デカルトの懐疑は方法的懐疑ではない ⑥

デカルトの懐疑は世界の外に出る企てであることは、果たして一般に理解されているのであろうか。例えば、いくら世界の外部ということを声高に述べても、世界の外部についてただ単に知的・観念的に論じるだけでは、世界の外部を真に理解しているとは言えないのである。

デカルトは第一省察の締めくくりとして、牢獄に繋がれた囚人の話をしている。囚人は自分が牢獄から解放されて自由の身になっている夢を見ていた。ところが、そのうち目を覚ましかける。そこで、その囚人は快い夢の中に戻るために、もう一度眠りに入ろうとするのである。

この囚人は結局安楽への欲求に負けてしまうのかもしれない。しかしそうであるとしても、快い夢――即ち天と地が存在するとか、2に3を加えると5になるといったことがそこに属する、慣れ親しんだ「この世(=信念世界)」――を拒む苦しみを、少なくとも一瞬味わっている。しかし世界の外部をただ単に知的に論じるだけの学者は、世界の内部で安穏として2+3=5 を疑う学者と同様に、やはり手をぽっぽに入れているのではないであろうか。

では、デカルトはどうして快い夢の誘惑に打ち克ち、苦しみに耐えることができるのであろうか。懐疑に身を投じることは暗黒の中に身を投じることであるかのように思えるが、しかし光がまったく見えていないということはあり得ないであろう。デカルトは確実に超越を感知している。即ち形而上学的欲求に目覚めている。そうでなければ、世界の外に出ることを実際に企てることはできないのであり、従ってまた世界の外部を真に理解することもできないのである。

 

 

デカルトの懐疑は方法的懐疑ではない ⑤

どうして、2+3=5 とか、四角形は四つの辺を持つといった算術や数学の真理は疑い得るのに、コギト(考える私が存在するということ)は疑い得ないのか。――そのような疑義を人は呈する。しかしそれはデカルトの懐疑の基本を理解していないからである。

デカルトの懐疑は、いわば、世界の外に出る企てなのである。

2+3=5 が疑い得るのは、2+3=5 が世界内に属することだからである。世界内に属することである限りにおいて、数学的明証は世界の外に出る企てである懐疑によって越えられてしまう。つまり2+3=5 は疑い得る。

それに対して、コギトは世界内のことではなくて、世界外のこと、即ち形而上学的なことである故に、世界の外に出る企てである懐疑はコギトの明証に直面してその目的に達する。つまりコギトの明証は懐疑を停止させる(但し壊滅させるのではない)。

我々は 2+3=5 を疑うことに非常に大きな困難を覚える。それはほとんど不可能なように我々には思える(屁理屈をこねて疑うふりをすることはできるが)。しかしそれは、デカルトの懐疑は世界の外に出る企てであることを理解していないからであり、相変わらず世界にぬくぬくと安住しているからである。研究者たちはデカルト「と一緒に本気で」(『省察』読者への序言)懐疑を遂行するのではなくて、手をぽっぽに入れたまま膨大な論議を作り出してきた。

デカルトはそのような形而上学的に怠惰な読者を見越していたようである。

 

デカルトの懐疑は方法的懐疑ではない ④

論理や数学は「詩」と対極的なものであると思っている向きは少なくないであろう。しかし本当にそうなのであろうか。

我々は自分の偏見に気づかなければならない。むしろ論理や数学は「詩」を欠くならば真に創造的ではあり得ないのではないであろうか。

ところで、デカルトは数学者でもあったわけであるが、そうであるからといって、その懐疑は「詩」と無縁であるわけではない。むしろデカルトの懐疑は詩人の創造的な生と類縁のものである。

「合理主義者デカルト」という実に怪しいレッテルと共に、「方法的懐疑」とか「知の基礎づけ」とかといった、非常に浅薄である故に非常に分かりやすい物語を頭から信じて疑うことを知らない向きには、是非以下の文を考えてもらいたい。

 詩を書くためには降りてゆかねばならない、それが唯一のルートだ、などと言うつもりはない。第一「手をぽっぽに入れている側」の人間としては、そんなこと言えた義理ではないし、詩がそれだけで説明し尽くせるものとも思ってはいない。

けれど、環境も、体験も、絶望の質も異なる人々の胸に、まごうことなく達してしまう金子光晴の言葉の秘密の根幹は、降りて行ったことと関係を持ち、手をぽっぽから出して泥まみれになったことと、深くかかわっているのは否定すべくもない。

どこを切っても血の噴き出すような、生きて脈打つ日本語たち、それらは生きるか死ぬかの境目で、何か大きな犠牲とひきかえでなければ、到底獲ることのできないものだろうか?

     【茨木のり子金子光晴――その言葉たち」】

デカルトは懐疑を実生活で行なうことは当然のことながら禁じたが、しかしデカルトの懐疑は決して「手をぽっぽに入れて」行なう知的遊戯ではない。それは己れの全存在を賭けて行なうべきものである。いずれ詳しく述べるつもりであるが、デカルトの懐疑は実は「死の修練」(脱身体=脱世界の練習)である。つまり「我思う、故に我あり」という原理は死の修練から切り離して理解することはできないものなのである。

 

デカルトの懐疑は方法的懐疑ではない ③

デカルトの懐疑は確実性に至るための一時的な方法=手段ではない。即ち、デカルトは確実性に至ることによって懐疑を乗り越え、乗り捨てたのではない。

むしろ確実性に至ることは懐疑を深めること以外のことではないのであり、言ってみれば確実性とは懐疑なのである。

詩人の直観と言葉がこのことを理解する一助となる。

(なお引用する前に予め一言しておくと、デカルトの哲学を詩と関連づけることを意外と思う者、とんでもないことと思う者は、デカルトについて“勉強”しかしていない者である。即ち、教科書や事典に書いてあること、後世の哲学者や研究者が語ったことを出発点にしてしか考えない者、つまり本当にものを考えることをしない者である。)

降りていった人、墜ちていった人はたくさん居る。〔パリ時代の金子光晴よりも〕もっと凄まじい煉獄を他動的な力によって這わされた庶民も多かろう。けれどそこから浮上できた人は、一刻も早くそれを忘れたがり、そんな汚辱の経緯はおくびにも出さず秘したがる。金子光晴はそこが決定的に違っていた。下降の途次で視たもの、底で摑んだむき出しの「人間の原理」「人間の地金」「人間の解析」を、たっぷり時間をかけて反芻し、ゆっくりと吐き出したのだ。・・・・・「墜っこちることは向上なんだ」(『人非人伝』)と語っているが、この断定的な言葉がずしりと重いのは、人のよく為しえない反語的世界を生き抜き、みずからが成就してしまったところからくるものだろ。 

         【茨木のり子金子光晴――その言葉たち」】

「墜っこちることは向上なんだ」と言われる。――墜ちることは向上の前段階なのではない。墜ちることは向上であり、向上とは墜ちることなのである。従って、向上は墜ちることによって浸食されている。

確実性も同じである。確実性は懐疑によって浸食されている。それ自身を否定するものによって浸食されていない確実性、つまり自己充足した確実性は、どうして〈超越性〉を持ち得るのであろうか。

 

 

デカルトの懐疑は方法的懐疑ではない ②

神の存在は疑い得ない故に私はそれを信じるのではない。むしろ、神の存在を私は信じる故にそれは疑い得ないことになるのである。ということは、形而上学的確信においては、疑いは背景に退いているだけで、実は疑いの可能性は排除されていないということである。「コギト」の場合も同じである。

というわけで、形而上学においては、確実性は疑いの可能性を無くすことによって得られるのではない。即ち、懐疑と確実性は手段と目的のような外的な関係にあるのではない。分かりやすく言うと、懐疑は確実性に登り詰めるための梯子のようなものではないのである。

形而上学的な事柄が問題である場合には、確実性は懐疑を締め出すものではない。懐疑は確実性に内的で本質的なものである。懐疑が文字通りに克服されてしまったら、確実性は“死せる確実性”になってしまうのである。

 

 

 

 

 

デカルトの懐疑は方法的懐疑ではない ①

方法的懐疑という言い方はデカルト自身のものではない。デカルトは方法的懐疑などということは言っていない。どうしてなのか。それはデカルトの懐疑は方法的懐疑ではないからである。

デカルトの懐疑は「自らを解体することを目指す方法論的手段」であると説明される。確かに疑うことは疑い得ないことに至る手段であるように見える。疑うデカルトは遂に、自分が現に疑っているということは疑い得ないということに気づくのである。このように懐疑はみずからを解体するに至るように見える。

しかし、どうして懐疑が終焉したのか、その真の原因は何かを考えなければならない。実を言って、懐疑が終焉したのは確信が生まれたからである。自分は現に疑っているという確信が生まれたから、自分は現に疑っているということが疑い得ないことになったのである。

ということは、疑い得ないとされることは実は疑い得るということであり、ということはつまり、確信・確実性は疑いを許すということである。

科学的な確実性は疑いを排除するが、形而上学的な確実性は実は疑いを容れる。つまり比喩的に言うと、前者は平板な確実性であるが、後者(例えば「コギト」の確実性)は奥行きのある確実性なのである。

 

 

 

拙稿「聖体と蜜蝋――信仰のロゴス〔パスカルとデカルト〕」 【7】【8】

【7】 信仰のロゴス

 

このように蜜蝋の分析は神への熱望によって動機づけられた死の修練として純粋精神に到る。つまり心身合一を乗り越える。しかし実はこれは一方の真理である。もう一方の真理が存在する。それは心身合一は決して乗り越えられないということである。蜜蝋の分析は心身合一を乗り越え、かつ乗り越えない。蜜蝋の分析は精神性と身体性との矛盾を殊更よく示すものなのである。

