三木清「語られざる哲学」(1919)  (2) 真に生きるということ

 

 

♦私は昨年の夏まで或る哲学会の委員長を務めていたのであるが、数名の運営委員(色々な大学の哲学教授)たちは皆、運営に関わる或る根本的な問題に関して議論をしようとしない(議論をさせない)という態度をずっと貫いた。具体的な話は省略するが、そのことで私は、哲学あるいは哲学研究は心の純粋さとはまるで関係のない営みであるということを、元々分かっていたことではあるが改めて思い知らされた。

しかし哲学は断じてそういうものであってはならない、――という強い思いが、三木清を最初期のものからじっくりと読んでみたいという気持ちを私に起こさせたのである。

 

♦さて、懺悔としての語られざる哲学は、「自己の心情の純粋を回復せんがため」の企てであるが、心情の純粋を回復するということは、過去を食い尽くして初心に帰るということである。そこで22歳の三木は自分の半生を回顧してその清算書を作ることを要求されるのであるが、その際、自分が何を持っているか、また何を持っていないかを「正直に」認識なければならない。「本当に正直になりうるか否か」に、「虚栄心を破壊する」ことができるか否かが、つまり心情の純粋を回復することができるか否かが、かかっているのである。

 

♦人は殊自分のことに関しては、他人に対してだけではなく自分自身に対しても、なかなか正直になれないものである。正直であるつもりであっても、実は本当に正直であるわけではない。虚栄心は根強いからである。しかし三木が言うには、「真に生きる」ことは虚栄心を破壊することから始まるのである。虚栄心を破壊し心を純粋にすることによって、人は真に生きる者となり、「生命の泉」――この言葉は「語られざる哲学」の第七節に出現する――から生命を汲みとる者となるのである。

 

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写真はJan  van Eyck - Fountain of Life 

 

三木清「語られざる哲学」(1919)   (1) 純粋ということ

三木清京都帝国大学在学中の夏休みに「語られざる哲学」(1919年)という論考をしたためた。書き出しでいきなり「懺悔」という言葉が使われるこの論考は、一高においても京大においても飛び抜けた秀才であった三木が、そうしたずば抜けた秀才としての自分自身を徹底的に批判し否定するものなのであるが、100年前の若干22歳の大学生が書いたノートとして軽視することなど到底できないものである。

以下、思いつくままにコメントを書いていきたい。

 

♦書き出しは次のようになっている。

《懺悔は語られざる哲学である。それは争いたかぶる心のことではなくして和らぎへりくだる心のことである。講壇で語られ研究室で論ぜられる哲学が論理の巧妙と思索の精緻とを誇ろうとするとき、懺悔としての語られざる哲学は純粋なる心情と謙虚なる精神とを失わないように努力する。》

 

三木は純粋ということを何度も何度も強調するのであるが、自分の中に潜んでいる虚栄心とか利己心とか傲慢といったものを見つめるためには、謙虚にならなければならず、純粋な心にならなければならない。逆に言うと、心が不純であるならば罪を罪として認めることはできないのである。つまり、純粋とは実は懺悔することそれ自体なのである。

 

シモーヌ・ヴェイユいわく。

 

「純粋とは穢れを凝視する能力pouvoirである。」

 

 

三木清はどうして逃亡中の共産党員を匿ったのか?

三木清が敗戦後も豊多摩監獄に収監され続け、そして非業の死を遂げたことについては以前の投稿(2023.3.2)で触れたが、治安維持法に違反した廉で投獄された三木の獄死は治安維持法の廃止のきっかけとなった。

三木清 戦間期時事論集-希望と相克-』(2022)の解説にはこう記されている。

「・・・GHQ三木清の学識を知る者がおり、敗戦後一カ月を経ても獄中に捕らわれたまま亡くなったと知って驚愕し、治安維持法を急遽撤廃せしめたのだった。」

 

♦1945年3月、沖縄戦が始まったころ三木は権力によって検挙され投獄された。仮釈放中に逃亡した共産党員・高倉輝を匿い服や金を与えたからであり、そしてそのことを高倉が後に告白したからである。しかしどうして高倉は、共産党員でないばかりか共産党から激しく批判され排除された三木を訪ねたのか。いくら知人とはいえどうして三木は身の危険を承知の上で高倉を助けたのか。

