拙稿「聖体と蜜蝋――信仰のロゴス〔パスカルとデカルト〕」 【7】【8】

【7】 信仰のロゴス

 

このように蜜蝋の分析は神への熱望によって動機づけられた死の修練として純粋精神に到る。つまり心身合一を乗り越える。しかし実はこれは一方の真理である。もう一方の真理が存在する。それは心身合一は決して乗り越えられないということである。蜜蝋の分析は心身合一を乗り越え、かつ乗り越えない。蜜蝋の分析は精神性と身体性との矛盾を殊更よく示すものなのである。

心身合一が乗り越えられないことは哲学者自身が証言している。デカルトは第一省察で始めた懐疑の努力を第二省察においても継続し、ついには「私は存在する」という真理に、そして「私は思惟するものである」という真理に到達するのであるが、しかしこうして真理に辿り着いたのにも拘らず、自分の精神は「真理の境域」の内に留まることに未だ耐えられないと述べる。私自身(この場合は純粋精神としての私)よりも物体(この場合は感覚的なものとしての物体)の方が――即ち真なるものよりも疑わしいものの方が――より判明に把握されるというのは驚くべき(mirus)ことであるが、しかし相変わらずそう思えて仕方がない、そう「思わざるを得ない」。そのようにデカルトは打ち明けるのであるが、これは心身合一が未だ乗り越えられないことの告白に他ならない [28]

自分の精神は「真理の境域」の内に留まることに未だ耐えられない。そこでデカルトは新規蒔き直しを図る。即ち、さまようことを好む自分の精神にもう一度手綱をすっかり緩めること、真理の境域からみずからを解放することを許すのである。こうして開始されるのが先に見た蜜蝋の分析であり、この分析によってデカルトは、己れの精神にその手綱を一度緩めることを許した後、再度手綱を引き締め直させるわけである。即ちさまようことを好む精神に一度真理の境域の外をさまよわせた後、再度真理の境域に精神を引き戻すわけである。ところが、蜜蝋の分析を通して心身合一的な世界との交わりから精神としての精神に立ち返ったのにも拘らず、「私の精神は如何に誤りやすいものであることかと私は驚く(miror)」とデカルトは言う [29]。誤りやすいとはどういうことかと言うと、もし蜜蝋がそこにあるならば、我々は蜜蝋そのものを眼で見ると言い、色と姿形からそこに蜜蝋があると判断するとは言わないが、私はやはりそのような日常の話し方によって欺かれてしまう(つまり元の木阿弥になってしまう)ということである。デカルトはここでもう一度気を取り直し、「私は眼で見ると思っていたものを、私の精神の内にある判断能力によってのみ把握するのである」ということを別の例を持ち出して再確認するのであるが、しかしそのことを改めて確認したところで、「私の精神が誤りやすいものである」ことには変わりがないであろう。私の精神は未だ誤りやすいのではない。私の精神はいつまでも誤りやすいのであり、決して誤りやすいものであることをやめてしまうことはないのである [30]。懐疑を繰り返すことで手綱の引き締めはより容易になるとしても、心身合一は決して乗り越えられてしまうことはない。

先ほどは言及しなかったが、デカルトは実は、「私はこの蜜蝋が何であるかを、想像するのではなくて独り精神によってのみ知覚するのである」と述べた後、「しかし精神によってしか知覚されないこの蜜蝋とは如何なるものなのか。もちろん、それは私が見たり触れたり想像したりするのと同じもの(eadem / idem)であり、つまりは最初から私が蜜蝋であると思っていたのと同じものである」と述べている。この蜜蝋は感覚されるのでも想像されるのでもなくて、独り精神によってのみ知覚されるのだと、たった今述べたばかりであるのにも拘らず、精神によってしか知覚されないこの蜜蝋は私が見たり触れたり想像したりするのと同じものであると、わざわざ述べているのである。そして続いて、「蜜蝋の知覚は……独り精神のみによる洞察(solius mentis inspectio)である」と改めて念を押すのであるが、ともあれ、精神によってしか知覚されない蜜蝋は私が眼で見るのと同じものであるということは、精神性と身体性とは同格のものであるということであり、従って心身合一は乗り越えられるべきものではないということを意味する。

