「デカルトの循環」(g) ・・・ デカルトの懐疑は方法的懐疑ではない ⑧

デカルトの循環」(e)で見たように、

我々が実際に明晰に認識することは、神の存在であれ何であれ、いずれ想起の対象となる。即ち、「以前に明晰に認識したことを我々が想起すること」となる。しかし、神の存在であれ何であれ、或る「事物が真であることを我々が確信する」ためには、その事物を「明晰に認識したことを我々が想起する」だけでは十分ではない。更に、「神は存在し神は欺くことはないということを我々が知っているのでなければ」ならないのである。

ということは、神は存在し神は欺くことはないという明証、つまり神の存在と誠実性という明証も、それが過去の明証となった場合には、即ちそれが想起の対象となった場合には、「神は存在し神は欺くことはない」ということの知を必要とするということである。つまり神的保証を必要とするのである。

しかし神の存在と誠実性という明証の真理性を保証する「神は存在し神は欺くことはない」ということの知それ自体も、それが過去の明証となった場合には保証を必要とするということに我々は気づかなければならない。

つまり、明証の規則の正しさが神の存在と誠実性によって保証されるのは、神の存在と誠実性が現在の明証である限りにおいてなのである。それが過去の明証である場合には、明証の規則は確乎たるものではあり得ないのである。

ということは、神の存在と誠実性が証明された後も、懐疑の可能性は残る(実際には疑わないとしても)ということである。

デカルトは、(例えば 2+3=5 を)疑う根拠として「欺く神」を持ち出し、次いで神は存在し神は欺く者ではない(誠実である)ことを証明して、「欺く神」という懐疑の根拠を否定し却下する。しかし、神の存在と誠実性も、それが過去の明証となるならば、「欺く神」は生き返る。つまりそれも疑い得るものになるのである。

デカルト研究者はこのことを決して理解しない。デカルトの懐疑は懐疑の可能性を決定的に抹殺するためのもの、つまり方法的懐疑であると信じ込んでいるのである。しかし、少し考えれば分かるように、絶対に疑い得ないことなどあるわけがないのである。実際、デカルトは「絶対に疑い得ない」などという言い方は、『方法序説』においても『省察』においてもしていない。

第三省察の冒頭でいわゆる明証の一般規則を仮に立てた後、デカルトは例えば 2+3=5 という明証は、それが現在の明証である場合にはその真理性を信じざるを得ず、それが過去の明証である場合にはその真理性を疑うことができるということを語っている。

つまり信じることと疑うことの矛盾を示しているのであるが、こうした矛盾・二重性はあってはならないものではなくて、それこそが深く了解すべき真のデカルト的問題であり、真の哲学的問題なのである。

この矛盾にはいずれまた触れることにして、我々はここで改めてデカルトの懐疑は方法的懐疑ではないということを確認したわけである。 

「デカルトの循環」(f)

前回見たように、デカルトは循環論法の疑惑に対して、現在の明証と過去の明証とを区別し、(即ち現に明らかであることと、かつて明らかであったこととを区別し、)現在の明証は保証を必要としないが、過去の明証は保証を必要とした。

つまり、こういうことである。

  1. 明証が現在的なものである限りでは、明証の規則は保証を必要としない。そこでまずデカルトは、明証の規則に立脚して神の存在と誠実性を証明する。★これは「神の存在を信じなければならないのは、神が存在することは聖書において教えられているからである」ということに対応する。
  2. しかし明証が現在的であることをやめて過去の明証(想起の対象)となると、明証は保証を必要とする。そこでデカルトは明証の規則の正しさは神が保証するとする。★これは「聖書を信じなければならないのは、聖書は神から授けられたものであるからである」ということに対応する。

さて、現在の明証と過去の明証との区別は、循環論法の嫌疑を晴らす役割をするわけであるが、では、現在の明証と過去の明証との区別はどうしてそのような役割を果たすことができるのであろうか。

  1. 明証の現在性は「明証の規則」から「神」へ(聖書から神へ)の上昇を可能にし、
  2. 明証の過去性は「神」から「明証の規則」へ(神から聖書へ)の下降を可能にする。

つまり、現在の明証と過去の明証との区別は、結局のところ、「神」と「明証の規則」との間の次元の違い、即ち創造者と被造物との間の超越関係を意味するのである。(但し、この超越関係は概念的なものではなくて、信仰の光に照らされたものでなければならない。)

そうである故に、現在の明証と過去の明証との区別は、デカルトをして循環論法から免れさせるのである。

 

「デカルトの循環」(e)

最初から話を始めることにしよう。「デカルトの循環」について論じるためには、まずはデカルトの答弁そのものを正確に理解しなければならない。では、循環論法の嫌疑に対してデカルトはどのように答えたのか。『省察』「第四答弁」を見てみよう。

(a)明晰判明に認識されることが真であることが我々にとって確定されるのは、神が存在するからに他ならず、また、(b)神が存在することが我々にとって確定されるのは、そのことが明晰に認識されるからに他ならないと、そのように私が述べた時、私は循環論法を犯していない。

デカルトはそのように答弁している。では、どうして循環論法を犯していないと言うことができるのであろうか。デカルトの言い分は次の通りである。

  1. まず(b)の方に関してであるが、「最初に神が存在することが我々にとって確定されるのは、神が存在することを証明する根拠に我々が注意を向けているからである」。つまり、神の存在は「我々が実際に明晰に認識すること」であるからである。
  2. しかし、我々はいつまでも根拠に注意を向けているわけにはいかない。では、「その後は」どうなのであろうか。今度は(a)の方に関してであるが、我々が実際に明晰に認識することは、神の存在であれ何であれ、いずれ想起の対象となる。即ち、「以前に明晰に認識したことを我々が想起すること」となる。しかし、神の存在であれ何であれ、或る「事物が真であることを我々が確信する」ためには、その事物を「明晰に認識したことを我々が想起する」だけでは十分ではない。更に、「神は存在し神は欺くことはないということを我々が知っているのでなければ」ならないのである。