心身合一が乗り越えられないことは哲学者自身が証言している。デカルトは第一省察で始めた懐疑の努力を第二省察においても継続し、ついには「私は存在する」という真理に、そして「私は思惟するものである」という真理に到達するのであるが、しかしこうして真理に辿り着いたのにも拘らず、自分の精神は「真理の境域」の内に留まることに未だ耐えられないと述べる。私自身(この場合は純粋精神としての私)よりも物体(この場合は感覚的なものとしての物体)の方が――即ち真なるものよりも疑わしいものの方が――より判明に把握されるというのは驚くべき(mirus)ことであるが、しかし相変わらずそう思えて仕方がない、そう「思わざるを得ない」。そのようにデカルトは打ち明けるのであるが、これは心身合一が未だ乗り越えられないことの告白に他ならない [28]

自分の精神は「真理の境域」の内に留まることに未だ耐えられない。そこでデカルトは新規蒔き直しを図る。即ち、さまようことを好む自分の精神にもう一度手綱をすっかり緩めること、真理の境域からみずからを解放することを許すのである。こうして開始されるのが先に見た蜜蝋の分析であり、この分析によってデカルトは、己れの精神にその手綱を一度緩めることを許した後、再度手綱を引き締め直させるわけである。即ちさまようことを好む精神に一度真理の境域の外をさまよわせた後、再度真理の境域に精神を引き戻すわけである。ところが、蜜蝋の分析を通して心身合一的な世界との交わりから精神としての精神に立ち返ったのにも拘らず、「私の精神は如何に誤りやすいものであることかと私は驚く(miror)」とデカルトは言う [29]。誤りやすいとはどういうことかと言うと、もし蜜蝋がそこにあるならば、我々は蜜蝋そのものを眼で見ると言い、色と姿形からそこに蜜蝋があると判断するとは言わないが、私はやはりそのような日常の話し方によって欺かれてしまう(つまり元の木阿弥になってしまう)ということである。デカルトはここでもう一度気を取り直し、「私は眼で見ると思っていたものを、私の精神の内にある判断能力によってのみ把握するのである」ということを別の例を持ち出して再確認するのであるが、しかしそのことを改めて確認したところで、「私の精神が誤りやすいものである」ことには変わりがないであろう。私の精神は未だ誤りやすいのではない。私の精神はいつまでも誤りやすいのであり、決して誤りやすいものであることをやめてしまうことはないのである [30]。懐疑を繰り返すことで手綱の引き締めはより容易になるとしても、心身合一は決して乗り越えられてしまうことはない。

先ほどは言及しなかったが、デカルトは実は、「私はこの蜜蝋が何であるかを、想像するのではなくて独り精神によってのみ知覚するのである」と述べた後、「しかし精神によってしか知覚されないこの蜜蝋とは如何なるものなのか。もちろん、それは私が見たり触れたり想像したりするのと同じもの(eadem / idem)であり、つまりは最初から私が蜜蝋であると思っていたのと同じものである」と述べている。この蜜蝋は感覚されるのでも想像されるのでもなくて、独り精神によってのみ知覚されるのだと、たった今述べたばかりであるのにも拘らず、精神によってしか知覚されないこの蜜蝋は私が見たり触れたり想像したりするのと同じものであると、わざわざ述べているのである。そして続いて、「蜜蝋の知覚は……独り精神のみによる洞察(solius mentis inspectio)である」と改めて念を押すのであるが、ともあれ、精神によってしか知覚されない蜜蝋は私が眼で見るのと同じものであるということは、精神性と身体性とは同格のものであるということであり、従って心身合一は乗り越えられるべきものではないということを意味する。

死の修練としての蜜蝋の分析は純粋精神への上昇であるが、しかしこの上昇は下降を伴う。デカルトは精神性と身体性との間を往還する。感覚や想像といった身体性は乗り越えられ、かつ乗り越えられない。言い換えると、精神は身体から独立していると同時に、身体に依存している。一方、精神は(典型的にはコギト・スムという形で)精神自身を直接知る。その意味では精神は身体から独立している。しかし他方、蜜蝋の分析が精神の認識に到るためには、あるいはコギト・スムが成り立つためには、精神は死の修練を経なければならない。即ち精神は身体性・世界性を媒介にして己れを知るのでなければならない。その意味では精神は身体に依存している。蜜蝋の分析はこうした精神の身体への依存を特によく示すものであると言えるが、ともあれ、精神はコギト・スムという形で精神自身を直接的に知るのだとしても、この直接性それ自身が媒介性・間接性を必要とするのである。言い換えると、コギト・スムという形で精神は精神自身に現前するのであるが、この精神の自己現前それ自身が例えば蜜蝋の感覚的現前を、つまり精神の不在を必要とするのである。

今、精神の現前はその不在を必要とするということを述べたが、我々にとっては、聖体におけるイエス・キリストの現前‐不在([a]‐[b])は、蜜蝋におけるその本質(延いては精神そして神)の現前‐不在と重なり合う。ここでは第一節で試みた信仰のロゴスの探究(現前‐不在、時‐永遠、露わなる神‐隠れたる神)を振り返ることは省略するが、精神性‐身体性の連関に関するこれまでの考察を踏まえるならば、デカルトの「蜜蝋」はパスカルの「聖体」と呼応し合うと言うことができるであろう。デカルトは蜜蝋を、あるいは精神を、認識すると言うが、しかしこの認識は単なる認識ではなくて、いわば信仰的認識である。信仰が認識の深相であるという言い方をしてもよいが、ともあれ“信じる”ということがあるから、蜜蝋の本質にしても精神にしても、あるいは神にしても、リアリティを有し得るのである。

但しこの場合のリアリティは、眼に見えるもの、認識されるもののリアリティではない。即ち、比喩的に言うと平面的なもののリアリティではない。信仰の対象が有するリアリティは立体的なもの、奥行きのあるもののリアリティである。というのも、信仰とは肉体の眼と精神の眼という二つの眼を同時に持つことであり、そして奥行きのあるものとは肉体の眼で見られる前面と精神の眼で見られる(肉眼では見えない)背面とを持つものであるからである [31]。《l'ordre des raisons》が省察の真相であり省察とは理論体系への道のりであるという見方しかしない者は、デカルトが蜜蝋の分析において精神性と身体性との間を往還すること(この往還は統合を意味する)、つまり認識のロゴスより深いロゴス、信仰のロゴスがこの分析において働いていることを捉えることができず、故に蜜蝋の真のリアリティを逸することになるであろう。

 

【8】 個と普遍

 

蜜蝋の分析を振り返ると、そこにはデカルトが蜜蝋を火に近づける件りがあり、最初に五感に与えられていたものが殆どなくなってしまっても「同じ蜜蝋が残っている(remanere)」ということが語られている。そしていわば衣服を剥ぎ取っても残るものとは「或る柔軟で変化しやすい延長するもの」なのであるが、別の見方をすれば、残るもの即ち変化にも拘らず不変のまま留まるものとは「精神の洞察(mentis inspectio)」である。ところで、蜜蝋の知覚がそれであるとされるこの精神の洞察は、「それを成り立たせているものに向ける私の注意の程度の多いか少ないかに応じて、以前がそうであったように不完全で混乱していたり、あるいは今がそうであるように明晰判明であったりし得る」とされるのであるが、注意とは心身合一に抗して行なわれるものであり [32]、その意味でそれは死の修練であると言うことができる。そして注意が最高段階に達すると精神の洞察は明晰判明になるのであるが、そうであるとすると我々はここでプラトンの『饗宴』における美のイデアの感得のことを思い浮かべることができる。

 ……地上の諸々の美しいものから出発して、絶えずかの美しいものを目的として上昇して行くのですが、その場合ちょうど階段を使うように、一つの美しい肉体から二つの美しい肉体へ、二つの美しい肉体からすべての美しい肉体へ、そして美しい肉体から美しい数々の人間の営みへ、人間の営みから諸々の美しい学問へと昇って行き、最終的にはその諸々の学問から、他ならぬ美そのものを対象とするところのかの学問に行き着いて、まさに美であるそのものを遂に知るに到るというわけなのです(211c) [33]

 これはソクラテスが巫女ディオティマから聞いたという話の中の有名な一節であるが、肉体的な美から精神的な美へと上昇し、遂に「美そのもの」へと到るエロースの段階は、実は死の修練の段階に他ならない。死なくしては愛の昇華は決してあり得ないのである [34]。では、どうであろうか。死の修練としての注意が最高段階に達した場合の明晰判明な「精神の洞察」は、エロースの最高段階としての美のイデアの感得に或る意味で相当すると言えるのではないであろうか。

もう一つ注目すべきは、ソクラテスの話が終わったところで美青年アルキビアデスが酩酊状態で飛び込んできて、ソクラテスへの愛の告白、求愛を行なうことである。これはデカルトが精神性へと上昇したとたんに身体性へと下降するのと類似しているのではないであろうか。デカルトは最初、蜜蜂の巣から取り出した蜜蝋の色や形を見、花の香りを嗅ぎ蜜の甘さを味わったが、死の修練の後やはりそうした心身合一的な生に戻るべくして戻る。つまり死の修練自体が心身合一的な生への回帰を引き起こすのである。(但し心身合一的な生は死の修練を経た後と前とでは質的に異なる。これは看過することのできない重要な点である。)一方、プラトンが美のイデアの話の直後に酩酊したアルキビアデスを登場させソクラテスへの激しい愛――これは肉体を具えた一人の人間への人間的・肉体的な愛であり、その意味では美のイデアの感得とは対極的なものである――を告白させることにもやはり必然性があるはずである。身体性の精神性への転化、精神性の身体性への転化、それが哲学なのである。哲学を人間ソクラテス、人間デカルトから切り離すことはできない。それに、哲学を“人間ソクラテス”、“人間デカルト”から切り離すことは、哲学をして観念世界の中を浮遊させ観念世界に自閉させることなのである〔補注★〕

