私は学生時代から、研究書や研究論文の焼き直しのようなことはまったくしなかったが、パリでデカルトと格闘することで、この態度を決定的に固めた。いくら情報的知識を寄せ集めても哲学は決して分からない。みずから事柄そのものに触れつつ思考しなければ哲学は決して分からないのである。
ところで、世の中ではメルロ=ポンティは例えば次のように紹介されている。
(・・・)こうした高等師範学校時代(1926~1930)のメルロ=ポンティの若々しい探索を見ていると、その後の哲学思考の原型があらわれているのがわかる。ベルグソン哲学にフッサール現象学とゲシュタルト心理学がくっつき、そこにマルクス主義が接ぎ木されたのだ。/しかし、この時期のメルロ=ポンティには何かが決定的に欠けていた。それはやがて「知覚」と「身体」と「行動」、あるいはそれらの「関係」というかっこうをもってあらわれる。ぼくの領分に牽強付会すれば、まさに編集的関係である。けれども、その着想はまだ芽生えていなかった。/ただ、そうした着想の苗床になるべき体験がメルロ=ポンティにおこった。それは二つの講義を聞いたことによる体験だ。ひとつは1929年にパリ大学で年老いたエドマンド・フッサールが行った講義、もうひとつはアレクサンドル・コジェーブがパリ高等研究所でほぼ5年にわたって(1933-39)ひらいたヘーゲル『精神現象学』の講義である。これらがメルロ=ポンティの思索の内奥にこびりつき、関係の存在学を花開かせる苗床になった。(・・・)
「松岡正剛の千夜/0123夜
これは伝聞的知識を巧みに組み合わせただけの、つまり言葉を上手に並べただけの、文章であって、誤解でさえない。誤解というのは一生懸命理解しようとしたが正しく理解できなかったということであるが、この筆者はそもそもテキストを読んで理解する努力をまったくしていないのである。恐ろしいことに、アカデミズムにおいてもこうした中身のない紹介や解説が幅をきかせている。
以下、最近読み直す機会があった拙稿をここに載せておくことにする。
記憶の場と真理の場
——メルロ=ポンティの方法的合理主義——
実川 敏夫
実証主義的な歴史学に対する批判は決して新しくはないのであろうが[i]、特に近年は言語論的転回などといった言い方で表される運動によって、実証主義に対する批判は尖鋭化した。文書資料を現実(つまり歴史的事実)の複写と看做し、記録資料に基づいて現実を再構成するという、従来の実証主義的な考え方はもはや通用しない。むしろ、現実の再構成と思われている歴史叙述、それ自身の虚構性や政治性が暴き立てられるのである。真理と称されるものは実はいかがわしいものである。こうして歴史は、事実の再現という要請から自らを解放する。ありのままの真実というものはもはや価値ではない。問題は言説としての言説である。
しかし、こうした真理の放棄の動きには、何か釈然としないものが感じられるのではないか。人は心の奥底ではなおも、ありのままの現実に、つまり「本当はどうだったのか」ということに、歴史的関心を寄せ続けるのではないか。もしそうであるとすれば、それは、言語論的転回による実証主義批判・実在論批判は不徹底なものであるからである。言語は現実をありのままに写すという考え方から、いわゆる現実とは自立的・自己分節的な差異的体系としての言語によって構成された記号的存在でしかないという考え方に移行したとしても、もし主観-客観図式が相変わらず前提されているのであれば、実在論は実際には克服されていないのである[ii]。
ところで、近年の歴史論において眼につく動きとして、もう一つ、歴史に固有の全体化的=客観的なロゴス[iii]に対する批判を挙げることができる[iv]。ヘーゲルに典型的に見られるような合理主義的・目的論的な歴史、取り分けそうした歴史によって必然的に排除され隠蔽され抑圧されるもの、つまり歴史の他者——語り得ぬもの——に、熱い眼差しが向けられるのである[v]。しかし、全体化的=客観的なロゴスに対する批判に関しても、その不徹底性を指摘することができる。ロゴスの横暴に対して如何に異議申し立てをしたとしても、もし全体性=客観性という理念そのものが掘り下げられないのであれば[vi]、合理主義——ロゴス中心主義——は実際には克服されていないのである。
*
歴史論は真理や理性の放棄あるいは解体の場ではなくて、むしろ、新たな真理観、新たなロゴス観へと導く場でなければならないのではないか。即ち、歴史というものは、理性や真理についての根本的(ラディカル)な反省を可能にする特権的なテーマであるのでなければならないのではないか。