明証の規則が神的保証を必要とするのは明証が過去のものとなった場合(即ち私は神が存在することをかつて明晰に認識したという場合)だけであって、最初に神の存在を証明する際には、即ち明証が現在のものである際には、明証の規則は神的保証を必要としない。つまり、(b)は(a)を前提しない。それ故に自分は循環論法を犯していない。――デカルトの言い分は要するにそういうことである。

しかしこの答弁は多くの者にとって納得のできるものではないであろう。というのも、「神が存在することは明らかである」という明証は、それが現在的なものである場合も、想起の対象となっている場合も、内容に変わりはないからである。

しかし問題は、明証が現在のものであろうと過去のものであろうと、その内容は変わりない、という見方それ自体なのである。多くの者は明証から時間性を奪う。ということは、デカルトの証明を単なる証明としてしか見ないということである。デカルトの証明を単なる証明としてしか見ないから、明証を無時間的なものと看做す。つまり現在の明証と過去の明証とを区別することの意味を理解することができない。しかしその場合には、デカルトを循環論法の嫌疑から救い出すことは不可能である。

「デカルトの循環」(d)

デカルトの循環」と呼ばれる問題は、デカルト研究の歴史において過去最も多く取り上げられた問題の一つであるが、それは簡単に言うと、

神が存在し神が欺瞞者ではない(誠実である)ことは、明証の規則(明晰判明なことはすべて真であるという規則)に従って証明されることであり、また、明証の規則が正しいことは神によって保証されていることである、

という循環である。

デカルトは「循環論法」を犯しているのではないかという指摘は、既にA.アルノーなどデカルトの同時代の学者によって行なわれ、また後世においてはこの指摘をめぐって数多のデカルト研究者が様々な議論が試みたが、しかし我々は研究者たちの煩瑣な議論をいちいちフォローする必要はないと考えている。

どうして循環論法という批判が出てくるのか。それは要するに、哲学を信仰から完全に切り離されたものと看做すからである。即ち、(信仰において感知される)神の超越性を度外視して、「神」と「明証の規則」とを同列に置くからである。そのようにする限り、デカルトを循環論法という非難から救うことは決してできない。弁明や釈明を行なうことしかできない。あるいは、デカルトは循環論法を犯していないことを独断的に前提することしかできない。

「神」と「明証の規則」との間の循環は、実は、以前に取り上げた「神」と「聖書」との間の循環と同種のものである。「明証の規則」の正しさは、(神の存在が証明される第三省察において何度か現われる言葉で言い換えると)「自然の光」による認識の正しさということであるが、「自然の光」とはまさに「神から我々に与えられた認識能力」(『哲学原理』I-30)であり、或る意味で「聖書」に対応するものなのである。

「神」と「明証の規則」との間の循環は、「神」と「聖書」との間の循環と同種のものであり、つまり確かに循環ではあるが、しかし循環論法ではない。

では、循環論法の循環ではない循環とは何なのであろうか。どうしてそのような循環が存在するのであろうか。

 

「デカルトの循環」(c)

デカルトの循環に関する話を先に進める前に、念のため「デカルトと信仰」について確認しておきたい。

以下、2016年9月19日に本ブログに掲載した拙稿から抜粋する。

筆者は前稿「デカルトと死の修練」において、デカルトの哲学は建て前上は神への信仰から独立しているとしても、あるいは表面上は信仰に依拠していないように見えるとしても、この哲学は実は神への生ける信仰によって実質的に根拠づけられているのではないか、それは黙せる篤き信仰心によってこそ実現され得ているのではないか、従ってデカルトの秘められた信仰心を感取せずにそれを等閑視するならば、その哲学を本当の意味で理解することはできないのではないか――論語読みの論語知らずの如き「デカルト読みのデカルト知らず」になってしまうのではないか――という旨のことを述べ、そのことを「懐疑」「証明」「観念」「方法」をめぐって示した(・・・)

  拙稿「聖体と蜜蝋――信仰のロゴス〔パスカルデカルト〕」【序】

 

 そしてまたデカルトはれっきとした信仰者であることも確認しておきたい。パスカルデカルト批判は余りにも有名であるが、しかし『ド・サシ氏との対話』におけるパスカルモンテーニュ批判をそのまま信じてはならないのと同じように、パスカルが書き残したデカルトに関する断片的な批判を絶対化してもならない。もちろんデカルトキリスト教の擁護を主眼として哲学したわけではないし、パスカルと同種の信仰を有したわけではない。しかし哲学史が築き上げた “合理主義者デカルト” というイメージ(巨大な虚像)を払拭し、哲学史的偏見を排して虚心坦懐にデカルトの言葉に耳を傾けなければならない。デカルトは例えば、神への信仰が我々に何も教えていない事柄は別として、それ以外のことについては超自然的な光を自然の光よりも優先させなければならない、恩寵の光を理性の光よりも優先させなければならないと言っているのであるが、これを啓示に対する単なるお決まりの敬意表明と受け取ってはならないのである。

そして受肉とか三位一体といった「信仰の真理」以外の真理、即ち自然の光によって認識される真理も、実は信仰の光に照らされていることを察しなければならない。そのことを感じ取らなければならない。確かに理性と信仰とは区別される。しかし区別されるということは切り離されるということではない。理性と信仰とは不可分なのである。デカルトにあっては、信仰は理性の内奥に潜み理性を活動させている。つまり信仰は理性の内に浸透している。そのことは特に「神の観念」によく表れているが、しかし神の観念は例外的なものではない。デカルト的明証は超自然的な光から切り離されるならば貧しく無力なものとなってしまうのである。

  拙稿「聖体と蜜蝋――信仰のロゴス〔パスカルデカルト〕」【5】

それでは、「デカルトの循環」に話を戻すことにしよう。

 

「デカルトの循環」(b)

前の記事で、次のような神と聖書の循環を取り上げた。神が存在することは聖書が教えるところである故に信ずべきことである。では、どうして聖書を信じることができるのか。それは聖書は神から授けられたものであるからである。