そうした点については、まずは、多くの人たちの証言が集められた山野晴雄「タカクラ・テルの警視庁脱走と三木清の獄死」(2019年)などを参照しなければならないであろう。

https://www7b.biglobe.ne.jp/~takakuraterukenkyu/takakuratomiki4.pdf

 

♦しかし、ここでは柳広司アンブレイカブル』(2024)という小説において、著者が三木清に語らせている言葉の一部を取り上げてみたい。

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どうして共産党員を助けたのか? そのようなことをすれば逮捕されることは分かっているのに。

三木は内務省参事官(三木の京大での後輩であるという設定になっている)に次のように答える。

「そんなにおかしいことだろうか」

「助けを求めてきた相手に手を差し伸べる――それは共産主義者国家主義者などという範疇の前に、人間として当たり前のことではないだろうか。例えば、高倉氏が単に共産主義者という属性だけの存在ではないように、特高を指揮して共産主義者取り締まりを遂行する君もまた、内務官僚という立場が存在のすべてではないはずだ。人間はアカかクロかで仕分けされるような単純な存在ではない。だからこそ人間には、思想や心情、立場を超えて、互いに手を差し伸べ合うことができるのだ」

 

♦何か素朴なヒューマニズムが語られているように見えるが、三木の命懸けの振る舞いには哲学的な裏づけがある。というより、哲学は(例えば困っている者を助ける)行為そのものなのである。

 

自我の確立のないところに、真実の道義や義務や責任の自覚は生まれない(坂口安吾)

自民党最大派閥の安倍派の裏金問題がこのところさかんに報じられているが、考えるべきことは、例えば政治倫理綱領のようなものによって議員が本質的に、即ち人格的に倫理的になることはあり得ないということである。

そしてもう一つ考えるべきことは、問題となっている裏金が派閥の組織的犯罪であることが物語っているように、党派というものは大きな弊害をもたらす悪であり得るということである。

坂口安吾は敗戦後まもなくして書いた「咢堂小論」(1945.12)の中でこう述べている。

「日本に必要なのは制度や政治の確立よりも先ず自我の確立だ。本当に愛したり欲したり悲しんだり憎んだり[する]、自分自身の偽らぬ本心を見つめ、魂の慟哭によく耳を傾けることが必要なだけだ。自我の確立のないところに、真実の道義や義務や責任の自覚は生まれない。」

♦求道者である安吾の言う自我の確立とは、自我というものをよく見つめることである。自分の偽らぬ本心を見つめることであり、自分の魂に忠実であることである。そして、このようにして自我を確立しない限り、即ち真に自分が自分自身であるのでない限り、倫理とかモラルというのは、いくら美しく立派な言葉を並べたところで所詮は偽善でしかあり得ない。

♦ところで、こうした自我の確立(自分が自分自身であること)を妨げるのは、(己れのアイデンティティの根拠を閥や党に求める)党派根性なのであるが、安吾が言うには、「閥とか党派根性というものは日本人の弱点」であり、この弱点によって日本の成長と発展が妨げられてきた(例えば、先の戦争の元凶の一つは、次第に勢力を伸ばし暴挙を振るうに至った軍閥に存した)のにも拘わらず、敗戦後、日本人の党派性は激化した。例えば、魂の拠り所を見失った学徒や復員兵が政党運動に走ったりしたのである。

安吾が言うように、政治というのは常により良いものに取り換えるべき生活の道具に過ぎない。

今回のことでもし安倍派が自滅し、そして更に自民党の長期政権が終焉するのであれば、それは議会政治を健全化させ独裁政治による戦争を防ぐ上で大いに望まれるところである。

