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デカルトの問題性が摑めなければメルロ=ポンティは分からない 1

メルロ=ポンティデカルト論をいくら読んでもデカルトは分からない。

しかしデカルトを読めばメルロ=ポンティは分かる。

というより、デカルトの問題性が掴めなければメルロ=ポンティは分からないのである。

これが1986年度におけるパリ大学での在外研究を経て、そしてその後の30年間の思索を経て、私が確言できることである。

 

時間と永遠について言うと、

デカルト省察は時間の中で行なわれる。

この「時間の中で」という条件を外して省察を理解することはできない。

例えばコギト(我れ思う、故に我れあり)とは、時間の中で時間を突破し永遠(つまり真理)に達する企ての到達点なのである。

 

このことを押さえると、メルロ=ポンティの『知覚の現象学』とは何であるのかが分かる。

それは時間と永遠との結合なのである。

但し、メルロ=ポンティの哲学はデカルトの哲学とまったく同じであるというわけではない。メルロ=ポンティの場合はデカルトの場合よりもより荒技的に時間と永遠とは結合される(これは永遠が時間に還元されるということではない)のである。

拙著『メルロ=ポンティ 超越の根源相』(創文社)の、例えば第1章第2節「一種の永遠」を参照されたい。