ここには明らかに循環がある。しかしデカルトが言うには、この循環を循環論法と見るのは信仰のない者である。信仰がある者はこの循環を循環論法とは見ない。

では、それはどうしてなのか。それは信仰とは超越への関わりであるからであり、つまり(超越的な)神と聖書とはいわば次元の異なるものであるからである。逆に言うと、信仰のない者がそうするように上の循環を信仰から独立した純然たる証明と見るならば、即ち神と聖書とを同一平面に並べるならば、上の循環は循環論法であることになるのである。

例えばAという人がBの言うことは正しいと言い、BがAの言うことは正しいと言うという循環は、AとBが同じ人間として同一次元に置かれる限り、悪しき循環(循環論法)なのである。

しかしデカルト省察は循環的ではあるが、それは循環論法を犯しているわけではない。我々が上で指摘した次元の違いということは、デカルトの答弁にも実は示されているのである。

 

「デカルトの循環」(a)

省察』に付された「ソルボンヌ宛書簡」の中で、デカルトは循環論法のよく知られた例を取り上げている。

神の存在を信じなければならないというのは本当である。というのも、神が存在することは聖書において教えられているからである。また逆に、聖書を信じなければならないというのは本当である。というのも、聖書は神から授けられたものであるからである。

ここには明らかに循環がある。しかしこれは循環論法なのであろうか。デカルトが言うには、ここに「論理学者が循環論法と呼ぶ過ち」を見出すのは「信仰を持たない者」である。ということは、デカルト自身も含めて信仰を持つ者は、この循環を循環論法とは看做さないということである。つまり、信仰がなければ分からない、循環論法とは異なる循環が存在するのである。

しかし、研究者たちの中にそのことを洞察した者は果たしているのであろうか。「デカルトの循環」と言われる難問(これについては後述する)は、かつてデカルト研究においてさかんに論じられたものであるが、この難問に取り組んだ数多くの研究者たちの中に、循環論法とは異なる循環を問題にした者は果たしているのであろうか。むしろ殆どの者は、デカルトによる神の存在の証明は信仰から独立した純然たる証明であるという思い込みから自由ではなかったのではないであろうか。つまり殆どの者は、デカルトは神の存在の証明において循環論法という論理的過ちを犯しているのかいないのか、ということだけを専ら問題にしたのではないであろうか。

 

デカルトの懐疑は方法的懐疑ではない ⑦

我々は実生活においてしばしば疑心暗鬼に陥るが、デカルトの懐疑は不安に陥ることによる疑いとはまったく異なるものである。では、それは故意に疑うことなのであろうか。そのように言えないこともないが、しかし「ではやっみろ」と言われて易々と実践できるものではない。 我々はここで、自分は本当の意味で疑うことができるのかと自問してみる必要がある。

ところで、 キルケゴールは絶望について次のように語っている。 

もし絶望していないということが、ただ絶望していないというだけのことで、それ以上の意味も以下の意味も持たないならば、それこそまさしく絶望していることなのである。絶望していないということは、絶望してありうるという可能性が絶滅されたことを意味するのでなければならない。

      【「死にいたる病」(桝田啓三郎訳)】

人は誰でも絶望的な気分を味わったことがあるであろう。しかし真に絶望したことのある者はどのくらいいるのであろうか。実は、たいていの人間は「 絶望してありうるという可能性が絶滅された」状態にあるのではないであろうか。

だが、例えばフランクルの『夜と霧』を読むと分かるように、人間は真に絶望することができてはじめて絶望を越えることができる。逆に言うと、絶望し得るという可能性を絶たれている者、即ち「ただ絶望していないというだけ」という意味で絶望していない者は、まさに「絶望している」のであり、つまり絶望を越える可能性を絶たれているのである。

同様に、次のように言うことができる。我々は様々なことに疑いを抱きつつ日常生活を送っている。しかし実は、本当の意味では疑ってはいないのではないであろうか。ほとんどの人間は疑うことができるという可能性を絶たれているのではないであろうか。即ちただ疑っていないというだけという意味で疑っていないのではないであろうか。しかしそのような意味で疑っていないということは、まさに疑っているということなのであり、つまり疑いを越える可能性を絶たれているということなのである。

本当の意味で疑うことができなければ、疑いを越えること(これは疑いを壊滅させることではない)はできない。つまり信じることはできないのであり、確信を持つことはできないのである。但し、確信は懐疑と不可分である。即ち確実性は懐疑の自己犠牲において生まれるのではない。懐疑が死ねば確実性も死ぬのである。

 

デカルトの懐疑は方法的懐疑ではない ⑥

デカルトの懐疑は世界の外に出る企てであることは、果たして一般に理解されているのであろうか。例えば、いくら世界の外部ということを声高に述べても、世界の外部についてただ単に知的・観念的に論じるだけでは、世界の外部を真に理解しているとは言えないのである。

デカルトは第一省察の締めくくりとして、牢獄に繋がれた囚人の話をしている。囚人は自分が牢獄から解放されて自由の身になっている夢を見ていた。ところが、そのうち目を覚ましかける。そこで、その囚人は快い夢の中に戻るために、もう一度眠りに入ろうとするのである。

この囚人は結局安楽への欲求に負けてしまうのかもしれない。しかしそうであるとしても、快い夢――即ち天と地が存在するとか、2に3を加えると5になるといったことがそこに属する、慣れ親しんだ「この世(=信念世界)」――を拒む苦しみを、少なくとも一瞬味わっている。しかし世界の外部をただ単に知的に論じるだけの学者は、世界の内部で安穏として2+3=5 を疑う学者と同様に、やはり手をぽっぽに入れているのではないであろうか。

では、デカルトはどうして快い夢の誘惑に打ち克ち、苦しみに耐えることができるのであろうか。懐疑に身を投じることは暗黒の中に身を投じることであるかのように思えるが、しかし光がまったく見えていないということはあり得ないであろう。デカルトは確実に超越を感知している。即ち形而上学的欲求に目覚めている。そうでなければ、世界の外に出ることを実際に企てることはできないのであり、従ってまた世界の外部を真に理解することもできないのである。

 

 

