音楽することと哲学すること――ピレシュの言葉(4)

♦ 一昨日の27日はソプラノの高橋美千子さん主催のコンサートに出かけた。演奏の素晴らしさをここで具体的に語ることはできないが、ともあれ、この演奏会は私にとってとても有益であった。「歌詞=詩それ自体の音楽性」そして「音楽に本質的な沈黙」について、改めて考えるきっかけを与えてくれたからである。

♦ 「私が『花 une fleur!』と言う。そうすると、どんな花束にも無い花が音楽的に musicalement 立ちのぼるのである。」――詩人マラルメはそのようなことを語っていた。

通常の言葉の使用においては、どんな花束にも無い花が音楽的に立ちのぼるというようなことは起こらない。通常は、「花」という言葉は現実の花を指し示す。あるいは花の概念を意味するが、この概念は現実の花に帰着すべきものである。つまり、通常の言葉の意味作用には創造性が欠けているのである。そしてこれは、音楽性が欠けているということである。

♦ ところが、詩の言葉としての「花」という言葉は、現実の花を意味するのではなくて、現実の花とは異なる花――マラルメは花の甘美なる観念そのものという言い方をしている――を湧出させるのである。詩の言葉の意味作用は創造的であり音楽的である。詩の言葉は通常の言葉のように語るのではない。詩の言葉は語らない。それはいわば語らないという仕方で語るのである。それは沈黙せる言葉la parole silencieuseである。

♦ 詩の言葉は黙せる言葉であり、そして実は音楽も同じなのである。そもそも、詩も音楽も沈黙が発する声、即ち沈黙の声 les voix du silence に耳を傾けることから生まれるのである。

因みに、ピレシュは若者たちに送るメッセージとして次のように色紙に書いていた。

Listen to your heart, listen to your soul.

Remember what music and Art does to you …

Pay attention to silence and Nature …

Don’t let you influenced by others on this matter、

Be honest and let things happen the way they come ・・・