💛現在の日本は民主主義国家であるわけであるが、民主主義には必然的な弊害があると考えられる。民主主義は(多数決と平等の原理に立脚する)選挙というものが端的に示すように、勝ちか負けかしかない社会、敵か味方かしかない社会を、どうしても作ってしまうのである。
極めて悪質なデマと誹謗中傷で民意が大きく歪められた2024年11月の兵庫県知事選挙は、真理への愛が完全に欠如した、勝ちか負けしかない社会、敵か味方かしかない社会を見事に具現するものであった。
💛我々に突き付けられている課題は、「民主政の死」を避けること(奥山俊宏氏)というより、むしろ民主政の必然的な弊害を根本的に是正することなのではないであろうか。
この課題は法規制の強化によっては果たされ得ない。社会を構成する個々人の「生き方」そのものが変容しなければならないのである。
💛ところで、ジョン・スチュアート・ミルは民主主義の多数決原理がもたらす危険性を指摘したことで知られているが、「公的討論の真のモラル」に関して次のように語っている。
「自分の相手は本当のところ(really)どのような人間であり、相手の意見は本当のところ(really)どのようなものであるのかを、冷静に見て、そしてそれを正直に述べる人、相手の信用を失墜させることを誇張したりせず、また相手に有利なことや、有利になると考え得ることを隠したりしない人、――そのような人には、その人がどのような意見の持主であろうとも、応分の名誉を与えるべきである。」 『自由論』(1859)
19世紀のイギリスでは、このモラルを守る者、即ち勝ち負けを最優先にするのではない公人は多くいたとのことである。
なお、公的権力(者)に対する一般市民の抗議活動については、もちろん話は別である。
💛以上のような話をしたのは、萩原朔太郎が昭和初期に発表した詩論、『詩の原理』(1928)を読んだからである。本書は次のような言葉で結ばれている。
「僕は常に『真理』を愛し、議論の『勝敗』の如きを意に介しない。
故に諸君の反駁にして僕に優(まさ)れば、いつにても自説を改め、
より正理に適(かな)える諸君の門下に帰するであろう。」
💛萩原朔太郎は決して大見得を切っているわけではない。
著者いわく。本書『詩の原理』の出版に至るまで、10年以上にわたって詩の本質について考え続けたのであるが、それはまさに自分の考えに対する絶えざる疑問と懐疑の連続だったのであり、このたび一応の解決に至ったとはいえ、まだ懐疑がすべて尽くされたわけではない、と。
真理への愛とは、絶えざる自己吟味と自己懐疑なのである。

