確かに、歴史の真実とか正しい歴史という観念は素朴なものである。確かに、進歩史観的な目的論は素朴なものである。しかし、実在論にしても目的論にしても、根の深いものなのである。従って、それらの解体・自滅を企てるだけでは、即ち反抗を企てるだけでは、それらを克服することにはならない。必要なことは、素朴な信仰の根を解明することである。哲学を哲学たらしめるのはrévolteではなくてradicalismeであるということ、それがまさしく、メルロ=ポンティが我々に授ける最も重要な教訓なのである[vii]。
(1)記憶の場
初めに、フランスにおける最新の歴史学研究、『記憶の場(Les lieux de mémoire)[viii]』を瞥見することにしたい。今触れるのは、総監修者ピエール・ノラ(Pierre Nora)の手になる序論、「記憶と歴史の間:場のプロブレマティック(Entre Mémoire et Histoire : La problématique des lieux)」である。この論文は、いわゆる言語論的転回の一例と看做され得るのである[ix]。
かつては、歴史家の仕事は以前のものよりも「いっそう実証的でいっそう包括的でいっそう説明的なメモワール」を確立することであった。つまり、「真のメモワール(une mémoire vraie)」を確立することであった。しかし、ノラはこうした「記憶としての歴史(l'histoire-mémoire)」——即ち「歴史と記憶の一致(adéquation)」——の終焉を告げる。今や歴史は記憶とのその非同一化(désidenti-fication)を果たすのである。かつては、歴史はいわば記憶に奉仕するものであった。ところが、今や記憶と歴史の立場は逆転した。記憶は歴史の対象となった。記憶は歴史によって掴まれた(saisie, happée)のである。問題は今や、再現〔復活〕(résurrection)ではなくて表象であり、反復ではなくて再記憶化(remémoration)である。「歴史叙述(イストリオグラフィ)は不可避的にその認識論的時代に入った」とノラは言う。歴史はその批判主義によって自生的な記憶を失墜させる。問題となるのは今や、直接的記憶ではなくて間接的記憶である。つまり、歴史が取り組むのは今や、真の記憶ではなくて「記憶の場(les lieux de mémoire)[x]」なのである。
さて、記憶の場は或る意味でソシュール流の記号に比せられ得るものである。つまり、それは現実を指示するものではないのである。歴史が過去の復元であった場合は、まさに史実が問題であった。「記憶への歴史学的・科学的なアプローチはすべて、・・・現実的なもの(des realia)、事物そのものを相手にし、その現実性を最大限ありのままに把握すること(saisir la réalité au plus vif)に努めていた」。ところが、記憶の場は記憶とは違って史実とは関わりのないものなのである。「記憶の場は・・・現実の中に指示対象を持たない(les lieux de mémoire n'ont pas de référents dans la réalité)。というより、記憶の場はそれ自身がそれ自身の指示対象なのであり、自己をのみ指示する記号、純粋状態の記号なのである(ils sont à eux-mêmes leur propre référent, signes qui ne renvoient qu'à soi, signes à l'état pur)」。
ただ、史実と縁を切ったとはいっても、歴史は虚構であるというわけでは勿論ない[xi]。ノラが狙っているのは、「記憶と歴史の間」という両義的な[xii]概念によって、史実と虚構の溝を埋めつつ、歴史に何らかの真理性を確保することであると、そう考えられなくはない。しかし、もしそうだとしても、その場合の真理性とは如何なるものなのであろうか。かつての記憶としての歴史にとってとは違って、今や、「我々の過去知覚は、もはや我々に属するものではないことを我々が知っているものの熱烈な横領(appropriation véhémente)である」という言い方が示すように、問題はあくまで現在における過去であって、過去としての過去、つまり過去そのものではない。ポリフォニックな記憶の場によって構成されるものは、過去そのものではない。繰り返すと、記憶の場はそれ自身をしか指示しない記号なのである。とすれば、仮に真理ということを言ったとしても、それは名ばかりの真理でしかないのではないか。