しかしソクラテス‐ディオテイマの語る「エロースの道」とデカルトの蜜蝋の分析との間には重要な違いがある。前者は一つの美しい肉体から二つの美しい肉体へ、二つの美しい肉体からすべての美しい肉体へというように、個から一般的なものへ、そして美そのものという普遍へと昇って行くのであるが、デカルトはあくまでも「物体一般」ではなくて「この蜜蝋」という個を分析する。物体一般を考察対象にしないのは、「一般的な知覚はかなり混乱しているのが常であるから」であるが、ともあれデカルトは「この蜜蝋」という個を考察することによって「この蜜蝋」という個の本質(「何であるか」)を洞察するに到る。しかし「この蜜蝋」の本質は「蜜蝋一般(cera in communi)の本質でもあり、更に物体一般の本質でもある。つまりデカルトは一般概念というものを経由せずに、物体の本質という普遍を洞察するに到るのである。普遍は一般概念を媒介とせずに直接具体的な個と結びついている。ということは、普遍は概念的普遍ではなくて実在的普遍であるということなのである。

さて、第二省察の前半においてデカルトは懐疑の果てに「私は思惟するものである」という真理に行き着いたわけであるが、この場合の「私」は――「この蜜蝋」に対応する――「この私」、即ちデカルトの私、具体的な個としての私である。ただ、「私は思惟するものである」と言われた場合の私は既に精神としての私であるが、私が自分を一個の私として意識するのは、最初は一個の人間として意識することによってなのであり、最初は身体性をぬきにして「この私」という具体的な個はあり得ない。それは感覚的性質をぬきにして「この蜜蝋」という具体的な個があり得ないのと同じである。そして「私は思惟するものである」の「思惟するもの」であるが、これは個としての「この私」の本質規定であって、この場合の「思惟」は一般概念ではない。一般概念ではないだけではなくて、そもそも既成概念ではないのであるが、ともあれ「私は思惟するものである」という命題は、個である主語が一般概念である述語に包摂される命題ではないのである。しかし「私は思惟するものである」という個としての私の本質規定は、次に私なるもの一般の本質規定でもあることになり、「思惟」という個の本質は私なるもの一般の本質でもあることになるのである。従って思惟という本質=普遍は概念を媒介にして見出されるのではない。つまり概念ではない。それは具体的な個と直接結びついた普遍、真にリアルな普遍なのである。

蜜蝋の場合にせよ、「私」の場合にせよ、具体的な個と真にリアルな普遍とを結びつけるのは決して推論のロゴスではない。それは信仰のロゴスである。では、聖体の秘蹟についてはどのように理解すればよいのであろうか。聖体は極めて特殊なものである。第一にそれは蜜蝋とは違って単なる感覚的個体ではなくて象徴的な感覚的個体である。つまりそれ自体が問題になるのではなくて、それが象徴するものが問題になる、そのようなものである。第二に蜜蝋一般のような聖体一般というようなものは最初から問題にならない。そして第三にイエス・キリスト一般というものも最初から問題にならない。そういうものはあり得ないのである。聖体に現実に現前するイエス・キリストにしても、聖体が象徴するイエス・キリストにしても、絶対的に掛け替えのない個であると同時に普遍的な本質でもある、そのようなものなのである。――これら三つは決して無視することのできない重要な点であるが、しかしともあれ、感覚的な個物である聖体と、絶対的に掛け替えのない個であると同時に普遍的な本質でもある(但し決して概念ではない)イエス・キリスとが結びつくのは信仰のロゴスのお蔭であることは間違いない。というより、聖体の秘蹟は信仰のロゴスが働くモデルケースなのである 

 

[28] 『哲学原理』 I-73では、注意を向けること、取り分け感覚にも想像にも現前しないものに注意を向けることは、心身合一性の故に困難と疲労を伴うということが言われている。

[29] この驚きは、真なるものよりも疑わしいものの方がより判明に把握されるというのは驚くべきことであると言われた場合の驚き、即ち蜜蝋の分析の切っ掛けとなった驚きと、別のものではない。

[30] 第四省察デカルトは、私が誤るのは意志の作用即ち判断においてであるとした上で、こうした意志の作用を「私が引き起し得るということは、引き起し得ないとした場合よりも私においては或る意味でより大きな完全性である」としている。つまり誤り得ることは誤り得ないことよりも或る意味でより大きな完全性なのである。

なお、『省察』全体は、「……人間の生は個別的な事物についてしばしば誤りに陥りやすいことを告白しなければならず、我々の本性の弱さを承認しなければならない」という言葉で締めくくられている。

[31] チェスタトンの次の言葉を参照。《The ordinary man has always been sane because the ordinary man has always been a mystic. … He has always had one foot in earth and the other in fairyland. … If he saw two truths that seemed to contradict each other, he would take the two truths and the contradiction along with them. His spiritual sight is stereoscopic, like his physical sight: he sees two different pictures at once and yet sees all the better for that.》 Gilbert Keith Chesterton, Orthodoxy, II

[32]  『哲学原理』 I- 73を参照。

[33] 訳は鈴木照雄訳を用いたが、何箇所かで平仮名を漢字にするなどの変更を加えた。

[34] 「愛と死」というテーマは文学作品などにその例が数多く見られると思われるが、よく知られた例で言うと、スタンダールの恋愛小説『赤と黒』の最終場面で主人公が死を覚悟しみずから断頭台に上ろうとした時、まさにその時、愛は身体性・世俗性から脱して高みに達しているのである。

 〔補注★先に述べたように、省察するデカルトは基本的に心身合一体としてのデカルト、人間デカルトであるが、形而上学省察は身体性と精神性との間の往還であって、人間デカルトそのものが形而上学の主題なのではない。人間デカルトそのものを主題とするのは(デカルトが言う意味での)「道徳」である。『方法序説』ではその第二部で「真理の探究」を司る「方法の規則」が、第三部で「実生活」を司る「道徳の規則(格率)」が掲げられているが、拙稿「デカルト/生の循環性」(『哲学誌』第55号、2013年)で詳しく論じたように、方法の規則と道徳の格率は或る意味で対照的なものでありながらも実は密接に繋がっている。両者は互いに支え合い一つの全体を形成しているのである。従って例えば「道徳」のことを度外視して「形而上学」だけについて研究するというようなことは本当は許されないことなのである。ところでデカルトの場合、形而上学省察内部における精神性と身体性との関係は緊張感のあるものであるが、真理の探究と実生活との関係は平和的であるように思われる。デカルトは真理の探究においては信じていることを敢えて疑い、実生活においては疑わしいことを敢えて信じるのであるが、認識の領域と行動の領域とが区別されているので、これら二つの態度の間に軋轢は生じないのである。

 ところがソクラテスの場合は違う。ソクラテスにあっては真理の探究と実生活とは直接的に関与し合うのであり、そのことによって哲学者を大きな危険に巻き込むのである。メルロ=ポンティコレージュ・ド・フランスの教授就任講義『哲学礼讃』は、ソクラテスを題材にして「哲学者の役目(fonction)」を問題にする件りを含む貴重な文献であるが、この件りの一部に筆者の解釈を加えつつ、ソクラテスにおける真理の探究と実生活との関係について少し考えてみたい。

メルロ=ポンティソクラテスの話に入る前に、恐らくその伏線としてベルクソンの改宗問題に言及している。――1937年の遺言によると、ベルクソンは熟慮を重ねるうちに次第にカトリックに近づいて行ったが、反ユダヤ主義の波が押し寄せるのを目の当たりにして、カトリックの洗礼を受けずに(隠れて受けることもせずに)、同胞のユダヤ人たちと共にいることを選んだ。もしベルクソンが真理の探究は真理の探究であり、実生活は実生活であるという割り切り方をしていたならば、彼はカトリックに改宗しかつ同胞のユダヤ人を見捨てずにいる(教会の立場からユダヤ人を支援する)ことができたかもしれない。しかし真理への関わり(この場合の真理はカトリシズム)は他人への関わり(この場合の他人はユダヤ人)を経由しなければならないのであり、真理への関わりを他人への関わりに優先させてはならない。また逆に後者を前者に優先させてもならない。このようなわけでベルクソンは、権力がこの高名なユダヤ人に与えようとしていた様々な便宜を病気と老齢とにも拘らず拒否して、明日迫害されようとしていた人々の間に留まることを選択した。メルロ=ポンティが言うには、「どんな犠牲を払ってでも、人間関係を断ち切り実生活と歴史の束縛を断ち切ってでも、そこにおいて真理を探究しなければならない、そのような真理の場(lieu de la vérité)というものは彼にとって存在しないのであり、そのことをベルクソンは彼が行なった選択そのものによって証言しているのである」。ただ、ベルクソンメルロ=ポンティのこの主張に同意するかどうかは大いに疑問である。この主張はむしろメルロ=ポンティ自身の哲学者像を表わすものであろう。

 さて、ベルクソンの改宗に関する話が終わったところで、メルロ=ポンティは現代の哲学者は常に著述家であることを指摘する。書物というのは現実世界から隔離された学問世界、即ち実生活から切断された件の「真理の場」というものが存在するという錯覚を与えるものである――但しデカルトは多くの著述を行なったが、真理の探究と実生活とをひと組のものとし、現実世界との繋がりを決して失わずに哲学した故に、決してそのような錯覚に陥っていない――が、メルロ=ポンティが特に強調するのは、「書物の中に置かれた哲学は人々に声をかける(interpeller)ことをやめてしまっている」ということである。このことを強調するのは、著述をせずに街の中で人々に話しかけた哲学者、ソクラテスを登場させるためであり、そしてソクラテスを登場させるのは、「哲学者の役目」を思い出すためであり思い出させるためである。

