デカルトと死の修練 Descartes et la < meditatio mortis >

Descartes et la < meditatio mortis >

デカルトと死の修練

  

                                                                                                            実川 敏夫

  

「こうしてこれらの格率を確保し、〈私の信念の中で常に第一の真理であった信仰の真理〉と一緒にこれら格率を別にした後、私の意見の残りのすべてについては、それらを捨て去ることを自由に企てることができると私は判断した。」(『方法序説』第三部)

 

デカルトは自分の信念の中で常に第一の真理であった信仰の真理を懐疑の対象から外す。信仰の真理は疑おうと思えば当然疑うことのできるものであるが、しかしそれを疑わない。それを疑わずに信じる [1]。人はこのことを、哲学史の知見――信じることと知ることとの分断が近代のはじまりであるという通念 [2]――に照らして、信仰の真理はデカルトにとって哲学の埒外にあることを意味すると解するであろう。しかし果たしてそのように解してよいのであろうか。否、信仰の真理を懐疑の対象から外すということは、信仰の真理を疑わずに信じるというだけのことではなくて、それを信じることによってのみすべてを疑うことを自由に企てることができるということなのではないであろうか。――否、そのように言うだけでは十分ではない。デカルトは信仰の真理を信じることに留まらず、更にキリスト教の枠を超えて神を信じたのではないであろうか [3]。そしてこの信が懐疑も含めて哲学を実現させているのではないであろうか。デカルトの哲学は宗教的信仰を支えとしているが宗教的信仰そのものではない。しかしそれはいわば哲学的信仰(理性より優位の信仰)によって成り立っているのではないであろうか [4]

デカルトが行動の人であり書斎の学者の思弁を忌避する哲学者であることは、『方法序説』以外の著書においては見えにくい。しかしそれが見えにくいのは、恐らく哲学研究者という書斎の学者の眼で見るからであろう。『省察』におけるデカルトは非常に理知的で思弁的であるように見える。しかしそのように見えるのは、恐らく認識論の観点を無反省的・無批判的に持ち込むからであろう。デカルトの場合、懐疑にしても、それは単に疑いの理由を認識することではない。疑う理由がなければ疑うことはできないが、しかし懐疑とは理由づけをすることではなくて、疑う理由に同意して実際に疑うことである。それは疑いを気取ることではなくて本気で(serio)疑うことである。そしてこのような懐疑を実践し得るのは、疑う自由を信じる――つまりは神を信じる――ことによってだけなのである。

デカルトにあっては懐疑の根拠つまり哲学の根拠は、神への生ける信仰である。キリスト教の信仰ということには留まらない或る信仰心がデカルトの哲学を密かに包み込み根拠づけ

ている。デカルトの哲学は「人間の理性の独立宣言」(中世との断絶)でもなければ、「スコラ哲学の修復」(中世との連続)でもない。そのような哲学史的説明は無効である。この哲学は黙せる篤き信仰心――神の観念(イデア)と言われるものは後で見るように実は観念ではなくて信仰心である――がその核を成す生(魂)に根差したものであり、それ故にそれは生きることでありよく生きることである。もし哲学とは生きることではなくてただ単に論じることであるならば、哲学は観念ゲームになり空中楼閣になってしまうであろう。

真の哲学者にあっては哲学と人生とは別のものではない。自分の哲学を語るために自分の人生を一幅の絵画として描いた哲学者にとって、哲学は趣味でも仕事(職業)でもなかった。哲学は人生であった。ライフワークではなくてライフであった [5]。このことを感受せずに、哲学を人格性を欠いた単なる理論として扱う――即ちモノとして扱う――形式的・分析的なデカルト読解は、たとえ完全に整合的なものであっても隔靴掻痒の感を免れ得ないであろう。デカルト研究という学問の必然的盲点である〈語られざるもの〉あるいは〈語り得ぬもの〉を感じ取り、それに準拠しなければならない。語られた言葉をいくら並べ替え組み立て直してみても、恣意的な再構築を繰り返すことにしかならないのである。近代的な学問理念を妄信してはならない。

 

1. 信仰と懐疑

 

疑う自由と神への信について考察するために、『哲学原理』第一部の39~41節に注目してみることにしたい。そこの話の筋はほぼ次のようになっている。――〔39節〕我々の意志には自由がある。我々は多くのことに同意を与えることも同意を与えないことも自由にできる。このことは明白である。意志の自由は自明のことである。即ちそれは証明によってではなくて内的な経験によって知られる。〔40節〕しかし意志の自由が明白である一方、すべては神によって予定されているということも確実である。前もって神によって予定されていなかったことを我々が為し得るなどと考えること自体罪であると思われるほど、神の予定は確実なのである。このように我々は我々の意志の自由と神の予定とをそれぞれ把握する。ところが両者を同時に把握しようとすると、即ち神の予定を我々の意志の自由と調和させようとすると、我々は大きな困難に巻き込まれかねない。〔41節〕しかし思い起こすべきは、我々の精神は有限であるが神の力は無限であるということである。このことの故に、我々は神の力について一定のことは分かるが、しかし神の力を把握することはできない。即ち、①神にはすべてを予定する力があることを明晰判明に認識する程度には神の力は我々によって捉えられる(attingi)が [6]、②しかしどうして神は人間の行為を非決定のままにしたのかが分かるほどには神の力は我々によって把握されない(non comprehendi)のである。③しかしどうして神は人間の意志を自由なままにしたのかが分からないからといって、我々が内的に把握し自分の内に経験すること、即ち我々の意志に自由があることを疑うのは不合理であろう。――

さて、41節の小見出しには、我々の意志の自由と神の予定とは如何にして互いに調和させられるのかとあるのであるが、ではデカルトはどのようにこれら二つを調和させているのであろうか。40節で言われているように、意志の自由と神の予定とを直接調和させようとすると、即ちそれらを「同時に」把握しようとすると、大きな困難に巻き込まれる。そこでデカルトは、まずは我々は有限であるが神は無限であるということから①と②とを導き、次いで③を言い加える。つまり神の予定の把握と人間の意志の自由の把握との間に、神の把握不可能性(即ちどうして神は人間に意志の自由を与えたのかは分からないということ)を挿入することによって、神の予定の把握と意志の自由の把握との同時化を避けるのである。そうすることでデカルトは二つの把握を両立させ神の予定と意志の自由とを調和させている。41節は以上のように解することができる。

しかしこれは調和と言えるのであろうか。デカルトは意志の自由と神の予定との矛盾を解決していると言えるのであろうか。人はそのような疑問を懐くであろう。しかしそのような疑義を持つのは理論的見地に立つからである。無限なる神はどうしてか分からないが我々の意志を自由なままにしている。つまりどうしてか分からないが人間の意志の自由と神の予定との矛盾を存在させている。但しそのように言うことは神の把握不可能性を利用して矛盾の理論的解決を神に委ねることではない。つまりデカルトの神が一種のデウス・エクス・マキナであることを意味するのではない。デカルトにとっては理論の整合性が第一義の問題ではないのである。例えばもしサルトルのように神の予定を否定するならば、あるいはスピノザのように意志の自由を否定するならば、はじめから矛盾は問題にならない。しかしデカルトは敢えて矛盾をおかしてまでも相対立することの両方を主張する。このことは例えば心身の区別と合一に関する話などにも見られるが(エリザベト宛、1643年6月28日参照)、論理的整合性はデカルトにとって二の次の問題なのである。ということは、デカルト形而上学の実体は思弁ではないということである。デカルトは神に矛盾の解決を委ねるのではない。そうではなくて、神の予定と意志の自由との矛盾、あるいは心身の区別と合一との矛盾を前にして驚異するのであり、そして把握不可能な神を信じる(認識するのではなくて信じる)ことによって矛盾を了解するのである。これがデカルト形而上学の実体である。

