人形と気品  

 ♦ 日曜美術館ホリ・ヒロシ 人形風姿火伝」 を録画で観た。番組の紹介文にはこうある。

【人形師・ホリ・ヒロシ。等身大の人形を一から作り、その人形と一緒に舞う「人形舞」を創設。この世とあの世をつなぐかのような舞台は、伝統と前衛のはざまにあると名高い。】

注目したいのは、「この世とあの世をつなぐ」ということである。番組の中でホリ氏は次のようなことを語っている。――この世とあの世〔の境〕をいとも簡単に飛び越えてしまうのが人形なのではないか。人形を舞いで表現する時、血の気のない人形は、まるで生きているかのように見えるが、しかし実はこの世のものではない。舞う人形は異空間へと誘う入り口である。――

♦ 人形には血が通っていないが、しかし舞う人形はまるで生きているかのようである。ところが、生きているかのように見えるその人形は、突如この世ならざるものに見える。この世のものが、突如あの世のものに転換する。心理学者が作成した例の騙し絵においては、ウサギを見ていると、突如ウサギの耳がアヒルのくちばしになり、ウサギはアヒルになるわけであるが、それと同様に、人形舞においては、この世のものがあの世のものになり、またあの世のものがこの世のものになるのである。

♦ ところで、舞う人形のこうした両義性、そこにこそ、人形にあふれる得も言われぬ「気品」の秘密があるのではないであろうか。然り、気品があるということは、ただ単に美しいとか綺麗とかということではない。綺麗なものが異空間へと誘うものである場合に、それは気品のあるものとなるのである。というわけで、気品のあるものとは、この世的なものであると同時にあの世的なものである。つまり、それは時勢や世間に媚びるものではなく、従って永続的なものであり得る。人形舞の海外公演中にスタッフが撮影したビデオの中で、三年前に亡くなった妻の堀舞位子氏(77歳当時)がこう語っている。「何かにへつらうようなことではなくて、気品のあることをやってほしいんですよね。何か気持ちが清らかになるものを残したい。綺麗美しいだけではずっとは続かない。・・・」

♦ この世のものであると同時にあの世のものである両義的存在である人形の気品dignityということから、私は人間の尊厳dignityということを改めて考えてみたいと思っている。

 

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