哲学は生活の一部ではなくて全部である ――哲学のタコツボ化に抗して

♦先日、古くからの知り合いから、鈴木道彦他監修 『竹内芳郎 その思想と時代』 をいただいた。

私はサルトルの哲学に与する者ではないが、教壇に立ったばかりのころは、竹内芳郎の『サルトル哲学序説』にはずいぶんお世話になった。

♦そういえば、2017年の7月に日本サルトル学会のシンポジウム「竹内芳郎に応える」に参加した際、私は大いなる共感をこめてこう書いた。

「大学に身を置く研究者の〈鈍感さ〉、サルトルの言葉で言うと〈自己欺瞞〉、これが救いがたいものであることが、昨日のシンポジウムで改めて確認された」、と。

♦しかし、実を言うと、哲学とは何かという点からすると、私の哲学観は竹内芳郎のそれと同じではないし、またサルトルのそれとも異なる。

澤田直氏によると、竹内芳郎にとって「哲学とは研究対象であるまえに、なにより生きた思想」であった。

確かに、大学のほとんどの哲学教員にとって、哲学は研究対象でしかない。実践に結びつく生きた思想ではない。その意味では、竹内芳郎のような人は一目置くべき稀有な存在である。しかし、私にとっては、哲学は生きた思想であるというより、生のあり方なのである。つまり、哲学は生活の一部ではなくて全部なのである。言い換えると、哲学は如何なる意味でもタコツボ化してはならないというのが私の哲学観なのである。

♦というわけで、坂口安吾の次の文章は私にとって実に興味深く、そして大いに参考になるのである。

「いったい日本の文学者達は、文学のことだけ語り、文学以外のことなど語らぬのが純粋だと思っているらしいが、これは逆だと僕は思う。真に文学に生きているなら、生活の全部が文学にならねばならぬはず、いわゆる文学だけしか扱えぬのは生活の全部が文学でない証拠で、アマチュアにすぎぬと僕は考えている。

本因坊秀哉がうまいことを言っている。玄人の碁打と素人の碁打とどこが違うかと言えば、玄人も素人も同じぐらい練習し同じ生活しているのだが、ただ玄人は、三面記事を読んでも相撲を見ても料理を食っても、それを常に碁に結びつけて考える。生活のすべてを碁に結びつけて考えている。それだけが玄人と素人の違う所だ。と言っている。名人の至言と言わねばならぬ。」

――「大井広介といふ男」(1942)

 

 

偶像崇拝と人間の傲慢

❤6日、府中の森芸術劇場のウィーンホールにて、メンデルスゾーンのオラトリオ 《エリヤ》 全曲を聴いた。

実に良かった!

youtubeなどでは決して得られない、生演奏ならではの感動を与えてくれた。聖書物語の面白さと、メンデルスゾーンの音楽の素晴らしさとが、まさに相乗効果を生み出していたのである。

ご招待くださった方にこの場を借りて感謝申し上げたい。

❤さて、この《エリヤ》では、預言者エリヤと、支配者および民衆の偶像崇拝との戦いが描かれているわけであるが、今現在イスラエルの一部で盛り上がっている狂気じみた国家主義ナショナリズム)は、恰も国家を神として崇拝する偶像崇拝であるように私には思われる。

偶像崇拝とは神ならざる者を神として崇拝することであり、言い換えれば神を人間のレベルに貶めることである。しかし、神を人間の水準に引き下げることは、実は人間がみずからを神と同じ水準に引き上げることなのであり、つまり人間が〈傲慢〉の罪を犯すことなのである。

一神教の神はその徹底的な超越性の故に、偶像idolのように現前することはあり得ない。しかしとはいえ、神はやはり現前(臨在)するのでなければならない。もし神は如何なる意味でも現前しないのであれば、人は〈絶望〉に――ニヒリズムに――陥るのである。

シモーヌ・ヴェイユはいみじくも、「神は不在という形でのみ被造物の内に現前し得る」と語った。

神は現前(臨在)し得る。そうでなければ人は絶望に陥る。但し、神はあくまでも不在という形でのみ現前し得るのである。居ないという仕方でのみ居るのである。

❤因みに、芸術は見えないものを見えるようにするとよく言われるが、厳密に言うと、見えないものを見えないものとして見えるようにするのである。

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淡野弓子氏による解説文、「一神教偶像崇拝~エリヤ出現の背景~」の末尾にこうある。