ところで、意志の自由が行使される典型例は懐疑である。我々の起源の創始者が我々を欺こうと常に努力していると想定したとしても、我々は十分に確実ではないことについては信じることを差し控えることができる。こうした疑う自由は自分の内に経験されることであるが、神はこの自由の経験に応えるものでなければならない。つまり神は信頼されるものでなければならない。自分の内に意志の自由を把握するだけではなくて、自分に意志の自由を与えた神を信頼する、その場合にのみ、我々は疑いの可能性を認識するだけではなくて、懐疑を生き実践することができる。即ち「本気で」疑うことができるのである [7]。神への信頼が懐疑の根拠である。認識の順序に従って書かれた『省察』においては、第三省察においてはじめて神は認識される。しかしデカルトは最初の第一省察の時点で、というより元々、神を暗黙にであれ信じているのである。デカルト的自我は決して神から独立した近代的自我ではない。

 

2.信仰と証明

 

懐疑と同様に証明も神への信を根拠としている。注目したいのは『省察』に付された「パリ神学部宛の書簡」である。その二段目に次のように書かれている。――神に関する問題と魂に関する問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって証明されるべきものの中の主たるものである [8]。というのも、(ⅰ)我々信仰のある者にとっては、人間の魂が身体と共に滅び去ることはないこと、および神が存在することを、信仰によって信じる(fide credere)だけで事足りるのであるが、信仰のない者には、予め彼らに対してそれら二つのことが自然的理性 [9]によって証明されているのでなければ、如何なる宗教も納得してもらうことはできず、また如何なる道徳的な徳でさえも殆ど納得してもらうことはできないと思われからであり、(ⅱ)それに、この世においてはしばしば徳よりも悪徳の方に大きな報酬が与えられるので、もし神を畏れることも来世への期待を持つこともないならば、利よりも正を選ぶ人は少ししかいなくなってしまうからである。――

(ⅰ)と(ⅱ)とを併せて言い直すと、言われていることは、予め不信仰者に対して神の存在と魂の不滅が自然的理性によって証明されているならば、宗教や道徳的な徳は彼らに納得のゆくものになり、不信仰者も神を畏れ来世を期待するようになる、そのような可能性が生まれる、ということであろう。では、神の存在と魂の不滅が自然的理性によって証明されることは、宗教や道徳的な徳が不信仰者に納得のゆくものになるための前提条件であるとして、それは不信仰者が神の存在と魂の不滅を「信仰によって信じる」ようになるための前提条件でもあるのであろうか。それら二つのことが自然的理性によって証明され得ることを神学者たち自身が断言していることをデカルトはわざわざ確認しているが、では証明は信仰によって信じるための条件なのであろうか。否、そうではないであろう。そうではないことは信仰者を見れば一目瞭然であるが、不信仰者の場合にも証明が信仰の条件であるとは考えにくい。むしろ逆であろう。信仰が証明を前提するのではなくて、証明が信仰を前提するのである。ということは、証明する者は信仰者でなければならないということである。神の存在および魂の不滅といった事柄そのものは、人間が己れの思い上がりを砕く信仰によってのみ達することができるのであり、従って信仰のない者が仮にそれらを証明することを試みたとしても、その者はそもそも何を証明すべきかが分からないはずなのである。不信仰者に分かるのは、概念としての神の存在、概念としての魂の不滅に過ぎないからである。

このように証明は信仰を前提する。つまり証明は信仰に基づいて作り出される。証明が信仰をもたらすのではなくて、信仰が証明をもたらすのである。従って証明は信仰から切り離されるならば証明たり得ない。信仰が神の存在証明を証明として成り立たせ、それに説得力を与えるのである。実際、不信仰者がデカルトの証明を純粋に証明としてだけ読んで信仰者になったというような話は聞かない。証明は信仰によって根拠づけられ裏打ちされている。信仰はいわば証明の魂である [10]

しかしもし信仰が証明の魂になっているのであれば、証明はもはや単なる証明ではない。信仰が証明の魂であるのであれば、証明は信仰に不可欠なその肉体である。つまりこういうことである。一方、魂はそれだけで自足する。そして同様に信仰はそれだけで自足する。しか他方、魂は肉体に宿らなければならない。そして同様に信仰は証明という論理に宿らなければならない。即ち信仰は理解を求める(これは言い換えれば、信仰こそは真の理解をもたらすということである)。というわけで、デカルトの言う自然的理性による証明は実は単なる証明ではない。即ち単なる思弁ではない。それは信仰の肉体としての論理(ロゴス)である。そしてそうである限りにおいて、それは信仰者の信仰をより確乎としたものにし得るのであり、また場合によっては不信仰者をして信仰に目覚めさせ得るのである(信仰に目覚めさせるということは必ずしもキリスト教徒たらしめるということではない)。確かに自然的理性による証明は信仰と区別されそれと対立するものであるが、しかし我々は言葉を単に形式的に捉えるのではなくて、言葉の実質を問題にしなければならない。自然的理性による証明はその実体においては信仰がそこに受肉したロゴスであり、従ってそれ自身自然的理性を超えたものである。それ故に、それは形而上学的な事柄を自然的理性の枠内に取り込んでしまうものではない。また、デカルトの証明はその実体においては合理的認識を超えたものである故に、それを単なる学理的研究(単なる論理的分析)の対象にすることはできない。

 

3.信仰と観念

 

省察』の「読者への序言」でデカルトは『方法序説』における形而上学省察に対する二つの反論を取り上げているが、その一つは神の存在証明に関するもので、――私より完全な事物(res)の観念(idea)を私が私の内に持つこと(in me habere)からは、(Ⅰ)その観念が私より完全であることは帰結しないし、(Ⅱ)ましてやそうした観念によって表現されるものが存在すること(existere)は帰結しない、――というものである。この反論に対してデカルトはまず観念という語の二義性を指摘する。即ち、観念という語は「知性の作用」という意味に解されるだけではなくて、そうした知性の作用によって「表現される事物」という意味にも解される。そして前者の意味での観念は私より完全であると言うことはできないが、後者の意味での観念はその本質の故に私より完全であるということがあり得る。そのように述べて(Ⅰ)の点に対して答える。

しかしこの答弁はどうなのであろうか。それは妥当なのであろうか。私より完全な事物の観念を私が私の内に持つことからは、その観念が私より完全であることは帰結しないという反論は、或る意味で尤もなものなのではないであろうか。たとえ私より完全な事物の観念であれ、観念が観念である以上、私が私の内に持つ観念が私より完全であるということは考えにくい。言い換えれば、私より完全な観念が私の内にあるとすれば、それは観念ではないのではないか。デカルトは観念の表現的実在性(事物性)を問題にして、神の観念の実在性は私の実在性より大きいと主張するわけであるが、しかしその表現的実在性が私の実在性より大きい観念はそもそも観念と言えるものではないのではないか。デカルトは「読者への序言」において「知性の作用」という言い方をしているが、神の観念は実は知性的なものではないのではないであろうか。つまり観念ではないのではないであろうか。私より完全なものが私の内にあるとすれば、それは観念ではなくて信仰なのではないであろうか。神の観念は実は観念ではなくて、神の恩寵である信仰なのではないであろうか。