ソクラテスの生と死は、書物の世界の中で哲学するのではなくて、また書物を通してその哲学を伝達するのでもなくて、人々に声をかけ質問するという仕方で哲学する哲学者にとって、ポリスとの関係は如何に困難なものになるのかを物語っている。ソクラテスは彼がポリスの神々を認めていないという理由で告発された。しかしソクラテスはみずから神々に犠牲を捧げているし、しかもそのことを人々は見て知っているのである。では、何が問題なのか。メルロ=ポンティソクラテスが裁判の中で、自分は自分を訴える人の誰よりも神を信じていると語ったことに着目し、ソクラテスは告発者たち以上に信じているが、しかしまた告発者たちとは別の仕方・別の意味で信じているのである、と指摘する。ここが問題である。別の仕方・別の意味で信じているということは、告発者たちから見ればそれは信じていないということであり、ポリスの神々を認めていないということなのである。ところで、信じる仕方が違う、信じるということの意味が違うということは、真理観の違いということである。メルロ=ポンティはこう書いている。「ソクラテスが真であると言う宗教は……ソクラテスのダイモニオンのように無言の警告によってのみ、また人間に己れの無知(ignorance)を思い出させることによってのみ、神が現われる〔みずからを啓示する〕宗教である。従って宗教は真であるが但し宗教自身が知らない(elle ne sait pas elle-même)真理性によって真なのであり、つまりソクラテスが考えるように真なのであって、宗教が考えるように真なのではない。」

 宗教は宗教が考えるように真なのではないということは、ポリスの人々が宗教は真であると考えるように宗教は真なのではないということであるが、哲学者とポリスの人たちとでは、「真である」ということの意味が異なるのであり、つまり真理観が異なるのである。哲学者とは真理を探究する者(知を愛し求める者)である。つまり哲学者にとっては、他の人たちにとってとは違って、真理は所有すべきものではなくて探究すべきものなのであり、分かるとは分からないということが分かること(分からないということが分かるという仕方で分かること)なのである。これがソクラテスの神への信仰と告発者たちのそれとの間の解消され難い齟齬である。

しかしソクラテスがもし著述家であったならばどうなったのであろうか。(もしそうであったならば、そもそもソクラテスはいわゆる無知の知という悟りを得なかったかもしれないが、その問題はさておくとして、)その場合には恐らく件の齟齬はソクラテスとポリスとの関係をそれほど困難なものにしなかったのではないであろうか。しかしソクラテスは街で人々に問いかけるという仕方で哲学し、しかも裁判で長大な弁明を行なった。つまり真理への関わりが他人への関わりを経由した(また逆に後者が前者を経由した)のであり、それ故にソクラテスは結局死刑に処せられたのである。その「役目」を完全に果たした哲学者は歴史上ソクラテスただ一人であろうが、ともあれ「哲学者であるということ」は、他人を経由して真理に関わり真理を経由して他人に関わるということ、即ち真理の探究と実生活とが互いに関与し合うということであり、それは哲学の講義をしたり研究業績を作ったりすることなどとはまったく違って、つまり哲学研究者であることとはまったく違って、非常に危険なことなのである。

                               

                              (2016.02.14)

拙稿「聖体と蜜蝋――信仰のロゴス〔パスカルとデカルト〕」 【5】【6】

第二節  蜜蝋の分析

 

以上、パスカルの聖体観に哲学的考察を加えて信仰のロゴスを明るみに出したが、念のため断っておくと、筆者は何もカトリシズムに与しているわけではない。我々の立場はあくまでも哲学であり、デカルトの信仰心ということを言う場合も、その信仰心は特定の宗派を意味するのではない。それは魂(生)の真実性ということであり、それが欠けているならばそもそも真理という言葉を発する資格がない、そのようなものである。信仰心のないところでは、《veritas》も《scientia》も《substantia》も、そしてもちろん《Deus》も、すべて空語なのである。本稿の後半ではデカルトを取り上げるが、『省察』を読むためには是非そのことを心得ていなければならない。

 

【5】 精神性と身体性

 

さて、これまで幾つかの角度から考察してきた聖体の秘蹟に関する[a]と[b]は、それぞれ精神性と身体性を意味すると言うこともできる。[a]のイエス・キリストの現実的現前、隠れた神の現前は精神的な現前であり、対して、[b]の表徴あるいは記念としての秘蹟は感覚的なもの、感覚的に現前するものであって、聖体を拝領する者の身体性を意味するのである。信仰のロゴスとは精神性と身体性との矛盾であり、それらの統一である。但し統一といっても、それは弁証法的綜合のような高次の認識による統一ではない。信仰は精神性と身体性のメタレベルではない。信仰とは精神性と身体性との、即ち不可視性と可視性との、矛盾的統一なのである。

ところで、メルロ=ポンティ秘蹟に関してパスカルと同じようなことを語っているが、但し[a]と[b]を単に並置するのではなくて、[b]よりも[a]の方を強調するような書き方をしている。即ち、

 [ァ]秘跡はただ単に恩寵の働きを感覚的な形色のもとに象徴する→[b]だけではなくて、

[ィ]更に神の現実的な現前なのであり、この現前を空間の一部分に位置づけ、それを聖なるパンをいただく人々に……伝える(communiquer)のである→[a]。

と書いているのである [19]。では、メルロ=ポンティは身体性よりも精神性の方を優位に置いているのであろうか。続いてこう言われる。

 秘蹟がそのようなものであるのと同様に、

[ゥ]感覚的なものはただ単に動的で活力ある意味作用を持つ→[b]だけではなくて、

[ェ]更に〈空間の一点から我々に提案され、我々の身体が……捉え直し引き受ける〉、そうした世界内存在の或る仕方に他ならない。感覚とは文字通り交わり(communion [20])なのである→[a]。

 ここまで読むと分かるように、メルロ=ポンティは精神性を優位に置いているのではなくて、感覚という身体的なものに精神性を含ませているのであり、そのような仕方で精神性と身体性とを統合しているのである。

またメルロ=ポンティは別の箇所で [21]、「実体的変化」という言葉を次のように用いている。

 画家は「己れの身体を提供する」とヴァレリーは言っている。実際、どのようにして精神は絵を描くことができると言うのであろうか。画家は己れの身体を世界に貸与することによって世界を絵に変えるのである。〔世界が絵に変わるという〕この実体的変化を理解するためには、行為的で現在的な [22]身体――空間の一片や諸機能の束ではなくて、視覚と運動との絡み合いである身体――を取り戻さなければならない。

 実体的変化という精神的なことは、メルロ=ポンティにとっては身体的なことなのである。ということは、身体は精神性を含むということである。メルロ=ポンティは行為的で現在的な身体、視覚と運動との絡み合いである身体を取り戻さなければならないとするが、行為的で現在的な身体を取り戻すとは、言い換えれば、行為的で現在的な精神――これは引用文中で言われている精神(un Esprit)とは異なる――を取り戻すということである。即ちメルロ=ポンティは精神を捨てて身体の立場に立つのではなくて、身体性に精神性を含ませるような仕方で身体を捉え直すのであり、言い換えると、時間に永遠を含ませるような仕方で時間を捉え直すのである(このことは芸術のことを考えると分かりやすい)。メルロ=ポンティが為したことは、身体の――あるいは肉の――形而上学的発見である [23]

では、デカルトはどうなのか。デカルトメルロ=ポンティのように過激な仕方で精神性と身体性とを統合しようとしたのではない。それは確かである。しかし両者は深いところで繋がっていると考えられる。メルロ=ポンティの哲学は明らかにパスカルの『パンセ』における“両義性”や“キアスム”(注17を参照)を引き継いでいるが、しかし(通俗的な思想史ではアンチ・デカルトとされているにも拘らず)実はまたデカルト哲学の血をも引いていると見ざるを得ないのである。それでは話をデカルトに移すことにしよう。

デカルトの哲学には精神性と身体性の両面がある。デカルトの私は一方で純粋精神として不死であり、他方でデカルトの言うところの「真の人間」即ち心身合一体として死すべきもの(この世で生きそして死ぬもの)なのである。というわけで、例えば喜びには、魂が魂だけで持ち得る喜びと、魂が身体と共有する喜び(これは情念即ち魂の受動に完全に依存するとされる)とが、つまり純粋に精神的な喜びと心身合一的な喜びとがあり [24]、幸福観にも、「病気の賢者は健康な賢者と同じく完全に幸福であり得る」という見方と、「健康な賢者は病気の賢者よりも幸福である」という見方とが、つまり純粋に精神的な見方と心身合一的な見方とがある [25]。まずこの点を確認しておきたい。

そしてまたデカルトはれっきとした信仰者であることも確認しておきたい。パスカルデカルト批判は余りにも有名であるが、しかし『ド・サシ氏との対話』におけるパスカルモンテーニュ批判をそのまま信じてはならないのと同じように、パスカルが書き残したデカルトに関する断片的な批判を絶対化してもならない。もちろんデカルトキリスト教の擁護を主眼として哲学したわけではないし、パスカルと同種の信仰を有したわけではない。しかし哲学史が築き上げた〞合理主義者デカルト〟というイメージ(巨大な虚像)を払拭し、哲学史的偏見を排して虚心坦懐にデカルトの言葉に耳を傾けなければならない。デカルトは例えば、神への信仰が我々に何も教えていない事柄は別として、それ以外のことについては超自然的な光を自然の光よりも優先させなければならない、恩寵の光を理性の光よりも優先させなければならないと言っているのであるが [26]、これを啓示に対する単なるお決まりの敬意表明と受け取ってはならないのである。

そして受肉とか三位一体といった「信仰の真理」以外の真理、即ち自然の光によって認識される真理も、実は信仰の光に照らされていることを察しなければならない。そのことを感じ取らなければならない。確かに理性と信仰とは区別される。しかし区別されるということは切り離されるということではない。理性と信仰とは不可分なのである [27]デカルトにあっては、信仰は理性の内奥に潜み理性を活動させている。つまり信仰は理性の内に浸透している。そのことは特に「神の観念」によく表れているが、しかし神の観念は例外的なものではない。デカルト的明証は超自然的な光から切り離されるならば貧しく無力なものとなってしまうのである。

我々は《l'ordre des raisons》に囚われその水準に留まってはならない。さもなければ、省察の真相を捉え損なうであろう。信仰が精神性と身体性とを包含することを捉え損なうであろう。懐疑それ自身が精神性と身体性という相反する二つの統合であることを捉え損なうであろう。

 

【6】 死の修練としての蜜蝋の分析――神への熱望

 

