三木清「語られざる哲学」(1919)  (2) 真に生きるということ

♦私は昨年の夏まで或る哲学会の委員長を務めていたのであるが、数名の運営委員(色々な大学の哲学教授)たちは皆、運営に関わる或る根本的な問題に関して議論をしようとしない(議論をさせない)という態度をずっと貫いた。具体的な話は省略するが、そのこと…

三木清「語られざる哲学」(1919)   (1) 純粋ということ

♦三木清は京都帝国大学在学中の夏休みに「語られざる哲学」(1919年)という論考をしたためた。書き出しでいきなり「懺悔」という言葉が使われるこの論考は、一高においても京大においても飛び抜けた秀才であった三木が、そうしたずば抜けた秀才としての自分自…

三木清はどうして逃亡中の共産党員を匿ったのか?

♦三木清が敗戦後も豊多摩監獄に収監され続け、そして非業の死を遂げたことについては以前の投稿(2023.3.2)で触れたが、治安維持法に違反した廉で投獄された三木の獄死は治安維持法の廃止のきっかけとなった。 『三木清 戦間期時事論集-希望と相克-』(2022)…

自我の確立のないところに、真実の道義や義務や責任の自覚は生まれない(坂口安吾)

♦自民党最大派閥の安倍派の裏金問題がこのところさかんに報じられているが、考えるべきことは、例えば政治倫理綱領のようなものによって議員が本質的に、即ち人格的に倫理的になることはあり得ないということである。 そしてもう一つ考えるべきことは、問題…

哲学は生活の一部ではなくて全部である ――哲学のタコツボ化に抗して

♦先日、古くからの知り合いから、鈴木道彦他監修 『竹内芳郎 その思想と時代』 をいただいた。 私はサルトルの哲学に与する者ではないが、教壇に立ったばかりのころは、竹内芳郎の『サルトル哲学序説』にはずいぶんお世話になった。 ♦そういえば、2017年の7…

偶像崇拝と人間の傲慢

❤6日、府中の森芸術劇場のウィーンホールにて、メンデルスゾーンのオラトリオ 《エリヤ》 全曲を聴いた。 実に良かった! youtubeなどでは決して得られない、生演奏ならではの感動を与えてくれた。聖書物語の面白さと、メンデルスゾーンの音楽の素晴らしさと…

勅使川原三郎:自分の都合とは別の次元に ――良心の問題へ

❤しばらく前に放映された勅使川原三郎の新作ダンス「ランボー詩集」を録画で観たのであるが、勅使河原氏はこのダンス作品について次のような注目すべきコメントをしている。 ――私のダンス作品は、(ランボーの詩という)自分の都合ではない対象物への尊重を…

坂口安吾:文学はつねに政治への反逆であるが、 まさにその反逆によって政治に協力するのである。・・・ (5) 

❤私は学生の時から、政治というものの本質的な限界と狡猾さ・あくどさをひしひしと肌に感じていたが、私のことはともあれ、安吾は27歳の時に、即ち1933年に、文学は政治に対する反逆である、あるいは文学は社会制度に対する革命であると明言している。では、…

精神の健康は、不健康きわまる状態のただ中にあって自分も危険にさらされながら、それと格闘し、克服しようとする意思力によって保たれる。-亀井勝一郎

❤「現代は軽信の時代だ」。――このように亀井勝一郎が書いたのは、今から67年ほど前(1956年1月)のことである。「日本は全体主義的な傾向をたどるときは、必ずある種のレッテルが社会にハンランする」。例えば戦時中は、「国賊」という言葉一つで人を陥れる…

伊丹万作と戦争責任の問題 (2)

コレガ人間ナノデス 原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ 肉体ガ恐ロシク膨脹シ 男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ 爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ 「助ケテ下サイ」 ト カ細イ 静カナ言葉 コレガ コレガ人間ナノデス 人…

伊丹万作と戦争責任の問題 (1)