とはいえ、我々はここで何も、実証主義に戻るべきだということを示唆しているわけではない。ここで考えるべきことは、言語論的転回と実証主義とは、実はそれほど互いに隔たったものではないということである。——「痕跡、距離、媒介が存在するや、人はもはや真の記憶の中にはいない」とノラは言う。つまり、逆に言うと、真の記憶とは起源(過去)との間に時間的なずれのないものなのである。従って、「記憶はつねにアクチュエルな現象であり、永遠の現在との生きられる絆である」と言われる。ところが、記憶が歴史によって掴まれてしまうと、そこに距離が存在することになる。「我々の過去との関係は、記憶に期待される関係とは全く異なる。それはもはや回顧的連続性ではなくて、非連続性の露呈(la mise en lumière de la discontinuité)である」と言われる。起源(過去)そのものとの一致(時間的なずれのない一致)、即ち事物そのものとの一致は、真の記憶によって持続するが、真の記憶が断たれると、その一致は断たれるのである。
件の一致を、別のかたちに言い換えてみよう。もしタイムマシーンがあれば、我々は過去の出来事(例えばフランス大革命)が現在であった時に戻ることができる。過去の出来事が「現在」であった時とは、それが「現実」であった時、即ちその出来事がそれ自身と完全に「一致」[xiii]していた時のことであり、要するにそれが「真理」であった時のことである。——これこそは、実証主義によっても、また記号論的転回によっても、暗黙に前提されている真理観・現実観ではないであろうか。しかし、ここで指摘しなければならないことは、この真理観が前提されている限り、即ち主観-客観図式が前提されている限り[xiv]、認識論的困難は回避し得ないのではないかということ[xv]——否、そればかりか、歴史(歴史叙述)というものは意味を失うことになるのではないかということである。
もし歴史の真実を問題にしないのであれば、歴史とは一体何なのであろうか。歴史は過去の真実を問題にするものでなければならないのではないか。しかし、もし過去はそれが現在であった時点において真理であったのだとすると、歴史とは真理の影でしかないことになるのではないか。もし歴史家あるいは哲学者が、過去をその真理へともたらすのではないのだとすると、歴史家や哲学者の存在意味は一体何なのであろうか。時間的な隔たりというものは、真理にとって本質的なものであるのでなければならないのではないか。
(2)真理の場
主客図式を前提しないということは、主客図式の成立を問題にするということであり、つまりは現実=事物の成立を問題にするということである。メルロ=ポンティの「現象への還帰」とは、まさに、忘却されている「事物の生誕地(le berceau des choses)」(PP.71)としての「現象」を想起するという企てである。我々の認識は事物を目指す故に、おのずから事物の生誕地を忘れる。我々の意識は客観を目指す故に、おのずから「客観の起源(l’origine de l’objet)」(PP.86)を忘れる。言ってみれば、ひとたび目的地に到達してしまうと、目的地に到達しつつあった時のことを忘れてしまうようなものである[xvi]。そこで、事物の下に埋葬されてしまっている現象——客観的世界という理念の下に埋葬されてしまっている前客観的経験——を、掘り起こさなければならない[xvii]。
そもそも事物はどのように成立したのか。我々は通常パースペクティヴというものを既に客観化されたかたちで考えているわけであるが、そうした客観化されたパースペクティヴとは違って、前客観的経験においては、パースペクティヴは決して事物を主観的にデフォルメするものではない。それはむしろ逆に、「知覚されるものをして、それ自身のうちに、汲み尽くし得ぬ隠れた豊かさを持たせるもの、つまり知覚されるものをして〈事物〉たらしめるものなのである」(SC.201)。知覚はパースペクティヴ性(制約)を被るのではなくて、それを何らか自覚しているのであり、そしてこの自覚は、実際に認識されているよりも豊かなもの——つまり現実的なもの——と交流しているという確信と一つのものなのである[xviii]。このことは、過去の出来事についても言える[xix]。パースペクティヴは歴史家や哲学者を主観的領域に閉じ込めるのではない。むしろ、歴史家や哲学者は固有のパースペクティヴを持つ(自覚的に持つ)からこそ、フランス革命とかホロコーストといった出来事は、汲み尽くし得ぬ対象、つまりリアルなものであることになるのである[xx]。
さて、現象は「事物の生誕地」であることを先に述べたが、こうしたパースペクティヴによる事物の生成という逆説的な事柄が、まさに、事物の誕生ということであり、言い換えれば「真理の実現」[xxi]ということである。現象野とは、そこにおいて真理が実現される場であるという意味で、「真理の場(le lieu de la vérité)」なのである。そこで今度は、事物の生成・誕生を、真理の実現という観点から改めて考察することにしよう。