以下、いわゆる蜜蝋の分析を軸に考察を展開することにしたい。問題の所在を示す目印として敢えて原語を多く挿入することにするが、この分析はおおよそ次のようなものである。――デカルトは「ふつう最も判明に把握されると思われている」もの、即ち我々が眼で見たり手で触れたりする物体を考察することにする。但し考察するのは物体一般(corpora in communi)ではなくて個別的な一つの物体(unum in particulari)であり、その例とされるのは「この蜜蝋(haec cera)」である。デカルトは蜜蜂の巣から取り出した蜜蝋がまだ蜜の味を保っていること、花の香りを留めていること、その色・形・大きさは明瞭であること、叩けば音を発すること、等々のことを述べる。つまり、味覚・嗅覚・視覚・触覚・聴覚という五感をフルに働かせるわけである。しかし、蜜蝋を火に近づけるとどうなるか。蜜蝋はすっかり様変わりしてしまう。味がなくなり香りも消え、色・形・大きさも変わり、液状化する。仮に叩いても音を発しないであろう。そうしたことを述べて、デカルトは次のように問う。「それでもなお同じ蜜蝋(eadem cera)が残っているのであろうか」と。そして答える。「残っている(remanere)と認めなければならない。誰もそのことを否定しない。誰も別のようには思わない」と。そこでデカルトは問う。「蜜蝋においてあれほど判明に把握されていたものは何なのか」と。「味覚・嗅覚・視覚・触覚・聴覚の下にやってきていたものはいずれも今や変わってしまった(mutata jam sunt)」。とすれば、「蜜蝋そのもの(cera ipsa)は、あの蜜の甘さ・花の香りでも、あの白さ・形・音でもなかった。そうではなくて、少し前にはあのような仕方で私にまざまざと現われていたが、今は別の仕方でまざまざと現われている物体であったのだ」。

この記述は現象学で言う想像的変容を連想させるが、しかしデカルトは想像力を駆使して蜜蝋の本質を捉えようとするのではない。「私がこのように想像するものは厳密には(praecise)何なのか」と問い、蜜蝋に属していないものを取り払う(removere)のであり、そしてその後に何が残る(superesse)かを見ようとするのである。つまり「蜜蝋を外的な姿形から区別し、いわば衣服を剥ぎ取って(detrahere)その裸の姿を考察」しようとするのである。では、「残る」ものは何なのか。それは「或る柔軟で変化しやすい延長するもの」である。これは私が想像するものではない。というのも、私は蜜蝋が無数の(innumerabilis)変化を容れ得ることを把握するが、しかし想像によって無数の変化を辿り尽くすことはできないのであるから、私はこの把握を想像から得るのではない。こうしてデカルトはついに、「私はこの蜜蝋(haec cera)が何であるかを、想像するのではなくて独り精神によってのみ(solâ mente)知覚するのである」という結論に到る。そして自分はあくまで個別的なこの蜜蝋のことを言っているのであると念を押す。――

さて、蜜蝋に属していないものを取り払い(removere)、後に何が残る(superesse)かを見るということであるが、このやり方は「私とは何か」が探究される第二省察前半においても行なわれている。即ちそこにおいても、以前自分は自分のことを何であると信じていたのかを改めて考え、次いで、既に行われている想定、即ち夢を見ているという想定、あるいはこの上なく有能な欺瞞者によって欺かれているという想定によって退けられ得ることを悉く取り除き(subducere)、そのようにして最終的に、確実で揺るぎのないものだけが、厳密に(praecise)それだけが残る(remanere)ようにする、ということが行なわれているのである。そして蜜蝋から蜜蝋に属していないものを取り払うということは、自分がそれであると信じていたものから疑い得るものを取り除くということと同様に、身体に関係するものをすべて切り捨てるということなのであり、つまり死の修練――これは決して他人事のように考えられてはならない――なのである。

ところで、この死の修練としての懐疑の結果、私は「思惟するもの」であることになり(第二省察前半)、蜜蝋は「柔軟で変化しやすい延長するもの」であることになる(第二省察後半)のであるが、この結論だけを掴まえて物心二元論などというレッテルを貼ること(あるいはこのレッテルを妄信すること)は愚昧の極みである。それは〞哲学〟を完全に無視することである。哲学とは死の修練そのものである。つまり哲学は知識の習得のような観念的なものではなくて、心身合一とのリアルな戦いなのである。ここで確認しなければならないことは、省察するデカルトは基本的に心身合一体としての人間であるということである。『省察』は「人間の霊魂の身体(物体)からの区別」を証明することを課題として設定しているのでそのことは見落とされやすいのであるが、ともあれ省察するデカルトは決して身体から分たれた純粋精神ではない。もし純粋精神であるのであれば、即ちもし己れが純粋精神であることを真に自覚できているのであれば、そもそも省察する必要はないのであり、逆に言うと、省察とは宿命的に心身合一体である人間が心身合一性に抗して純粋な精神になろうとする人間的な努力なのである。デカルトは決して概念の世界で頭の体操をしているのではない。

さて、蜜蝋の分析が死の修練であるならば、それが行き着く先は当然のことながら非‐身体的なものである。つまり精神である。第二省察の終わりの方でデカルトはこう言う。「私はかくも判明に蜜蝋を知覚すると私には思われるが、その私について私は何と言うべきなのか。私は私自身を〔私が認識する蜜蝋よりも〕はるかに真実に、はるかに確実に認識するだけではなくて、はるかに判明にかつ明証的に認識するのではないであろうか」と。このように蜜蝋の分析は死の修練として当然の如く純粋精神である「私」に行き着くわけであるが、しかし問わなければならないことは、そもそもこのような死の修練を可能にするものは何なのかということ、つまり精神という高みへの上昇を動機づけるものは何なのかということである。それはつまるところ神への熱望であろう。第三省察の最後の方で、「私」は「より大いなるもの、より善きものを際限なく熱望する(indefinite aspirare)」ものであり、一方「神」は私が熱望するそうしたより大いなるもの、より善なるものすべてを「みずからの内に実際に無限に(infinite)持っている」ということが語られているが、このことから言えることは、私の熱望は神への熱望に帰着するということである。死の修練は、もしそれが口先だけのものでないならば、こうした神への熱望なしには為され得ないであろう(例えば「義のために死す」ということを考えよ)。死の修練によって神への熱望はより確乎としたものになると言うこともできるが、ともあれ、死の修練としての蜜蝋の分析は神への熱望による動機づけなしにはあり得ない。言い換えると、神への熱望をぬきにしては、(不死なる)「精神」はもとより、(無数の変化を容れ得る)「柔軟で変化しやすい延長するもの」も、単に言葉としてしか理解し得ないのである。

 

[19] Merleau-Ponty, Phénoménologie de la perception

[20] 《communion》は言うまでもなくカトリックでは「聖体拝領」のことであるが、これは[ィ]における《communiquer》に対応する。

[21] Merleau-Ponty, L’Œil et l’esprit

[22] 「行為的で現在的な」の原語は《opérant et actuel》である。なお、《opérant》は(無為ではなくて)仕事をするという意味合いの言葉である。

[23] メルロ=ポンティにとって、知覚の問題は知覚の信(la foi perceptive)の問題であったが、この知覚の信は決して《Seeing is believing.》と言われる場合の信ではない。それは宗教的な信であると言うことはできないとしても、「見ることは見ないことである」「見えるものは見えない」という逆説を成り立たせる形而上学的な信である。

[24] 『情念論』Art. 212

[25] エリザベト宛て 1645年8月4日

[26] 『哲学原理』 I - 76などを参照。

[27] そしてまた、知と愛とは不可分であるということも指摘しなければならない。第一省察の始めのところでデカルトは、「幸いにも今日、私はあらゆる気遣いから精神を解き放ち、気遣いのない閑暇を得、世間から遠ざかり独りでいる」と述べているが、「幸いにも」と言われるのは、あらゆる気遣いから解放されることが「私の意見の全面的な転覆に専念する」ために必要な条件であるからである。では、どうして「私の意見の全面的な転覆」を図るのか。第一省察の冒頭に即して言うと、それは「諸学問において堅固で存続的なものを打ち立てる」ためであり、「最初の基礎から新たに始める」ためである。しかしこのことから、デカルトは「知の基礎づけ」を企てているとか、あるいは「知の変革」を企てていると判断してはならない。そのような見方は浅薄である。そのような哲学史的な見方は重要なことを抹殺しまう。重要なこととは、哲学がまさにそれであるところの知への愛である。デカルトにとって知は愛すべきもの、愛の対象である。そして知への愛とは善への希求に他ならない。即ち(芸術や宗教がそうであり得るような)魂の育成に他ならない。そしてこうした知への愛が省察の深相を成すのであり、そのことを無視した議論はどれほど緻密なものであっても空談にならざるを得ない。現代科学は知を愛から切り離し善から切り離した。しかしデカルトにとっては知と愛とは不可分なのである。

 

拙稿「聖体と蜜蝋――信仰のロゴス〔パスカルとデカルト〕」 【3】【4】

【3】 時と永遠

 

十字架のイエスの記念ということが言われる[b]が意味することは、十字架上の生贄は既に終わったということ、イエスの生涯は既に終わったということである [12]。十字架における犠牲は過去の出来事であり、イエスは過去の者、既に死んだ者である。というわけで、[b]は時の経過の観点に立つものであると言える。では、[a]はどうなのか。「イエス・キリストはそこに現実に現前する」ということは、単なる時の流れの中での今現在の現前を意味するのではないであろう。「パンの実体は変化し実体的変化を行なって我々の主の御体の実体となる」ということは、いわば時間の超脱を意味すると考えられる。つまりこの場合の現実的・実体的な現前は、時の経過の中での今現在の現前ではなくて、いわば永遠の現在の現前であると考えられるのである。[a]は時の経過の観点と垂直に交わる永遠の観点に立つものであると言える。(念のために言うと、この現実的現前は想起による現前化ということとは異なる。想起による過去の現前化は必ずしも表象という再現前化ではなく、想起は過去との直接的な接触でもあり得るが、しかしイエス・キリストの現実的現前は永遠の現在の現前であって、それは過去との直接的接触としての過去の現前と混同されてはならない。)では、決して相容れないと思われる時と永遠とはどのように両立するのであろうか。過去性=不在性と永遠性=現前性とはどのように両立するのであろうか。