デカルトの懐疑は方法的懐疑ではない ⑤

どうして、2+3=5 とか、四角形は四つの辺を持つといった算術や数学の真理は疑い得るのに、コギト(考える私が存在するということ)は疑い得ないのか。――そのような疑義を人は呈する。しかしそれはデカルトの懐疑の基本を理解していないからである。

デカルトの懐疑は、いわば、世界の外に出る企てなのである。

2+3=5 が疑い得るのは、2+3=5 が世界内に属することだからである。世界内に属することである限りにおいて、数学的明証は世界の外に出る企てである懐疑によって越えられてしまう。つまり2+3=5 は疑い得る。

それに対して、コギトは世界内のことではなくて、世界外のこと、即ち形而上学的なことである故に、世界の外に出る企てである懐疑はコギトの明証に直面してその目的に達する。つまりコギトの明証は懐疑を停止させる(但し壊滅させるのではない)。

我々は 2+3=5 を疑うことに非常に大きな困難を覚える。それはほとんど不可能なように我々には思える(屁理屈をこねて疑うふりをすることはできるが)。しかしそれは、デカルトの懐疑は世界の外に出る企てであることを理解していないからであり、相変わらず世界にぬくぬくと安住しているからである。研究者たちはデカルト「と一緒に本気で」(『省察』読者への序言)懐疑を遂行するのではなくて、手をぽっぽに入れたまま膨大な論議を作り出してきた。

デカルトはそのような形而上学的に怠惰な読者を見越していたようである。

 

デカルトの懐疑は方法的懐疑ではない ④

論理や数学は「詩」と対極的なものであると思っている向きは少なくないであろう。しかし本当にそうなのであろうか。

我々は自分の偏見に気づかなければならない。むしろ論理や数学は「詩」を欠くならば真に創造的ではあり得ないのではないであろうか。

ところで、デカルトは数学者でもあったわけであるが、そうであるからといって、その懐疑は「詩」と無縁であるわけではない。むしろデカルトの懐疑は詩人の創造的な生と類縁のものである。

「合理主義者デカルト」という実に怪しいレッテルと共に、「方法的懐疑」とか「知の基礎づけ」とかといった、非常に浅薄である故に非常に分かりやすい物語を頭から信じて疑うことを知らない向きには、是非以下の文を考えてもらいたい。

 詩を書くためには降りてゆかねばならない、それが唯一のルートだ、などと言うつもりはない。第一「手をぽっぽに入れている側」の人間としては、そんなこと言えた義理ではないし、詩がそれだけで説明し尽くせるものとも思ってはいない。

けれど、環境も、体験も、絶望の質も異なる人々の胸に、まごうことなく達してしまう金子光晴の言葉の秘密の根幹は、降りて行ったことと関係を持ち、手をぽっぽから出して泥まみれになったことと、深くかかわっているのは否定すべくもない。

どこを切っても血の噴き出すような、生きて脈打つ日本語たち、それらは生きるか死ぬかの境目で、何か大きな犠牲とひきかえでなければ、到底獲ることのできないものだろうか?

     【茨木のり子金子光晴――その言葉たち」】

デカルトは懐疑を実生活で行なうことは当然のことながら禁じたが、しかしデカルトの懐疑は決して「手をぽっぽに入れて」行なう知的遊戯ではない。それは己れの全存在を賭けて行なうべきものである。いずれ詳しく述べるつもりであるが、デカルトの懐疑は実は「死の修練」(脱身体=脱世界の練習)である。つまり「我思う、故に我あり」という原理は死の修練から切り離して理解することはできないものなのである。

 

デカルトの懐疑は方法的懐疑ではない ③

デカルトの懐疑は確実性に至るための一時的な方法=手段ではない。即ち、デカルトは確実性に至ることによって懐疑を乗り越え、乗り捨てたのではない。

むしろ確実性に至ることは懐疑を深めること以外のことではないのであり、言ってみれば確実性とは懐疑なのである。

詩人の直観と言葉がこのことを理解する一助となる。

(なお引用する前に予め一言しておくと、デカルトの哲学を詩と関連づけることを意外と思う者、とんでもないことと思う者は、デカルトについて“勉強”しかしていない者である。即ち、教科書や事典に書いてあること、後世の哲学者や研究者が語ったことを出発点にしてしか考えない者、つまり本当にものを考えることをしない者である。)

降りていった人、墜ちていった人はたくさん居る。〔パリ時代の金子光晴よりも〕もっと凄まじい煉獄を他動的な力によって這わされた庶民も多かろう。けれどそこから浮上できた人は、一刻も早くそれを忘れたがり、そんな汚辱の経緯はおくびにも出さず秘したがる。金子光晴はそこが決定的に違っていた。下降の途次で視たもの、底で摑んだむき出しの「人間の原理」「人間の地金」「人間の解析」を、たっぷり時間をかけて反芻し、ゆっくりと吐き出したのだ。・・・・・「墜っこちることは向上なんだ」(『人非人伝』)と語っているが、この断定的な言葉がずしりと重いのは、人のよく為しえない反語的世界を生き抜き、みずからが成就してしまったところからくるものだろ。 

         【茨木のり子金子光晴――その言葉たち」】

「墜っこちることは向上なんだ」と言われる。――墜ちることは向上の前段階なのではない。墜ちることは向上であり、向上とは墜ちることなのである。従って、向上は墜ちることによって浸食されている。

確実性も同じである。確実性は懐疑によって浸食されている。それ自身を否定するものによって浸食されていない確実性、つまり自己充足した確実性は、どうして〈超越性〉を持ち得るのであろうか。

 

 

デカルトの懐疑は方法的懐疑ではない ②

神の存在は疑い得ない故に私はそれを信じるのではない。むしろ、神の存在を私は信じる故にそれは疑い得ないことになるのである。ということは、形而上学的確信においては、疑いは背景に退いているだけで、実は疑いの可能性は排除されていないということである。「コギト」の場合も同じである。

というわけで、形而上学においては、確実性は疑いの可能性を無くすことによって得られるのではない。即ち、懐疑と確実性は手段と目的のような外的な関係にあるのではない。分かりやすく言うと、懐疑は確実性に登り詰めるための梯子のようなものではないのである。

