矛盾について少し考えてみよう。

「上から」見れば丸いが「横から」見れば三角形である(つまり丸くない)、そのようなものがあるとして、これについて矛盾を指摘する者はいないであろう。

円錐形をしたものは、そのように見えなければならないのであり、そのように見えなければ、それこそ(円錐形の定義に)矛盾するのである。

ところで、既に見たように、コギトや神の存在も、それらが現在の明証であることをやめて過去の明証になると、疑い得るものとなる。つまり、それらは「現在の明証」である場合は信じざるを得ないが、「過去の明証」になると疑い得るのである。

しかしこの「信」と「疑」の矛盾は、上から見れば「丸い」が横から見れば「丸くない」という矛盾とは異なる。「丸い」と「丸くない」は自己同一的な事物の必然的な現われであるが、「信」と「疑」は違う。というのも、11月24日の記事で述べたように、現在の明証と過去の明証の区別は、結局のところ、「神」と「明証の規則」との間の次元の違い、即ち創造者と被造物との間の超越関係を意味するからである。

ということは、超越において「信」と「疑」という矛盾した二つは結ばれるということである。

 しかも信と疑は互いに絡み合っている。

  1. デカルトは 2+3=5 を疑うために「欺く神」を想定したが、「欺く神」を想定するためには「欺く神」という明証の真理性を信じなければならない。つまり疑うことはそれ自体信じることなのである。
  2. しかし、「欺く神」という明証への信頼は、やはり、明証一般に対す懐疑であらざるを得ない。つまり信じることはそれ自体疑うことなのである。

この例はコギトや神の存在に対する信と疑の関係を直接説明するものではないが、〕このようにして信じることと疑うことは絡み合っているのであり、「疑うことは信じることであり、信じることは疑うことである」という循環が存在するのである。

このような循環こそが本当の「デカルトの循環」である。

これはデカルトが実際に語っている論理ではない。そうではなくて、デカルトが実際に生きている論理である。

我々はデカルトの言葉の整合化ばかりに拘ってはならない。肝腎なのはデカルトの思考的生の実体を明らかにすることである。

 

「デカルトの循環」(g) ・・・ デカルトの懐疑は方法的懐疑ではない ⑧

デカルトの循環」(e)で見たように、

我々が実際に明晰に認識することは、神の存在であれ何であれ、いずれ想起の対象となる。即ち、「以前に明晰に認識したことを我々が想起すること」となる。しかし、神の存在であれ何であれ、或る「事物が真であることを我々が確信する」ためには、その事物を「明晰に認識したことを我々が想起する」だけでは十分ではない。更に、「神は存在し神は欺くことはないということを我々が知っているのでなければ」ならないのである。

ということは、神は存在し神は欺くことはないという明証、つまり神の存在と誠実性という明証も、それが過去の明証となった場合には、即ちそれが想起の対象となった場合には、「神は存在し神は欺くことはない」ということの知を必要とするということである。つまり神的保証を必要とするのである。

しかし神の存在と誠実性という明証の真理性を保証する「神は存在し神は欺くことはない」ということの知それ自体も、それが過去の明証となった場合には保証を必要とするということに我々は気づかなければならない。

つまり、明証の規則の正しさが神の存在と誠実性によって保証されるのは、神の存在と誠実性が現在の明証である限りにおいてなのである。それが過去の明証である場合には、明証の規則は確乎たるものではあり得ないのである。

ということは、神の存在と誠実性が証明された後も、懐疑の可能性は残る(実際には疑わないとしても)ということである。

デカルトは、(例えば 2+3=5 を)疑う根拠として「欺く神」を持ち出し、次いで神は存在し神は欺く者ではない(誠実である)ことを証明して、「欺く神」という懐疑の根拠を否定し却下する。しかし、神の存在と誠実性も、それが過去の明証となるならば、「欺く神」は生き返る。つまりそれも疑い得るものになるのである。

デカルト研究者はこのことを決して理解しない。デカルトの懐疑は懐疑の可能性を決定的に抹殺するためのもの、つまり方法的懐疑であると信じ込んでいるのである。しかし、少し考えれば分かるように、絶対に疑い得ないことなどあるわけがないのである。実際、デカルトは「絶対に疑い得ない」などという言い方は、『方法序説』においても『省察』においてもしていない。

第三省察の冒頭でいわゆる明証の一般規則を仮に立てた後、デカルトは例えば 2+3=5 という明証は、それが現在の明証である場合にはその真理性を信じざるを得ず、それが過去の明証である場合にはその真理性を疑うことができるということを語っている。

つまり信じることと疑うことの矛盾を示しているのであるが、こうした矛盾・二重性はあってはならないものではなくて、それこそが深く了解すべき真のデカルト的問題であり、真の哲学的問題なのである。

この矛盾にはいずれまた触れることにして、我々はここで改めてデカルトの懐疑は方法的懐疑ではないということを確認したわけである。 

「デカルトの循環」(f)