死の修練としての蜜蝋の分析は純粋精神への上昇であるが、しかしこの上昇は下降を伴う。デカルトは精神性と身体性との間を往還する。感覚や想像といった身体性は乗り越えられ、かつ乗り越えられない。言い換えると、精神は身体から独立していると同時に、身体に依存している。一方、精神は(典型的にはコギト・スムという形で)精神自身を直接知る。その意味では精神は身体から独立している。しかし他方、蜜蝋の分析が精神の認識に到るためには、あるいはコギト・スムが成り立つためには、精神は死の修練を経なければならない。即ち精神は身体性・世界性を媒介にして己れを知るのでなければならない。その意味では精神は身体に依存している。蜜蝋の分析はこうした精神の身体への依存を特によく示すものであると言えるが、ともあれ、精神はコギト・スムという形で精神自身を直接的に知るのだとしても、この直接性それ自身が媒介性・間接性を必要とするのである。言い換えると、コギト・スムという形で精神は精神自身に現前するのであるが、この精神の自己現前それ自身が例えば蜜蝋の感覚的現前を、つまり精神の不在を必要とするのである。

今、精神の現前はその不在を必要とするということを述べたが、我々にとっては、聖体におけるイエス・キリストの現前‐不在([a]‐[b])は、蜜蝋におけるその本質(延いては精神そして神)の現前‐不在と重なり合う。ここでは第一節で試みた信仰のロゴスの探究(現前‐不在、時‐永遠、露わなる神‐隠れたる神)を振り返ることは省略するが、精神性‐身体性の連関に関するこれまでの考察を踏まえるならば、デカルトの「蜜蝋」はパスカルの「聖体」と呼応し合うと言うことができるであろう。デカルトは蜜蝋を、あるいは精神を、認識すると言うが、しかしこの認識は単なる認識ではなくて、いわば信仰的認識である。信仰が認識の深相であるという言い方をしてもよいが、ともあれ“信じる”ということがあるから、蜜蝋の本質にしても精神にしても、あるいは神にしても、リアリティを有し得るのである。

但しこの場合のリアリティは、眼に見えるもの、認識されるもののリアリティではない。即ち、比喩的に言うと平面的なもののリアリティではない。信仰の対象が有するリアリティは立体的なもの、奥行きのあるもののリアリティである。というのも、信仰とは肉体の眼と精神の眼という二つの眼を同時に持つことであり、そして奥行きのあるものとは肉体の眼で見られる前面と精神の眼で見られる(肉眼では見えない)背面とを持つものであるからである [31]。《l'ordre des raisons》が省察の真相であり省察とは理論体系への道のりであるという見方しかしない者は、デカルトが蜜蝋の分析において精神性と身体性との間を往還すること(この往還は統合を意味する)、つまり認識のロゴスより深いロゴス、信仰のロゴスがこの分析において働いていることを捉えることができず、故に蜜蝋の真のリアリティを逸することになるであろう。

 

【8】 個と普遍

 

蜜蝋の分析を振り返ると、そこにはデカルトが蜜蝋を火に近づける件りがあり、最初に五感に与えられていたものが殆どなくなってしまっても「同じ蜜蝋が残っている(remanere)」ということが語られている。そしていわば衣服を剥ぎ取っても残るものとは「或る柔軟で変化しやすい延長するもの」なのであるが、別の見方をすれば、残るもの即ち変化にも拘らず不変のまま留まるものとは「精神の洞察(mentis inspectio)」である。ところで、蜜蝋の知覚がそれであるとされるこの精神の洞察は、「それを成り立たせているものに向ける私の注意の程度の多いか少ないかに応じて、以前がそうであったように不完全で混乱していたり、あるいは今がそうであるように明晰判明であったりし得る」とされるのであるが、注意とは心身合一に抗して行なわれるものであり [32]、その意味でそれは死の修練であると言うことができる。そして注意が最高段階に達すると精神の洞察は明晰判明になるのであるが、そうであるとすると我々はここでプラトンの『饗宴』における美のイデアの感得のことを思い浮かべることができる。

