良心と讃歌について――閉じた魂と開いた魂

♦先の投稿で「良心の自由」について書いたが、良心というのは自分の内にありながら、自分を超えているもの、内なる超越であり、私利私欲や党利党略、既成の道徳やイデオロギーなどから独立に、善悪、正不正を実践的に判断するものである。

私にとって良心は神の像 Imago Dei である。私はどの宗教にも身をゆだねることはないという意味で、無宗教であるが、しかし神への信仰は私にとって究極の関心事である。

 

♦先日3日、メンデルスゾーン・コーア等によるメンデルスゾーンの「交響曲第2番《讃歌》」を聴いた。3番、4番、5番は昔から愛聴していたのであるが、この2番は恐らくはじめて聴いた。【1.シンフォニア】では(聴き覚えのある)印象深い基本主題――本曲の中で何度も繰り返される――が奏でられ、【2.合唱】では、Alles, was Odem hat, lobe den Hern!(すべて息あるものは主を頌(ほ)め讃えよ!)と華々しく歌われる、――というように進んでいく。比較的小編成による演奏だったが、そのことを感じさせぬ立派な演奏だった。

(なお、一曲目の「最初のワルプルギスの夜」については、もしできれば稿を改めて取り上げてみたい。)

 

♦神をたたえ讃美する「讃歌」は、軍歌や国歌とは根本的に異なる。

軍歌の場合、「貴様と俺とは同期の桜・・・」といったような歌詞に曲が付けられることで、兵隊の士気を高揚させ国民の愛国心を発揚させる効果を有することになる。国歌についても同じことが言える。「君が代は千代に八千代にさざれ石の・・・」という現代人には分かりにくい古い短歌であっても、曲が付加されることで、愛国心を育成する効果を有するものになるのである。このように音楽の力は絶大である。しかし問題は、士気とか愛国心というのは、ベルクソンの用語を借りると、「閉じた魂」の表れなのである。

 

♦一方、神をたたえる讃歌は、自分の内に自分を無限に超えるもの(神)が存在することを自覚することを助ける、強力な力となり得るものである。讃歌は「開いた魂」の表れであるところの人類愛を育み得るものである。人類愛は愛国心(祖国愛)を拡大したものではまったくないが、例えば日本国憲法の前文をお花畑と揶揄する者は、内なる超越である良心を自覚することで、己れの心の卑しさを恥じるべきである。

 

〈思想の自由〉と〈良心の自由〉

♦高市政権は憲法改正に強い意欲を示しているとのことである。

私は憲法(学)を勉強したことがないので、通説と異なることを言うことになるかもしれないが、例えば19条の条文にしてもいろいろ考えさせるものである。

 

★憲法第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

Article 19. Freedom of thought and conscience shall not be violated.

 

1931年の満州事変以来、権力者たちの狂気じみた戦争への野望は、天皇の命令というお墨付きを得ることで、一切の批判を許さないものであった。

人々から「思想の自由」を奪い、人々の人権を蹂躙するこうした絶対主義への反省が、この19条の背景の一つになっていると考えられる。

 

♦では、戦後の日本人は「思想の自由」を然るべく行使しているのであろうか?

「思想の自由」というのは、どのような思想を持とうが、どのような信念を持とうが、どのような意見を持とうが、恣(ほしいまま)にできる、ということではない。

注目したいのは、条文には「思想及び良心の自由」とあること、つまり思想の自由は良心の自由と組になっていることである。

まずはみずからの良心に目覚めなければならない。そしてみずからの良心が如何なる束縛も受けずに自由であるように、常に修練を積まなければならない。思想の自由は、こうした良心の自由とセットなのである。良心の自由のないところでは、思想は自由ではあり得ない。

 

♦ところで、良心の自由が試されるのは、刻々新たな様相を呈する具体的な〈現実〉との向き合いにおいてに他ならない。

 

因みに、森有正は敗戦後5年経った1950年に、〈現実〉について次のように書いてある。

「かのファシズムが世界を吹きまくった時、いかに多くの人が、虚偽の現実と真の現実とを取り違え、自己と他の多くの人々とを損なったことであろう。我国も決して例外ではなかった。多くの人々は、眼前に迫って来る現実の力に押されて、自ら戦争への道を突進し、あるいはそれに便乗した。ヒトラーの協力者もムソリーニの協力者もそうであった。

現実的であるとは、現実の力に属することではない。現実の中に、抑圧と不合理と不公正とを感得してそれを克服する方向に自己を決意することである。それは最も厳格な自己検討と現実に対する深く鋭い把握力と不屈とを必要とする。そこに人間の最大の責任が置かれなければならない。」

――森有正『自由と責任』

 

(この『自由と責任』は1955年に出版されたものであるが、これは1950年に別の出版社から『思想の自由と人間の責任』というタイトルで出版された書物と同じ内容のものである。)

「堕っこちることは向上なんだ」 (2) ――自分の非を認めない病いは治らないのか?