❤丸山眞男は「軍国支配者の精神形態」(1949)において、日本ファシズム支配の厖大なる「無責任の体系」を指摘したが、一方それに先立って、伊丹万作は「戦争責任者の問題」(1946)において、「騙された者の責任」を指摘した。 伊丹はこのエッセイの中で、今度…

坂口安吾:文学はつねに政治への反逆であるが、 まさにその反逆によって政治に協力するのである。・・・ (4) 

❤「人に無理強いされた憲法だと云うが、拙者は戦争はいたしません、というのはこの一条に限って全く世界一の憲法さ。戦争はキ印かバカがするものにきまっているのだ。」--「もう軍備はいらない」(1952) 戦争放棄という理想を批判することほど、容易なこと…

柄谷行人『坂口安吾論』/イエズス会宣教師ルイス・フロイスの報告

柄谷行人『坂口安吾論』(2017)によると、安吾は17世紀の日本史に関して、イエズス会宣教師ルイス・フロイスの報告を参照しているが、フロイスは同時代の日本について様々な報告を書き残している。その中に『日欧文化比較』(1585)という興味深い記述がある。

坂口安吾:文学はつねに政治への反逆であるが、 まさにその反逆によって政治に協力するのである。・・・ (3)  

最近、マイナンバーカードの不具合が次々と噴出し、そのことによって政治家の人間的レベルの低さが改めて露出してしまっているが、自分の権力を守ることに汲々としている大臣をはじめとする与党政治家だけでなく、勢力拡大を喉から手が出るほど欲している野…

坂口安吾:文学はつねに政治への反逆であるが、 まさにその反逆によって政治に協力するのである。・・・ (2)  

❤一昨日15日、LGBT法案の参院内閣委員会での審議を動画で視聴したが、最初に質問に立った、日本会議に所属する二人の自民党議員の話はまさに絵に描いたようなものであった。続く立憲の議員のまっとうな質問によってその稚拙さと悪質さが暴露されたことで多少…

坂口安吾:文学はつねに政治への反逆であるが、まさにその反逆によって政治に協力するのである。・・・ (1)

❤先月の半ば、東京都内の或るJR駅の改札を出ようとしたところ、私は突然後ろから二人の警官に腕をつかまれ人の往来を邪魔しない場所に連れていかれた。カバン(ウエストポーチ)の中身を見せてくださいと高圧的な口調で言われたので財布とケータイを出して見…

坂口安吾 「もう軍備はいらない」(1952) ――武力ではなくて文化・文明の力に訴えよ!

❤大戦後、日本は憲法で軍隊を廃止し戦争を放棄した。しかし1949年に中華人民共和国が成立し、更にその翌年に朝鮮戦争が勃発すると、GHQの指令によって再軍備に転換し、そして1951年には日米安全保障条約を締結した。こうして軍備増強の機運が高まる中、1952…

高橋和巳「孤立無援の思想」(1963)を読む (14)  --美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない。

❤「苛政猛於虎也」(ひどい政治は虎よりも猛々しい)という孔子の言葉が儒教の経典『礼記』にあり、高橋和己は当該箇所を書き下し文の形で引用しているのであるが、ここでは難しい漢文は避けてあらすじだけ紹介すると―― 孔子がとある土地を通りかかったとき…

関係の条件としての孤独 (4)――人間の弱さ

❤1949年7月15日に起こった三鷹事件の死刑囚・竹内景助(1967年に東京拘置所にて45歳で病死)の冤罪を立証し訴える書物は、昨年出た石川逸子『三鷹事件/無実の死刑囚/竹内景助の詩と無念』(2022)まで含めて何冊かあるようであるが、ここでは冤罪という観点…