レヴィナスは信仰という言い方ではなくて自分の哲学の用語である欲望という語を用いているが、同じ趣旨のことを語っている。『全体性と無限』以来デカルトの無限の観念(神の観念)に繰り返し言及しているレヴィナスは、この観念は「観念ではなくて欲望である」と言う。デカルトの無限の観念(神の観念)にあっては、「観念によって観念されるもの、即ち観念の目指すものは、それを思惟する作用そのものよりも無限に大きい」 [11]。従ってそれは観念ではなくて欲望である、というわけである。観念ではなくて欲望であるということは、認識ではなくて欲望であるということであるが、認識というものが合理的なものであるのに対して、欲望は合理を超えたものである。即ち、認識が「思惟と思惟が思惟するものとの間の合致」、即ち己れが思惟するものを思惟する思惟であるのに対して、欲望とは「己れが思惟する以上のものを思惟する(penser plus qu’elle ne pense)思惟」 [12]、即ち己れが思惟していないものまで思惟する思惟、思惟することにおいて思惟それ自身を否定する思惟、思惟することにおいて思惟しない思惟、思惟することにおいて思惟されないものへと入り込む思惟、要するに合理を超えた思惟なのであるが、信仰とはまさにそういうものであろう。

では、どうしてレヴィナスデカルトの無限の観念(神の観念)は観念ではなくて欲望であることを洞察することができたのであろうか。それはレヴィナスが理論的観点から解放されているからである。もしレヴィナスが一般にそうされるようにデカルトのテキストを理論的関心から読んだならば、神の観念は観念ではなくて欲望であることを看破することはできなかったであろう。もしデカルトは『省察』において観念についての理論を開陳しているという見方に立つならば、デカルト的観念それ自体が理論的な知であることになってしまう。つまりまさに観念になってしまう。そしてその場合には、どうして私の内なる観念が私より完全であり得るのかといった、決して答えることのできない理論的問題が生じてしまうのである。

さて、反論の(Ⅱ)の点に対してはデカルトはどのように答えているのであろうか。「読者への序言」においては、私より完全な事物の観念が私の内にある(in me esse)ことだけから、その事物が実際に存在する(revera existere)ことがどのように帰結するのかは、以下において詳しく述べられるであろうと言うだけである。そこで『省察』の本文を見てみると、デカルトは次のような証明を行なっている。――神とは私より完全なものであり、神の観念(神を表現する観念)は私より完全である。では、そうした神の観念の原因は何なのか。神の観念の原因であり得るのは、この観念以上に完全なもの、即ちこの観念が表現的に含む実在性と少なくとも同じだけの実在性を含むのでなければならない。とすると、それは神自身でしかあり得ない。故に神は私の外に存在する(extra me existere)。――このようにデカルトは〈私の内なる神の観念〉から出発して〈私の外なる神の存在〉を推論する。即ち因果の論理を用いて神の存在を証明する。こうした証明が反論の(Ⅱ)の点に対する応答であるが、人はこの証明に何か腑に落ちないものを感じるのではないであろうか。そもそも神に限らず一般に何かが実際に(revera)存在することを推論によって証明することは可能なのであろうか。推論された存在は更に何らかの仕方で確かめられなければ実際の存在であることにはならないのではないであろうか。どうしてデカルトは自分の行なった証明について確信を持つことができるのであろうか。考えられる理由はただ一つ、デカルトは信仰者であるからである。信仰が証明を密かに根拠づけているのである。信仰こそが不可視なものである神が実際に存在することを確認するための究極的な審級であり、垂直的な跳躍を確信するための究極的な根拠である。

五省察におけるいわゆる存在論的証明は推論による証明ではないが、これも信仰によって根拠づけられたものであり、言い換えれば信仰の反省的表現である。――私は神を存在するものとしてしか思惟することができない。即ち神は必然的に存在すると私は思惟する。但しこの場合、私の思惟が事物に必然性を課しているわけではない。むしろ逆に、「事物そのものの必然性、つまり神の存在の必然性が、そう思惟するように私を決定する」。デカルトはそのように書いている。しかしこの議論は、それを純然たる証明として見る限り、なかなか腑に落ちない。三角形の本質は内角の和が二直角であることを必然的に含むが、それと同様に神の本質は存在を必然的に含む、というようなことをいくら言われても胸にストンと落ちない。しかし「神の存在の必然性が、そう思惟するように私を決定する(existentiae Dei necessitas me determinare ad hoc cogitandum)」ということを、「恩寵」と解するならば――即ち「神が私の思惟の内奥をそのように按配する」(Deus intima cogitationis meae ita disponere)」(第四省察)ことと解するならば――どうであろうか。つまり神に対して、認識的に関わるのではなくて信仰的に関わるならばどうであろうか。神の観念を「私の精神の宝庫から取り出す」(第五省察)ということを、私の精神の奥底に潜む信仰心を呼び覚ますことと解するならばどうであろうか。その場合には、私は神を存在するものとしてしか思惟することができないということは得心のゆくことになるのではないであろうか。

デカルトの神の存在証明はいずれも神への信仰的な関わりを反省的に論述したものであり、信仰を前提している。「人間は自分が理解しないものの助けを借りることではじめて、あらゆるものを理解することができる。これが神秘主義の全秘密である。」 [13]――カトリック教徒であるチェスタトンのこの言葉はまさにデカルトに当てはまる。デカルトは信仰という合理を超えたものの助けを借りることではじめて、合理的な証明を有効なものとして成立させることができるのである。神は存在するということは自然の光に照らされた明証的な知となり得るが、しかし実際にそうなり得るのは、それに先立って神の存在が恩寵の光によって照らされている場合であり、その場合だけである。

 

4.信仰と方法

 

方法序説』の第二部には方法の四つの規則が掲げられているが、その内で最も根本的なものは第一の規則(いわゆる明証の規則)である。しかしこの規則は然るべく捉えられているのであろうか。例えば哲学史家のルヴェルはこれを次のように批判している。――「私が真であると明証的に認識しない如何なるものも真として受け入れない」というのは方法と呼べるものではない。即ちそれは思惟を導くための論理的手続きではない。私が真であると明証的に認識しない如何なるものも真として受け入れないということは、私が真であると明証的に認識するものを真として受け入れるということであるが、しかし明証的に真であるものは真でない可能性がある。明証的なものは如何にも客観的なものであるように見えるが、しかしそれは主観的であり得るのである。デカルトプラトンアリストテレスといった彼の先駆者たちの原理を明証的ではないとするが、しかし彼らは彼らで自分の原理を明証的なものと看做していたのであり、またデカルトが明証とするものにしても彼の読者はしばしばをそれを不条理なものと看做すのである。問題は明証性と真理性との間の繋がりであり、その繋がりの諸条件を定めるのが論理学である [14]。――ルヴェルは凡そ以上のようなことを語っている。

しかし(ルヴェルにとってではなく)デカルトにとって方法とは何なのか。デカルトにとって論理学とは何なのか。ルヴェルにしても誰にしても、それを問題にしなければならないのである。まずはデカルトが伝統的な論理学をどのように批判したのかを見ることにしよう。『方法序説』第二部でデカルトはこう述べている。三段論法など論理学の様々な教えは、既知のことを他人に説明するのには役立ち、また未知のことをそれについて判断することなしに語ることにさえ役立つが、未知のことを学ぶのには役立たない、と。そして『哲学原理』仏訳序文でも同じく、学院の論理学は既知のことを他人に理解させる手段を教え、また未知のことについて判断なしに多言を弄する手段をさえ教えるが、未知の真理を発見する手段は教えないと述べている。ということは、デカルトにとって論理学は判断という精神の働きに基づく発見的-創造的なものでなければならないということである。