♦注文してあった小林和樹『兵庫県知事問題 失敗の本質』が届いた。

本書が基本的に問題にしているのは、「情報不信はなぜ生まれたか」という副題が示すように、兵庫県知事問題をめぐる「報道の失敗」、「メディアの敗北」である。(因みに、著者は2024年にNHKを退職した方である。)

 

♦私が気になるのは、本の帯にある「自分の非を認めないこの国の体質」というフレーズである。このフレーズが本書のどの内容に対応するのかはよく分からないのであるが、しかし、告発文書を公正かつ入念に検証した百条委員会と第三者委員会の結論さえ受け容れず、自分の違法行為を頑なに違法と認めない斎藤元彦が、「自分の非を認めないこの国の体質」を見事に裏づける人物であることは間違えないであろう。(本書とは関係ないが、疑惑に対する答弁がまったくの嘘であることが繰り返し暴かれても、自分の非を絶対に認めない高市早苗も同類である。)

 

♦問題は、自分の非を何が何でも認めない狭量で幼稚な人間に、法律やモラルをいくら説いても無駄だということである。ここで、小津映画に出てくる、「品行は治せても、品性は治らないもの。」というセリフが思い出される。確かに、自分の非を頑なに認めない低劣な品性を治すことは到底不可能であるように思われる。法律や道徳による教育は実に虚しいのである。真に内発的な変化が望めないからである。

 

♦そこで私は、有効であり得る治療法の一つとして、坂口安吾のいう堕落の道を挙げたいと思う。安吾にとっては、キリストと親鸞が「究極の堕落者」(七北数人)なのであるが、堕落とは次の如き「悪人正機」なのである。(「蟹の泡」(1946)より、現代仮名遣いに変えるなど原文に若干変更を加えて引用する。)

 

「私は善人は嫌いだ。なぜなら善人は人を許し自分を許し、馴れ合いで世を渡り、ほんとうに自分を見つめるという苦悩も孤独もないからである。

しかし悪人は違う。悪徳の性格の一つに孤独という必然の性格があり、他を頼り得ず、あらゆる物に見捨てられ見放され、自分だけを見つめなければならないという崖があるのだ。

 

『善人尚もて往生を遂ぐ況や悪人をや、』

とはこの崖であり、この崖は神に通じる道である。」

 

♦すべてに見放され自分だけを見つめなければならない、そうした苦悩と孤独において、人は自分を守る鎧である虚栄や虚飾をみずから脱ぎ捨てる。従って、自分の非を認めない病いはおのずから治るであろう。

 

ただ、斎藤や高市のような取り分け弱い人間には、やはり、崖に立って自分を見つめることは無理であろう。

 

「堕っこちることは向上なんだ」 ――戦争は、はるか彼方へと

♦いかさまの手口で強大な権力を強奪し、その後不正を暴かれると虚言に虚言を重ねて追及をかわす、高市首相や斎藤知事には、「堕っこちることは向上なんだ」という愛すべき言葉を是非言って聞かせたい。この逆説的な言葉は「堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。」と喝破した坂口安吾のものではなくて、反戦・反権力の詩人、金子光晴のものである。

 

♦どうして高市や斎藤は何が何でも権力にしがみつくのであろうか。それは権力者には間違いなく多くの者が服従し阿り媚びるからである。つまり、高市や斎藤は孤独になることを極度に恐れる人間――つまり精神面でも知性面でも幼児――なのである。

一方、ひたすら名誉を第一義とする人間も孤独を恐れる人間であろう。死は世の中から絶対的に孤立することである――「人は一人で死ぬであろう」(パスカル)――故に、人は死を怖れるのであるが、名誉というのは死後も或る仕方で世の中に存在し続けること、孤独にならないことを、約束するように思われるからである。

 

因みに、ギリシャでは軍人の一番の理想は皮のころもに入って、死骸になって帰ってくることであった。これが一番ギリシャ人の名誉になったのである。――そういった話を金子はしている。最高の名誉が得られるならば、命を捨てることも躊躇しないのである。これは騙されているのであるが。

 

♦さて、「堕っこちることは向上なんだ」という逆説であるが、「堕っこちる」とは敢えて孤独に浸ることであり、寂しさから逃げずに寂しさに没入することである。そう言ってよいだろう。

従って、人はもし「堕っこちる」ならば、いたずらに 〈権力や名誉〉 を求めたりしない。絶対にしない。

故に、戦争を起こしたり、戦争を肯定したりすることは絶対にしないのである。

これこそが「向上」である。

 

     *

 

(・・・・・)

人の生のつづくかぎり

耳よ。おぬしは聴くべし。

 

洗面器のなかの

音のさびしさを。

 

――金子光晴「洗面器」

 

 

バッハの信仰を音楽に“感じ取る”こと

♦先日、ミューザ川崎シンフォニーホールにて、CVP 第4回演奏会『ロ短調ミサ』を聴いた。CVPは2021年にバッハのロ短調ミサの演奏を目指して活動を開始した団体で、2023年の第1回公演でロ短調ミサを歌ったということである。従って今回は同曲の2度目の演奏であることになる。

そのせいかどうか、難曲にも拘らず演奏者の方々には余裕のようなものが感じられたのであるが、一方、私は音楽の歓びに浸りつつ、同時にバッハの信仰を音楽に“感じ取る”ことを試みていた。

 

♦本曲に関しては、一般に「プロテスタントとカトリック」ということが話題にされるわけであるが、バッハの音楽に肉薄し共鳴するために重要なのは、各宗派をしてまさに宗教たらしめる〈信仰〉を音楽に“感じ取る”ことではないかと私は考えるのである。