関係の条件としての孤独 (3)――孤独と表現 「物が真に表現的なものとして 我々に迫るのは孤独においてである。」

❤以前、NHKで「つながり孤独」という番組があったのを覚えている。調べてみると、 「ツイッターやFacebookなどのSNSが急速に普及するなか、“多くの人とつながっているのに孤独”という、“つながり孤独”を感じる若者が増えている。・・・SNSがなぜ孤独を生み出…

関係の条件としての孤独 (2) 「すべての人間の悪は 孤独であることができないところから生ずる。」  

❤三木清は1945年、豊多摩拘置所で獄死した。享年48歳であった。 「9月26日朝、看守が三木の独房の扉をひらいたとき、三木は木のかたい寝台から下へ落ちて、床の上で死んでいた。干物のように。」 ――日高六郎『戦後思想を考える』(1980) 三木は、仮釈放中に…

関係の条件としての孤独 (1)

❤三年間の刑期を終えて出所した男が、汽車で偶々隣り合わせになり手まで握らせてくれた女の家を探したのであるが、辿り着いたのは小さな娼家だった。 男は今まで牢獄に繋がれていたことを打ち明けていないこともあり、自分がどのような人間に見えるのかが気…

単純に普通の人として

❤人の内面は顔に出るという話はよく耳にするが、ポートレートというのは絵画にせよ写真にせよ人物の内面を表現するものである。優れた画家あるいは写真家は、表層的な表情の奥に潜む内面を見抜くことができるのである。ところで、内面を表現するということは…

自分の足で立つということ

以前、法務大臣は死刑のはんこを押した時だけニュースになる地味な役職だなどと繰り返し発言した大臣がいたが、法務大臣はみずから死刑執行に立ち会うべきであり、更に言えばみずから死刑執行のボタンを押すべきなのではないか。敢えてこのように言うのは、…

高橋和巳「孤立無援の思想」(1963)を読む (13) 

或る非暴力の極致が、権力の道徳的堕落を露呈させ、そのことによって一つの政権が倒れるということがかつてあった。 ❤1963年6月11日、ベトナムのサイゴンで衝撃的な事件が起こった。ゴ・ジン・ジェム政権による仏教徒に対する弾圧に抗議して、一人の老僧がガ…

優劣の呪縛からの解放――身体の論理[5]

♦ 昨日は淀橋教会にて「声楽アンサンブル・オリエンス」の第10回演奏会を楽しんだ。4つのパートが奏でる美しいハーモニーと共に、私の席のすぐ間近にいらしたソプラノの透明な歌声が、いまだに耳と心に残っている。プログラムはウィリアム・バードの曲のみで…

優劣の呪縛からの解放――身体の論理[4]

♦ 先日浦和で行なわれたマギー・マラン作『May B』の公演に関する或る投稿を大変興味深く読んだ。この『May B』は「障がいがあるだけで社会から排除されがちな者達が、笑い、悲しみ、怒り、孤独に陥る様を見せる」ものだそうで、「社会からは劣っているかの…

優劣の呪縛からの解放――身体の論理[3]

♦ 件のオーディションに集まった若いバレエダンサーたちに向かって勅使河原三郎氏は、(悲しみを表現するには)「それっぽくするのではなくて、本当にそうなるまで、動かないでやってみな。感じるまで感じて、それが外に出てくるように」と指導していたので…

優劣の呪縛からの解放――身体の論理[2]

♦ 以前NHKの報道にもあったが、ロシアのウクライナへの軍事侵攻に隠れた形で、ミャンマーでは内戦が泥沼化している。無抵抗の住民をも巻き込む大規模な空爆を展開した国軍と、抵抗勢力との戦闘が深刻化しているのである。内戦ということでは、例えば、古くロ…

優劣の呪縛からの解放――身体の論理[1]

♦ ダンサーで振付家の勅使川原三郎氏を特集する番組(日曜美術館)を録画で観た。この番組では様々なシーンが連関なしに羅列されていて、番組制作者が一体何を理解し何を伝えようとしているのかが観ていてよく分からなかったのであるが、それはともかくとし…