前回見たように、デカルトは循環論法の疑惑に対して、現在の明証と過去の明証とを区別し、(即ち現に明らかであることと、かつて明らかであったこととを区別し、)現在の明証は保証を必要としないが、過去の明証は保証を必要とした。

つまり、こういうことである。

  1. 明証が現在的なものである限りでは、明証の規則は保証を必要としない。そこでまずデカルトは、明証の規則に立脚して神の存在と誠実性を証明する。★これは「神の存在を信じなければならないのは、神が存在することは聖書において教えられているからである」ということに対応する。
  2. しかし明証が現在的であることをやめて過去の明証(想起の対象)となると、明証は保証を必要とする。そこでデカルトは明証の規則の正しさは神が保証するとする。★これは「聖書を信じなければならないのは、聖書は神から授けられたものであるからである」ということに対応する。

さて、現在の明証と過去の明証との区別は、循環論法の嫌疑を晴らす役割をするわけであるが、では、現在の明証と過去の明証との区別はどうしてそのような役割を果たすことができるのであろうか。

  1. 明証の現在性は「明証の規則」から「神」へ(聖書から神へ)の上昇を可能にし、
  2. 明証の過去性は「神」から「明証の規則」へ(神から聖書へ)の下降を可能にする。

つまり、現在の明証と過去の明証との区別は、結局のところ、「神」と「明証の規則」との間の次元の違い、即ち創造者と被造物との間の超越関係を意味するのである。(但し、この超越関係は概念的なものではなくて、信仰の光に照らされたものでなければならない。)

そうである故に、現在の明証と過去の明証との区別は、デカルトをして循環論法から免れさせるのである。

 

「デカルトの循環」(e)

最初から話を始めることにしよう。「デカルトの循環」について論じるためには、まずはデカルトの答弁そのものを正確に理解しなければならない。では、循環論法の嫌疑に対してデカルトはどのように答えたのか。『省察』「第四答弁」を見てみよう。

(a)明晰判明に認識されることが真であることが我々にとって確定されるのは、神が存在するからに他ならず、また、(b)神が存在することが我々にとって確定されるのは、そのことが明晰に認識されるからに他ならないと、そのように私が述べた時、私は循環論法を犯していない。

デカルトはそのように答弁している。では、どうして循環論法を犯していないと言うことができるのであろうか。デカルトの言い分は次の通りである。

  1. まず(b)の方に関してであるが、「最初に神が存在することが我々にとって確定されるのは、神が存在することを証明する根拠に我々が注意を向けているからである」。つまり、神の存在は「我々が実際に明晰に認識すること」であるからである。
  2. しかし、我々はいつまでも根拠に注意を向けているわけにはいかない。では、「その後は」どうなのであろうか。今度は(a)の方に関してであるが、我々が実際に明晰に認識することは、神の存在であれ何であれ、いずれ想起の対象となる。即ち、「以前に明晰に認識したことを我々が想起すること」となる。しかし、神の存在であれ何であれ、或る「事物が真であることを我々が確信する」ためには、その事物を「明晰に認識したことを我々が想起する」だけでは十分ではない。更に、「神は存在し神は欺くことはないということを我々が知っているのでなければ」ならないのである。

明証の規則が神的保証を必要とするのは明証が過去のものとなった場合(即ち私は神が存在することをかつて明晰に認識したという場合)だけであって、最初に神の存在を証明する際には、即ち明証が現在のものである際には、明証の規則は神的保証を必要としない。つまり、(b)は(a)を前提しない。それ故に自分は循環論法を犯していない。――デカルトの言い分は要するにそういうことである。

しかしこの答弁は多くの者にとって納得のできるものではないであろう。というのも、「神が存在することは明らかである」という明証は、それが現在的なものである場合も、想起の対象となっている場合も、内容に変わりはないからである。

しかし問題は、明証が現在のものであろうと過去のものであろうと、その内容は変わりない、という見方それ自体なのである。多くの者は明証から時間性を奪う。ということは、デカルトの証明を単なる証明としてしか見ないということである。デカルトの証明を単なる証明としてしか見ないから、明証を無時間的なものと看做す。つまり現在の明証と過去の明証とを区別することの意味を理解することができない。しかしその場合には、デカルトを循環論法の嫌疑から救い出すことは不可能である。

「デカルトの循環」(d)

デカルトの循環」と呼ばれる問題は、デカルト研究の歴史において過去最も多く取り上げられた問題の一つであるが、それは簡単に言うと、

神が存在し神が欺瞞者ではない(誠実である)ことは、明証の規則(明晰判明なことはすべて真であるという規則)に従って証明されることであり、また、明証の規則が正しいことは神によって保証されていることである、

という循環である。

デカルトは「循環論法」を犯しているのではないかという指摘は、既にA.アルノーなどデカルトの同時代の学者によって行なわれ、また後世においてはこの指摘をめぐって数多のデカルト研究者が様々な議論が試みたが、しかし我々は研究者たちの煩瑣な議論をいちいちフォローする必要はないと考えている。