 

♦ところで、バッハの音楽にもキリスト教にも非常に造詣が深いというだけではなくて、バッハの音楽とキリスト教信仰を、誠実に(つまり教条主義などに陥ることなく)生き抜いた森有正は、父親が牧師で神学者であったことから、2歳の時にプロテスタントの富士見町教会で受洗した。ところが、小・中学校は父親(36歳没)の意向で暁星というカトリックの学校に入らせられ、暁星にいた11年間にカトリックへの改宗を熱心に勧められた。が、その当時もそれ以後も――1950年以降、森はカトリックの国フランスに居を定めることになった――カトリックになることはなかった。どうしてなのか。理由は一つであると言う。

 

♦「プロテスタントは信仰が主観的だから、そういう主観的なものに自分の霊魂の世界を委託していたら、神様がほんとうにどう思うかわからない。カトリックのように、客観的に神様のおぼし召しと、神様が制定された教会というものに頼って、自分の救いを客観的にまっとうしなければいけない」というのが、カトリック側の論旨であった。

しかし森は考えた。

プロテスタントの信仰は個人の信仰であり主観的であると言うが、「カトリックになるのだって、個人が決心してなるわけ」である。つまり、「感覚的に目に見えているカトリック教会に、自分の一生を託することだって、自分で決心しなければできないこと」である。

 

♦森は更に語る。

「カトリックはりっぱな教会堂が建ったり、もう千年以上の大きな教会があったり、もう二千年近い神学の流れがあったり、一貫した伝統があるというけれども、それに向かって自分を賭けていくということと、聖書の中で語られるキリストに自分を賭けていくということは、どちらが主観的でどちらが客観的かということは言えませんよ。」 

――鼎談 『現代のアレオパゴス 森有正とキリスト教』(1973)

 

♦カトリックに移らなかった理由を森は以上のように述べるわけであるが、そうすることを通して、実は、プロテスタントであれカトリックであれ、それらをしてまさしく宗教たらしめる〈信仰〉の本質を抉り出しているのである。

 

「・・・・・自分で決心する」こと、「・・・・・自分を賭けていく」こと――このこと自体恩寵のはたらきなのであるが――が信仰の本質である。キリスト教徒であろうとなかろうと、あるいはキリスト教の素養があろうとなかろうと、バッハの音楽に肉薄し共感するために重要なのは、件の信仰を音楽に“感じ取る”ことではないであろうか。

 

言葉の〈重さ〉は熱量の問題ではない!

♦政治家の言葉の軽さは随分以前から指摘されていることであるが、衆議院議員の古川元久氏は「言葉には重さがある」という投稿で、衆議院本会議で行われた故安倍元総理に対する野田元総理の追悼演説(2022.10.25)について次のように書いている。

 

・・・・・野田元総理の言葉には心の底からの安倍元総理への惜別の思いが込められ、そのためにその一言、一言がきわめて重く、一言発せられる度に、まるで鉛の球を受け止めるようにドスン、ドスンと私の心に響きました。

言葉はただ正しければいいというものではなく、その言葉に自分が持つ思いと熱量を目一杯込めて発すれば、その言葉は「重い言葉」となって相手に伝わります。・・・・・

 

♦しかし、言葉に自分の思いと熱量を込めることなど、演技でいくらでもできることなのではないか。そして、言葉の重さは、話者がパフォーマンスで増減できるようなものではないのではないか。――そのくらいのことも分からないのであろうか。まあ、大方の国会議員は所詮その程度の人間なのであろう。

 

♦野田氏の演説の中で見どころがあるとすれば、民主主義に言及している点である。しかし、民主主義という言葉は4回出てくるのであるが、「暴力やテロに、民主主義が屈することは、絶対にあってはなりません。」といったような紋切り型の話ばかりである。いくら太い声で重々しく熱く語ろうとも、野田氏は「かんな屑のようにぺらぺら燃える」者にしか私には見えない。森有正の言う「経験」、即ち「現実との最も深い触れ合い」が、野田氏には欠如しているのである。現実との深い触れ合いがなければ、言葉は宙を舞う美辞麗句になってしまう。

 

♦ところで、古川氏はかのリンカーンの演説を読んだことがあるのであろうか。野田元総理の追悼演説を、戦没者を追悼するゲティスバーグ演説(1863.11.19)と比較してみてほしい。そうすれば、言葉の重さは「熱量」の問題などでは決してないということがはっきり分かるであろう。『リンカーン演説集』の解説によると、ゲティスバーグ演説は「沈痛な低声の」演説であったとのことである。つまり、決して熱量によって人に訴えるものではなかった。しかし、にも拘らず、リンカーンの言葉には重みがあるのである。それはどうしてなのか。

 

♦演説を読んでまず感じるのは、戦没者への畏敬の念などに見られる謙虚さである。元総理のように「私」を押し出すことは決してしないのである。そしてこの謙虚さこそは、現実との深い触れ合いを可能にしていると考えられるのである。奴隷制をめぐる内乱の只中に身を晒して戦っている大統領には、次々と障害が立ちはだかる。しかし彼は不屈の精神により、絶えず障害とぶつかり、それに抵抗し、それを克服していく。そうした苦渋に充ちた「経験」から言葉が出てくるのである。だからこそ、言葉は何とも言えない重みを持つのである。言葉が先立つのではない。

