♦茨木のり子の『ハングルへの旅』に、70歳でH氏賞を受賞した在日韓国人、崔華國(1915-97)の「荒川」という(日本語とハングルとから成る)詩が紹介されているのであるが、私がこの「荒川」という詩を知ったのは、この詩に曲をつけた在日韓国人二世の歌手、李政美イ・ヂョンミ(1958?-)の胸に染み入る歌声によってである。
♦第1行に、
丈なす葦をかきわけ岸辺におりる
とあるが、李政美は動画の中で、
「綺麗な葦が秋になると風に揺れているんだけど、その音が詩人の耳には、
サララ、サララ、チャララ、チャララ、サワラ、サワラ
そんなふうに聞こえるんですね。」
と解説している。
詩の後半を見ると分かるように、サララは生きなさいという意味、チャララは育ちなさい、サワラは闘いなさいという意味なのであるが、茨城のり子は「ラ音を基調にした響きの美しさは、まるで川のせせらぎのようだ」と述べている。
♦茨木はハングルの音の響きの美しさを捉えていることがこの詩の特徴であるとする一方で、「長い在日期間中、祖国の母や姉を偲んで書いたこの「荒川」という詩は、まだ若かった青年期、1945年以前の苦渋に満ちた時代のものだったろう」と解説している。
1945年以前は朝鮮が日本の統治下にあった時代であるが、在日に特有の苦渋、差別による艱苦は如何ばかりであったか。そのことを考えつつ次の件りを読むと胸がいっぱいになる。
2~7行
西瓜の匂いを含んだたそがれの川風は
姉(ヌナ)の裳(チマ)のようにやさしかった
葛飾の低い空もやさしかった
朽ちた伝馬船に寝っころがって目をとじよ
風が運んでくる
母と姉の囁きに耳をかたむけよう
(言うまでもないが、裳(チマ)は朝鮮の女性用民族服である。)
♦ところで、崔華國はこの「荒川」という詩を「祖国の母や姉を偲んで書いた」と、茨木のり子は述べているわけであるが、 “偲ぶ“という想いは孤独においてしか成り立たないのである。よく、誰それを偲ぶ会というのが行なわれるようであるが、故人と親しかった人たちが集まって思い出話に花を咲かせるというのは本当の意味で“偲ぶ“ということではない、と思う。
孤独になることのできる者こそが、人を偲ぶことのできる者であり、従ってまた孤独を超えることのできる者である。つまり、孤独は深い愛に根差しているのである。
「孤独は最も深い愛に根差している。
そこに孤独の実在性がある。」(三木清)
【李政美の動画「荒川」】
https://www.youtube.com/watch?v=eppJ2JM62EM
「荒川」 崔華國
- 丈なす葦をかきわけ岸辺におりる
- 西瓜の匂いを含んだたそがれの川風は
- 姉(ヌナ)の裳(チマ)のようにやさしかった
- 葛飾の低い空もやさしかった
- 朽ちた伝馬船に寝っころがって目をとじよ
- 風が運んでくる
- 母と姉の囁きに耳をかたむけよう
- サララ 生きるのだ
- サララ 生きるのだ
- チャララ 育つのだ
- チャル チャララ 立派に育つのだ
- サワラ 闘うのだ
- サワサワ がんばれ がんばれ
- チャラ おやすみ
- チャル チャラ 安らかにおやすみ