しかし、ということは、明証的なものは如何に客観的なものに見えようとも主観的なものであり得る、といったような認識論的な問題はデカルトの関心の外にあるということである。デカルトの関心はあくまでも、未知のことを学ぶことであり、未知の真理を発見することである。こうした創造的行為は信仰がある場合にのみ可能なのであるが、そのことは後に回すとして、認識論的な観点からデカルト的方法を捉えることは不当である。確かにデカルト自身が誤解の種を蒔いてしまっているところもあるのであるが、デカルトの哲学は真理の条件を問題にする認識論ではない。仮に明証を真理の基準とした場合には、明証が真理の基準であることを立証しなければならなくなる。そしてそのことを立証するためには神の誠実性を証明しなければならないのであるが、神の誠実性を証明するためには明証を真理の基準としなければならない。――これはまさに循環論証であるが、デカルトをこうした古来の〈認識論的=論理的〉な議論に引き込んではならないのであり、このことはデカルト自身が答弁において示唆していることでもある [15]

さて、では発見的-創造的な論理学とは如何なるものなのか。『哲学原理』仏訳序文によれば、それは「使用(usage)に大いに依存する故に、その規則を実践する訓練に長い時間を掛けなければならない」、そういう論理学(=方法)である。デカルト的方法は使用から独立して存立する方法ではない。未知の真理を発見するための方法は或る意味で未知のものでなければならない。それはその使用においてその都度発明され確認されるものでなければならない。即ち、デカルト的思惟は予め敷かれた道を歩む思惟ではなくて、道を歩むことによって道をつくる思惟、道をつくることによって未知の真理を発見する思惟なのである。方法とはその場合の道である。従って方法は方法の規則の実践訓練と不可分なものである。

ここで先に言及した第一の規則、即ち『方法序説』の第二部に掲げられている四つの規則の内で最も重要な規則(他の規則を支配する最も基本的かつ根本的な規則)である第一の規則(明証の規則)に立ち戻ることにしよう。ルヴェルが引いている、「私が真であると明証的に認識しない如何なるものも真として受け入れないこと」というのは、この規則の前半である。後半は、「即ち、注意深く速断と偏見とを避けること、そして疑いを容れる余地のまったくないほど私の精神に明晰かつ判明に現われるもの以外は私の判断の中に取り入れないこと」となっている。こうした文言から受け取ることができるのは、規則の本質は自己規律であるということである。未知の真理の発見は自己規律において為されることである。つまり真理は認識論的問題ではない。デカルトは認識とか知という語を頻繁に用いるが、デカルトにおいては認識は認識論的問題ではない。それは自己規律の問題である。疑い得ないこととしての確実性にしても、それは「注意深く速断と偏見とを避ける」という自己規律によって達せられる確信であって、理論的な疑いが絶えることではない。従って、例えばデカルトが「確実である」とすることは現代ではもはや確実ではないといったような反論は意味を成さない。自己規律の実践から離れたところで為される傍観者的な批判は無意味なのである。

ところで、「注意深く速断と偏見とを避ける、云々」ということは、口で言うのは容易であるが、それを実際に行なうのは至難の業である。それを実行するには習慣づけが必要であり、そして何よりも固い決意がなければならない。然り、デカルトにとって方法の規則は論理的な手続きではない。それは自己規律の実践であり、そして自己規律の決意なのである。四つの規則を挙げるのに先立ってデカルトは、「それを守ることを一度たりとも怠るまいという固く変わらぬ決意」について語っている。もしこうした決意が為されていないならば規則は空念仏になってしまうであろう。そして自己規律はまさしく倫理的なものである。自己規律の決意は意志をよく用いようという決意、即ちよく生きようという決意に他ならないのである。「高邁(寛大)」は「意志をよく用いようという固く変わらぬ決意を己れの内に感じること」と定義されているが [16]、「規則を守ることを一度たりとも怠るまいという固く変わらぬ決意」――即ち自己規律の決意――は、高邁という驚きの感情を引き起こす「意志をよく用いようという固く変わらぬ決意」と別のものではない。

しかしこうした決意はどこから生まれるのであろうか。意志をよく用いることはそうしようという決意が本物であれば為し得ることであるが、では意志をよく用いようという決意はどこから生まれるのであろうか。それは神への信仰からであろう。神を信じることなしには(今は何々教といった特定の宗教を信じることを問題にしているのではない)、よく生きようという決意は生まれ得ないであろう。では、神への信はどこから生まれるのであろうか。

 

5.信仰と死

 

形而上学の書物である『省察』の冒頭に“semel in vita”(一生に一度)という言い方が出てくるが [17]、この“semel in vita”は一般に「一生に一度」ではなくて「一生に一度は」と訳されている。そのように訳される理由は分からないわけではないが、しかしこの“semel in vita”は「一生に一度は」ではなくて「一生に一度」と訳すべきであろう。「一生に一度は」ということは、「一生に一度だけでよいが一度だけは」ということであるが、この場合の“semel”は「一度限り」「これが最後であって二度とない」という意味合いのものでなければならない。「一生に一度」「一度限り」、これは根本的には「人生は一度きり」ということである。人生は一度きりという覚悟がある場合にのみ、一生に一度という言い方が成り立つのである。デカルト形而上学は人生は一度きりであるという意識の上に成り立っている。生の一回性の意識、これはつまり生の限界の意識――死の意識――であるが、この意識なしには形而上学はあり得ない。否、形而上学以前に、信仰というものがあり得ない。死の意識なしには信仰はあり得ないのである。もし我々が死なないとしたら、あるいは死の自覚をまったく持たないとしたら、我々は神を信じるであろうか。神を愛するであろうか。否、死があるから死を超えた愛を恵まれ、死があるから死を超えた信仰を恵まれるのではないであろうか。神への信という恩寵は死の意識と共に与えられる。死の覚悟は信仰に与ることである。「死ぬ者は永遠の命に至る」(ヨハネ12章)。

死と永遠の命との同一性という逆説は例えばジャンケレヴィッチにも見出すことができる。「造花は限りなくその色彩を保つ。しかし、造花がいつまでも無臭であり、変わることなく乾燥しているのは、それが生きていないからである。死は生の条件なのである、逆説的にも死が生の否定である限りにおいて」 [18]。不死なるものというのは実は永遠に死んでいるものである。死なないものは生きない。命あるものとは死ぬものである。死がなければ生はない。生は生を否定する死によって真の生となるのである。ジャンケレヴィッチは来世といった宗教的なことは一切言わないが、しかし「死ぬ者は永遠の命に至る」という聖書の句を(意図せずして)或る角度から解き明かしている。「存在しないことと、もはや存在しないこととの間には、存在したことという無限の距離の全体がある。この世の何ものも、以後、これほどの距離を無にすることはできない。存在した者は、以後もはや、存在しなかったということはできない。以後、生きたというこの深く闇につつまれた神秘的事実は、その者が永遠に旅を続けるための路銀である」 [19]。存在しないものには死はない。また(ジャンケレヴィッチは述べていないが)存在するものにも死はない。存在した者にこそ死がある。というより、存在した者とは死んだ者のことである。そしてこの死こそが存在した者の存在を永遠化するのである。その者が存在している間も、いずれ自分は存在した者となるという自覚が、即ち死の覚悟が、その者の存在を永遠化する。死は生を自然的なものから形而上学的なものへと昇格させるのである。