 

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ゲティスパーク演説の一部を、American Center Japanより引用する。

・・・・・・・・・・・

ここで戦った人々が気高くもここまで勇敢に推し進めてきた未完の事業にここでささげるべきは、むしろ生きているわれわれなのである。

われわれの目の前に残された偉大な事業にここで身をささげるべきは、むしろわれわれ自身なのである。

―それは、名誉ある戦死者たちが、最後の全力を尽くして身命をささげた偉大な大義に対して、彼らの後を受け継いで、われわれが一層の献身を決意することであり、

これらの戦死者の死を決して無駄にしないために、この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、★人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、われわれがここで固く決意することである。

 

聖ペテロの否認をめぐって: キリストへの忠誠は〈真空〉への忠誠である(ヴェイユ)

♦すみだトリフォニーホールにて、バッハの「マタイ受難曲」を聴いた。

冒頭、8分の12拍子の前奏をオーケストラが美しく奏でた後、合唱が突如現れるのであるが、私は合唱の生の迫力にすっかり圧倒された。CDなどで聴くのとはまったく違う。合唱の各パートが割とはっきり聴き分けられたのも生演奏ならではのことであろう。

また、私の場合はおのずからヴァイオリンに関心が向かうのであるが、2人のコンサートマスターによるソロ演奏(ピリオド楽器)はどちらも素晴らしかった。

 

マタイ受難曲の録音は現在に至るまで数多く行われてきたと思うが、このたび長時間の生演奏を全曲聴き通すことができたことは幸いだった。

 

♦ここでは取り分け有名な第39曲 《Erbarme dich, mein Gott》 に因んで、聖ペテロの否認に関して改めて少し考えてみたい。

 

シモーヌ・ヴェイユは聖ペテロの否認に言及しつつ、「人は強者のためには死ぬが、弱者のためには死なない」と言う。

確かにペテロは、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」(マタイ福音書)と忠誠を誓ったのにも拘わらず、キリストが捕縛され裁判にかけられると、自分はキリストのことを知らないと否認し、見事に裏切るのである。人は弱者のためには死なないのである。

 

♦が、強者のためには死ぬ。死に至るまでナポレオンに忠実であること、忠誠を貫くことは、キリストに忠実であることよりもはるかに容易であるとヴェイユは言う。

英雄ナポレオンは強者の中の強者であり、セントヘレナ島に流刑になっても、彼が力の威光を保っている限り、人は彼のために死ぬのである。(因みに、わが国では戦前は、天皇のために命を捧げること、お国のために死ぬことが、軍人にとってこの上ない名誉であるとされた。「忠君愛国」という言葉を耳にタコができるほど毎日毎日聞かされる時代があったのである。)

 

♦さて、ヴェイユによれば、「キリストに向かって、私はあなたへの忠誠を貫きますと言うことは、既にしてキリストを否認することである」。どうしてか。――

キリストへの忠誠は〈真空〉への忠誠である。従って、その源泉は「自分」ではなくて「恩寵」でなければならない。ところが、キリストに向かって、私はあなたへの忠誠を貫きますと言うことは、その忠誠の源泉は自分にあると考えることである。つまり、それは大口を叩くこと――ヴェイユは“vantardise”(法螺話)という言葉を用いている――なのであり、忠誠を口にすること自体が既に否認すること(裏切ること)なのである。

 

♦ところで、ペテロの否認は決して特殊なケースではない。実は、多くの者がペテロのように大口を叩く(法螺を吹く)という過ちを犯しているのである。しかも、――ここが重要な点であるが――ペテロの場合とは違って、自他共にそのことに気づいていないのである。繰り返すと、キリストへの忠誠は、強者への忠誠ではなくて、〈真空〉への忠誠なのであり、聖人にとっても恩寵が必要なのである。

 

♦最後に身近なことに話を移すと、

自分(たち)は弱者の味方であると熱心に〈自己〉宣伝に努める政治家には、一度疑いの目を向ける必要がある。この人は弱者を利用して自分が強者になろうとしているのではないか・・・・・と。

 

一方、恰も恩寵によるかのように、目立った社会活動をしながら自分を消すことを心得ている、そのような人も存在する。そのことを言っておかなければならない。

 

平和への道のり――「言葉から出発するな」 (4) 

先月末、アメリカとイスラエルはイランに対する軍事作戦を開始した。あれだけ膨大な数の犠牲者を出した第二次世界大戦が終結したあとも、きな臭い国際情勢が連綿と続いているわけであるが、我が国は今や過去の反省を踏まえて、国としての生き方を根本的に改めるべきなのではないか・・・・・

ここでは、一つの哲学的知見を取り上げてみたい。

           *

♦70年安保闘争と大学紛争が終息し、日中国交正常化が間近になっていた頃、森有正は次のように書いている。

「あるフランスの知人が日本人の最大の欠点として「限度を知らないこと」をあげていた。限度を知らない、とは、力関係において自己を抑え、規律することを知らない、ということである。」

 

