坂口安吾 「もう軍備はいらない」(1952) ――武力ではなくて文化・文明の力に訴えよ!

 

❤大戦後、日本は憲法で軍隊を廃止し戦争を放棄した。しかし1949年に中華人民共和国が成立し、更にその翌年に朝鮮戦争が勃発すると、GHQの指令によって再軍備に転換し、そして1951年には日米安全保障条約を締結した。こうして軍備増強の機運が高まる中、1952年に坂口安吾は「もう軍備はいらない」というエッセイを発表した。

安吾は東京で空襲に遭った。その時の経験を語る中で、焼夷弾をタケノコに、また死体が折り重なる様を焼鳥に喩えている。この一見漫画風の比喩は、戦争による被災のむごたらしさを生々しく蘇らせる。

――焼夷ダンに追いまくられたのは、夜三度、昼三度。昼のうち二度は焼け残りの隣りの区のバクゲキを見物に行って、第二波にこッちがまきこまれ、目の前たッた四五間のところに五六十本の焼夷ダンが落ちてきて、いきなり路上に五六十本のタケノコが生えて火をふきだしたから、ふりむいて戻ろうと思ったら、どッこい、うしろの道にもいきなり足もとに五六十本のタケノコが生えやがった。

――公園の大きな空壕の中や、劇場や地下室の中で、何千という人たちが一かたまり折り重なって私の目の前でまだいぶって〔燻って〕いたね。

――まるで焼鳥のように折り重なってる黒コゲの屍体の上を吹きまくってくる砂塵にまみれて道を歩きながら、イナゴのまじった赤黒いパンをかじっていたころを思いだすよ。

❤このように数年前に敵国に攻撃される恐怖を身をもって経験し、そして戦争によって理性も感情も良心もすべて失われてしまうデカダンス(退廃)を深く味わった安吾は、しかし、日本の再軍備に対して次のような調子で猛反発する。――自分が中国などの国防のない国に侵攻し、そのあげくの果てに負けて丸腰にされていながら、今や国防と軍隊の必要を説き、まるでどこかに自国に攻め込んでくる凶悪犯人がいるかのように言うのは、ヨタモンのチンピラどもの言いぐさに似ているではないか。

❤さて、安吾は「国防は武力に限るときめてかかっているのは軽率であろう」と言うのであるが、では、どのようにして国を守るのか。彼は武器によって敵を服させるのではなくて、文化・文明によって敵を服させよと説くのである。たとえ我が国が腕力の強い国に征服されたとしても、日本の「文化水準や豊かな生活がシッカリした土台や支柱で支えられていさえすれば、結局キ印が居候になり家来になって隅ッこへひッこむことに相場がきまっている」というわけである。もちろん、最初は小さからぬ犠牲を払わざるを得ないが、しかし戦争をした場合には、たとえ戦争に勝ったとしても、それよりはるかに大きな犠牲を払わなければならないのである。

坂口安吾から我々へのメッセージは、私なりの言い方をすると、政治の土俵を相対化せよということである。何でもかでも政治の観点から捉えられ、政治の土俵が強大になって文化が貧しくなると、日本だけでなく全世界が間違いなく崩壊するであろう。日本の危機を乗り越えるとか、国民の未来を創造するなどというスローガンは限りなく虚しい戯言である。政治から独立した形で文化・文明を育てなければ、決して国は豊かにならない。