 ……地上の諸々の美しいものから出発して、絶えずかの美しいものを目的として上昇して行くのですが、その場合ちょうど階段を使うように、一つの美しい肉体から二つの美しい肉体へ、二つの美しい肉体からすべての美しい肉体へ、そして美しい肉体から美しい数々の人間の営みへ、人間の営みから諸々の美しい学問へと昇って行き、最終的にはその諸々の学問から、他ならぬ美そのものを対象とするところのかの学問に行き着いて、まさに美であるそのものを遂に知るに到るというわけなのです(211c) [33]

 これはソクラテスが巫女ディオティマから聞いたという話の中の有名な一節であるが、肉体的な美から精神的な美へと上昇し、遂に「美そのもの」へと到るエロースの段階は、実は死の修練の段階に他ならない。死なくしては愛の昇華は決してあり得ないのである [34]。では、どうであろうか。死の修練としての注意が最高段階に達した場合の明晰判明な「精神の洞察」は、エロースの最高段階としての美のイデアの感得に或る意味で相当すると言えるのではないであろうか。

もう一つ注目すべきは、ソクラテスの話が終わったところで美青年アルキビアデスが酩酊状態で飛び込んできて、ソクラテスへの愛の告白、求愛を行なうことである。これはデカルトが精神性へと上昇したとたんに身体性へと下降するのと類似しているのではないであろうか。デカルトは最初、蜜蜂の巣から取り出した蜜蝋の色や形を見、花の香りを嗅ぎ蜜の甘さを味わったが、死の修練の後やはりそうした心身合一的な生に戻るべくして戻る。つまり死の修練自体が心身合一的な生への回帰を引き起こすのである。(但し心身合一的な生は死の修練を経た後と前とでは質的に異なる。これは看過することのできない重要な点である。)一方、プラトンが美のイデアの話の直後に酩酊したアルキビアデスを登場させソクラテスへの激しい愛――これは肉体を具えた一人の人間への人間的・肉体的な愛であり、その意味では美のイデアの感得とは対極的なものである――を告白させることにもやはり必然性があるはずである。身体性の精神性への転化、精神性の身体性への転化、それが哲学なのである。哲学を人間ソクラテス、人間デカルトから切り離すことはできない。それに、哲学を“人間ソクラテス”、“人間デカルト”から切り離すことは、哲学をして観念世界の中を浮遊させ観念世界に自閉させることなのである〔補注★〕

しかしソクラテス‐ディオテイマの語る「エロースの道」とデカルトの蜜蝋の分析との間には重要な違いがある。前者は一つの美しい肉体から二つの美しい肉体へ、二つの美しい肉体からすべての美しい肉体へというように、個から一般的なものへ、そして美そのものという普遍へと昇って行くのであるが、デカルトはあくまでも「物体一般」ではなくて「この蜜蝋」という個を分析する。物体一般を考察対象にしないのは、「一般的な知覚はかなり混乱しているのが常であるから」であるが、ともあれデカルトは「この蜜蝋」という個を考察することによって「この蜜蝋」という個の本質(「何であるか」)を洞察するに到る。しかし「この蜜蝋」の本質は「蜜蝋一般(cera in communi)の本質でもあり、更に物体一般の本質でもある。つまりデカルトは一般概念というものを経由せずに、物体の本質という普遍を洞察するに到るのである。普遍は一般概念を媒介とせずに直接具体的な個と結びついている。ということは、普遍は概念的普遍ではなくて実在的普遍であるということなのである。

