根本的両義性(1)

昨日の声楽アンサンブル「オリエンス」の定期演奏会。演奏が始まるや、合唱の声とハーモニーの美しさに驚かされた。またバスはもとより器楽奏者たちのレベルも高いものであった。そして嬉しかったのはプログラムのパンフレットの読みやすさである。

ところで、私はいわゆる信仰者ではなく、また宗教に関する知識も皆無に等しい人間であるが、インカルナティオ(受肉)と聖体の秘蹟にはかねてより強い関心を抱いている。これらの神秘は決してローカルな真理にとどまるものではないと考えるのである。因みにモンテウェルディ「4声のミサ」のクレドには次のような件りがある。

  Et incarnatus est de Spiritu sancto ex Maria virgine

イエス・キリストは〕・・・そして聖霊により、肉体を処女マリアから受けました (「オリエンス」プログラムより)

受肉や聖体の秘蹟については別の機会に書くことにするが、問題は次のような根本的両義性である。--「人間とは、あらゆるものの審判者にして愚かなミミズ、 真理の受託者にして不確実と誤謬の溜り場、 宇宙の栄光にして宇宙の屑である。誰がこの縺れを解くことができようか?」(パスカル