他の哲学者について論じることは、フランス革命などの過去の出来事について論じることと同様に、歴史の問題であるわけであるが、例えばフッサールについて論じることは、メルロ=ポンティにとっては「フッサールのアンパンセ(un impensé de Husserl)」を問題にすることであった。というのも、「思考することは、諸々の思考対象を所有することではない」(SG.202)からであり、つまり、思考するとは思考しないことであるからである。ということは、フッサールとかデカルトとかといった哲学者は、我々に思考させる(donner à penser)ものであるということである[xxii]。哲学者のパンセは、「むしろアンパンセ(un impensé)である」故に、「まさにそれ故に」、「他者を飢えさせる」パンセであり、つまり「他者において未来を持つ」(VI.159)パンセである[xxiii]。では、とすれば、デカルトの真理とか、あるいはフランス革命の真理とかといった真理は、いつから存在するのであろうか。
「真理は初めからそこに存在する」。但し、それはあくまで「為し遂げるべき仕事として(comme tâche à accomplir)」である。つまり、「真理は未だそこに存在しない」(SG.161)。真理は未だ存在しない。歴史(歴史叙述)とは、真理の実現という任務を担うものなのである。デカルトのパンセにしろ、あるいはフランス大革命にしろ、それらは「客観的存在」——即ち「絶対的に規定された存在」——ではない故に、それらを“祖述”することは問題にならない[xxiv]。むしろ、例えば、哲学者のテキストを、「そこからは汲み取れない考察」によって解明するというように(PD.53)、我々が率先してパースペクティヴを拓き、問題を立てるのでなければならない(cf.PD.118)。一致(adéquation)は創造によってのみ獲得されるのである(VI.251)[xxv]。
但し、これは一致(真理)は創造されるということではない[xxvi]。為し遂げるべき仕事としてであれ、真理は初めから存在するのである。創造による一致の獲得、即ち真理(過去の真理)の実現とは、過去の捉え直し(reprise)ということであり、そして、この捉え直しは過去による先取り(anticipation)に応じるものである。「真理の場(le lieu de la vérité)」とは、「先取り」と、それと「対称的な捉え直し」のことである(SG.119)[xxvii]。しかし、とすれば、真理の場はそれ自身歴史的なものである。過去を捉え直す、この現在それ自身が、未来の先取りでもある。否、というより、この現在は、未来の先取りであることによってのみ、過去の捉え直しであり得るのであり、即ち、真理の実現は、真理の実現それ自身が将来において捉え直され得るという条件においてのみ可能なのである。存在は絶えず新たなパースペクティヴを要求する。創造的な自己表現が、存在の本質なのである[xxviii]。
(3)方法的合理主義
今日においては、目的論は放棄されるだけではなくて、痛烈な批判の的にもなっている[xxix]。目的論的=全体化的な歴史はそれに適合しないものを隠蔽し排除し抑圧するということが、批判の理由である。しかし翻って、歴史は目的性を欠くならば意味を欠くことになるのではないか、つまり、歴史はニヒリズムに帰着せざるを得ないのではないかと、問うこともできる。果たしてどうなのか。
ところで他方、目的論はそれ自体ニヒリズムであるという見方もある。メルロ=ポンティによれば、目的論——厳密に言えば、或る一定の目的論であるが——は、実はニヒリズムが身を隠すための仮面なのである[xxx]。というのも、予めどこかに目的が定められているということは、未知の未来のために現在が犠牲になる(SG.91)ということであり、つまり、現在が意味を奪われるということであるからである。「歴史が不可避的に行き着くところがもし知られているのであれば、出来事の一つ一つはもはや重要性も意味も持たない」(EP.61)のである。但し、メルロ=ポンティはアンチ目的論者なのではない。
ニヒリズムを秘める目的論とは、改めて言うと、「事物の流れの背後に〈世界精神〉(へーゲル)のようなものを想定することによって、歴史的偶然性を予め取り除く独断的合理主義」(PD.46-7)、独断的目的論であるが[xxxi]、現象への還帰という企ては、そうした独断的合理主義を相対化する。つまり、それは「我々の問いと驚きの場(le lieu de nos interrogations et de nos étonnements)」(SG.88)としての歴史を根源的な歴史として開示するのであるが、重要なことは、この問いと驚きの場は、或る種の目的論的な場、いわば目的実現の場でもあるということである。