「エリヤの物語を古えの異国のものと捉えたくはない。行く末の分からぬ現今の世界情勢の只中で、偶像崇拝、狂信の恐ろしさを黙考し、真なる神への信仰を率直な響きで伝えたい。」



 

勅使川原三郎:自分の都合とは別の次元に ――良心の問題へ

❤しばらく前に放映された勅使川原三郎の新作ダンス「ランボー詩集」を録画で観たのであるが、勅使河原氏はこのダンス作品について次のような注目すべきコメントをしている。

――私のダンス作品は、(ランボーの詩という)自分の都合ではない対象物への尊重を基礎としています。

――ランボーの詩に対する私の共感などたわいもないものです。作品を作る力は自分の都合とは別の次元にあるのです。

(シアターテイメントNEWSによる)

❤私は勅使河原氏たちのダンスを堪能しつつ、このコメントについて考え続けた。

普通は詩に対する自分の共感を原動力としてダンス作品を作るのであろうが、氏は牽強付会や我田引水のようなことをせずに、むしろ逆に自分の都合とは別の次元にあるものとしての詩に、ダンス作品を作る力を見出すのである。

❤私は芸術の重要な存在意義を一つ発見したような気がした。芸術は自分の都合とは別の次元に、自分の人生を作る力を見出すことを教えてくれるのである。私が言いたいのは、内なる超越としての“良心”のことである。現代においては良心という言葉は殆ど空語になってしまっている。それは人々が良心について考えないからである。良心という言葉を都合よく用いつつも、良心というものについて思い悩まないからである。良心というのは、それを絶えず探究することを怠らない限りにおいてのみ、その呼び声を聴くことができるものなのである。

❤内省することのない人間は、良心という岩の如く不動の寄る辺を内に持たない故に、常に自分の都合の言いなりになり、世の中の乱れに先んじてその自己は乱れているのである。

 






坂口安吾:文学はつねに政治への反逆であるが、 まさにその反逆によって政治に協力するのである。・・・ (5) 

❤私は学生の時から、政治というものの本質的な限界と狡猾さ・あくどさをひしひしと肌に感じていたが、私のことはともあれ、安吾は27歳の時に、即ち1933年に、文学は政治に対する反逆である、あるいは文学は社会制度に対する革命であると明言している。では、それはどのようなことなのか。

 

❤「新しき文学」(1933)では、恐らく “La Nouvelle Revue Française” におけるイリヤ・エレンブルグの報告を参考にして、当時のソヴィエト(スターリン体制下)の作家のだらしなさを批判しつつ、

「文学は永遠に政治に対する反逆である。個人のために血と肉の人間悲劇を語らなければならない。」

と述べている。

個人のために血と肉の人間悲劇を語ること、それが文学の政治に対する反逆なのである。

 

❤ところで、戦後の「続堕落論」(1946)では、文学は政治への反逆であり、制度への復讐であるとした後、安吾は唐突にこう述べる。

文学は「その反逆と復讐によって政治に協力しているのだ。反逆自体が協力なのだ。愛情なのだ。」

しかし、政治への反逆自体が政治への協力であり愛情であるとはどういうことなのであろうか。反逆は愛情と両立するのであろうか。確かに概念上は反逆と愛情は相反する。しかしこの場合の反逆は愛情と表裏一体なのである。愛情があるから反逆するのである。無関心であれば反逆しない。

精神の健康は、不健康きわまる状態のただ中にあって自分も危険にさらされながら、それと格闘し、克服しようとする意思力によって保たれる。-亀井勝一郎

❤「現代は軽信の時代だ」。――このように亀井勝一郎が書いたのは、今から67年ほど前(1956年1月)のことである。「日本は全体主義的な傾向をたどるときは、必ずある種のレッテルが社会にハンランする」。例えば戦時中は、「国賊」という言葉一つで人を陥れることができた。人についてだけではない。事件についてもそうである。きわめて複雑なことをも簡単に割り切り、それで納得しているつもりになるのである。「即断の傾向がますます強くなってゆくのが最近の特長」である。伝達機関が発達するのに比例して、人間どうしの理解力はいっそう鈍くなっていく。亀井はそのように嘆く。