さて、第二省察の前半においてデカルトは懐疑の果てに「私は思惟するものである」という真理に行き着いたわけであるが、この場合の「私」は――「この蜜蝋」に対応する――「この私」、即ちデカルトの私、具体的な個としての私である。ただ、「私は思惟するものである」と言われた場合の私は既に精神としての私であるが、私が自分を一個の私として意識するのは、最初は一個の人間として意識することによってなのであり、最初は身体性をぬきにして「この私」という具体的な個はあり得ない。それは感覚的性質をぬきにして「この蜜蝋」という具体的な個があり得ないのと同じである。そして「私は思惟するものである」の「思惟するもの」であるが、これは個としての「この私」の本質規定であって、この場合の「思惟」は一般概念ではない。一般概念ではないだけではなくて、そもそも既成概念ではないのであるが、ともあれ「私は思惟するものである」という命題は、個である主語が一般概念である述語に包摂される命題ではないのである。しかし「私は思惟するものである」という個としての私の本質規定は、次に私なるもの一般の本質規定でもあることになり、「思惟」という個の本質は私なるもの一般の本質でもあることになるのである。従って思惟という本質=普遍は概念を媒介にして見出されるのではない。つまり概念ではない。それは具体的な個と直接結びついた普遍、真にリアルな普遍なのである。

蜜蝋の場合にせよ、「私」の場合にせよ、具体的な個と真にリアルな普遍とを結びつけるのは決して推論のロゴスではない。それは信仰のロゴスである。では、聖体の秘蹟についてはどのように理解すればよいのであろうか。聖体は極めて特殊なものである。第一にそれは蜜蝋とは違って単なる感覚的個体ではなくて象徴的な感覚的個体である。つまりそれ自体が問題になるのではなくて、それが象徴するものが問題になる、そのようなものである。第二に蜜蝋一般のような聖体一般というようなものは最初から問題にならない。そして第三にイエス・キリスト一般というものも最初から問題にならない。そういうものはあり得ないのである。聖体に現実に現前するイエス・キリストにしても、聖体が象徴するイエス・キリストにしても、絶対的に掛け替えのない個であると同時に普遍的な本質でもある、そのようなものなのである。――これら三つは決して無視することのできない重要な点であるが、しかしともあれ、感覚的な個物である聖体と、絶対的に掛け替えのない個であると同時に普遍的な本質でもある(但し決して概念ではない)イエス・キリスとが結びつくのは信仰のロゴスのお蔭であることは間違いない。というより、聖体の秘蹟は信仰のロゴスが働くモデルケースなのである 

 

[28] 『哲学原理』 I-73では、注意を向けること、取り分け感覚にも想像にも現前しないものに注意を向けることは、心身合一性の故に困難と疲労を伴うということが言われている。

[29] この驚きは、真なるものよりも疑わしいものの方がより判明に把握されるというのは驚くべきことであると言われた場合の驚き、即ち蜜蝋の分析の切っ掛けとなった驚きと、別のものではない。

[30] 第四省察デカルトは、私が誤るのは意志の作用即ち判断においてであるとした上で、こうした意志の作用を「私が引き起し得るということは、引き起し得ないとした場合よりも私においては或る意味でより大きな完全性である」としている。つまり誤り得ることは誤り得ないことよりも或る意味でより大きな完全性なのである。

なお、『省察』全体は、「……人間の生は個別的な事物についてしばしば誤りに陥りやすいことを告白しなければならず、我々の本性の弱さを承認しなければならない」という言葉で締めくくられている。

[31] チェスタトンの次の言葉を参照。《The ordinary man has always been sane because the ordinary man has always been a mystic. … He has always had one foot in earth and the other in fairyland. … If he saw two truths that seemed to contradict each other, he would take the two truths and the contradiction along with them. His spiritual sight is stereoscopic, like his physical sight: he sees two different pictures at once and yet sees all the better for that.》 Gilbert Keith Chesterton, Orthodoxy, II