ここで、前節で論じた真理の実現ということを想い起してみよう。件の真理の実現は実は目的の実現であると言える。というのも、それは過去によって先取りされていたことの捉え直しであるからである[xxxii]。「我々の現在は我々の過去の約束を守る」(SG.119)。しかも、目的の実現といっても、それは予め定められていた目的の実現ではない[xxxiii]。目的の実現とは、経験が哲学によって真理となる(devenir vérité)という生成であり(cf.SG.120)、非反省的なものが反省によってその真理へと変わるという変化である(cf.SG.193)。つまり、先行的真理の反映ではなくて、真理の実現なのであるが、この場合、目的は予め定められているのではなくて、むしろ、目的は実現されて初めて定められるのである[xxxiv]。世界に先在するロゴスは存在しない。「先在するロゴスはただ一つ、世界そのものなのである」(PP.xv)。歴史とは、「予定された道のりを歩む思考」ではない。歴史とは、「己れの道のりを自ら作る思考、前進することによって己れ自身を見出す思考、道を作ることによって道が作られ得ることを証明する思考」(VI.123)なのである。
ここで分かるように、目的の実現、合理性の成立は偶然である。つまり、合理性とは偶然性なのである。メルロ=ポンティの立場は非合理主義ではない。そうではなくて、合理性と偶然性とを同一のものたらしめる「方法的合理主義(rationalisme méthodique)」(PD.46)なのである[xxxv]。この方法的合理主義、方法的目的論[xxxvi]においては、合理性と偶然性とは同一である故に、偶然性は合理性によって乗り越えられてしまうことはない。非理性は理性によって乗り越えられてしまうことはない[xxxvii]。そして、偶然性、非理性は乗り越えられないということは、過去は現在によって乗り越えられないということである[xxxviii]。一度あったことはなかったことにはならないという問題について、メルロ=ポンティは様々なかたちで繰り返し論じている。過去は現在の犠牲にはならないのである。
従って同様に、現在は未来の犠牲にはならない[xxxix]。現在はそれ自身未来の先取りでもあるからである。現在における目的の実現は、将来における新たなパースペクティヴによる目的の実現を先取りする。つまり、新たな課題を提出する。従って、目的実現の歩み、歴史の歩みは、延々と続くわけであるが、但し、歴史の歩みは果てしないということは、いつまでたっても目的は実現されないということではない。将来において新たに創造的な表現が試みられなければならないということ、新たなパースペクティヴが拓かれなければならないということは、現在において目的が実現されるための条件なのである[xl]。
方法的合理主義においては、歴史を全体化するロゴスは歴史に先立つのではなくて、歴史そのものである。つまり、それは真理の場としての現在に位置するパースペクティヴ的ロゴス[xli]なのであり、これによって「客観的思考のロゴス」(PP.419)は決定的に相対化される[xlii]。パースペクティヴという制約はいわば能動的否定性であり、この否定性によって全き肯定性という理想は相対化される。つまり、例えば悪に対する決定的勝利というものは、原理的に不可能であるというだけではなくて、もはや価値ではないのである。メルロ=ポンティにとっては、哲学とは、原理的に「勝利の哲学(philosophie triomphante)」へと変容することのない「戦う哲学(philosophie militante)」(SN.81, SG.199)である[xliii]。ということは、歴史は哲学が扱う一つのtopic(論題)ではなくて、哲学のtopos(場所)そのものであるということである[xliv]。
【注】
[ii] 構成するものが意識であろうが言語であろうが、コペルニクス的転回は主観-客観図式を前提している。
[iii] 歴史というものは本質的に、全体を見渡す大所高所を、即ち歴史全体の意味、歴史全体の目的を見る全体的視点を、要求するものではないであろうか。逆に言うと、意味のない歴史は歴史と言えるであろうか。
[iv] この批判は、先の実在論批判と、実は別のものではない。否、より正確に言うと、両批判が批判する相手は実は別のものではない。
[v] 興味深い問題として、(歴史叙述によって排除される)〈証言〉という問題がある。杉村靖彦「証言から歴史へ——対話の臨界に立って」を参照。
[vi] カントの『純粋理性批判』の「超越論的弁証論」は、そうした掘り下げの一つであると言える。