♦そして戦前の例も挙げてこう続ける。

「世界第三位の大海軍国、敗戦を知らない国、国民総所得自由世界第二位、等々、みな同じ発想であり、自己を外面的に他国と比べて一喜一憂している。凡て同じ発想であり、本当の標準が自分の中にないことを示している。中国に関する限り、こういう考えは止めて、自己を規律しうる国とならなければならぬ。」

 

♦平和の本当の意味は、まさにこうした自己規律に存するのである。

「つまらぬことで運動会の真似をするのを止めて、自分の問題にかえらなければならない。世界は自己規律の競争である。政治の軍事に対する優越ということの[、]それは本当の意味である。また平和の本当の意味がそこにある。ただ形式的に軍備を廃棄することだけが平和なのではない。植民地解放に始まる第二次大戦後の時代の新しい意味がそこにある。その点から言っても、安保は時代錯誤である。日本が自分の主人になり、自分で自分を規律することを学ぶこと、それ以外に平和もなければ、日中の正しい国交もない。」

――「大陸の影の下で」(1971)

 

♦一方、大学紛争の際にも、森有正は紛争を収めることができない東京大学を激しく批判しつつ、「知性の最高の職能は自己規律であり、自己批判である」(「一九六八年の夏の反省」)と喝破しているのである。

因みに、「自己規律」は、森が長年にわたるデカルト研究を通じて自分のものにした問題の一つであると私は見ている。

 

[参考]今は詳しく語ることはできないが、学業を終えたデカルト(1596-1650)は、とびぬけた秀才であったのにも拘わらず、学校を離れ学問を捨ててひとり旅に出た。そしてヨーロッパ各地で様々な経験を積み重ねたのであるが、そうした中、23歳の時、ひとり炉部屋にこもって、自分の生き方に関する規則(格率)をみずから定めた。(『方法序説』第三部を参照)

 

平和への道のり――「言葉から出発するな」 (3) 

♦二日前、九段教会にて、声楽アンサンブル・オリエンス第12回演奏会――EROS & THANATOS シュッツと初期ドイツ・バロックをめぐる<生と死>――を聴いた。少人数による演奏であったが、鍛えられたハーモニーの美しさが見事だった。

そして何よりも、折しも選挙戦の喧騒の中、その喧騒を中断させる敬虔で静謐なる音楽と言葉に生まで接することができたことは幸運であった。

 

♦外界における街宣には喧騒しかない。喧騒しかないというのは、マイクの音量が大きいということではない。言葉が沈黙との結びつきを失っているということである。(本来の沈黙は、ビカートも言うように、〈言葉の源泉〉である。言葉の欠如という消極的な沈黙ではない。)

 

では、どうして言葉は喧騒となり、沈黙との結びつきを失ってしまうのであろうか。

その原因は、品性に欠けることでは決して人後に落ちることのない首相を筆頭として、票を得るために有権者の心を惹き有権者を騙すことしか頭にない候補者たちには、反射reflex 運動しかなく、反射とは真逆の内面への沈潜、つまり反省reflexion がないことにある。

 

♦政治的プロパガンダと対照的なのは聖書の言葉である。

聖なる言葉はその聖性によって我々を深い反省へといざなうのである。そして特に音楽化された聖なる言葉は、その概念的意味を完全に脱ぎ去っているゆえに、なおいっそう我々を心の奥底へと向かわせるのである。

 

音楽の力は測り知れない。

満州事変以降の暗い戦争期間も、ペテルス版バッハ・オルガン全集を「最も尊い伴侶」としつつ、パイプオルガンでバッハを弾き続けた森有正は、音楽は「自分の一番深いところに向かって開かれていた一つの窓」であったと、のちに回顧している。(「思索の源泉としての音楽」 1966)

 

♦さて、メルロ=ポンティなども言うように、言葉は沈黙から生まれ出る。言葉は沈黙の裏面である。では、音楽は沈黙とどのような関係にあるのであろうか。ビカートは、「音楽は、夢みながら響きはじめる沈黙なのだ」と表現する。「あたかも、楽の音(ね)は沈黙のうえを流れてゆくようであり、また、沈黙に推しうごかされながらその表面を滑ってゆくかのようである。」(『沈黙の世界』(1948)

 

♦以上、沈黙について触れたのは、言葉から出発するなということを言いたいからである。

沈黙――「聖なる沈黙」(ゲーテ)――との連関を断ち切られた重みのない言葉は、決して平和への道のりを拓くことはできないのである。

 

 

平和への道のり――「言葉から出発するな」 (2)

♦1976年にICUで行なわれた講演において、森有正(1911-1976)は或る風刺漫画を紹介している。

 

「以前、漫画で見たのですが、平和論争が盛んなころ、カフェに貼り札がしてあって、『平和問題だけは論ずることをおやめください』 と書いてあるのです。いちばんけんかしてはいけない問題で、けんかするわけです。」

 

「平和論争が盛んなころ」というのは、戦後まもなく組織された平和問題懇談会などのことを指していると思われるが、憲法9条と安全保障をめぐるけんかは、戦後80年を過ぎた今日においても一向に衰えない。が、それはともかくとして、平和に関する論議がけんかになるのは、森がいうには、平和とは何かとか、戦争の定義は何かといったところから出発するからである。

