森有正「パリに住んで:思考を深めた21年間」

森有正(1911~76)という人はオルガンでバッハなどを演奏していた哲学者であり、「思索の源泉としての音楽」というレコードもあるが、どうして急にこのような話を始めたのかと言うと、机の引き出しの中を整理していたら、茶色に変色した一片の新聞の切り抜きが出てきたからである。切り抜きは森有正の「パリに住んで:思考を深めた21年間」というコラム記事である。新聞の日付は1971年9月23日となっている。私は森有正の著作は割と最近になってから少し身を入れて読んだのであるが、この半世紀近く昔の切り抜きを改めて読んで驚いたのは、自分の趣向と感受性が基本的に若い時から少しも変わっていないことである。

哲学についてほとんど何も分かっていなかった学部生の時に気に入ったこの記事から、幾つかの言葉を書き抜いてみる。

♦ 私にとって重要なことは、このパリ滞在の間に、《私自身》の思索が始まったということである。

♦ あのけたたましいジャーナリズムやスノビズムの渦巻きから完全に隔離されて、考え、思索を深めることが出来たのは、私にとって決定的なことであり、私の精神的《かたち》は揺るがしえないほどしっかりと確立されたと思っている。

♦ 専門のフランス十七世紀哲学の研究は思ったようには進まなかったが、デカルトパスカルをみる目が全然変化した。そういう古典的大家が分解し始め、自分の経験が思想に転化する過程に吸収され始めて来た。これは私にとって重大なことであった。・・・それは我々の中に見出され勝ちな一辺倒的考え方の逆であり、自分の「経験」を生かす道である。一辺倒的考え方は、他に傾倒するようでありながら、実は他に依存して自分を支えようとする態度であり、また他によって自分を飾ろうとすることでもある。

♦ 今日(九月十九日)、ICUの大学の教会で、チェコオルガニスト、パウケルト氏の「フーガの技法」(バッハ)をきいた。私は、人間の「経験」というものは、思想でも、音楽でも、《どこでも》同じ道をたどるものだということを深く感じた。