[32]  『哲学原理』 I- 73を参照。

[33] 訳は鈴木照雄訳を用いたが、何箇所かで平仮名を漢字にするなどの変更を加えた。

[34] 「愛と死」というテーマは文学作品などにその例が数多く見られると思われるが、よく知られた例で言うと、スタンダールの恋愛小説『赤と黒』の最終場面で主人公が死を覚悟しみずから断頭台に上ろうとした時、まさにその時、愛は身体性・世俗性から脱して高みに達しているのである。

 〔補注★先に述べたように、省察するデカルトは基本的に心身合一体としてのデカルト、人間デカルトであるが、形而上学省察は身体性と精神性との間の往還であって、人間デカルトそのものが形而上学の主題なのではない。人間デカルトそのものを主題とするのは(デカルトが言う意味での)「道徳」である。『方法序説』ではその第二部で「真理の探究」を司る「方法の規則」が、第三部で「実生活」を司る「道徳の規則(格率)」が掲げられているが、拙稿「デカルト/生の循環性」(『哲学誌』第55号、2013年)で詳しく論じたように、方法の規則と道徳の格率は或る意味で対照的なものでありながらも実は密接に繋がっている。両者は互いに支え合い一つの全体を形成しているのである。従って例えば「道徳」のことを度外視して「形而上学」だけについて研究するというようなことは本当は許されないことなのである。ところでデカルトの場合、形而上学省察内部における精神性と身体性との関係は緊張感のあるものであるが、真理の探究と実生活との関係は平和的であるように思われる。デカルトは真理の探究においては信じていることを敢えて疑い、実生活においては疑わしいことを敢えて信じるのであるが、認識の領域と行動の領域とが区別されているので、これら二つの態度の間に軋轢は生じないのである。

 ところがソクラテスの場合は違う。ソクラテスにあっては真理の探究と実生活とは直接的に関与し合うのであり、そのことによって哲学者を大きな危険に巻き込むのである。メルロ=ポンティコレージュ・ド・フランスの教授就任講義『哲学礼讃』は、ソクラテスを題材にして「哲学者の役目(fonction)」を問題にする件りを含む貴重な文献であるが、この件りの一部に筆者の解釈を加えつつ、ソクラテスにおける真理の探究と実生活との関係について少し考えてみたい。

メルロ=ポンティソクラテスの話に入る前に、恐らくその伏線としてベルクソンの改宗問題に言及している。――1937年の遺言によると、ベルクソンは熟慮を重ねるうちに次第にカトリックに近づいて行ったが、反ユダヤ主義の波が押し寄せるのを目の当たりにして、カトリックの洗礼を受けずに(隠れて受けることもせずに)、同胞のユダヤ人たちと共にいることを選んだ。もしベルクソンが真理の探究は真理の探究であり、実生活は実生活であるという割り切り方をしていたならば、彼はカトリックに改宗しかつ同胞のユダヤ人を見捨てずにいる(教会の立場からユダヤ人を支援する)ことができたかもしれない。しかし真理への関わり(この場合の真理はカトリシズム)は他人への関わり(この場合の他人はユダヤ人)を経由しなければならないのであり、真理への関わりを他人への関わりに優先させてはならない。また逆に後者を前者に優先させてもならない。このようなわけでベルクソンは、権力がこの高名なユダヤ人に与えようとしていた様々な便宜を病気と老齢とにも拘らず拒否して、明日迫害されようとしていた人々の間に留まることを選択した。メルロ=ポンティが言うには、「どんな犠牲を払ってでも、人間関係を断ち切り実生活と歴史の束縛を断ち切ってでも、そこにおいて真理を探究しなければならない、そのような真理の場(lieu de la vérité)というものは彼にとって存在しないのであり、そのことをベルクソンは彼が行なった選択そのものによって証言しているのである」。ただ、ベルクソンメルロ=ポンティのこの主張に同意するかどうかは大いに疑問である。この主張はむしろメルロ=ポンティ自身の哲学者像を表わすものであろう。