ところで、『省察』には死への言及は殆どない。それはどうしてなのか。それは死というのはそれ自身神秘的なものであるからであると考えられる。デカルト形而上学省察をできる限り知的なものとして構成しようとした。というのも、他の人々を説得することのできる論拠(rationes)を示すことを何よりも心掛けたからである [20]。ところが死というのは、医学上は定義可能であるとしても、ソクラテスの話を待つまでもなく我々の知が及ばないものである。そういうわけで『省察』には死への言及が殆ど見られない。そのように考えることができる。しかし注目したいのは第三省察の最後の件りである。ここでデカルトは神の「観想」と神への「讃美」とを語っているのであるが、これら観想と讃美とは別のものではない。言い換えれば、神を知ることと神を愛することとは別のことではない。知と愛とは、あるいは認識と信仰とは、別のものではない。つまり少なくともこの箇所では「観想」は単なる理論的な知ではない。観想は愛と一つになった知であり、信仰と一つになった認識である。「我々が神を知るのはただ愛または信の直覚に由りて知り得るのである」 [21]

もしデカルトが論拠ばかりに拘らずに愛と信を前面に出すことを憚らなかったならば、己れの有限性について語る際にきっと死のことに言及したであろう。そのことは想像に難くない。それにまた、デカルトは実質的に信仰を問題にしていると言うこともできる。第三省察では、有限なものが有限なものであることが分るのはそれ以前に無限なものが分かっているからである、自分が不完全なものであることが私に分かるのはそれに先立って完全なものが私に分かっているからである、ということが言われているが、この有限の意識は無限の開示であるという論理、不完全の意識は完全の開示であるという論理は、パスカルの『パンセ』における我々の悲惨と神に関する論理――我々は己れの悲惨を知ることにおいて神を知り、神を知ることにおいて己れの悲惨を知るという論理――にも連なる、信仰の論理と称すべきものである [22]。つまり、有限の意識は無限の開示であるということは、掘り下げて言えば、死の意識は神への信であるということなのである。

 

6.死の修練

 

さて、信仰は懐疑の根拠であるということを我々は第一節で述べたが、次に示したいことは、懐疑は死の練習として死の意識を固めるものであり、従ってまた信仰を固めるものであるということである。

省察』は死をテーマとはしていない。そもそも『省察』には「死」という語それ自体殆ど見られないのである。しかし死は『省察』の主題ではないとしても、その根幹的問題なのではないであろうか。まず表面的なことから言うと、『省察』(メディタティオーネース)という書名は例の「死の修練」と言葉の上で繋がっている。プラトンの『パイドン』(81a)で言われている「死の修練」(メレテー・タナトゥー)はラテン語ではメディタティオ・モルティス――“meditatio mortis”(セネカ)――と訳されるのである。そして『省察』の中味に関して言うと、形而上学省察がそれなしにはあり得ない懐疑(或る意味で形而上学省察そのものである懐疑)とは、「本気で精神を感覚から引き離すこと(seriò mentem a sensibus abducere)」、即ち本気で精神を身体から引き離すことであり、従ってそれは精神の浄化としての「死の修練」に他ならない。デカルトは疑うこと(即ち同意を控えること)によって、精神を身体から引き離すという死の修練を行なうのである [23]。では、それは具体的には例えばどのようなことなのであろうか。

「私とは何か」ということについて、『方法序説』第四部ではこう書かれている。「私とは、その本質即ち本性が思惟することに過ぎず、存在するために如何なる場所も必要とせず、また如何なる物質的事物にも依存しない、そのような実体である」と。この件りを読んで人はどう思うであろうか。恐らく大部分の者は疑問を感じたり反発したりするであろう。何か非常に深遠なことが語られている、ちょっとやそっとでは理解できないことが語られていると思う者は少ないのではないであろうか。それでは今度は第二省察を開いてみよう。そこではデカルトは慎重な省察――即ち入念な懐疑――の長い過程を経てようやく、「私は今、必然的に真であること以外の何ものも認めない。従って私とは厳密に言って思惟するものでしかない」という結論に達するのであるが、指摘すべきは懐疑のプロセスが理解のために絶対不可欠であるいうことである。私とはその本質が思惟することに過ぎない実体であるということ、即ち私は身体にも世界にも依存しない精神であるということは、デカルト「と共に」懐疑という死の修練に耐えることが「でき」、またそうすることを「欲する」者にしか理解することのできないことなのである。

ということは、「私とは思惟するものでしかない」ということは、文字通り未知の真理の発見であるということである。「従って私とは厳密に言って思惟するものでしかない」と述べた後デカルトは、「思惟するもの」とは「言い換えれば精神、あるいは心、あるいは知性、あるいは理性」であるが、これらの「言葉の意味は以前には私に知られていなかった」と付け加えている。精神とか心とか知性とか理性といった言葉の意味は以前には知られていなかったということは、「私とは思惟するものでしかない」ということが未知の真理であったということに他ならない。「私とは考えるものである」というのは未知の真理の発見なのであり、そして未知の真理の発見は懐疑の厳しい修行によってのみ為され得ることなのである [24]

未知の真理の発見をもたらす懐疑、即ち死の修練は、まさに修行である。デカルトは「私の信じやすい心(mea credulitas)」について語っているが、(疑うことについて考えるのではなくて)実際に疑うことは非常に困難なことなのであり、懐疑は習慣になるまで行われなければならない。習慣になるまで行われなければ本当の意味で懐疑を遂行することはできないのである。これは道徳の第三の格率に関してであるが、こう言われている。「あらゆる物事をこのような角度から見る習慣をつけるためには」、即ち「我々の外にある物事に関しては、我々の最善を尽くした後でもうまくいかないことはすべて我々にとって絶対に不可能なことである」というようにあらゆる物事を見る習慣をつけるためには、「長時間に亘る練習(exercice)と頻繁に繰り返される省察(méditation)が必要であることを私は認める」と [25]。同じことは(自分の信じやすい心に逆らう)懐疑についても言える。精神を感覚から引き離す懐疑は、頭で考える作業ではなくて身につけるべきことなのである。『省察』の前半が終了した直後の第四省察の冒頭でデカルトはようやく、「私はこの数日、精神を感覚から引き離すことにたいそう慣れてきた」と語るわけであるが、しかし死の修練である懐疑は当然『省察』を執筆するずっと以前から行われていたのでなければならない [26]。懐疑という同意を控える訓練は繰り返し行われて習慣となっているのでなければできるものではない。それは一朝一夕にできるようになるものではないのである。

パスカルの『パンセ』に有名な「考える葦」の断章があるが、そこには「人間は自分が死ぬことを知っている」とある。確かに人間は自分が死ぬことを知っている。人間は誰でもそのことを知っている。しかし本当に知っているのであろうか。本当に知っていると言えるためには、そのことを信じていると言えなければならないであろう。しかし人間は誰でも自分が死ぬことを信じているであろうか。否、たいていの者は自分が死ぬことを知ってはいるが信じてはいないであろう。信じることはできないであろう。ということは、死すべき自分に執着しているということ、即ち身体に執着し世界(世俗)に執着しているということことである。この執着を脱してはじめて自分の死を信じることができるようになる。この世への執着がある限り、他人の死は信じることができても自分の死を信じることはできない。懐疑はこの執着を断つ修行である。デカルトの懐疑は懐疑論というような理論的問題ではなくて、それを遂行する者の実存のあり方自体がそれによって変容する実践そのものなのである。

