「肉は悲し」②

 

♦ 昨日は昼下がりに「セタガヤクォドリベット第5回演奏会」を聴きに出かけた。立錐の余地もない満席の会場で演奏されたのは、バッハのカンタータ4曲とモテット1曲であった。実は曲目の内容からして途中で退屈するのではないかと心配していたのであるが、どうしてどうして、2時間があっという間に過ぎてしまった。熱のこもった、しかも本格的な演奏に圧倒され続けたからである。

♦ どの曲も感動的だったが、前もって期待していたカンタータ第46番《目を凝らしそして見よ、かつてこれほどの痛みが》の第1曲は案の定すごかった。神の裁きによるSchmerz(痛み・悲しみ)を歌う合唱は聴く者をそれこそ震撼させるものであった。

♦ ところで、話は大きくなるが、このSchmerzぬきにはキリスト教はあり得ないということをここで強調したい。そもそも十字架は極度の苦悩を表すのである。キリスト教は、私に言わせれば、悲しみこそが幸いをもたらすことを教える宗教なのである。宗教のことはよく知らないが、このことに関して今度改めて論じてみたい。

 

  悲しみなさい、嘆きなさい、泣きなさい。

  笑いを嘆きに変え、喜びを悲しみに変えなさい。

  主の前にへりくだりなさい。

  そうすれば、主はあなた方を高めてくださいます。

            (ヤコブ書)