音楽することと哲学すること――ピレシュの言葉(2)

今回は自由と制限をめぐるピレシュの言葉を取り上げることにする。

♦ (ピレシュいわく)「完全な自由か完全な秩序(completely free or completely strict)。どちらかの選択ではない。一定の秩序を保ちながら自由にしていいの。楽譜に書かれた制限を理解していれば、その中で常に自由でいられる。人生もそうよね。節度を守れば好きにしていいの。楽譜という制限を受け入れ、作曲家に敬意を払い、作曲家が求めているものを守れば、あとは自由。なんでもできる。」

 【コメント】これは実際に若者を指導する中でのピレシュの発言であるが、字幕の翻訳からその意味するところを正確に読み取ることができるかどうかは大いに疑問である。ピレシュは何を言っているのか。

♦ 演奏者はきちんと楽譜通りに弾くべきなのか、それとも自分の思いのままに弾くべきなのか。strict(厳格)であるべきなのか、それともfree(自由)であるべきなのか。――ピレシュが言うには、全面的にfreeであるか、全面的にstrictであるか、どちらを選ぶかが問題なのではない。「制限=楽譜を正確に知る(know exactly)」ならば、自由に演奏することができるのである。   

♦ これは逆に言うと、制限=楽譜を正確に知るのでなければ、自由に演奏することはできないということである。strictであることは自由を犠牲にすることなのではない。それはむしろfreeであることの条件なのである。一般に、自由であることは制限が課せられないことであると考えられているが、しかし良く考えてみよう。制限がなければ自由は空転してしまうのである。制限があるからこそ、自由は内容を持つことができるのであり、内容を深めることができるのである。

♦ ところで、そもそも制限を守るとはどういうことなのであろうか。それは単に、楽譜を勝手に書き換えたりしないということなのではない。では、どういうことなのか。ピレシュは「制限=楽譜を受け入れ、作曲家に尊敬の念を抱く(respect)ならば」という言い方をしている。制限=楽譜を遵守することは、実は作曲家との人格的・内面的な交わりなのである。ということは、制限を守ることは、それ自体、自由が深い内容を持つことなのである。         

♦ 創造的な演奏においては、このように自由と制限とが合一する。そして、自由と制限とのこうした合一こそが、本来の意味でのフォルム、即ち生けるフォルムなのである。