懐疑は死の修練として死の意識を固める。死の意識が固まるということは死を超えることである。私は懐疑によって、「私とは思惟するものでしかない」という境地、「私とは魂であり、身体から完全に区別されている」(『方法序説』第四部)という境地に至り、ここではじめて、「魂は不死である」(『方法序説』第五部)ということが単なる知識ではなくて確信になる。そして死を超えるということ、即ち純粋に精神になるということは、「神の似姿」になるということに他ならない。――順番に話そう。神の観念は神の似姿である。即ちそれは「私の思惟に依拠する何か虚構的なものではなくて、真実で不変なる本性の似姿(imago)である」。また神の観念は生得観念の中の生得観念である。即ちそれは「私に生具的な真なる観念の第一にして主要なものである」(第五省察)。神の観念は「神が私を創造するにあたって私に植え込んだ」ものなのである。「神が私を創造するにあたって神の観念を、恰もそれが自己の作品に刻印された製作者のしるし(nota)ででもあるかのように、私に植え込んだということは驚くに当たらない」。しかも「このしるしが作品そのものと別の或るものであるという必要もない」(第三省察)。――神の観念は神の似姿であり、私はその神の観念と別のものではない。つまり私は神の似姿なのである。私は懐疑によって神の観念=神の似姿になる。そしてこれは信仰が固まるということである。第三節で見たように、神の観念は実は神への信なのである。

 

7.心身の区別と合一

 

一方、魂はそれだけで自足する。しか他方、魂は肉体に宿らなければならない。第二節で我々はそのように述べたが、魂はそれだけで自足するということは心身の区別を意味し、魂は肉体に宿らなければならないということは心身の合一を意味する。例えば『方法序説』第五部の最終段落では、心身の合一と区別とが並べて語られている。――理性的魂がただ手足を動かすだけではなくて(痛みなどの)感覚や(食欲などの)欲求を持つことができるためには、つまり理性的魂が「真の人間」を構成するためには、理性的魂は水夫が船に乗り込んでいるように身体に宿っているだけでは十分ではない。それは身体と緊密に合一しているのでなければならない。このように心身の合一を述べた後、デカルトは続けて、我々の魂と動物の魂とは異なっていること、我々の魂は本性上身体から完全に独立しており、従って身体と共に死すべきものではないことを述べるのである。こうした心身の合一と区別という二面性(矛盾)はデカルトの哲学の本質的な特徴であるが、是非とも指摘したいことは、この解きがたい矛盾はデカルトの哲学が理論的なものではなくて実践的なものであることと深く関係しているということである。

心身の区別および合一について改めて言うと、これは心身が二つであり一つであるということであり完全に矛盾である(エリザベト宛、1643年6月28日を参照)。また心身が一つであるということ自体、二つのものが一つのものであるという矛盾であり、合理的理解を超えたことである。そして、心身の区別が魂の不死性を意味するのに対して、心身の合一は魂が死すべきものであることを意味する [27]デカルトは魂の死ということは言っていないが、魂と身体との関係はデカルト自身が言うように水夫と船との関係のようなものではなく、感覚や欲求が証しするように魂は身体と緊密に合一しているのであれば、そのように言わざるを得ない。船が故障した場合水夫はその故障を認識するだけであるが、自分の身体が故障した場合には我々は魂は痛みを感じる。このように心身が合一しているのであれば、魂は身体と共に死ぬのでなければならない。魂は本性上は不死であるとしても、(デカルトの言うところの)「真の人間」は死ぬのでなければならない。従って、我々の魂は不死であり、かつ死すべきものであるということになる。

そして、こうした矛盾はデカルトの哲学が実践的なものであり実践そのものであることと深く関係している。デカルトは第一省察ではじめた懐疑を第二省察においても継続し、ついには「私は存在する」という真理に、そして「私は思惟するものである」という真理に到達するのであるが、しかしこうして真理に辿り着いたにも拘らず、自分の精神は「真理の境域」の内に留まることに未だ耐えられないことを告白する。私自身(即ち精神)よりも物体の方が、即ち真なるものよりも疑わしいものの方が、より判明に把握されるというのは「まことに驚くべきことである」が、しかし相変わらずそう思えて仕方がない、そう思わざるを得ない。そのように告白してデカルトは新規蒔き直しを図る。つまり、さまようことを好む自分の精神にもう一度手綱を緩めること、真理の境域からみずからを解放することを許すのである。こうして開始されるのが第二省察後半におけるいわゆる蜜蝋の分析であるが、注目したいのは、デカルトは自分の精神に(懐疑をはじめる以前と同様に)手綱を緩めることを許すということ、即ち心身の区別の境地から再度心身の合一の境地に戻るということ、そしてそうすることによって改めて懐疑を遂行するということである。懐疑というのは実践であり、習慣になるまで繰り返し行わなければならない修行である。そしてそれ故に、デカルトは心身の合一と心身の区別との間で往復しなければならない。つまり心身の合一と区別との矛盾(魂は死すべきものであり、かつ不死であるという矛盾)は、或る意味で、懐疑が実践であることに起因しているのである。

デカルトは蜜蝋の分析の結論として、「私はこの蜜蝋が何であるかを、想像するのではなくて独り精神によってのみ知覚するのである」と述べるのであるが、「独り精神によってのみ知覚する」と述べた後、次のように言う。「しかし精神によってしか知覚されないこの蜜蝋とは如何なるものなのか。勿論それは私が見たり触れたり想像したりするのと同じ(eadem)蜜蝋であり、つまりは最初から私が蜜蝋であると思っていたのと同じ蜜蝋である」と。これはどういうことであろうか。蜜蝋は感覚されるのでも想像されるのでもなくて、独り精神によってのみ認識されるのだと、たった今述べたばかりではないのか。それなのにどうして、蜜蝋は見たり触れたりされるもの、あるいは想像されるものであるとされるのであろうか。どうして振り出しに戻ってしまうのであろうか。しかもデカルトは続いて、「しかしこの蜜蝋の知覚は視覚や触覚や想像によるのではない」こと、また「たとえ以前にはそのように思われていたとしても、そうであったことは決してない」こと、このことに注目しなければならないと改めて念を押すのである。このようにデカルトは精神の眼と肉体の眼との間で、即ち心身の区別と合一との間で往復するのであるが、ここで特に指摘したいのは、今しがた引いた文にある「同じ(eadem)蜜蝋」という言い方は、心身の区別と心身の合一とは同等の身分と権利を有することを意味するということである。形而上学省察が実践ではなくて単なる理論であれば、このようなことはあり得ない。単なる理論(思弁)においては、心身の区別という真理によって心身の合一という非真理は超克され、矛盾は解消されるからである。

 

8.死すべき私と不死の私

 

心身の合一はもしそれがデカルトの言うようなものであるならば、魂が死ぬことを意味するのでなければならない。デカルトは魂が死ぬことについては語っていないが、心身合一体としての私は身体が滅びるならば身体と共に滅びるのでなければならない。しかし他方、「私は思惟するものである」と言われる場合の私、即ち神の似姿としての私、その私は不死である。要するに、私は死に、かつ死なないのである。つまり不死の私というものがあって、それが身体に宿ったり身体から離れたりするというのではない。もし私というものはただ単に不死であり、そのただ単に不死である私が身体に宿ったり身体から離れたりするのであれば、死は存在しないに等しいことになる。しかし死は存在しなければならない。死は存在しなければならないということは、死に意味があるのでなければならないということであり、私がこの世で生きそして死ぬことに意味があるのでなければならないということである。この世で生きて死ぬということが意味を持たないのであれば、来世と言われるものも意味を失うのではないであろうか。喩えて言うと、イエス・キリストの十字架上の死が単なるその肉体の死であるとしたら、復活ということは意味を失うのではないであろうか。十字架上で死んだのは肉体としてのイエス・キリストだけではない。あるいは人間してのイエス・キリストだけではない。イエス・キリストそのものがまるごと十字架上で死んだのである(「神の死」)。だからこそ贖罪があり復活があり終末があるのではないであろうか。神学上の議論がどうであれ、そのように考えざるを得ない。

