坂口安吾:文学はつねに政治への反逆であるが、まさにその反逆によって政治に協力するのである。・・・ (1)

❤先月の半ば、東京都内の或るJR駅の改札を出ようとしたところ、私は突然後ろから二人の警官に腕をつかまれ人の往来を邪魔しない場所に連れていかれた。カバン(ウエストポーチ)の中身を見せてくださいと高圧的な口調で言われたので財布とケータイを出して見せると、一人の警官が何の断りもなしにいきなりカバンの中に手を突っ込み、カバンの中をかなりの力でゴリゴリと引っ掻き回したあげく、ペンだけですねと言った。その時はあっけにとられて何も言えなかったが、後から考えると、G7サミットを控えた警戒活動だったのであろう。

❤無断で人のカバンにいきなり手を突っ込むという暴力は、もちろん公権力を「笠に着ている」から為し得ることなのであるが、かつて日本人は、天皇制(皇室の尊厳)を笠に着て、つまり良心と意識を天皇と国家に預けて、多くの外国人を“正当に”殺したのである。もちろん戦争によって多くの日本人も犠牲になったわけであるが、ここで問題にしたいのは、権力や権威(旧来の道義や制度あるいはイデオロギーや党派)を笠に着る生き方をすることによって、人間が人間として如何にダメになるかということである。

坂口安吾終戦の翌年1946年に発表した「続堕落論」において、天皇制についてほぼ次のような話をしている。――遠い昔のことであるが、藤原氏にしても将軍家にしても、天皇の前に額づき、そうすることによって天皇の尊厳を人民に強要した(自分がみずからを神と称し絶対の尊厳を人民に要求することは不可能なので)のであるが、今度の戦争においても、軍部は盲目的に天皇を崇拝し、そうすることによって、天皇をして絶対的命令を下し得る神に祭り上げた。つまり天皇を自分にとって便利な道具としてもてあそび冒瀆したのである。

❤では、一般の国民はどうだったのか。国民は天皇制のこうした欺瞞、カラクリを知らなかった。そうであるからこそ、最後は竹槍をしごいて敵の戦車に立ちむかい、勇壮に土人形となってバタバタ死んだのである。しかし国民は天皇を利用することには狎れていた。8月15日、「耐え難きを、耐え、忍び難きを、忍び・・・」という天皇の言葉があると、本心ではもともと戦争の終結を切に願っていたのにも拘らず、泣きながら耐え難きを耐えて負けることにしたのである。何たる欺瞞!何たる狡猾さ! 国民は天皇制というカラクリに「憑かれて」いたのである。そして戦後の今(1946年)になっても、代議士たちは天皇制について皇室の尊厳などといった馬鹿げ切ったことを言って大騒ぎし、国民も大方それを支持しているのである。――

❤さて、昭和天皇は単に軍部に利用されただけなのか、もし天皇という超越を取り払ってしまうならば日本という国は崩れてしまうのではないか、といった疑問はあるがそれはさておき、安吾によれば、天皇制というカラクリに憑かれていることは、人間の、あるいは人性の、正しい姿を失っているということである。では、人間の正しい姿とは何なのか。・・・それは、私の言い方で言えば、党派にせよイデオロギーにせよ何にせよ、何か権威や権力を「笠に着る」ことをしない生き方である。(続く)