❤亀井がとりわけ青年に期待するのは、上のような軽信や即断への抵抗力を養うことである。人間についての判断においても、事件についての判断においても、「十分の時間をかけ、疑わしいところはあくまで疑って心から納得してゆけるようなふんい気を、青年のあいだからつくりあげてほしい」。

❤では、67年経った2023年の今現在、亀井のこの願いは少しでも叶えられているのであろうか。否、であろう。特に発達したネット社会では、人を欺くことを得意とする詐欺師や山師が跋扈している。編集された動画やソースの怪しい写真も利用される。こうして老若男女問わず多くの者が、まことしやかな嘘話にコロリと騙される。人間や事件に関して心から納得するまでとことん疑う忍耐力を持たず、楽になりたい、安心したい、“真実”に酔いたいという浅はかな欲望に勝てないから、そのように軽信に陥るのである。

❤しかしこれは精神が不健康であることを示している。精神の健康は安全地帯に引き籠ることによって得られるものではない。精神の健康は軽信への抵抗、「ものごとに対する正確さへの意思」(亀井)によって保たれるのである。

 

2018年11月6日 「知性と品格」

♦ 今年の夏私は、或る学会の会員の方々に向かって、せめてこの学会だけは「知性と品格」を感じさせる学会であってほしいということを述べたのであるが、この知性と品格というのは実は互いに切り離すことのできないものである。つまり、知性はあるが品格はないということはあり得ないのである。
♦ 品格とは生き方の美しさであるとひとまず言っておこう。では、知性とは何なのか。知性があるとは、才気煥発であるとか博覧強記であるとかといったことではまったくない。知性とは疑う能力である。即ち、自分が(いつのまにか)正しいと信じていることが本当に正しいのかどうかを吟味する能力である。自分の意見の正しさを敢えて疑い吟味する余裕(謙虚さ)を持たないことこそは、思考の停止であり知性の欠落である。
♦ 但し、自己懐疑・自己吟味は信じることをやめることではない。逆である。例えばデカルトは、自分は疑うために疑うのではなくて、確信を得るために疑うのであると語っているが、疑うことによって信念は新たにされるのであり、洗練した深みのある信念、寛容な信念へと成長するのである。ということはつまり、知性はそのまま品格につながるということである。
♦ 確信のある人は美しい。信念のある人には品格がある。但しこの場合の信念は自己吟味を容れる本物の信念である。
★ 写真は「ガダニーニ」一族の末裔フランチェスコ・ガダニーニが1897年に製作したヴァイオリン。弓はE.サルトリー。たいへん弾き良い。
 
 
 

 

伊丹万作と戦争責任の問題 (2)

コレガ人間ナノデス

原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ

肉体ガ恐ロシク膨脹シ

男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル

オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ

爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ

「助ケテ下サイ」

ト カ細イ 静カナ言葉

コレガ コレガ人間ナノデス

人間ノ顔ナノデス

 

(中略)

 だが、今後も……。人類は戦争と戦争の谷間にみじめな生を営むのであらうか。原子爆弾の殺人光線もそれが直接彼の皮膚を灼かなければ、その意味が感覚できないのであらうか。そして、人間が人間を殺戮することに対する抗議ははたして無力に終わるのであらうか。……僕にはよくわからないのだ。ただ一つだけ、明確にわかっていることがらは、あの広島の惨劇のなかに横わる塁々たる重傷者の、そのか弱い声の、それらの声が、等しく天にむかって訴えていることが何であるかということだ。

――原民喜「戦争について」(1948)――

 

❤この「か弱い声」は我々一人一人にとって他人事ではないのだ。

我々はこれから起こるかもしれない戦争に対して責任がある。それだけではない。先の中国との戦争と太平洋戦争、そして遠い地で現在行われている戦争に対しても、間接的には責任がある。そう考えなければならない。つまり、それらに対しても何らか責任を感じなければならない。また、核抑止論は破綻したと言うだけで済ますことはできない。広島と長崎の惨劇に対して、我々一人一人が何らか責任を自覚しなければならない。

❤このような仕方で各人が倫理的自己改造を行わない限り、安定した平和がもたらされることは永久にないであろう。真の平和は政治によって作り出され得るものではないのだ。政治万能主義という信仰を捨てなければならない。これまでの戦争を見て改めて分かることは、政治の論理と人間の論理は決して相容れないものであるということである。