つまり、言葉から出発するからであり、そしてそうする限り、いつまでも〈観念〉の遊戯が繰り広げられるだけで、平和という〈事柄〉そのものには絶対に行き着かないのである。

 

♦戦後、評論家や文学者の一部に見られた観念遊戯は、虚栄心と甘い気分に過ぎない。自己の内なる経験の成熟と深化に基づかなければ、真に現実的に思考することはできないのである。

 

苦渋に充ちた〈内なる経験〉こそが、平和なら平和を定義するのである。言葉が何とも形容し難い重みを有する「本当の言葉」になるのは、その場合だけなのである。

 

森は例えば次のようにいう。

「自己の中の生活と経験とが発展し、深化されて、おのずから、その経験そのものが平和を・・・定義するようにならなければ」、平和であれ自由であれ何であれ、「すべてが軽薄になり、混濁してくると思うのである。」

(「霧の朝」 1965年11月)

 

♦経験は体験とはまるきり異なるものであることを、森は繰り返し強調しているのであるが、とりあえず、経験というものの一側面を示すために、 上掲の「霧の朝」から一節を引用することにする。

 

「いわゆる体験と異なる本当の経験は正しい理想の上に立つものである。幸いにして、日本には、亡くなられた東大総長 矢内原忠雄氏のようにキリスト教平和主義に立ってあの暗い戦争中、迫害の嵐の中を節操を貫き通した人がいた。またその平和主義の故にあるいは獄窓につながれ、筆を折られ、日常生活の上まで苦渋をなめ通して来た人々が何人かあった。

こういう人々にとって、戦争は悪であり、人間にとっての障害であり、それは抵抗し、克服し、捨て去るべきものである以外の何ものでもなかった。そこにはロマンチスムの片影さえもなかった。

こういう人々の苦闘のあとを継ぐのでなかったら、戦争にまけたおかげで出来上がった法律や平和運動はやがて吹きとんでしまうであろう。それには平和、平和と馬鹿の一つおぼえのように口にするのでなく、こういう人々の信仰、信念、思想、ことにその 〈意志の決定全体の根拠〉 に深く思いをひそめるのでなければならない。」

 

平和への道のり――「言葉から出発するな」 (1)

♦近所の教会で「オルガンで奏でる平和への祈り」

Oratio pro Pace per Sonos Organi

という、青田絹江氏の演奏会があるというので聴きに行った。

会場は満席だった。

プログラム前半のバッハの時と、後半のイタリアやフランスの作曲家の時とでは、演奏者の様子は随分違っていて、後半では本当に楽々と演奏しているようだった。やはりバッハは特別なのか?

なお、アンコールではボエルマンの「聖母への祈り」が演奏された。

 

♦ところで、「オルガンで奏でる平和への祈り」という演奏会のタイトルを見て、私は森有正(1911-1976)のことを想い出した。平和とか人間の尊厳という問題は、

「言葉から出発してはならない」

森有正は説いたのである。

 

このことは非常に重要なことなので、それについては稿を改めて取り上げることとして、とりあえず、7年半ほど前の投稿を以下に貼りつけることにする。

――――――――――

2018年5月24 ·

森有正(1911~76)という人はオルガンでバッハなどを演奏していた哲学者であり、「思索の源泉としての音楽」というレコードもあるが、どうして急にこのような話を始めたのかと言うと、机の引き出しの中を整理していたら、茶色に変色した一片の新聞の切り抜きが出てきたからである。切り抜きは森有正の「パリに住んで:思考を深めた21年間」というコラム記事である。新聞の日付は1971年9月23日となっている。私は森有正の著作は割と最近になってから少し身を入れて読んだのであるが、この半世紀近く昔の切り抜きを改めて読んで驚いたのは、自分の趣向と感受性が基本的に若い時から少しも変わっていないことである。

哲学についてほとんど何も分かっていなかった学部生の時に気に入ったこの記事から、幾つかの言葉を書き抜いてみる。

・ 私にとって重要なことは、このパリ滞在の間に、《私自身》の思索が始まったということである。

・ あのけたたましいジャーナリズムやスノビズムの渦巻きから完全に隔離されて、考え、思索を深めることが出来たのは、私にとって決定的なことであり、私の精神的《かたち》は揺るがしえないほどしっかりと確立されたと思っている。

・ 専門のフランス十七世紀哲学の研究は思ったようには進まなかったが、デカルトパスカルをみる目が全然変化した。そういう古典的大家が分解し始め、自分の経験が思想に転化する過程に吸収され始めて来た。これは私にとって重大なことであった。・・・それは我々の中に見出され勝ちな一辺倒的考え方の逆であり、自分の「経験」を生かす道である。一辺倒的考え方は、他に傾倒するようでありながら、実は他に依存して自分を支えようとする態度であり、また他によって自分を飾ろうとすることでもある。

・ 今日(九月十九日)、ICUの大学の教会で、チェコオルガニスト、パウケルト氏の「フーガの技法」(バッハ)をきいた。私は、人間の「経験」というものは、思想でも、音楽でも、《どこでも》同じ道をたどるものだということを深く感じた。

 

冨原眞弓『ミンネのかけら』(2020)を読んで ――自分にうそをつかない誠実さ

♦本書の帯に「ヴェイユからヤンソンへ」とある。しかし、ヴェイユヤンソンの間の往来については冒頭で軽く言及されているが、本書を読み通してみると分かるように、「ヴェイユからヤンソンへ」というようなことはどこにも語られていないし、問題にもなっていない。因みに、本書の副題の「ムーミン谷へとつづく道」という言葉は168頁に出てくるが、これはヴェイユからヤンソンへの道ということではまったくない。

しかも、帯の文言全体が利いた風な言葉遊びになっている。帯のフレーズというのは本を売るためのキャッチコピーに過ぎないのであろうが、しかしこと本書に関しては、あらゆる意味で不誠実な宣伝文句に違和感を禁じ得ない。どうしてか?