どうして循環論法という批判が出てくるのか。それは要するに、哲学を信仰から完全に切り離されたものと看做すからである。即ち、(信仰において感知される)神の超越性を度外視して、「神」と「明証の規則」とを同列に置くからである。そのようにする限り、デカルトを循環論法という非難から救うことは決してできない。弁明や釈明を行なうことしかできない。あるいは、デカルトは循環論法を犯していないことを独断的に前提することしかできない。

「神」と「明証の規則」との間の循環は、実は、以前に取り上げた「神」と「聖書」との間の循環と同種のものである。「明証の規則」の正しさは、(神の存在が証明される第三省察において何度か現われる言葉で言い換えると)「自然の光」による認識の正しさということであるが、「自然の光」とはまさに「神から我々に与えられた認識能力」(『哲学原理』I-30)であり、或る意味で「聖書」に対応するものなのである。

「神」と「明証の規則」との間の循環は、「神」と「聖書」との間の循環と同種のものであり、つまり確かに循環ではあるが、しかし循環論法ではない。

では、循環論法の循環ではない循環とは何なのであろうか。どうしてそのような循環が存在するのであろうか。

 

「デカルトの循環」(c)

デカルトの循環に関する話を先に進める前に、念のため「デカルトと信仰」について確認しておきたい。

以下、2016年9月19日に本ブログに掲載した拙稿から抜粋する。

筆者は前稿「デカルトと死の修練」において、デカルトの哲学は建て前上は神への信仰から独立しているとしても、あるいは表面上は信仰に依拠していないように見えるとしても、この哲学は実は神への生ける信仰によって実質的に根拠づけられているのではないか、それは黙せる篤き信仰心によってこそ実現され得ているのではないか、従ってデカルトの秘められた信仰心を感取せずにそれを等閑視するならば、その哲学を本当の意味で理解することはできないのではないか――論語読みの論語知らずの如き「デカルト読みのデカルト知らず」になってしまうのではないか――という旨のことを述べ、そのことを「懐疑」「証明」「観念」「方法」をめぐって示した(・・・)

  拙稿「聖体と蜜蝋――信仰のロゴス〔パスカルデカルト〕」【序】

 

 そしてまたデカルトはれっきとした信仰者であることも確認しておきたい。パスカルデカルト批判は余りにも有名であるが、しかし『ド・サシ氏との対話』におけるパスカルモンテーニュ批判をそのまま信じてはならないのと同じように、パスカルが書き残したデカルトに関する断片的な批判を絶対化してもならない。もちろんデカルトキリスト教の擁護を主眼として哲学したわけではないし、パスカルと同種の信仰を有したわけではない。しかし哲学史が築き上げた “合理主義者デカルト” というイメージ(巨大な虚像)を払拭し、哲学史的偏見を排して虚心坦懐にデカルトの言葉に耳を傾けなければならない。デカルトは例えば、神への信仰が我々に何も教えていない事柄は別として、それ以外のことについては超自然的な光を自然の光よりも優先させなければならない、恩寵の光を理性の光よりも優先させなければならないと言っているのであるが、これを啓示に対する単なるお決まりの敬意表明と受け取ってはならないのである。

そして受肉とか三位一体といった「信仰の真理」以外の真理、即ち自然の光によって認識される真理も、実は信仰の光に照らされていることを察しなければならない。そのことを感じ取らなければならない。確かに理性と信仰とは区別される。しかし区別されるということは切り離されるということではない。理性と信仰とは不可分なのである。デカルトにあっては、信仰は理性の内奥に潜み理性を活動させている。つまり信仰は理性の内に浸透している。そのことは特に「神の観念」によく表れているが、しかし神の観念は例外的なものではない。デカルト的明証は超自然的な光から切り離されるならば貧しく無力なものとなってしまうのである。

  拙稿「聖体と蜜蝋――信仰のロゴス〔パスカルデカルト〕」【5】

それでは、「デカルトの循環」に話を戻すことにしよう。

 

「デカルトの循環」(b)

前の記事で、次のような神と聖書の循環を取り上げた。神が存在することは聖書が教えるところである故に信ずべきことである。では、どうして聖書を信じることができるのか。それは聖書は神から授けられたものであるからである。

ここには明らかに循環がある。しかしデカルトが言うには、この循環を循環論法と見るのは信仰のない者である。信仰がある者はこの循環を循環論法とは見ない。

では、それはどうしてなのか。それは信仰とは超越への関わりであるからであり、つまり(超越的な)神と聖書とはいわば次元の異なるものであるからである。逆に言うと、信仰のない者がそうするように上の循環を信仰から独立した純然たる証明と見るならば、即ち神と聖書とを同一平面に並べるならば、上の循環は循環論法であることになるのである。

例えばAという人がBの言うことは正しいと言い、BがAの言うことは正しいと言うという循環は、AとBが同じ人間として同一次元に置かれる限り、悪しき循環(循環論法)なのである。

しかしデカルト省察は循環的ではあるが、それは循環論法を犯しているわけではない。我々が上で指摘した次元の違いということは、デカルトの答弁にも実は示されているのである。