❤ところで、責任を感じる能力とは自省する能力である。自省する意志も能力も持たない人間は、責任を感じる能力を持たない。

前稿で触れたように、伊丹万作は「戦争責任者の問題」(1946)において、騙された者の責任を指摘したわけであるが、敗戦の年(1945年)の初頭に「戦争中止を望む」という文を綴った伊丹は騙された者ではないように思われるかもしれない。しかし彼は次のように誠実に自省している。――自分は戦争に関係のある作品を一本も書いていないが、それは確固たる反戦の信念を持ち続けていたからではなくて、たまたま病床に伏していたためにそうなったに過ぎない。もちろん自分は本質的には熱心な平和主義者であるが、今更そのようなことを言っても何の弁明にもならない。というのも、戦争が始まって以降は、馬鹿正直にも、自国が敗れることは自分の家族も死に絶えることであり、親戚や多くの貧しい同胞たちも皆一緒に死ぬことであると信じ、自国が勝つことばかりを切に望んでいたからである。――

❤世の中全体が欺瞞の猛毒に侵されていることにはっきりと気づいていた伊丹自身も、やはり或る意味で騙されていたのである。しかし彼はそのことを率直に告白しつつ己れの責任を痛感し、そのことを行動で示している。

❤国民一人一人が自省する能力と責任を感じる能力を有することが、民主主義が成立するための基本条件であり、また平和を築くための必要条件である。

 

伊丹万作と戦争責任の問題 (1)

丸山眞男は「軍国支配者の精神形態」(1949)において、日本ファシズム支配の厖大なる「無責任の体系」を指摘したが、一方それに先立って、伊丹万作は「戦争責任者の問題」(1946)において、「騙された者の責任」を指摘した。

伊丹はこのエッセイの中で、今度の戦争で自分たちは

   「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、

   おそらく今後も何度でもだまされるだろう。

   いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいない

   のである。

と語っているのであるが、では77年経った今はどうなのであろうか。「だまされていた」といって平気でいられる国民性は少しも変わっていないのではないであろうか。

❤ まずは、あの「無計画な癲狂戦争」に対して、どうして騙された者にも責任があると言えるのかについて考えてみたい。騙されるのは正確な知識が欠けていることによるのであるが、しかし知識の欠如はこの場合、善悪が問題にならない純粋に認識的な次元のことにとどまらず、行動に結びついている。つまり騙されること(騙されて戦争に協力し参加すること)には自分の意志と感情が関与しているのであり、従ってそれは善悪を問えることなのである。というわけで、伊丹は騙されることはそれ自体が既に一つの悪であると主張する。

❤そして伊丹は更に「悪の本体」にまで踏み込む。騙された者の罪は、ただ単に戦時中に騙されたという過去の事実そのものに存するのではない。「あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。」

❤では、今、日本国民はどうすべきなのか。伊丹が言うには、戦犯者の追求ということ以上に必要なことは、「まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。」

今や終戦から80年近く経っているが、あの戦争を遠い過去の出来事と思ってはならない。終戦はまさに今現在も続いているのであり、従って戦後生まれの者も多くの文献や資料や研究を通じて、件の自己解剖と自己分析と自己改造の努力を行なうことができるのであり、また行わなければならないのである。

❤国民一人一人にその努力を促すことに、教育の重要な役割が存するのではないであろうか。

 

坂口安吾:文学はつねに政治への反逆であるが、 まさにその反逆によって政治に協力するのである。・・・ (4) 

❤「人に無理強いされた憲法だと云うが、拙者は戦争はいたしません、というのはこの一条に限って全く世界一の憲法さ。戦争はキ印かバカがするものにきまっているのだ。」--「もう軍備はいらない」(1952)

戦争放棄という理想を批判することほど、容易なことはない。しかし戦争放棄などというのは単なる綺麗事であり、机上の空論に過ぎないと馬鹿にする向きは、現実というものをしっかり捉えているのであろうか。否、現実を捉えているのではなくて、むしろ現実にただ捉えられているだけなのではないか。現実を深く捉えるためには、逆説的であるが、理想を求めなければならない。理想を真剣に希求する者のみが、現実を深く捉えることができるのである。