 

シモーヌ・ヴェイユの研究およびトーヴェ・ヤンソンの研究のそれぞれにおいて多大な功績を残した著者の冨原眞弓氏(1954-2025)は、本書に関するインタヴュー(「好書好日」2020.12.10)の中で、

精神の自由を束縛する全体主義(ナチススターリン)に対するレジスタンス、

そして偉そうに人に考えを押しつける集団に対する嫌悪が、

ヴェイユヤンソンという二人の女性の共通点であるとしつつ、若い世代に向けて強調したいのは、「自分にうそをつかない」こと、「格好をつけない」こと、つまり「誠実である」こと――このことはヴェイユヤンソンの件の共通点と無関係のことではない!――であると、そう語っているのである。

 

♦本書は元々『図書』に20回ほどにわたって連載されたものであり、各回で運命的な出逢いともいえる体験が淡々と綴られているのであるが、その興味深い内容はここでは省くことにして、本書の基本テーマは何かといえば、それはミンネ――ヤンソンが用いていたスウェーデン語で記憶のこと――である。即ち、過去の想起(回想)なのであるが、過去の回想において著者が、自分にうそをつかず、格好をつけず、誠実であることは、本書を実際に読むと実感されることである。

 

♦ところで、本書のような個人的な過去の回想における誠実さは、いわゆる知的誠実さとは本質的に異なる。即ち、多方面の学術的検証を要求する客観的な姿勢とは本質的に異なる。しかし、とはいえ、それは主観性に甘んじる誠実さでは決してない。著者はあとがきで、「・・・ つぎからつぎへ、当時のできごとや親しくなった人びとの顔や言葉が思いだされてならない時期があった。」と書いているが、この件りが一つのヒントになる。

 

♦著者が引用しているシモーヌ・ヴェイユの言葉を参照していうと、過去が「絶対的に我々の射程の外部にある」時、即ち「我々のできることはただ単に、過去の放射(émanation)が我々のもとに至るようにみずからをそこに方向づけることだけである」時、要するに過去が一種超自然的な存在である時、過去を回顧する我々は自分にうそをついていないのである。

 

救いとしての受難 (8)――「無に等しい存在」の永遠性

♦10月31日、三鷹市芸術文化センターで行われた第二次シュッツ全作品連続演奏(第2回)に出かけた。《追悼歌》として、シュッツ、ヘルツォーゲンベルク、ガブリエリの作品から10作品が演奏されたのであるが、中でも印象に残ったのは5曲目のヘルツォーゲンベルクのモテットである。半音ずつ下がる音型の不気味さが今でも耳に残っている。

 

♦R.オットーは不気味さを聖なるものの根源的要素としたわけであるが、ヘルツォーゲンベルクのこのモテットはほぼ同時代に作られたフォーレの「レクイエム」と或る意味で対照的である。後者は死後の世界への甘美な憧れが基調となっており、不気味さは希薄なのである。

 

♦帰宅後、淡野弓子氏による曲目解説を改めてゆっくり拝読したのであるが、件のモテット“Ist doch der Mensch gar wie Nichts”(人間はまるで無に等しい)は、〈悩める魂〉と〈光に照らされた魂〉とのダイアローグという大変興味深い形式をとっているのであるが、

「人間はまるで無に等しい存在、その時は影のように過ぎ去って行く。」で始まり、

「主の御旨に身を任せるのだ。主による未来が到来するまで!」で終わる、

というように、未来への希望というキリスト教的な救済の道が厳粛に歌われる。

 

♦因みに、今回の演奏会から話が逸れてしまうが、ヨハン・バッハ(1604–1673)の作とされる“Unser Leben ist ein Schatten”(われらの人生は影なり)というモテットのテキスト(cf.Wikipedia)を見ると、

ヨハネによる福音書から「イエスは言われた。『わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。』」という言葉が引かれ、「あなたが死人の中からよみがえられたので、わたしは墓の中にとどまることはない。あなたの昇天は、わたしの最大の慰めである。死の恐怖は追い払うことができる。」

というように救済の道が粛然と歌われる。

 

♦ところで、私は復活信仰によって死の恐怖を克服する救済の道には、正直いって余り関心がない。私が打算のない純粋な愛を抱くことができるとすれば、それは復活し昇天するキリストではなくて、むしろ十字架上で辱められ殺されてしまった“弱くて脆い”キリストに対してである。

 

♦瑞々しい桜の花はその“脆さ”が痛切に感じられるからこそ、決して枯れることのない造花の桜よりも格段に美しい。このことを立ち止まってじっくりと考えてみよう。

我々の人生は過ぎ去る影のごときものである。人間は無に等しい脆い存在である。――確かに。しかし、この動かせぬ現実を静かに黙って観つづけてみよう。そうするならば、我々はそこに美と共に永遠性を観るのではないであろうか。

