三木清はどうして逃亡中の共産党員を匿ったのか?

三木清が敗戦後も豊多摩監獄に収監され続け、そして非業の死を遂げたことについては以前の投稿(2023.3.2)で触れたが、治安維持法に違反した廉で投獄された三木の獄死は治安維持法の廃止のきっかけとなった。

三木清 戦間期時事論集-希望と相克-』(2022)の解説にはこう記されている。

「・・・GHQ三木清の学識を知る者がおり、敗戦後一カ月を経ても獄中に捕らわれたまま亡くなったと知って驚愕し、治安維持法を急遽撤廃せしめたのだった。」

 

♦1945年3月、沖縄戦が始まったころ三木は権力によって検挙され投獄された。仮釈放中に逃亡した共産党員・高倉輝を匿い服や金を与えたからであり、そしてそのことを高倉が後に告白したからである。しかしどうして高倉は、共産党員でないばかりか共産党から激しく批判され排除された三木を訪ねたのか。いくら知人とはいえどうして三木は身の危険を承知の上で高倉を助けたのか。

そうした点については、まずは、多くの人たちの証言が集められた山野晴雄「タカクラ・テルの警視庁脱走と三木清の獄死」(2019年)などを参照しなければならないであろう。

https://www7b.biglobe.ne.jp/~takakuraterukenkyu/takakuratomiki4.pdf

 

♦しかし、ここでは柳広司アンブレイカブル』(2024)という小説において、著者が三木清に語らせている言葉の一部を取り上げてみたい。

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どうして共産党員を助けたのか? そのようなことをすれば逮捕されることは分かっているのに。

三木は内務省参事官(三木の京大での後輩であるという設定になっている)に次のように答える。

「そんなにおかしいことだろうか」

「助けを求めてきた相手に手を差し伸べる――それは共産主義者国家主義者などという範疇の前に、人間として当たり前のことではないだろうか。例えば、高倉氏が単に共産主義者という属性だけの存在ではないように、特高を指揮して共産主義者取り締まりを遂行する君もまた、内務官僚という立場が存在のすべてではないはずだ。人間はアカかクロかで仕分けされるような単純な存在ではない。だからこそ人間には、思想や心情、立場を超えて、互いに手を差し伸べ合うことができるのだ」

 

♦何か素朴なヒューマニズムが語られているように見えるが、三木の命懸けの振る舞いには哲学的な裏づけがある。というより、哲学は(例えば困っている者を助ける)行為そのものなのである。