❤「理想の女」(1947)に次のような一節がある。

「誰しも理想というものはある。オフィスだの喫茶店であらゆる人が各々の理想について語り合う。理想の人について、〔理想の〕政治について、〔理想の〕社会について。

我々の言葉はそういう時には幻術の如きもので、どんな架空なものでも言い表すことができるものだ。

ところが、文学は違う。文学の言葉は違う。文学というものには、言葉に対する怖るべき冷酷な審判官がいるので、この審判官を作者という。この審判官の鬼の目の前では、幻術はきかない。すべて、空論は拒否せられ、日頃口にする理想が真実血肉こもる信念思想でない限り、原稿紙上に足跡をとどめることを厳しく拒否されてしまうのである。」(新字新仮名に変更)〔〕内は引用者による補足。

❤それだけではない。安吾は常に理想をめざしているのであるが、しかし例えば高貴で善良な魂を書こうとして出発すると、皮肉にも、現実の低俗醜悪な魂を書き上げてしまう。安吾はそう告白する。つまり真摯に理想をめざすからこそ、現実に深く入り込むことになるのであり、また逆に、現実に深く下降するからこそ、理想の高みに上昇することになるのである。登らない者は降りることはできず、降りない者は登ることはできない。登ることは降りることであり、降りることは登ることである。本物の理想と本物の現実は、まさに反対物であることにおいて同一物なのだ。このような論理が安吾の文学を貫いていると私は見ている。

❤思想性(理想性)と戯作性(通俗性・滑稽性)に関する安吾の次の言葉を、繰り返し良く味わってみよう。

「小説にとっては、戯作性というものが必要なので、それは小説を不純ならしめるどころか、むしろ思想性を伸展させ、育てるものだ。日本には、そういう文学の正統、つまり、ロマンというものの意欲が欠けていた。つまりは本当の思想が欠けており、より高く生きようとする探求の意欲がなかったから、戯作性との合作に堪えうるだけの思想性がなく、ロマンがなかったのである。」

 

(★写真は安吾の恋人であった矢田津世子

 

柄谷行人『坂口安吾論』/イエズス会宣教師ルイス・フロイスの報告

柄谷行人坂口安吾論』(2017)によると、安吾は17世紀の日本史に関して、イエズス会宣教師ルイス・フロイスの報告を参照しているが、フロイスは同時代の日本について様々な報告を書き残している。その中に『日欧文化比較』(1585)という興味深い記述がある。


 

坂口安吾:文学はつねに政治への反逆であるが、 まさにその反逆によって政治に協力するのである。・・・ (3)  

最近、マイナンバーカードの不具合が次々と噴出し、そのことによって政治家の人間的レベルの低さが改めて露出してしまっているが、自分の権力を守ることに汲々としている大臣をはじめとする与党政治家だけでなく、勢力拡大を喉から手が出るほど欲している野党政治家にも、決意というものがまるで感じられない。つまり言葉にいわば凄みがないのである。また、政治家の言葉はたばこの煙のごとく空気よりも軽い。思想が人間性の自発的探求を源泉としていない限り、政治家がどれほど身振り手振りを交えて大声で叫んでも、一定範囲の人には響くとしても、思想に重みが生じることは決してないのである。

❤さて、安吾が言うには、戦後、世界連邦論(世界単一国家論)を唱え始めた咢堂こと尾崎行雄は、ついに、「日本人だのアメリカ人などと区別を立てる必要もなく、誰の血だなどと言う必要もない、守る必要のある血などあるはずがないのだ」と放言するに至ったが、この言葉はいささか凄みを漂わせている。ただ、咢堂の夫人はイギリス人――イギリスで生まれ育った英子セオドラ尾崎【写真】――であったので普通とは少し事情が異なるが、もし自分が純粋に日本人であり、日本人の妻と娘を持つならば、日本人だのアメリカ人などと区別を立てる必要などない・・・・・と言い切るには、悪魔的な眼が必要であり、妻と娘を人身御供に捧げるくらいの決意がなければならないのである。