 

「星辰の完璧な恒久性と、花咲く果樹の極度の脆さ(fragilité)は、等しく永遠性の感覚を与える。」(S.ヴェイユ

「死によって永久に封印された人の一生は、永遠不滅の神秘的事実である。」(V.ジャンケレヴィッチ)

茨木のり子「恋唄」――帰らぬ人への恋心

💎茨木のり子の『歳月』は、本の裏表紙に次のように紹介にされている。

「最愛の夫が他界したあと書き継いだ、亡夫に贈る愛の詩編

夫婦という極めて私性の強い密室を描いて、女性としての息遣いが濃厚にただよう。」

 

💎詩人は夫が他界したのちの31年間に40篇近い詩を書き溜めていたそうであるが、ここではその中の「恋唄」という詩を取り上げたい。

この詩の末尾に「矛盾の門」とあるが、相手が不帰の人となってしまうと、恋心は一段と熱くなり、従って恋心の二面性と矛盾が顕在化するのである。

 

【第1連】

肉体をうしなって

あなたは一層 あなたになった

純粋の原酒(モルト)になって

一層わたしを酔わしめる

 

【第2連】

恋に肉体は不要なのかもしれない

けれど今 恋いわたるこのなつかしさは

肉体を通してしか

ついに得られなかったもの

 

【第3連】

どれほど多くのひとびとが

潜っていったことでしょう

かかる矛盾の門を

惑乱し 涙し

 

💎第1連は肉体を失い純粋の原酒となって私を酔わせる、ミステリアスな霊的存在であるあなたを語る。恋する私の恋心もまた、理屈では割り切れない不可思議なものであり、私の「酔い」は生理的現象ではなくて、壮麗な鎮魂歌に陶酔する時のような〈法悦〉である。

 

💎第2連では第1連を受けて、「恋に肉体は不要なのかもしれない」とひとたび納得するのであるが、突然その納得を覆して、「けれど今 恋いわたるこのなつかしさは/肉体を通してしか/ついに得られなかったもの」と詠じる。あなたは今や霊的存在ではなくて、五感に感じられる肉的存在として記憶によみがえるのである。

恋心は今や時間を超越する〈法悦〉ではなくて、時間の不可逆性の意識を伴う〈懐古〉である。

 

なお、「恋わたる〔渡る〕」とは恋い慕いつづけるという意味であるが、少女時代に万葉集(特にその恋歌と東歌)を自分で繰り返し読んだ詩人にとっては、「恋わたる」というような言い回しは自然に出てくるのであろう。

 

💎第3連にある「矛盾の門」は、第1連と第2連の矛盾、即ち霊的存在であるあなたと、肉的存在であるあなたの矛盾を指す。

 

恋の二面性と矛盾は恋の本質である。

 

 

救いとしての受難 (7) ――報復のゼロ地点のキリスト

♦1945年4月、ダッハウなどナチス強制収容所が解放されると、囚人たちはナチスの看守たちを残忍な仕方で処刑したそうである。このような合法ではないが一見尤もな報復がある一方で、権力者が自分に関して告発を行なった者を違法な手口で死に至るまで痛め続けるという、逆恨みによる報復がある。が、これらはもちろん報復のほんの一例であり、歪んだ正義感と一体となった報復感情が引き起こした血で血を洗う争いは、人類の歴史において枚挙にいとまがない。

♦社会は隅から隅まで力の原理によって支配されている。従って報復は人類の宿痾であらざるを得ない。しかし、社会とは別の次元に片足を置くならばどうであろうか。報復感情を解毒することは不可能ではないのではないか。

「キリストよ。あなたの無類なつよさも、弱さに徹したあなたの無抵抗のたまもので、・・・」(金子光晴『IL(イル)』1965)

と話しかけられるキリストに触れるならば、仕返し感情を解毒することができるのではないであろうか。

♦ところで、シモーヌ・ヴェイユはその純粋主義ゆえに、(キリストにではなくて)キリスト教に“récompense”(報い)や“revanche”(報復)というものが存在することを問題にする。

キリストがもっぱら〈絶対的に純粋な存在〉であった時には、彼を最も愛していた者たちでさえ、不幸に見舞われたキリストのために危険を冒す力を己れの心の内に見出すことはできなかった。

ところが、キリストは磔刑に処せられたのちに復活したという、また必ず近いうちに栄光の再臨を果たして彼の仲間には報い(récompenser)、他のすべての者を罰する(punir)という、堅固な確信をキリスト教徒たちが獲得すると、如何なる拷問も彼らをたじろがせることはなかった。拷問に立ち向かうには、報復(revanche)という興奮剤が不可欠なのだ。――『根をもつこと』(1949)

♦私にとってのキリストは、そして恐らくヴェイユにとってのキリストも、もっぱら〈絶対的に純粋な存在〉であった時のキリストである。即ち、報復のゼロ地点のキリストであり、力の威光を一切放つことのないキリストである。キリストの力は、「教会の現世的な強大さ(grandeur)」とは異なる、「此岸の力ならぬ力」なのである。