形而上学的な事柄が問題である場合には、確実性は懐疑を締め出すものではない。懐疑は確実性に内的で本質的なものである。懐疑が文字通りに克服されてしまったら、確実性は“死せる確実性”になってしまうのである。

 

 

 

 

 

デカルトの懐疑は方法的懐疑ではない ①

方法的懐疑という言い方はデカルト自身のものではない。デカルトは方法的懐疑などということは言っていない。どうしてなのか。それはデカルトの懐疑は方法的懐疑ではないからである。

デカルトの懐疑は「自らを解体することを目指す方法論的手段」であると説明される。確かに疑うことは疑い得ないことに至る手段であるように見える。疑うデカルトは遂に、自分が現に疑っているということは疑い得ないということに気づくのである。このように懐疑はみずからを解体するに至るように見える。

しかし、どうして懐疑が終焉したのか、その真の原因は何かを考えなければならない。実を言って、懐疑が終焉したのは確信が生まれたからである。自分は現に疑っているという確信が生まれたから、自分は現に疑っているということが疑い得ないことになったのである。

ということは、疑い得ないとされることは実は疑い得るということであり、ということはつまり、確信・確実性は疑いを許すということである。

科学的な確実性は疑いを排除するが、形而上学的な確実性は実は疑いを容れる。つまり比喩的に言うと、前者は平板な確実性であるが、後者(例えば「コギト」の確実性)は奥行きのある確実性なのである。

 

 

 

拙稿「聖体と蜜蝋――信仰のロゴス〔パスカルとデカルト〕」 【7】【8】

【7】 信仰のロゴス

 

このように蜜蝋の分析は神への熱望によって動機づけられた死の修練として純粋精神に到る。つまり心身合一を乗り越える。しかし実はこれは一方の真理である。もう一方の真理が存在する。それは心身合一は決して乗り越えられないということである。蜜蝋の分析は心身合一を乗り越え、かつ乗り越えない。蜜蝋の分析は精神性と身体性との矛盾を殊更よく示すものなのである。

心身合一が乗り越えられないことは哲学者自身が証言している。デカルトは第一省察で始めた懐疑の努力を第二省察においても継続し、ついには「私は存在する」という真理に、そして「私は思惟するものである」という真理に到達するのであるが、しかしこうして真理に辿り着いたのにも拘らず、自分の精神は「真理の境域」の内に留まることに未だ耐えられないと述べる。私自身(この場合は純粋精神としての私)よりも物体(この場合は感覚的なものとしての物体)の方が――即ち真なるものよりも疑わしいものの方が――より判明に把握されるというのは驚くべき(mirus)ことであるが、しかし相変わらずそう思えて仕方がない、そう「思わざるを得ない」。そのようにデカルトは打ち明けるのであるが、これは心身合一が未だ乗り越えられないことの告白に他ならない [28]

自分の精神は「真理の境域」の内に留まることに未だ耐えられない。そこでデカルトは新規蒔き直しを図る。即ち、さまようことを好む自分の精神にもう一度手綱をすっかり緩めること、真理の境域からみずからを解放することを許すのである。こうして開始されるのが先に見た蜜蝋の分析であり、この分析によってデカルトは、己れの精神にその手綱を一度緩めることを許した後、再度手綱を引き締め直させるわけである。即ちさまようことを好む精神に一度真理の境域の外をさまよわせた後、再度真理の境域に精神を引き戻すわけである。ところが、蜜蝋の分析を通して心身合一的な世界との交わりから精神としての精神に立ち返ったのにも拘らず、「私の精神は如何に誤りやすいものであることかと私は驚く(miror)」とデカルトは言う [29]。誤りやすいとはどういうことかと言うと、もし蜜蝋がそこにあるならば、我々は蜜蝋そのものを眼で見ると言い、色と姿形からそこに蜜蝋があると判断するとは言わないが、私はやはりそのような日常の話し方によって欺かれてしまう(つまり元の木阿弥になってしまう)ということである。デカルトはここでもう一度気を取り直し、「私は眼で見ると思っていたものを、私の精神の内にある判断能力によってのみ把握するのである」ということを別の例を持ち出して再確認するのであるが、しかしそのことを改めて確認したところで、「私の精神が誤りやすいものである」ことには変わりがないであろう。私の精神は未だ誤りやすいのではない。私の精神はいつまでも誤りやすいのであり、決して誤りやすいものであることをやめてしまうことはないのである [30]。懐疑を繰り返すことで手綱の引き締めはより容易になるとしても、心身合一は決して乗り越えられてしまうことはない。

先ほどは言及しなかったが、デカルトは実は、「私はこの蜜蝋が何であるかを、想像するのではなくて独り精神によってのみ知覚するのである」と述べた後、「しかし精神によってしか知覚されないこの蜜蝋とは如何なるものなのか。もちろん、それは私が見たり触れたり想像したりするのと同じもの(eadem / idem)であり、つまりは最初から私が蜜蝋であると思っていたのと同じものである」と述べている。この蜜蝋は感覚されるのでも想像されるのでもなくて、独り精神によってのみ知覚されるのだと、たった今述べたばかりであるのにも拘らず、精神によってしか知覚されないこの蜜蝋は私が見たり触れたり想像したりするのと同じものであると、わざわざ述べているのである。そして続いて、「蜜蝋の知覚は……独り精神のみによる洞察(solius mentis inspectio)である」と改めて念を押すのであるが、ともあれ、精神によってしか知覚されない蜜蝋は私が眼で見るのと同じものであるということは、精神性と身体性とは同格のものであるということであり、従って心身合一は乗り越えられるべきものではないということを意味する。