十字架上の生贄は過去のことであり、それはイエスの生涯と同様に既に終わった。それは「イエスが頭を垂れて息を引き取られた」 [13]時に終わったのである。しかし生贄は既に終わったということは、実は未だ終わらないということなのである。それは、終わらないことが始まったということなのである。イエスは「頭を垂れて息を引き取られた」とは、「御自分の霊を神に渡された」ということであり、このイエスの最期の霊がミサのたびごとに戻ってくる。イエスはミサのたびごとに永遠の聖霊の働きによって現前する。

最後の晩餐の席においてイエスは、「取って食べなさい。これはわたしの体である。」 [14]と言ったが、この場合の「体」は人間の一部ではなくて人間全体を意味する [15]。即ち身体的な条件の下で死すべきものとして生きる限りにおける人間全体を意味するのであり、つまりイエスは受肉の最初の瞬間から十字架での最期の瞬間までの己れの全生涯を我々に贈り物として残したわけであるが、時の経過に従うイエスの生涯が決定的に断ち切られたからこそ、つまりは時の経過というものがあるからこそ、時の経過を越えたものが創設され、永遠の次元が拓かれたのである。

近代科学は再現性を真理の基準とするが、十字架上の犠牲はそれが一度限りであるからこそ、即ちそれが決定的に終わったからこそ、永久に終わらない。再現不可能な一度限りの出来事である故に、十字架上の犠牲は終らないものの誕生であり、永遠なるもの、真実なるものの誕生である。このように、永遠があるためにはそれと相容れない時の経過がなければならないのである。即ち、過去性=不在性なしには永遠性=現前性は成り立たない。[a]は[b]を排斥するどころか、それを前提条件にするのである。しかし逆も言える。永遠は時の流れから生まれるのではもちろんない。永遠は過ぎ行く時を絶対的に越えているから永遠なのであり、一度限りの十字架上の犠牲が永遠なるものの誕生となり得るのは、それがそれとは相容れない永遠の光に照らされるからなのである。その意味で、永遠性=現前性なしには過去性=不在性は成り立たない。[b]は[a]を排斥するどころか、それを前提条件にするのである。

従って、カンタラメッサが語っていることはよく理解できる。彼はアウグスティヌスが「更新する」と「祝う」という二つの言葉を使っていることに言及し、これらは互いに照らし合わせて考えられるならば適切な言葉であると言う。即ち、ミサは十字架上の出来事を、単に繰り返すことによって更新するのではなくて、それを「祝うことによって更新する」のであり、また、それを単に思い起こすのではなくて、それを「更新することによって祝う」のであると言うのである [16]。この場合、十字架上の出来事を「更新する」ということはイエス・キリストの現実的現前(永遠の現在の現前)に対応し、「祝う」ということはイエス・キリストの記念(過去という不在)に対応する。つまり、〈祝う〉ことによって〈更新し〉、〈更新する〉ことによって〈祝う〉というキアスムは、[a]と[b]が相互媒介というキアスムの関係にあることを意味するのである [17]カトリック信仰は聖体におけるイエス・キリストの現前と不在という相反する二つを包含するということは、結局、この信仰においては相反する二つは互いに媒介し合い求め合うということなのであり、これが信仰のロゴスであると言うことができる。

 

【4】 露わなる神と隠れたる神

 

ところで、聖体の秘蹟に関するこれら[a]と[b]は、時と永遠という観点とは別の観点からも見ることができる。即ち[a]と[b]は、それぞれ〈隠れた神〉と〈露わな神〉を意味すると言うことができるのである。一方、[a]における「我々の主の御体の実体」は感覚されるものではない。形色(けいしょく)は感覚されるが主の御体の実体は感覚されない。つまり「イエス・キリストはそこに現実に現前する」ということは、イエス・キリストは不可視なものとしてそこに〈隠れている〉ということなのである。他方[b]における、秘蹟は「イエス・キリストの表徴である」ということは、先に見たように、イエス・キリストはそこには不在であるということであるが(象徴はそれによって象徴されるものそのものではないので)、しかし受肉という出来事において神が人間となって現われるのと同様に、ミサにおいてイエス・キリスト秘蹟としての感覚的な形色となって現われると言えるのであるから、秘蹟イエス・キリストの表徴であるということは、イエス・キリストが可視的なものとしてそこに〈露わになっている〉ということを意味すると言うことができるのである。

もしこのように[a]と[b]がそれぞれ〈隠れた神〉と〈露わな神〉を意味するのだとすれば、聖体の問題は傲慢と絶望という問題と関連している。というのも、『パンセ』の断章Br.586には次のように記されているからである。言葉を補足しつつこの断章を再構成すると以下のようになる。

 [*a] 一方、神は隠れている。そうであるからこそ、我々は己れの〈悲惨〉を知ることができる。「もし闇が存在しないならば、人間は自分の堕落に気づかないであろう」。つまり傲慢になるであろう。

[*b] しかし他方、神は露わである。そうであるからこそ、我々は〈神〉を知ることができる。「もし光が存在しないならば、人間は救いを望まないであろう」。つまり絶望するであろう。

というわけで、「神が半ば隠れ半ば露わであることは、正しいことであるだけではなくて、我々にとって有益なことである」。

 我々は己れの悲惨を知るのでなければならず、なおかつ神を知るのでなければならない [18]。即ち神は隠れているのでなければならず、なおかつ露わであるのでなければならない。そうであることによって、我々は傲慢と絶望という罪を免れることができるのである。――

ロアンネス嬢への私信〔Ⅳ〕(1656年10月末)では、今見た『パンセ』Br.586と或る意味で対応することがまず語られる。――もし神が絶えず人間に己れを露わにするならば、神を信じることに価値はなくなるであろうし、もし神が決して己れを露わにしないならば、信仰は殆どなくなってしまうであろう。しかし神は通常は隠れているが、稀に、神に仕えようとする者に己れを露わにするのである。――このように述べた後、パスカルはこう語る。――神は受肉に至るまで自然のヴェールの下に隠れたままであったが、この受肉においても神は人間性によって己れを覆うことによってなおいっそう己れを隠した。そしてその後、最後の到来に至るまで聖体の形色の中に留まることを選んだのであるが、「パンの形色の下に神を認めることは、カトリック教徒のみの特性であり、そこまで神の光が照らしているのは我々だけなのである。」

ここで指摘したいのは、神が己れを隠す段階は神が己れを露わにする段階でもあるということである。即ち神はまず自然の蔭に、次いで人間性の蔭に、そして最後にパンの形色の蔭に己れを隠したのであるが、それは言い換えれば、神はまず自然における奇蹟として、次いで人間として、そして最後にパンの形色として、段階的に己れを露わにしたということでもある。もちろん神に仕えようとする者にしか神は己れを露わにしないのであるが、しかし隠れることは露わになることでもあるのである。つまり神がその下に隠れるヴェールは、神がその下に己れを隠すものであると同時に、神がそれを介して己れを露わにするものでもあるのである。

とすると、隠れていることと露わであることとの間には或る種の同一性が存することになる。ここでもう一度[a]と[b]に関して言うと、イエスはパンや葡萄酒の外観の内に現存するのではない。イエスは感覚的に現存するのではない。イエスは感覚で捉えることのできない奥深い実体の内に現存するのである。つまりイエスは〈隠れて〉いるのである。しかし隠れていると言うことができるためには、イエスは感覚的に現われているのでなければならないのではないであろうか。つまり〈露わに〉なっているのでなければならないのではないであろうか。然り、眼に見えない神が眼に見えないものとして現存すると言うことができるためには、眼に見えない神は己れを眼に見える形で示さなければならないのである。そうでなければ、見えざる神はそこに現存すると言うことはできない。但しこれは神が眼に見えるものになるということ(それは神が神ではなくなることである)ではない。神はあくまでも見えざるものである。つまり神は家の中にいる者が家の外に出てくるように己れを示すのではない。不可視な神は不可視なもののまま可視的なものの中に己れを示すのである。つまり神は己れを露わにすることにおいて己れを隠すのである。神はただ単に己れを隠すのではない。まさに己れを露わにするという仕方で己れを隠すのである。言い換えれば、神は己れを隠すという仕方でのみ己れを露わにし得るのである。露わであることは隠れていることであり、隠れていることは露わであることである。

そして件の三つの段階について言うと、これは神が増々己れを隠す段階であると同時に、神が増々己れを露わにする段階である。プロテスタントイエス・キリストが神であることは認めるが、パンの形色の下に神を認めることはしない。即ち[b]は肯定するが、[a]は否定する。どうしてそうするかと言うと、それは聖体において神は最も暗い闇の中に隠れているからである。しかしカトリック教徒はその最も暗い闇の中に最も明らかに神を認める。神が隠れているから信じないのではない。また神が露わであるから信じるのでもない。神が隠れているからこそ信じる、神が密やかなものであるからこそ信じる、そして信じることにおいて神が己れを露わにする、というのが信仰であり、この逆説が信仰のロゴスなのである。

 

[12] [b]では「十字架のイエス・キリスト」と「栄光のイエス・キリスト」とが並べられているが、後者は最後の審判におけるイエス・キリストである。

[13] ヨハネによる福音書19章 30節

[14] 「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」(マタイによる福音書26章26節)

なお、ここでの聖書への言及は、ラニエロ・カンタラメッサ『ミサと聖体 私たちの成聖』(片岡仁志他訳)〔Raniero Cantalamessa, The Eucharist, our Sanctification 〕を参考にしている。

