聖週間のフランス・バロック宗教音楽

 昨日は「聖週間のフランス・バロック~高橋美千子リサイタル」に出かけた。5人の器楽奏者(花井さん、丹沢さん、原田さん、島根さん、佐藤さん)の演奏も含めて、何か「完璧」という言葉を使いたくなるような演奏会だったのであるが、まずはプログラムの冒頭にある高橋さんの挨拶の最後の件りを引用したい。
   ・・・・・・私が10年もフランスで仕事をさせてもらっている
  ことや、これほど俗社会に溺れながらも宗教曲を歌う機会
  をたくさんいただいていることも、今日の演奏会を迎える
  ための過程だったように思えています。
   フランス・バロック宗教音楽を通して、どこまでそれを
  お伝えできるか未知数ですが、どうぞ最後までお聞きいた
  だいて、音楽と言葉が与える「何かを信じる力」=「愛」
  を感じ取っていただければ幸いです。
 今日の演奏会を迎えるための過程――
自分の来し方を振り返りつつ、自分の過去を、そしてこれから先の未来をも、この現在に結晶させるという意気込みで、高橋さんは共演者と共に演奏されたのである。真の音楽家は己れの人生そのものが一つの楽曲になるような生き方ができるのである。そしてそのような生き方ができるのも、信じる力と愛があればこそであろう。
 音楽と言葉が与える「何かを信じる力」=「愛」――
信じる力と愛とがイコールで結ばれているところが興味深い。信じることと愛することとは異なるが、しかし二つは切り離すことができないのである。そして恐らく、多くの場合、愛することが信じることに先行するのではないであろうか。(因みに、自分はカトリック無免許運転をしていると言っていた福田恆存が、昭和30年頃に、戦後日本人は「信じる力」を失ったという文章を書いている。わざわざ信じる「力」という言い方をしているのは、信じるということは懐疑を介する超越の運動だからである。)
 ともあれ、ここで高橋さんが言われていることは、音楽と言葉が与える信じる力=愛である。音楽と言葉は信じる力と愛を与えてくれるのである。昨日の演奏会は、自分は既に信じる力や愛を所有しているという思い込みのないすべての人に、あるいは自分は既に信じる力や愛がどのようなものであるのかを知っているという思い込みのないすべての人に、クープランシャルパンティエの曲を通して「信じる力」=「愛」を深く感じ取らせたはずである。