2016-09-19から1日間の記事一覧
【7】 信仰のロゴス このように蜜蝋の分析は神への熱望によって動機づけられた死の修練として純粋精神に到る。つまり心身合一を乗り越える。しかし実はこれは一方の真理である。もう一方の真理が存在する。それは心身合一は決して乗り越えられないというこ…
第二節 蜜蝋の分析 以上、パスカルの聖体観に哲学的考察を加えて信仰のロゴスを明るみに出したが、念のため断っておくと、筆者は何もカトリシズムに与しているわけではない。我々の立場はあくまでも哲学であり、デカルトの信仰心ということを言う場合も、そ…
【3】 時と永遠 十字架のイエスの記念ということが言われる[b]が意味することは、十字架上の生贄は既に終わったということ、イエスの生涯は既に終わったということである [12]。十字架における犠牲は過去の出来事であり、イエスは過去の者、既に死んだ者…
第一節 聖体の秘蹟 【1】 内的なものと外的なもの エリアーデはキリスト者にとって「受肉」は最高の聖体示現であるとしているが [7]、「聖体」も受肉と同様に(あるいは或る意味で受肉以上に)高度の聖体示現であると言えるであろう。そして聖体は受肉と同…
2016.3『人文学報』 L’eucharistie et la cire : Le logos de la foi 〔Pascal et Descartes〕 聖体と蜜蝋――信仰のロゴス 〔パスカルとデカルト〕 実川 敏夫 神は不在という形でしか被造物の内に現前し得ない。 ――シモーヌ・ヴェイユ 筆者は前稿「デカルトと…