2016-11-01から1ヶ月間の記事一覧

「デカルトの循環」(f)

前回見たように、デカルトは循環論法の疑惑に対して、現在の明証と過去の明証とを区別し、(即ち現に明らかであることと、かつて明らかであったこととを区別し、)現在の明証は保証を必要としないが、過去の明証は保証を必要とした。 つまり、こういうことで…

「デカルトの循環」(e)

最初から話を始めることにしよう。「デカルトの循環」について論じるためには、まずはデカルトの答弁そのものを正確に理解しなければならない。では、循環論法の嫌疑に対してデカルトはどのように答えたのか。『省察』「第四答弁」を見てみよう。 (a)明晰判明…

「デカルトの循環」(d)

「デカルトの循環」と呼ばれる問題は、デカルト研究の歴史において過去最も多く取り上げられた問題の一つであるが、それは簡単に言うと、 神が存在し神が欺瞞者ではない(誠実である)ことは、明証の規則(明晰判明なことはすべて真であるという規則)に従っ…

「デカルトの循環」(c)

デカルトの循環に関する話を先に進める前に、念のため「デカルトと信仰」について確認しておきたい。 以下、2016年9月19日に本ブログに掲載した拙稿から抜粋する。 筆者は前稿「デカルトと死の修練」において、デカルトの哲学は建て前上は神への信仰から独立…

「デカルトの循環」(b)

前の記事で、次のような神と聖書の循環を取り上げた。神が存在することは聖書が教えるところである故に信ずべきことである。では、どうして聖書を信じることができるのか。それは聖書は神から授けられたものであるからである。 ここには明らかに循環がある。…