[vii] 知覚の現象学とは、「存在の系譜」(PP.69)、「真理の系譜」(AD.79)を掘り起こすことによって、「真理の新たな観念」(SG.137)、「理性の新たな観念」(SN.7)、「客観的思考のロゴスよりも根本的なロゴス」(PP.419)を開示するradicalisme = approfondissementである。なお、révolteに関しては、特にSens et non-sensのPréfaceを参照。
[viii] これはアナール学派のいわゆる「新しい歴史」の集大成であるとされる。なお、我々が用いるテキストは< Quarto > 版(Gallimard, 1997)である。
[ix] ここでは、ナショナル・ヒストリーという観点は外して、言語論的転回という観点からのみ、ノラの論文に触れることにする。
[x] 「アルザス」とか「ヴェルサイユ宮殿」とか「記念行事」とか「歴史書」とか「ラ・マルセイエーズ」とか「革命歴」とかといったものが記憶の場であり得るわけであるが、例えば革命歴について、「もし我々が今日でもなお革命歴のリズムで生活しているならば、それはグレゴリオ暦と同じように我々に非常に親しいものになり、そのことによってそれは記憶の場としての力を失ってしまうであろう」と言われる。「記憶の場」という問題は、記憶がもはや内側から生きられてはいないことを含意するのである。
[xi] ノラは例えば、従来の歴史がそれである「記憶としての歴史(l'histoire-mémoire)」と、文学がそれである「フィクションとしての記憶(la mémoire-fiction)」との「ほぼ同時的な死」と入れ替わりに、「新たなタイプの歴史が誕生する」と述べている。
[xii] 「記憶の場を構成するのは、記憶と歴史の戯れである」と言われる。
[xiii] この一致は主観と客観との一致であると言ってもよい。
[xiv] 記号論的転回は主観主義・意識主義に対する批判であるかもしれないが、基本的には主客図式をそのまま残していると考えられる。ノラの場合で言えば、記憶の場に痕跡として内在する過去と、記憶の場の外部における現実としての過去、という構図は、主客構図とどう違うのであろうか。なお、「事実など存在しない。一切は解釈である」という言い方においても、主客図式は前提されていると考えられる。(因みに、我々は認識と解釈とを区別しない。この区別はやはり主客構図に基づくと考えられるのである。)
[xv] 認識論的困難とは、要するに、相対主義的・懐疑論的になるか、それとも独断論的になるか、どちらかしかないということ。
[xvi] 目的論については後述するが、認識はそれ自身目的論的なものである。
[xvii] 「東洋」は、メルロ=ポンティにとって、「我々の諸制度がそこで生まれた——そして永い間の成功によって我々が忘却した——実存野を再発見する」(SG.175)という問題を含むものであったが、この「実存野(le champ d’existence)」は「現象野(le champ phénoménal)」に他ならない。
[xviii] よく知られているように、デカルトの「第三省察」には、己の有限性の自覚は無限なるもの・完全なるものの知を前提条件とするという議論があるが、パースペクティヴに関するメルロ=ポンティの議論はそれと関係づけることができる。なお、パースペクティヴは自覚を伴うということは、パースペクティヴは他の諸パースペクティヴの意識を伴うということ、即ち他の時点でのパースペクティヴの意識および他者のパースペクティヴの意識を伴うということでもある。そして重要なことは、この場合の自覚あるいは意識は対象認識的なものではないということである。
[xix] 知覚とは現在存在する事物の知覚のことであると普通は考えられるが、例えば「歴史の知覚」(VI.140,242)という言い方もある。従って、過去の出来事についても知覚を語ることは不可能ではないと考えられる。しかしいずれにしても、重要なこと、極めて重要なことは、メルロ=ポンティにとっては、現在存在する事物の知覚であっても、それは来し方・行く末への回顧的・前望的な眼差しであるということである(cf.PP.276-7 et passim)。
[xx] メルロ=ポンティはこの場合のリアリティを「肉的な現実性(réalité charnelle)」(SC.202)と呼ぶ。「現象」への還帰とは「肉」の次元への還帰ということなのである。なお、我々の基本的な研究方針は、言葉の上っ面に囚われることなく、哲学者が面している事柄そのものに立ち臨むことである。事柄そのものが見えていれば、言葉への表面的な拘りはあり得ない。
[xxi] 「哲学は先行的存在の反映ではなくて、芸術と同様に真理の実現である」(PP.xv)と言われる。因みに、メルロ=ポンティにとっては、哲学は知覚的なものである(cf.SG.120 et passim)。「哲学を知覚たらしめる」(VI.242)とか、「哲学者の絶対知は知覚である」(EP.22)とかと言われる場合もある。