話を戻すと、あくまでも、私は死すべきものであると同時に不死のものである。言い換えれば、精神の眼で見られる蜜蝋が肉体の眼で見られる蜜蝋と「同じ蜜蝋」であるのと同様に、不死の私は死すべき私と「同じ私」である。このことについて少し考察を試みてみよう。パスカルは『パンセ』の「考える葦」の断章の中で、「人間は自分が死ぬことを知っている」と語っているわけであるが、デカルトの言う思惟するものとしての私も自分が死ぬことを知っている私であると言うことができる。即ちそれはいわば超越論的な私である。思惟するものとしての私は、身体から完全に区別される純粋精神として死を超えているだけではなくて、自分の死を知っているものとしても、即ち超越論的なものとしても、死を超えている。しかし死を超えている、不死であるとはどのようなことなのであろうか。不死ということは文字上は死なないということであるが、しかし神の似姿として不死であるということは、単に死なないというだけの消極的なことではなくて、永遠に生きるという積極的なことでなければならないのではないであろうか。然り。しかしジャンケレヴィッチの言葉をここで想い起こさなければならない。造花とか岩山といったものは確かに不死である。しかしそれらが不死であるのは、それらが生きていないからである。生きるものというのは死ぬものである。死なないものは生きない。従って、永遠に生きるものというのは死ぬものである。こうして永遠に生きるもの(不死のもの)は死ぬものへと転化する。

ところで、自分が死ぬことを本当に知っていると言えるためには、そのことを信じていると言えなければならないと先に述べた(第六節)。しかし自分の死を信じる者は死ぬのではないであろうか。自分の死を知る超越論的な私は死なない。しかしそれは自分の死を信じることにおいて、死ぬ私へと転化するのではないであろうか。しかしこれも既に述べたことであるが、私は自分の死を信じることにおいて、即ち自分の死を真に自覚することにおいて、神への信に与ることができる(第五節)。つまり永遠の生に与ることができるのである。このように永遠に生きるものは死ぬものへと転化し、そして死ぬものは永遠に生きるものへと転化する。私は死ぬ私と永遠に生きる私との間で往復するという言い方もできれば、死ぬ私は永遠に生きる私へと転化し後者は前者へと転化するという言い方もできるのである。

死ぬ私と永遠に生きる私との相互転化という考えは、実は西田幾多郎の思索にヒントを得たものである。西田は遺稿となった論文の中でこう書いている。「自己の永遠の死を知るものは、永遠の死を越えたものでなければならない、永遠に生きるものでなければならない。しかも単に死を越えたものは、生きたものでもない。生きるものは、死するものでなければならない。それは実に矛盾である。しかしそこに我々の自己の存在があるのである」と [28]。永遠に生きるものは死するものであるというのは、西田哲学の用語で言うと、絶対者の自己否定ということである。我々の自己は絶対者の自己否定として成立するのである。他方、自己の永遠の死を知るものは自己の永遠の死を越えたものであり、永遠に生きるものであるというのは、我々の自己の自己否定が絶対者であるということである。まとめると、我々の自己は自己を越えたものにおいて自己を有(も)つのであり、つまり自己否定において自己自身を肯定するのである。こうして我々の自己と絶対者――死すべきものと永遠に生きるもの――は、それぞれの自己否定において同一化する。西田によれば、我々の自己の自己否定と絶対者の自己否定という相矛盾する二つの方向の自己同一性が自覚ということである。

永遠の生と死との相互転化という着想を我々は自覚に関する西田の思索から得た。ただ、我々は絶対矛盾的自己同一の論理に与することはできない。不死の私は死すべき私と「同じ私」であるということは、不死の私と死すべき私とが――相互に転化し合うことではあっても――相互否定的に一元化することを意味しない。二つの私はА即В、B即Aというように一元化されるのではない。二つの私の間に一元化の可能性はない。二つの私の間にはあくまでも断絶がある。そうであるからこそ、懐疑という死の“修練”が成り立つのである。

死すべき私と不死の私、心身の合一と心身の区別について、別の角度から考えてみよう。懐疑は精神を身体から引き離し、この世への執着を断つことである。しかしそれはこの世の生を妨げることではない。むしろ死の修練によってこそ、この世の生をよく生きることが可能になるのである。即ち心身の区別によってこそ、よき心身合一の生が可能になるのである。但しあくまでも「可能になる」のであって、前者は即後者であるというわけではない。死の修練がもたらす精神の純粋性は、心身合一体としての人間において具体的に実現され表現されなければならない。それは例えば「この世を確信をもって歩む」(『方法序説』第一部)こととして具現されなければならない。但しあくまでもそう「されなければならない」のであって、前者は即後者であるというわけではない。「死ぬ者は永遠の命に至る」。私は死ぬことによって永遠の命に至る。しかしどのように死ぬかが問題であって、死ねば必ず永遠の命に至るというわけではない。つまり死すべき私と不死の私との間には或る断絶があるのである。

 

結 び

 

デカルトの哲学は数学をモデルにしているといった類いの、恐ろしく表面的でまことしやかな哲学史的解説を投げ捨て、生(魂)そしてその核を成す信仰心にまで降りて行かなければデカルトの“哲学”は本当には分からないのではないか。これが我々が長い間抱き続けてきた思いである。

何とも不可解なのは、デカルトの懐疑について論じる者がデカルトの懐疑に関する哲学史のストーリーを鵜呑みにしていること、即ち制度化された知をまったく疑わないことである。忘れてはならないのは、デカルトは学校を去り書物の学問を捨てることによって哲学者になったということである。哲学が制度化することは或る意味で止むを得ないことではあるが、しかし我々は制度の中に安住し埋没してはならない。制度を内側から打ち破るのでなければならない。「哲学をばかにすることこそ真に哲学することである」というパスカルの言葉を、絶えず自分なりに咀嚼し味わわなければならないのである。

何とも不可解なのは、もう一つ、これは前段で指摘したことと結局同じことになるかもしれないが、デカルトの懐疑について論じる者が自分自身に対してデカルト的懐疑を遂行しないことである。デカルト的懐疑について考えつつも、ドクサにまみれた自分自身のことをまったく疑わない。そのような者はデカルト的懐疑を生きていないのである。そのような者にあっては、懐疑は己れ自身の生から切り離されている。哲学は自己自身の存在から分断されている。ところで、この分断は哲学の研究が自然の研究(自然科学)と同様に技術化・専門化することを意味する。そして哲学研究が技術化・専門化することは、哲学それ自身が技術的・専門的なものに変貌させられてしまうことを意味する。そうなってしまうと、デカルトの哲学は或る信仰心によって根拠づけられたものであるというような主張は笑いの種にしかならない。

我々は哲学とは何かという根本的な問いを回避してはならない。哲学とは何かと問うことは、何よりもまず、制度化した哲学を拒否することであり、哲学とは何かという制度化した問いを拒否することである。このような拒否によって、デカルトの哲学は生との絆を取り戻す。それは生に根差したものになる。それは生と一体化したものとなる。哲学が創造的であるのは、それが生と一体化している場合なのである。