死の修練としての蜜蝋の分析は純粋精神への上昇であるが、しかしこの上昇は下降を伴う。デカルトは精神性と身体性との間を往還する。感覚や想像といった身体性は乗り越えられ、かつ乗り越えられない。言い換えると、精神は身体から独立していると同時に、身体に依存している。一方、精神は(典型的にはコギト・スムという形で)精神自身を直接知る。その意味では精神は身体から独立している。しかし他方、蜜蝋の分析が精神の認識に到るためには、あるいはコギト・スムが成り立つためには、精神は死の修練を経なければならない。即ち精神は身体性・世界性を媒介にして己れを知るのでなければならない。その意味では精神は身体に依存している。蜜蝋の分析はこうした精神の身体への依存を特によく示すものであると言えるが、ともあれ、精神はコギト・スムという形で精神自身を直接的に知るのだとしても、この直接性それ自身が媒介性・間接性を必要とするのである。言い換えると、コギト・スムという形で精神は精神自身に現前するのであるが、この精神の自己現前それ自身が例えば蜜蝋の感覚的現前を、つまり精神の不在を必要とするのである。

今、精神の現前はその不在を必要とするということを述べたが、我々にとっては、聖体におけるイエス・キリストの現前‐不在([a]‐[b])は、蜜蝋におけるその本質(延いては精神そして神)の現前‐不在と重なり合う。ここでは第一節で試みた信仰のロゴスの探究(現前‐不在、時‐永遠、露わなる神‐隠れたる神)を振り返ることは省略するが、精神性‐身体性の連関に関するこれまでの考察を踏まえるならば、デカルトの「蜜蝋」はパスカルの「聖体」と呼応し合うと言うことができるであろう。デカルトは蜜蝋を、あるいは精神を、認識すると言うが、しかしこの認識は単なる認識ではなくて、いわば信仰的認識である。信仰が認識の深相であるという言い方をしてもよいが、ともあれ“信じる”ということがあるから、蜜蝋の本質にしても精神にしても、あるいは神にしても、リアリティを有し得るのである。

但しこの場合のリアリティは、眼に見えるもの、認識されるもののリアリティではない。即ち、比喩的に言うと平面的なもののリアリティではない。信仰の対象が有するリアリティは立体的なもの、奥行きのあるもののリアリティである。というのも、信仰とは肉体の眼と精神の眼という二つの眼を同時に持つことであり、そして奥行きのあるものとは肉体の眼で見られる前面と精神の眼で見られる(肉眼では見えない)背面とを持つものであるからである [31]。《l'ordre des raisons》が省察の真相であり省察とは理論体系への道のりであるという見方しかしない者は、デカルトが蜜蝋の分析において精神性と身体性との間を往還すること(この往還は統合を意味する)、つまり認識のロゴスより深いロゴス、信仰のロゴスがこの分析において働いていることを捉えることができず、故に蜜蝋の真のリアリティを逸することになるであろう。

 

【8】 個と普遍

 

蜜蝋の分析を振り返ると、そこにはデカルトが蜜蝋を火に近づける件りがあり、最初に五感に与えられていたものが殆どなくなってしまっても「同じ蜜蝋が残っている(remanere)」ということが語られている。そしていわば衣服を剥ぎ取っても残るものとは「或る柔軟で変化しやすい延長するもの」なのであるが、別の見方をすれば、残るもの即ち変化にも拘らず不変のまま留まるものとは「精神の洞察(mentis inspectio)」である。ところで、蜜蝋の知覚がそれであるとされるこの精神の洞察は、「それを成り立たせているものに向ける私の注意の程度の多いか少ないかに応じて、以前がそうであったように不完全で混乱していたり、あるいは今がそうであるように明晰判明であったりし得る」とされるのであるが、注意とは心身合一に抗して行なわれるものであり [32]、その意味でそれは死の修練であると言うことができる。そして注意が最高段階に達すると精神の洞察は明晰判明になるのであるが、そうであるとすると我々はここでプラトンの『饗宴』における美のイデアの感得のことを思い浮かべることができる。

 ……地上の諸々の美しいものから出発して、絶えずかの美しいものを目的として上昇して行くのですが、その場合ちょうど階段を使うように、一つの美しい肉体から二つの美しい肉体へ、二つの美しい肉体からすべての美しい肉体へ、そして美しい肉体から美しい数々の人間の営みへ、人間の営みから諸々の美しい学問へと昇って行き、最終的にはその諸々の学問から、他ならぬ美そのものを対象とするところのかの学問に行き着いて、まさに美であるそのものを遂に知るに到るというわけなのです(211c) [33]

 これはソクラテスが巫女ディオティマから聞いたという話の中の有名な一節であるが、肉体的な美から精神的な美へと上昇し、遂に「美そのもの」へと到るエロースの段階は、実は死の修練の段階に他ならない。死なくしては愛の昇華は決してあり得ないのである [34]。では、どうであろうか。死の修練としての注意が最高段階に達した場合の明晰判明な「精神の洞察」は、エロースの最高段階としての美のイデアの感得に或る意味で相当すると言えるのではないであろうか。

もう一つ注目すべきは、ソクラテスの話が終わったところで美青年アルキビアデスが酩酊状態で飛び込んできて、ソクラテスへの愛の告白、求愛を行なうことである。これはデカルトが精神性へと上昇したとたんに身体性へと下降するのと類似しているのではないであろうか。デカルトは最初、蜜蜂の巣から取り出した蜜蝋の色や形を見、花の香りを嗅ぎ蜜の甘さを味わったが、死の修練の後やはりそうした心身合一的な生に戻るべくして戻る。つまり死の修練自体が心身合一的な生への回帰を引き起こすのである。(但し心身合一的な生は死の修練を経た後と前とでは質的に異なる。これは看過することのできない重要な点である。)一方、プラトンが美のイデアの話の直後に酩酊したアルキビアデスを登場させソクラテスへの激しい愛――これは肉体を具えた一人の人間への人間的・肉体的な愛であり、その意味では美のイデアの感得とは対極的なものである――を告白させることにもやはり必然性があるはずである。身体性の精神性への転化、精神性の身体性への転化、それが哲学なのである。哲学を人間ソクラテス、人間デカルトから切り離すことはできない。それに、哲学を“人間ソクラテス”、“人間デカルト”から切り離すことは、哲学をして観念世界の中を浮遊させ観念世界に自閉させることなのである〔補注★〕