[xxii] 他の哲学者を論じることは、他の哲学者を知覚することである。「他の哲学者たちの知覚(perception des autres philosophes)としての哲学の歴史」(VI.251)などと言われる。
[xxiii] こうしたアンパンセの問題は、何ら特殊な問題ではない。「現在の未来への裂開(la déhiscence du présent vers un avenir)」(PP.487)が時間の本質的構造であり、「現在における未来の成熟(la maturation d'un avenir dans le présent)」(SG.91)が歴史の本質的構造なのである。
[xxiv] 知覚される事物であれ、歴史上の出来事であれ、哲学説であれ、客観的存在ではなくて、その「全体的志向を把握し直す」ことが問題である存在である(PP.xiii)。
[xxv] デカルトの自叙伝(『方法序説』)にしても、デカルトが40歳の時に書かれたものであることに意味がある。青年デカルトの志がその真理へともたらされるには、然るべきパースペクティヴが必要なのである。
[xxvi] 真理は創造されるとされるならば、真理は永遠(超時間的)であるとされる場合と同じく、歴史は真理にとって本質的な問題ではないことになる。因みに、真理を「作る(faire)」(SG.120)という言い方はある。
[xxvii] こうした先取り-捉え直しの関係は、過去が問題である場合だけではなくて、現在の状況が問題である場合にも当て嵌まる。また、先取りと捉え直しの対は、「〈経験〉は〈哲学〉を先取りし、〈哲学〉は解明された〈経験〉でしかない」(PP.77)といった“キアスム”によって表されるということも指摘しておきたい。なお、「真理の場(un lieu de la vérité)」(PP.24)という言い方が、客観的世界という意味で用いられることもある。
[xxviii] 沈黙のコギトの問題とは、まさにこの創造的な自己表現の問題に他ならない。沈黙のコギトとは、黙って語らないコギトということではなくて、むしろ逆に、絶えず自己表現するコギトということである。沈黙は表現の根源態を意味する。
[xxix] 「アイデンティティの時代は決定的に終わった」と、ノラは言う。この言葉は、歴史はもはや、フランス国民が自らの起源の偉大さを通して自らを称えることを可能にするような、そうした目的論的な物語ではあり得ないことを意味すると考えられる。また、ノラによる非連続性の強調も、目的論の放棄を意味するのであろう。というのも、逆に目的性があるということは、すべての出来事が一定の目的に向かって連なっているということ、つまり連続性があるということだからである。
[xxx] 「普遍的な歴史への訴えはすべて、出来事から意味を切り離し、実際の歴史を無意味なものとするのであって、それはニヒリズムの仮面〔隠れ蓑・覆面〕(un masque du nihilisme)である。外的な神が直ちに偽りの神であるように、外的な歴史はもはや歴史ではない」(EP.61)。なお、メルロ=ポンティは1952年に発表された論文において、歴史(弁証法)を「外的な〈力〉」と看做す歴史の偶像化は「神についての未発達な考え方を世俗化したものである」(SG.88)と語っているが、この言葉には恐らくサルトルに対する批判が込められている。
[xxxi] ヘーゲル流の合理主義が歴史的偶然性を予め取り除くとすれば、17世紀の大合理主義(le grand rationalisme)は「世界の根本的な偶然性(la contingence radicale du monde)」(SG.191)を予め取り除く。
[xxxii] ここで是非指摘しなければならないことは、一つの対象(例えば過去の或る出来事)へのパースペクティヴは、過去・未来全体への、即ち歴史全体への、パースペクティヴを伴うということである(二つのパースペクティヴは重なり合う)。パースペクティヴの自覚、有限性の自覚は、この現在は数多ある現在の中の一つに過ぎないということの自覚でもあるのである。そしてこの自覚は、我々の眼差しが時間全体・歴史全体に及んでいるという確信と一つのものである。「真理」とは「我々の現在へのあらゆる現在の現前」(SG.120)ということなのである。従って、もし歴史の目的ということについて言うとすれば、歴史の目的は真理が実現される各現在においてその都度実現されるという言い方ができる。