 

(2015.02.26)

 

[1] 『哲学原理』第一部25節の小見出しは、「神によって啓示されたことはすべて、たとえ我々の能力を超えていても信じるべきである」となっているが、この節を見ると、「信仰の真理(les vérités de la foi)」とは「受肉」や「三位一体」の秘儀などのことであることが分かる。

[2] カントの極めて有名な、「私は信仰(Glauben)に場所をあけるために知識(Wissen)を取り除かねばならなかった」という文句は、信じることと知ることとの分断を意味する言葉の一例と見ることができる。ただ、カントの哲学が実際に知と信とを分断するものであるかどうかは別問題である。

[3] 信仰の真理ということは乳母の宗教であるカトリックのことを念頭にして言われているのであるが、デカルトは制度化されたキリスト教の枠を超えて神を信じたと我々は見る。この点でデカルトキリスト教のアポロジーを企てたパスカルとは異なる。また、言うまでもないが、デカルトパスカルと違って宗教者であるわけではない。

[4] スピノザの『エティカ』は宗教的雰囲気を持つが、そこに哲学的信仰を見出すことはできないであろう。アルキエスピノザにおける「哲学と宗教」について論じる中で次のように語っている。――『神学・政治論』ではキリストへの言及がしばしば見られ、例えば「キリストは人間の救済に関する神意の啓示を、言葉や影像を媒介にしてではなくて直接的に得た」といったようなことが言われている。このような件りを読むと当然、キリストが所有していた認識と第三種の認識に至った知者の認識とを接近させたい気持ちにさせられるが、しかし『エティカ』は知者の超人間的性格を認めないし、キリストに準拠することもない。『エティカ』という体系はあくまでも自律的で自足的である。それは宗教的ではなくて純粋に理性的である。しかしそれは、宗教が人間に約束することすべてを人間に与えようとする。(Ferdinand Alquié, Le rationalisme de Spinoza)――念のため蛇足を加えると、『エティカ』は宗教が人間に約束することすべてを人間に与えようとするものであるとしても、即ち『エティカ』には宗教に取って代わろうとする野心が含まれているとしても、そのことは『エティカ』が合理を超えた信仰を含むことを意味しない。スピノザは、「自由な人間が最も考えないのが死のことである。彼の知恵は死の省察(meditatio mortis)ではなくて生の省察(meditatio vitae)である」(『エティカ』第四部定理67)とするが、自分の死を意識しない者(あるいは死を恐れるべきもの、悲しむべきものとしてしか見ない者)には信仰はあり得ないのである。

[5] リヴィング(暮らし)は基本的に快適さという価値を原理とするものであるが、ライフ(人生)は死を含むものであり、そこでは真善美という価値が求められる。人が生きて死ぬこと、これは絶対的なことであり、これを絶対的なことと看做すことは、真善美を希求し神を希求することと一つのことなのである。

[6] “attingi”は「触れられる」と訳すこともできる。 

[7] この場合の本気・真面目は、例えばヨハン・ホイジンガが『ホモ・ルーデンス』において論じているような、聖なる真面目さである。くそ真面目ではない。

[8] “demonstrare”と“probare”は訳し分けずにいずれも「証明する」と訳す。

[9] 「自然的理性」という言葉が使われるのは、言うまでもなく哲学と神学との間に区別を立てるためである。

[10] 話が少しずれるが、明証(例えば2+3=5)はそれ自体として確信(確実性)であるのではない。明証が確信(確実性)になるためには、我々が明証に同意しなければならない。つまり信じなければならない。明証は信によって裏打ちされなければならないのである。信によって裏打ちされている限りにおいて、明証は懐疑を終了させ確信(確実性)になる。ここで分かるように、デカルトの懐疑は認識の問題ではない(恰も認識の問題であるかのようにデカルトは論じているが)。もし認識の問題であるならば、懐疑は永久に終わらないであろう。疑う理由が決定的に消滅することはあり得ないからである。疑いを終了させるのは明証ではなくて信である。信じるから疑う理由はなくなるのである。懐疑と対を成すのは認識ではなくて信であるということ、このことはいくら強調してもし過ぎることはない。というのも、デカルト形而上学省察を認識の順序に従って書いているために、そのことは見抜きにくいからである。

[11] Emmanuel Levinas, Ethique et Infini, Dialogues avec Philippe Nemo

[12] idem

[13] Gilbert Keith Chesterton, Orthodoxy

[14] Jean-François Revel, Descartes inutile et incertain ルヴェルのことは、拙稿「幸福への意志――デカルトの哲学――」(『人文学報』第444号、2011年)においても言及した。

[15] デカルトの循環については以下の拙稿を参照。「デカルト/循環の相の下に」(『人文学報』第399号、2008年)、「デカルト/考える生(1)」(『人文学報』第414号、2009年)、「哲学の倫理性」(『人文学報』第459号、2012年)、「デカルト/生の循環性」(『哲学誌』55号、2013年)。

[16] 『情念論』153節

[17] “semel in vita”という言い方は、『省察』の冒頭に呼応する『哲学原理』第一部1節や、また『精神指導の規則』規則VIIIなどにも見られる。1643年6月28日のエリザベト宛書簡でも「一生に一度(une fois en sa vie)形而上学の諸原理をよく理解することは極めて必要である」と語られている。

[18] Vladimir Jankélévitch, La mort

[19] Vladimir Jankélévitch, L’irréversible et la nostagie  なお、路銀(viatique)はカトリックでは(死出の旅立ちのための)臨終の聖体拝領のことである。

[20]省察』の「読者への序言」の末尾でデカルトは、「私が説得されたのと同じ論拠によって他の人々をもまた説得し得るかどうかを験すために、私がそれによって真理の確実で明証的な認識に到達したと思われる諸思惟そのものを、〔第一省察から第六省察までの〕諸省察において開陳することにしよう」と語っている。

[21] 西田幾多郎善の研究

[22] パスカルにおけるこうした論理については、拙稿「パスカル的〈ロゴス〉とイエス・キリスト」(『人文学報』第489号、2014年)を参照。

[23]省察』の「概要」では、「懐疑は我々をあらゆる先入観から解き放ち、そして精神を感覚から引き離すのに最も容易な道を整える」という言い方がされている。

[24] 先に「厳密に言って」と訳した“praecise”は「断乎として」と訳すこともできる副詞であり、懐疑の厳しさを象徴する語である。

[25] 「練習」」と「省察」とが同列に並べられていることに注目したい。省察も一種の練習なのである。

[26] 「読者への序言」でも、「精神を感覚から、と同時にあらゆる先入観から、引き離す」と言われており、恰も精神を感覚から引き離すことと、精神をあらゆる先入観から引き離すこととは区別されているかのように見えるが、しかし精神を感覚から(即ち身体から)引き離すことは、精神を世界から引き離すことであり、つまり精神をあらゆる先入観から引き離すことであるので、精神を感覚から引き離すこととあらゆる先入観から引き離すこととははっきりと区別することはできないと考えられる。従って、それまで自分の信念の中に受け容れてきたあらゆる意見を自分の信念から一度きっぱりと取り除くことを計画した23歳の時以来、デカルトは『省察』における懐疑を行なってきたと見ることは十分可能である。

[27] 魂の死ということを言う場合には、言うまでもなく、死は魂が身体から離れることではない。

[28] 西田幾多郎「場所的論理と宗教的世界観」