❤咢堂の場合は悪魔の助力を必要としなかったかもしれないが、それにしても、守る必要のある血などあるはずがない・・・・・といった言葉は、「人間の一大弱点を道破」していることは間違いない。“ナショナル・アイデンティティ”、“国民意識”というのは、人間の一種本能的なものなのである。そして安吾は言う。「共産主義者などは徒に枝葉の空論をふりまく前に、先ずこの人性の根本的な実相について問題を展開する必要があった筈だ。咢堂の世界連邦論がこの根柢から発展していることは、一つの思想の重量であって、日本の政治家にこれだけの重量ある思想の持主はまずないだろう。この重量は人間性に就ての洞察探求から生れるもので、彼の思想が文学的であるのも、この為だ。」   

                                                                                                     



「咢堂小論」(1945)

❤政治思想が文学的であるということは、それが人間性の探求を源泉とするということである。但し、文学者や文学研究者の政治的発言に必ず文学性があるかというと、そうとは限らない。高橋和己のような人の場合は別にして、私が今まで経験した限りでは、文学者の政治的発言はたいていイデオロギー性が支配的であって、それ自体に深い文学性は感じられないのである。

坂口安吾:文学はつねに政治への反逆であるが、 まさにその反逆によって政治に協力するのである。・・・ (2)  



❤一昨日15日、LGBT法案の参院内閣委員会での審議を動画で視聴したが、最初に質問に立った、日本会議に所属する二人の自民党議員の話はまさに絵に描いたようなものであった。続く立憲の議員のまっとうな質問によってその稚拙さと悪質さが暴露されたことで多少溜飲を下げたが、くだんの二人は戦前多くの日本人が天皇制に憑かれていたように、強烈な差別思想に取り憑かれているのであろう。但し、取り憑かれているということは、“本気”であるわけではないということであり、いつでも別のものに取り憑かれる可能性があるということである。自己内省を欠いているからである。しかし、一般に政治家というのは自己内省を怠っているのではないであろうか。政治と自己内省は互いに正反対の方向に向かうものであるからである。

それにしても、例外的な政治家は存在しないのであろうか。

❤前の投稿で取り上げた「続堕落論」(1946)の中で、坂口安吾はかつて憲政の父と仰がれ軍国主義と闘った咢堂こと尾崎行雄が戦後唱え始めた「世界連邦論」のことに言及している。「続堕落論」に先立って執筆された「咢堂小論」をまず見てみると、そこでは次のように咢堂を称えている。――咢堂は部落の対立とか藩の対立とか、更に国家の対立といったような対立感情を越えて、世界を一つの国と見るべきだと説いた。志賀直哉は特攻隊を再教育せよという一文を朝日新聞に寄せ(1945.12.16)、これにより、「ただ一身の安穏を欲するだけの小さな心情」を露呈させたが、対照的に、咢堂の眼はスケールが規格外れのものであり、しかもその思考は人性そのものに根ざしている。咢堂は政治の神様と言われているが、文学の神様の志賀直哉よりよほど人間的であり、いわば文学的なのである。――

❤と言いながらも、ここからが注目すべきところなのであるが、安吾は咢堂の世界連邦論の難点を指摘する。――咢堂は部落とか藩とか国の限定を難じ、守るべき血など存在しないとしながらも、家庭という限定には眼を向けない。彼は対立感情というのは文化の低さに起因するとするが、文化が高まるにつれて家庭の姿はむしろ明確になるのであり、また(嫉妬などの)個人的な対立感情・競争意識も激化するのである。藩や国の垣根は越えることができるとしても、家庭や個人の垣根は文化が高度になればなるほど越えがたいものになるのである。このことを度外視していきなり世界連邦論へと構想を進めることは一種の暴挙であろう。――

❤たとえ国家間の対立が解決されても、個人間の対立が解決されない限り、人生の問題は解決されない。人生というのは帰するところ個々人の人生であるからである。しかしこうした「厳たる人生の実相」から、政治家や道学者はいわば必然的に眼を逸らすのである。

世界連邦論に対する安吾の批判を更に追ってゆくことにしたい。(続く)