言葉のリズムと言葉の力


♦ 昨日の午後はオルフ祝祭合唱団演奏会を聴きに中野ゼロに赴き、生演奏ならではの醍醐味を味わった。曲目はオルフの「カトゥーリ・カルミナ」と、ストラヴィンスキーの「結婚」。プログラムによれば、二つとも独唱・混声合唱・4台のピアノ・打楽器アンサンブルという独特の編成で演奏される曲であり、またどちらもバレエを伴って上演されることを前提に作られた曲であるとのこと。


♦ ただ今回はバレエを伴わずに演奏された。が、しかしバレエの不在は不在とは感じられなかった。というのも、どちらの曲にあっても、音楽自体が実に“バレエ的”であり(当然のことかもしれないが)、そしてそうした音楽が、言葉――ラテン語およびロシア語の歌詞――とまさに一体になっているからであり、更にいえば、音楽のリズムと拍子が言葉を真に生き物たらしめ、言葉そのものの潜在的な力を引き出しているように感じられたからである。


♦ 歌詞はそれがただ読まれるだけであるならば、他愛のない言葉、陳腐な内容と受け取られかねない。我々はまず言葉の意味するところに注意を向ける習慣を捨てて、言葉そのものに集中しなければならない。そのようにすると、歌詞は音楽の拍子とリズムによって真正の「詩」になるのだ。ということは、生命の根源から離れてしまっている我々の普段の生活が、生命の根源に回帰するということである。例えば同じ音型やリズムの執拗な反復にしても、生命の根源と合致しようとする執拗な努力を表しているのである。