[15] この「体」は[a]における「主の御体の実体」とは異なる。

[16] 前掲書

[17] 『パンセ』Br.525では、傲慢に対処するために必要なのは、純然たる低劣ではなくて「偉大に進むための低劣」であり、絶望に対処するために必要なのは、純然たる偉大ではなくて「低劣を経由したのちの偉大」であるということが語られている。つまり、「低劣」と「偉大」という相反するものがキアスムによって統一されているのであるが、必要とされる低劣と偉大は宗教に関わるものである。即ち、傲慢に対処するために必要な「偉大に進むための低劣」とは、「自然から生じる低劣ではなくて、悔悛から生じる低劣」であり、絶望に対処するために必要な「低劣を経由したのちの偉大」とは、「功徳から生じる偉大ではなくて、恩寵から生じる偉大」なのである。拙稿「パスカル的〈ロゴス〉とイエス・キリスト」(『人文学報』第489号、2014年)を参照。

ところで、信仰とは「悔悛から生じる低劣」、「恩寵から生じる偉大」に他ならない。従って、「偉大に進むための低劣」、「低劣を経由したのちの偉大」というように、「低劣」と「偉大」という相反するものをキアスムによって統一するのはつまりは信仰なのである。

[18] 「人は神と己れの悲惨とを同時に知る(connatre tout ensemble et dieu et sa misère)ことなしには、イエス・キリストを知ることはできない」(Br.556)と言われる。

拙稿「聖体と蜜蝋――信仰のロゴス〔パスカルとデカルト〕」 【1】【2】

第一節 聖体の秘蹟

 

【1】 内的なものと外的なもの

 

エリアーデキリスト者にとって「受肉」は最高の聖体示現であるとしているが [7]、「聖体」も受肉と同様に(あるいは或る意味で受肉以上に)高度の聖体示現であると言えるであろう。そして聖体は受肉と同様に矛盾を含んでいる。その矛盾の内容は後に回すことにして、まずは矛盾の由来を探ることにしたい。『パンセ』Br.250を読んでみよう。「神から受け取るためには、外的なものが内的なものに結びつけられなければならない。即ち、跪いたり、口に出して祈るとかしなければならない」とある。つまり例えば跪くこと、口に出して祈ることによって内的なものに外的なものが結びつけられるのである(内的なものとは知的・精神的・霊的なもののことであると言うことができる)。では、どうして外的なものが内的なものに結びつけられなければならないのか。「それは、神に服従しようとしなかった傲慢な者たちが今や被造物に服従させられるためである」。傲慢な者たちは被造物に服従させられることで、神に服従し神から受け取ることができるようになるのである。しかしパスカルは、「外的なものを内的なものに結びつけようとしないのは尊大である」と述べる一方で、「外的なものに助けを期待するのは迷信である」とも言う。つまり、内的なものには外的なものが結びつけられなければならないのと同様に、外的なものには内的なものが結びつけられなければならないのである。そうでなければ、信仰は迷信になってしまう。内的なものに外的なものが結びつけられていないのは「尊大」であるが、外的なものに内的なものが結びつけられていないのは「迷信」なのである [8]

そしてパスカルは、外的なものも内的なものもそこに混ざっているのは、様々な宗教の中でキリスト教だけであると言うのであるが(Br.251)、これは言い換えれば、外的なものが内的なものに結びつけられ、内的なものが外的なものに結びつけられるのはキリスト教だけであるということであろう。キリスト教においてのみ、内的なものには外的なものが結びつけられ、外的なものには内的なものが結びつけられているのである。――信仰者は「尊大」に陥っても「迷信」に陥ってもならない。内的なものと外的なものという互いに相容れないものが相容れないものでありながら互いに結びつけられなければならない。受肉と聖体拝領は信仰が単に内的なものではないことを意味するが、それらが含む矛盾は根本的にはこの要請に由来すると考えられる。

 

【2】 聖体の秘蹟――現前と不在

 

パスカルは『パンセ』Br.862において、「イエス・キリストは神でありかつ人間である」という(矛盾した)ことについて述べた後、今度は聖体の秘蹟に言及する。

 [a] パンの実体は変化し実体的変化を行なって我々の主の御体の実体となるのであり、イエス・キリストはそこに現実に現前する。

[b] この秘蹟はまた十字架のイエス・キリストおよび栄光のイエス・キリストの表徴、記念でもある。

 これら二つのことをパスカルはそれぞれ真理として語るのであるが、[a]と[b]とは相反する。というのも、秘蹟イエス・キリストの表徴であり記念であるということ[b]は、イエス・キリストは聖体に現実に、即ち実体的に現前するのではない(秘蹟イエス・キリストの表象なのだから)ということであり [9]イエス・キリストは現実に現前する者ではなくて過去の者である(聖体はイエス・キリストの記念なのだから)ということであって、まさに[a]を否定することであるからである。

しかしパスカルはこう言う。相反するように見える [10]二つの真理を包含する(comprendre)のがカトリック信仰なのであり、これに対して今日の異端は、二つの真理の一方を認めるならば他方を排除しなければならないと考える。即ち今日の異端は、秘蹟イエス・キリストの現存とその表徴とを同時に含む(contenir tout ensemble)ということ、秘蹟は犠牲であると共に犠牲の記念 [11]でもあるということを理解しないのである、と。一方、聖体はパンという物ではない。イエス・キリストはペルソナとして聖体に現実的・実体的に臨在する。しかし他方、聖体はあくまで秘蹟であり感覚的な印である。つまりイエス・キリストはそこには現前しない。そこには不在である。こうした相矛盾する二つの真理をカトリック信仰は包含する。即ちこの信仰においては、秘蹟イエス・キリストの現存とその表徴とを同時に含むのである。そのようにパスカルは述べているわけであるが、では、相反する二つの真理を包含するとはどういうことであろうか。秘蹟イエス・キリストの現存と表徴とを、即ちイエス・キリストの臨在と不在とを、同時に含むとはどういうことであろうか。秘蹟は犠牲そのものであると共に犠牲の記念でもあるとはどういうことであろうか。――信仰は相反する二つを止揚するのではない。それらを弁証法的に綜合するのではない。それは確かであろう。では、如何なる仕方で相反する二つは信仰において両立するのであろうか。我々は信仰のロゴスを考究しなければならない。

パスカルの言葉をもう一度繰り返すと、今日の異端は二つの真理の一方を認めるならば他方を排除しなければならないと考えるのである。ということは、他方を排除することなしに一方を認めることができるとするのが正統の考え方であるということであろう。しかしカトリック信仰は二つの真理を同時に包含するということは、単に、一方を認めたからといって他方を排除することはしないというような消極的なことなのであろうか。そうではないのではないか。

 

[7] エリアーデは聖なるものと俗なるものという対を用いるが、この対はこれから論じる内的なものと外的なものという対と或る意味で重なるので、聖体示現に関する一節を引用しておく。「人間が聖なるものを知るのは、それがみずから顕われるからであり、しかも俗なるものとはまったく違った何かであると判るからである。この聖なるものの顕現をここでは聖体示現(Hierophanie)という語で呼ぶことにしよう。・・・・・およそ宗教の歴史は――最も原始的なものから高度に発達したものまで――多数の聖体示現、すなわち聖なる諸実在の顕現から成り立っていると言ってもよかろう。最も原始的な聖体示現(たとえば何かある対象、石とか木に聖なるものが顕われること)から、最高の聖体示現(キリスト者にとってイエス・キリストにおける神の化身)に至るまで一貫した連続が流れている。われわれはいつも同じ神秘な出来事に直面する。すなわちかの〈全くの他者〉、この世のものならざる一つの実在が、この〈自然〉界、〈俗〉界の不可欠な要素を成す諸事物のなかに顕われるのである。」(ミルチャ・エリアーデ『聖と俗』、風間敏夫訳)

[8] 以下はウィリアム・ジェイムズ『宗教的諸経験の諸相』(桝田啓三郎訳)第十九講からの引用であるが、これについてパスカルの立場から前以てコメントすると、教会が奨励する古臭い信条や儀式の多くが、プロテスタントにとっては悪い意味で子供っぽい(ばかばかしい嘘いつわりであるという意味で子供っぽい)のは、外的なものに内的なものが結びつけられないからである。つまりプロテスタントの眼から見ると、儀式の多くは「迷信」なのである。――「カトリシズムは空想に対して〔プロテスタンティズムよりも〕はるかに豊かな牧草と樹陰とを提供し、種々さまざまな種類の蜜のたまった巣穴をもち、そのさまざまな訴えにおいてはなはだ人間性に寛大であって、ために、プロテスタンティズムカトリック信者の目にはつねに養老院の相貌を呈して見えるであろう。プロテスタンティズムの厳しい否定的態度はカトリック信者の心には理解できないのである。知性のすぐれたカトリック信者にとっては、教会が奨励する古臭い信条や儀式の多くは、文字どおりにとっては、プロテスタントたちにとってと同じく、子供っぽい(childish)ものである。しかしそれらの信条や儀式は「子供らしい(childlike)」という好ましい意味で子供っぽいのであって、――無邪気で、愛らしく、そして・・・・・むしろ微笑ましいものである。ところがプロテスタントにとっては、反対に、そういう信条や儀式はばかばかしい嘘いつわりであるという意味で子供っぽいのである。プロテスタントカトリック信者のそういう信条や儀式という優雅で愛らしい飾り物を撲滅し、自分たちの融通のきかない厳しさにカトリック信者を震え上がらせずにはおかない。」(原語の挿入は引用者による)

[9] 表徴(figure)とは表象(représentation)のことである。つまりそれは非現前性・不在性を意味する。

[10] 相反するように「見える」という言い方をパスカルがしているのは、カトリック信仰は相反する二つの真理を「包含する」からである。即ち相反する二つの真理は両立するからである。

[11] 犠牲の記念ということに関してであるが、聖書には以下のように書かれている。「主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。」(コリントの信徒への手紙一11章 23-24節)

拙稿「聖体と蜜蝋――信仰のロゴス〔パスカルとデカルト〕」 序

2016.3『人文学報』

L’eucharistie et la cire : Le logos de la foi 〔Pascal et Descartes〕

聖体と蜜蝋――信仰のロゴス

パスカルデカルト

                               実川 敏夫 

 