しかしソクラテス‐ディオテイマの語る「エロースの道」とデカルトの蜜蝋の分析との間には重要な違いがある。前者は一つの美しい肉体から二つの美しい肉体へ、二つの美しい肉体からすべての美しい肉体へというように、個から一般的なものへ、そして美そのものという普遍へと昇って行くのであるが、デカルトはあくまでも「物体一般」ではなくて「この蜜蝋」という個を分析する。物体一般を考察対象にしないのは、「一般的な知覚はかなり混乱しているのが常であるから」であるが、ともあれデカルトは「この蜜蝋」という個を考察することによって「この蜜蝋」という個の本質(「何であるか」)を洞察するに到る。しかし「この蜜蝋」の本質は「蜜蝋一般(cera in communi)の本質でもあり、更に物体一般の本質でもある。つまりデカルトは一般概念というものを経由せずに、物体の本質という普遍を洞察するに到るのである。普遍は一般概念を媒介とせずに直接具体的な個と結びついている。ということは、普遍は概念的普遍ではなくて実在的普遍であるということなのである。

さて、第二省察の前半においてデカルトは懐疑の果てに「私は思惟するものである」という真理に行き着いたわけであるが、この場合の「私」は――「この蜜蝋」に対応する――「この私」、即ちデカルトの私、具体的な個としての私である。ただ、「私は思惟するものである」と言われた場合の私は既に精神としての私であるが、私が自分を一個の私として意識するのは、最初は一個の人間として意識することによってなのであり、最初は身体性をぬきにして「この私」という具体的な個はあり得ない。それは感覚的性質をぬきにして「この蜜蝋」という具体的な個があり得ないのと同じである。そして「私は思惟するものである」の「思惟するもの」であるが、これは個としての「この私」の本質規定であって、この場合の「思惟」は一般概念ではない。一般概念ではないだけではなくて、そもそも既成概念ではないのであるが、ともあれ「私は思惟するものである」という命題は、個である主語が一般概念である述語に包摂される命題ではないのである。しかし「私は思惟するものである」という個としての私の本質規定は、次に私なるもの一般の本質規定でもあることになり、「思惟」という個の本質は私なるもの一般の本質でもあることになるのである。従って思惟という本質=普遍は概念を媒介にして見出されるのではない。つまり概念ではない。それは具体的な個と直接結びついた普遍、真にリアルな普遍なのである。

蜜蝋の場合にせよ、「私」の場合にせよ、具体的な個と真にリアルな普遍とを結びつけるのは決して推論のロゴスではない。それは信仰のロゴスである。では、聖体の秘蹟についてはどのように理解すればよいのであろうか。聖体は極めて特殊なものである。第一にそれは蜜蝋とは違って単なる感覚的個体ではなくて象徴的な感覚的個体である。つまりそれ自体が問題になるのではなくて、それが象徴するものが問題になる、そのようなものである。第二に蜜蝋一般のような聖体一般というようなものは最初から問題にならない。そして第三にイエス・キリスト一般というものも最初から問題にならない。そういうものはあり得ないのである。聖体に現実に現前するイエス・キリストにしても、聖体が象徴するイエス・キリストにしても、絶対的に掛け替えのない個であると同時に普遍的な本質でもある、そのようなものなのである。――これら三つは決して無視することのできない重要な点であるが、しかしともあれ、感覚的な個物である聖体と、絶対的に掛け替えのない個であると同時に普遍的な本質でもある(但し決して概念ではない)イエス・キリスとが結びつくのは信仰のロゴスのお蔭であることは間違いない。というより、聖体の秘蹟は信仰のロゴスが働くモデルケースなのである 

 

[28] 『哲学原理』 I-73では、注意を向けること、取り分け感覚にも想像にも現前しないものに注意を向けることは、心身合一性の故に困難と疲労を伴うということが言われている。

[29] この驚きは、真なるものよりも疑わしいものの方がより判明に把握されるというのは驚くべきことであると言われた場合の驚き、即ち蜜蝋の分析の切っ掛けとなった驚きと、別のものではない。

[30] 第四省察デカルトは、私が誤るのは意志の作用即ち判断においてであるとした上で、こうした意志の作用を「私が引き起し得るということは、引き起し得ないとした場合よりも私においては或る意味でより大きな完全性である」としている。つまり誤り得ることは誤り得ないことよりも或る意味でより大きな完全性なのである。

なお、『省察』全体は、「……人間の生は個別的な事物についてしばしば誤りに陥りやすいことを告白しなければならず、我々の本性の弱さを承認しなければならない」という言葉で締めくくられている。

[31] チェスタトンの次の言葉を参照。《The ordinary man has always been sane because the ordinary man has always been a mystic. … He has always had one foot in earth and the other in fairyland. … If he saw two truths that seemed to contradict each other, he would take the two truths and the contradiction along with them. His spiritual sight is stereoscopic, like his physical sight: he sees two different pictures at once and yet sees all the better for that.》 Gilbert Keith Chesterton, Orthodoxy, II

[32]  『哲学原理』 I- 73を参照。

[33] 訳は鈴木照雄訳を用いたが、何箇所かで平仮名を漢字にするなどの変更を加えた。

[34] 「愛と死」というテーマは文学作品などにその例が数多く見られると思われるが、よく知られた例で言うと、スタンダールの恋愛小説『赤と黒』の最終場面で主人公が死を覚悟しみずから断頭台に上ろうとした時、まさにその時、愛は身体性・世俗性から脱して高みに達しているのである。

