勅使川原三郎:自分の都合とは別の次元に ――良心の問題へ

❤しばらく前に放映された勅使川原三郎の新作ダンス「ランボー詩集」を録画で観たのであるが、勅使河原氏はこのダンス作品について次のような注目すべきコメントをしている。

――私のダンス作品は、(ランボーの詩という)自分の都合ではない対象物への尊重を基礎としています。

――ランボーの詩に対する私の共感などたわいもないものです。作品を作る力は自分の都合とは別の次元にあるのです。

(シアターテイメントNEWSによる)

❤私は勅使河原氏たちのダンスを堪能しつつ、このコメントについて考え続けた。

普通は詩に対する自分の共感を原動力としてダンス作品を作るのであろうが、氏は牽強付会や我田引水のようなことをせずに、むしろ逆に自分の都合とは別の次元にあるものとしての詩に、ダンス作品を作る力を見出すのである。

❤私は芸術の重要な存在意義を一つ発見したような気がした。芸術は自分の都合とは別の次元に、自分の人生を作る力を見出すことを教えてくれるのである。私が言いたいのは、内なる超越としての“良心”のことである。現代においては良心という言葉は殆ど空語になってしまっている。それは人々が良心について考えないからである。良心という言葉を都合よく用いつつも、良心というものについて思い悩まないからである。良心というのは、それを絶えず探究することを怠らない限りにおいてのみ、その呼び声を聴くことができるものなのである。

❤内省することのない人間は、良心という岩の如く不動の寄る辺を内に持たない故に、常に自分の都合の言いなりになり、世の中の乱れに先んじてその自己は乱れているのである。