            神は不在という形でしか被造物の内に現前し得ない。

                        ――シモーヌ・ヴェイユ 

 筆者は前稿「デカルトと死の修練」[1]において、デカルトの哲学は建て前上は神への信仰から独立しているとしても、あるいは表面上は信仰に依拠していないように見えるとしても、この哲学は実は神への生ける信仰によって実質的に根拠づけられているのではないか、それは黙せる篤き信仰心によってこそ実現され得ているのではないか、従ってデカルトの秘められた信仰心を感取せずにそれを等閑視するならば、その哲学を本当の意味で理解することはできないのではないか――論語読みの論語知らずの如き「デカルト読みのデカルト知らず」になってしまうのではないか――という旨のことを述べ、そのことを「懐疑」「証明」「観念」「方法」をめぐって示したのであるが、本稿では第二省察後半におけるいわゆる蜜蝋の分析に着目することにしたい [2]

蜜蝋の分析は、それを単なる合理的な分析と見る限り、分かったような顔をすることはできるが実は分からない。たとえ理屈として分かったとしても、たとえ言葉として分かったとしても、心に沁み込むような仕方で分からなければ分かったとは言えないのである。本当に分かるためには、みずから本気で懐疑という死の修練(脱身体・脱世界の練習)を実践しなければならないのであり、そしてみずから本気で死の修練を実践するためには、己れの内の神への熱望、信仰心を自覚しなければならないのである。

ところで、信仰は魂の問題である故に論理とは無縁のものに思われるかもしれないが、しかし信仰には信仰のロゴスがある。人はふつう眼に見えるものを信じる。《Seeing is believing.》という諺があるが、例えば或る事物の存在を疑っていても、実際にそれを眼で見るならばその存在を信じるのである。しかし眼に見えるものを信じるそうした信は、信仰とは言われない。もし仮に神が様々な事物と同様に眼に見えるものであるならば、人は神の存在を信じるであろうか。否、信じないであろう。もし信じるとしても、その信は信仰とは言われない。信仰者は神が眼に見えなくても信じる、というより、眼に見えないからこそ信じるのであり、視覚を越えているからこそ、即ち認識を越えているからこそ信じるのである [3]。信仰とは視覚を越えること、認識を越えること、それ自体である。つまり可視性と不可視性との矛盾であり、現世と来世との矛盾、死と永生との矛盾である [4]

このように信仰に固有のロゴス、“信仰のロゴス”が存在する。デカルトのことを論じる前に、我々はこのロゴスを明らかにしなければならない。そこでまず「聖体」に関するパスカルの『パンセ』の一節に当たり、それに哲学的考察を加えることにする。信仰の神秘性を重んじつつも、信仰のロゴスを探究するためである。そして本稿の最終的な目的は、「蜜蝋」――正確には「個別的なこの蜜蝋」――をめぐるデカルト省察には認識のロゴスよりも深いロゴス、信仰のロゴスが働いていること、省察とは概念の構築物へと向かう道のりではなくて “信じる生” であることを確かめることである [5]

蜜蝋と聖体を科学と宗教というような通俗的な観点で見てはならないということを断った上で言うと、「蜜蝋」は「聖体」と同じく具体的な感覚的個物であるが、具体的な個においてこそ――抽象概念の如き似非の普遍ではない――真にリアルな普遍が見出され得るのである。このように個と普遍とを逆説的に結びつけるのは推論のロゴスではない。それこそは信仰のロゴスである。《l'ordre des raisons》よりも深い《ordre》が存在することを見抜かなければならない [6[

 

[1] 『人文学報』第504号、2015年

[2] 蜜蝋の分析は記号的思考と対極的なデカルト的思考の特徴をよく表わすものである。デカルトにとって、考えるということは事柄そのものに触れつつ了解すること、つまり経験である。考えるということは決して記号を操るように言葉を操ることではない。因みに、数学は人を記号に隷属させるものであってはならないとデカルトは語っている。数学は「精神を陶冶する」ためのものなのである(『方法序説』第二部)。ただ今日では、精神の陶冶ということは非常に分かりにくいものになっている。精神の垂直性が見失われてしまっているのである。

ところで、シモーヌ・ヴェイユは記号に関してこう述べている。「〔今日では〕記号(シーニュ)と意味されるもの(シニフィエ)との関係が失われ、記号間の交換の遊戯が、この遊戯自身によって、またこの遊戯それ自身のために、増えている。そして増大する複雑さは記号の記号を要求するのである」と。 Simone Weil, La pesanteur et la grâce, Algèbre

[3] 「不合理なるが故に我れ信ず」という、一般にテルトゥリアヌスのものとされている言葉がここで直ちに思い浮かぶ。

[4] 「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」(ヨハネによる福音書12章25節)という言葉は、死ぬことが永遠に生きることであるという逆説である。

[5] “信じる生”という言い方を、筆者は2008年7月における学会発表(東京都立大学哲学会研究発表大会)においてはじめて用いた。なお、この信じる生に関連して注目すべき点の一つは、デカルトにとって「意志」は認識の働きをする「知性」とは別物であるということである。このことは認識を越えたものが哲学の内に場所を占めることを意味するのである。

[6] 「哲学のプロであること」は「哲学者であること」とはまったく別のことである。例えばデカルト研究者は“人生の師デカルト”(Pierre-Étienne Pagès)のことをまるで他人事のように考え、デカルト的な生き方から遥か遠くかけ離れた生き方をしていながら恬然として恥じないが、このように哲学のプロは哲学者と違って、人生と倫理を己れ自身のこととして問題にしないのである(注35を参照)。

筆者はデカルトの哲学を学界という業界から救い出し、この哲学をその本来の場所である生の次元に連れ戻すことをこれまで企ててきた。生の次元に連れ戻すとは即ち、言葉を表層的・形式的に捉えることをやめて、(詩を読む時のように)言葉の奥、言葉の源を感受することであり、語られざるもの、語り得ぬものを感取することである。哲学は理論や学説の問題であるより先に生の問題であり魂の問題なのである。

何よりも必要なことは、制度化された哲学を一度相対化し、「哲学とは何か」という問題に関して根本的な洞察を行なうことである。この問題をタブー視し、如何なる根本的な洞察もなしに、ただ徒にテキストの表面的な辻褄合わせをしたり字句の詮索や概念の整理をしたりすることは、余り意味がないというだけではなくて、有害でさえある。というのも、そのことによって哲学研究はその対象である哲学から乖離し、人の“生き死に”の現実とまるで関係のない議論のための議論――これは自己粉飾あるいは自己隠蔽の役割をする――に堕してしまうからである。そしてこのことから、哲学研究の存在意義だけではなくて、哲学それ自体の存在意義もよく分からなくなるという恐ろしい事態が生じるのであるが、そのことより更に恐ろしいのは、このような恐ろしい事態をそういうものと感じない向きがあることである。

  

デカルトには「懐疑論」なるものは存在しない

デカルト的二元論なるものと同様に、デカルト懐疑論なるものも、後世の作り物に過ぎない。そのようなものはデカルトには存在しないのである。

後世の哲学者や哲学研究者たちは、当然のごとくに、デカルトの哲学は「○○論」や「○○説」や「○○主義」から成り立っていると看做してきた。確かに、そのように看做さなければデカルトの哲学を論じたり説明したりすることは容易ではないであろう。しかしそうであるからと言って、そのように看做してよいというわけではない。

デカルトの哲学は「○○論」や「○○説」や「○○主義」から成る合成物ではない。従ってデカルト的二元論と同様にデカルト懐疑論などというものもデカルトには存在しない。しかしもちろん懐疑は存在する。まず指摘すべきは、デカルト的懐疑は単なる理屈の問題ではないということである。単なる理屈の上の懐疑、言葉の上だけの懐疑は、デカルトとは無縁のものである。デカルト的懐疑は決して(懐疑論者の懐疑のような)ポーズではないのである。それは自分と世界を変容させる真の懐疑なのである。

もちろん省察には理路がある。しかし理路を辿るだけでは十分ではない。理路を整理するだけでは十分ではない。むしろ理路の源泉となっているものを読み取らなければならない。つまりデカルトをして言葉を語らしめている無言の声を我々も聴き取らなければならない。これが先日述べた〈生とのつながり〉を感じ取り明るみに出すということである。

デカルトの懐疑が意志的なものであることはしばしば指摘されてきた。では、懐疑の意志を発動させる最も深い動機は何なのか。デカルト的懐疑とは根本的には何なのか。

 

デカルトにとって哲学はライフワークではなくてライフであった

 

真の哲学者にあっては哲学と人生とは別のものではない。自分の哲学を語るために自分の人生を一幅の絵画として描いた哲学者にとって、哲学は趣味でも仕事(職業)でもなかった。哲学は人生であった。ライフワークではなくてライフであった。このことを感受せずに、哲学を人格性を欠いた単なる理論として扱う――即ちモノとして扱う――形式的・分析的なデカルト読解は、たとえ完全に整合的なものであっても隔靴掻痒の感を免れ得ないであろう。デカルト研究という学問の必然的盲点である〈語られざるもの〉あるいは〈語り得ぬもの〉を感じ取り、それに準拠しなければならない。語られた言葉をいくら並べ替え組み立て直してみても、恣意的な再構築を繰り返すことにしかならないのである。近代的な学問理念を妄信してはならない。【拙稿「デカルトと死の修練」】

 

ここで言うライフ(生)とは、心身合一の生であると共に、身体から区別される魂の生である。――否、より正確に言うと、心身合一的である故に純粋な魂であり得る生であり、死によって限界づけられている故に死を越え得る生である。なお、この逆説は我々にとって恒常的なテーマである。

哲学と哲学研究とはあくまでも別物であるが・・・・・

哲学研究は、学問的(?)であろうとすればするほど、哲学に本質的な〈生との結びつき〉を見失い、それを切り捨ててしまう。

哲学研究者は、哲学を哲学たらしめる哲学と〈生との結びつき〉を敏感に感じ取り、それを明るみに出すのでなければならない。

もしそうすることができるならば、哲学研究は哲学の “創造的再現” であることになり、それ自身が哲学的なものとなるであろう。