坂口安吾:文学はつねに政治への反逆であるが、 まさにその反逆によって政治に協力するのである。・・・ (5) 

❤私は学生の時から、政治というものの本質的な限界と狡猾さ・あくどさをひしひしと肌に感じていたが、私のことはともあれ、安吾は27歳の時に、即ち1933年に、文学は政治に対する反逆である、あるいは文学は社会制度に対する革命であると明言している。では、それはどのようなことなのか。

 

❤「新しき文学」(1933)では、恐らく “La Nouvelle Revue Française” におけるイリヤ・エレンブルグの報告を参考にして、当時のソヴィエト(スターリン体制下)の作家のだらしなさを批判しつつ、

「文学は永遠に政治に対する反逆である。個人のために血と肉の人間悲劇を語らなければならない。」

と述べている。

個人のために血と肉の人間悲劇を語ること、それが文学の政治に対する反逆なのである。

 

❤ところで、戦後の「続堕落論」(1946)では、文学は政治への反逆であり、制度への復讐であるとした後、安吾は唐突にこう述べる。

文学は「その反逆と復讐によって政治に協力しているのだ。反逆自体が協力なのだ。愛情なのだ。」

しかし、政治への反逆自体が政治への協力であり愛情であるとはどういうことなのであろうか。反逆は愛情と両立するのであろうか。確かに概念上は反逆と愛情は相反する。しかしこの場合の反逆は愛情と表裏一体なのである。愛情があるから反逆するのである。無関心であれば反逆しない。