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デカルトの問題性が摑めなければメルロ=ポンティは分からない 3

メルロ=ポンティの哲学は単なる心身合一の立場ではない。

デカルトには「心身の区別」と「心身の合一」という二つの面があるが、メルロ=ポンティはこのデカルト的二面性を引き受けているのである。

(但し、これら二つの面がどのように結ばれるのかがまさに問題であり、デカルトの場合とメルロ=ポンティの場合とではその結ばれ方は同じではない。)

 

ところで、メルロ=ポンティの哲学は単なる「心身合一の立場」ではないということ、言い換えれば単なる「非反省的なものの立場」ではないということは、この哲学は単なる「現象の記述」ではないということである。

「現象の現象」とか「現象学現象学」といったことが語られるが、

メルロ=ポンティの哲学は「現象の記述」としての現象学であると同時に、現象学現象学でもあり、そしてこれら「現象学」と「現象学現象学」とは不可分である。つまり後者なしには前者はあり得ず、前者なしには後者はあり得ないのである。

デカルトの場合には二つの面の結合はここまでは徹底されていない。)