 さて、ベルクソンの改宗に関する話が終わったところで、メルロ=ポンティは現代の哲学者は常に著述家であることを指摘する。書物というのは現実世界から隔離された学問世界、即ち実生活から切断された件の「真理の場」というものが存在するという錯覚を与えるものである――但しデカルトは多くの著述を行なったが、真理の探究と実生活とをひと組のものとし、現実世界との繋がりを決して失わずに哲学した故に、決してそのような錯覚に陥っていない――が、メルロ=ポンティが特に強調するのは、「書物の中に置かれた哲学は人々に声をかける(interpeller)ことをやめてしまっている」ということである。このことを強調するのは、著述をせずに街の中で人々に話しかけた哲学者、ソクラテスを登場させるためであり、そしてソクラテスを登場させるのは、「哲学者の役目」を思い出すためであり思い出させるためである。

ソクラテスの生と死は、書物の世界の中で哲学するのではなくて、また書物を通してその哲学を伝達するのでもなくて、人々に声をかけ質問するという仕方で哲学する哲学者にとって、ポリスとの関係は如何に困難なものになるのかを物語っている。ソクラテスは彼がポリスの神々を認めていないという理由で告発された。しかしソクラテスはみずから神々に犠牲を捧げているし、しかもそのことを人々は見て知っているのである。では、何が問題なのか。メルロ=ポンティソクラテスが裁判の中で、自分は自分を訴える人の誰よりも神を信じていると語ったことに着目し、ソクラテスは告発者たち以上に信じているが、しかしまた告発者たちとは別の仕方・別の意味で信じているのである、と指摘する。ここが問題である。別の仕方・別の意味で信じているということは、告発者たちから見ればそれは信じていないということであり、ポリスの神々を認めていないということなのである。ところで、信じる仕方が違う、信じるということの意味が違うということは、真理観の違いということである。メルロ=ポンティはこう書いている。「ソクラテスが真であると言う宗教は……ソクラテスのダイモニオンのように無言の警告によってのみ、また人間に己れの無知(ignorance)を思い出させることによってのみ、神が現われる〔みずからを啓示する〕宗教である。従って宗教は真であるが但し宗教自身が知らない(elle ne sait pas elle-même)真理性によって真なのであり、つまりソクラテスが考えるように真なのであって、宗教が考えるように真なのではない。」

 宗教は宗教が考えるように真なのではないということは、ポリスの人々が宗教は真であると考えるように宗教は真なのではないということであるが、哲学者とポリスの人たちとでは、「真である」ということの意味が異なるのであり、つまり真理観が異なるのである。哲学者とは真理を探究する者(知を愛し求める者)である。つまり哲学者にとっては、他の人たちにとってとは違って、真理は所有すべきものではなくて探究すべきものなのであり、分かるとは分からないということが分かること(分からないということが分かるという仕方で分かること)なのである。これがソクラテスの神への信仰と告発者たちのそれとの間の解消され難い齟齬である。

しかしソクラテスがもし著述家であったならばどうなったのであろうか。(もしそうであったならば、そもそもソクラテスはいわゆる無知の知という悟りを得なかったかもしれないが、その問題はさておくとして、)その場合には恐らく件の齟齬はソクラテスとポリスとの関係をそれほど困難なものにしなかったのではないであろうか。しかしソクラテスは街で人々に問いかけるという仕方で哲学し、しかも裁判で長大な弁明を行なった。つまり真理への関わりが他人への関わりを経由した(また逆に後者が前者を経由した)のであり、それ故にソクラテスは結局死刑に処せられたのである。その「役目」を完全に果たした哲学者は歴史上ソクラテスただ一人であろうが、ともあれ「哲学者であるということ」は、他人を経由して真理に関わり真理を経由して他人に関わるということ、即ち真理の探究と実生活とが互いに関与し合うということであり、それは哲学の講義をしたり研究業績を作ったりすることなどとはまったく違って、つまり哲学研究者であることとはまったく違って、非常に危険なことなのである。

                               

                              (2016.02.14)