[xxxiii] ニヒリズムを秘める目的論とは、予め定められた目的を想定する目的論であった。ところで、そのような目的論は現象の忘却であると言える。先に述べたように、現象の忘却とは、ひとたび目的地に到達してしまうと、目的地に到達しつつあった時のことを忘れてしまうということであるわけであるが、独断的目的論は、ひとたび目的地に到達した時点(想定された時点)に立って、そこに到るまでの過程を遡行的に復元するものである。しかも、それは正確に言えば復元=想起ではなくて、合理化(偶然性の抹消)なのである。
[xxxiv] 「〈良い形態〉は形而上学的天空においてそれ自体において良い故に実現されるのではなくて、我々の経験において実現される故に良いのである」(PP.24)。——同様に、目的はそれ自体において目的である故に実現されるのではなくて、実現される故に目的なのである、と言うこともできるであろう。
[xxxv] 如何なる合理性も、メタレヴェル(神の立場)に立てば偶然的なものと看做され得るが、この場合の合理性と偶然性との同一化は、メタレヴェルを設定することによる同一化ではない。
[xxxvi] メルロ=ポンティはル・ロワに言及しつつ、「そこにおいて目的と手段、意味と偶然が互いに引き起こし合う、手探りの目的性(finalité de tâtonnement)」(EP.31)について語っている。
[xxxvii] 「最も高次の理性は非理性〔狂気〕(déraison)と隣り合っている」(SN.8)と言われる。
[xxxviii] 過去と現在は先取り-捉え直しの関係にある故に、過去は現在によって乗り越えられると同時に乗り越えられない。乗り越えることは乗り越えないことであるというのが、メルロ=ポンティ的なAufhebungである。
[xxxix] ニヒリズムとは、このような犠牲の問題であった。
[xl] 目的の実現は各々、或る意味で決定的なもの——“une fois pour toutes”——である。
[xli] パースペクティヴ的ロゴスは客観的思考のロゴスのように上空飛翔的ロゴスではないが、かといって、単なる低空飛翔的ロゴスなのではない。先に示したように、パースペクティヴは我々が被る単なる制約ではない。パースペクティヴとは「能動的超越」(PP.178,431,491)なのである。また、パースペクティヴ的ロゴスは超越である故に、語られるものを内在化させるもの、つまり“回収”するものではない。その意味で、それは抑圧的・排除的なものではない。とすると、語られ得ぬものが語られるのは、ロゴスのパースペクティヴ性が認められないからではないであろうか。
[xlii] 現象への還帰は、客観的思考のロゴスよりも根本的なロゴスを開示するわけであるが、但し、それは客観性を否定するものではない。現象への還帰とは「合理性の現象」(PP.468)への還帰ということであり、つまり根源的客観性への還帰ということである(cf.PP.xv,50 et passim)。
[xliii] 因みに、戦う教会(l'Eglise militante)とは、現世に生きている信者たちのことであり、勝利の教会(l'Eglise triomphante)とは、現世で悪に打ち勝ち天国の栄光に入った聖者たちのことである。なお、「戦う哲学」(SN.163,VI.320)という言い方と共に、「戦う有限性」(VI.305)という言い方もされる。
[xliv] 生ける現在は、「真理の場」であり、また、「哲学の座(le siège de la philosophie)」(PD.118)、「哲学の真の場(le lieu véritable de la philosophie)」(PD.119)である。哲学は現象への還帰という一種の系譜学(généalogie)であるということは、哲学は現象のメタレヴェルに立つものであるということではなくて、哲学は自覚的に現象に——つまり現在に——身を置くものであるということである。「取り分け究極的な哲学的主観にとって」、「生ける現在の光を超える光は存在しない」(SG.120)と言われる所以である。場を持たない超越、脱パースペクティヴ的な超越は、原理的にあり得ない(cf.PP.489)。言い換えれば、そのような超越は錯覚ないし偽善である。
【略号】
(SC) La structure du comportement
(PP) Phénoménologie de la perception
(SN) Sens et non-sens
(EP) Eloge de la philosophie
(AD) Les aventures de la dialectique
(SG) Signes
(VI) Le visible et l'invisible
(PD) Parcours deux 1951-1961
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『フランス哲学・思想研究』第9号(日仏哲学会)