 〔補注★先に述べたように、省察するデカルトは基本的に心身合一体としてのデカルト、人間デカルトであるが、形而上学省察は身体性と精神性との間の往還であって、人間デカルトそのものが形而上学の主題なのではない。人間デカルトそのものを主題とするのは(デカルトが言う意味での)「道徳」である。『方法序説』ではその第二部で「真理の探究」を司る「方法の規則」が、第三部で「実生活」を司る「道徳の規則(格率)」が掲げられているが、拙稿「デカルト/生の循環性」(『哲学誌』第55号、2013年)で詳しく論じたように、方法の規則と道徳の格率は或る意味で対照的なものでありながらも実は密接に繋がっている。両者は互いに支え合い一つの全体を形成しているのである。従って例えば「道徳」のことを度外視して「形而上学」だけについて研究するというようなことは本当は許されないことなのである。ところでデカルトの場合、形而上学省察内部における精神性と身体性との関係は緊張感のあるものであるが、真理の探究と実生活との関係は平和的であるように思われる。デカルトは真理の探究においては信じていることを敢えて疑い、実生活においては疑わしいことを敢えて信じるのであるが、認識の領域と行動の領域とが区別されているので、これら二つの態度の間に軋轢は生じないのである。

 ところがソクラテスの場合は違う。ソクラテスにあっては真理の探究と実生活とは直接的に関与し合うのであり、そのことによって哲学者を大きな危険に巻き込むのである。メルロ=ポンティコレージュ・ド・フランスの教授就任講義『哲学礼讃』は、ソクラテスを題材にして「哲学者の役目(fonction)」を問題にする件りを含む貴重な文献であるが、この件りの一部に筆者の解釈を加えつつ、ソクラテスにおける真理の探究と実生活との関係について少し考えてみたい。

メルロ=ポンティソクラテスの話に入る前に、恐らくその伏線としてベルクソンの改宗問題に言及している。――1937年の遺言によると、ベルクソンは熟慮を重ねるうちに次第にカトリックに近づいて行ったが、反ユダヤ主義の波が押し寄せるのを目の当たりにして、カトリックの洗礼を受けずに(隠れて受けることもせずに)、同胞のユダヤ人たちと共にいることを選んだ。もしベルクソンが真理の探究は真理の探究であり、実生活は実生活であるという割り切り方をしていたならば、彼はカトリックに改宗しかつ同胞のユダヤ人を見捨てずにいる(教会の立場からユダヤ人を支援する)ことができたかもしれない。しかし真理への関わり(この場合の真理はカトリシズム)は他人への関わり(この場合の他人はユダヤ人)を経由しなければならないのであり、真理への関わりを他人への関わりに優先させてはならない。また逆に後者を前者に優先させてもならない。このようなわけでベルクソンは、権力がこの高名なユダヤ人に与えようとしていた様々な便宜を病気と老齢とにも拘らず拒否して、明日迫害されようとしていた人々の間に留まることを選択した。メルロ=ポンティが言うには、「どんな犠牲を払ってでも、人間関係を断ち切り実生活と歴史の束縛を断ち切ってでも、そこにおいて真理を探究しなければならない、そのような真理の場(lieu de la vérité)というものは彼にとって存在しないのであり、そのことをベルクソンは彼が行なった選択そのものによって証言しているのである」。ただ、ベルクソンメルロ=ポンティのこの主張に同意するかどうかは大いに疑問である。この主張はむしろメルロ=ポンティ自身の哲学者像を表わすものであろう。

 さて、ベルクソンの改宗に関する話が終わったところで、メルロ=ポンティは現代の哲学者は常に著述家であることを指摘する。書物というのは現実世界から隔離された学問世界、即ち実生活から切断された件の「真理の場」というものが存在するという錯覚を与えるものである――但しデカルトは多くの著述を行なったが、真理の探究と実生活とをひと組のものとし、現実世界との繋がりを決して失わずに哲学した故に、決してそのような錯覚に陥っていない――が、メルロ=ポンティが特に強調するのは、「書物の中に置かれた哲学は人々に声をかける(interpeller)ことをやめてしまっている」ということである。このことを強調するのは、著述をせずに街の中で人々に話しかけた哲学者、ソクラテスを登場させるためであり、そしてソクラテスを登場させるのは、「哲学者の役目」を思い出すためであり思い出させるためである。

ソクラテスの生と死は、書物の世界の中で哲学するのではなくて、また書物を通してその哲学を伝達するのでもなくて、人々に声をかけ質問するという仕方で哲学する哲学者にとって、ポリスとの関係は如何に困難なものになるのかを物語っている。ソクラテスは彼がポリスの神々を認めていないという理由で告発された。しかしソクラテスはみずから神々に犠牲を捧げているし、しかもそのことを人々は見て知っているのである。では、何が問題なのか。メルロ=ポンティソクラテスが裁判の中で、自分は自分を訴える人の誰よりも神を信じていると語ったことに着目し、ソクラテスは告発者たち以上に信じているが、しかしまた告発者たちとは別の仕方・別の意味で信じているのである、と指摘する。ここが問題である。別の仕方・別の意味で信じているということは、告発者たちから見ればそれは信じていないということであり、ポリスの神々を認めていないということなのである。ところで、信じる仕方が違う、信じるということの意味が違うということは、真理観の違いということである。メルロ=ポンティはこう書いている。「ソクラテスが真であると言う宗教は……ソクラテスのダイモニオンのように無言の警告によってのみ、また人間に己れの無知(ignorance)を思い出させることによってのみ、神が現われる〔みずからを啓示する〕宗教である。従って宗教は真であるが但し宗教自身が知らない(elle ne sait pas elle-même)真理性によって真なのであり、つまりソクラテスが考えるように真なのであって、宗教が考えるように真なのではない。」

 宗教は宗教が考えるように真なのではないということは、ポリスの人々が宗教は真であると考えるように宗教は真なのではないということであるが、哲学者とポリスの人たちとでは、「真である」ということの意味が異なるのであり、つまり真理観が異なるのである。哲学者とは真理を探究する者(知を愛し求める者)である。つまり哲学者にとっては、他の人たちにとってとは違って、真理は所有すべきものではなくて探究すべきものなのであり、分かるとは分からないということが分かること(分からないということが分かるという仕方で分かること)なのである。これがソクラテスの神への信仰と告発者たちのそれとの間の解消され難い齟齬である。

しかしソクラテスがもし著述家であったならばどうなったのであろうか。(もしそうであったならば、そもそもソクラテスはいわゆる無知の知という悟りを得なかったかもしれないが、その問題はさておくとして、)その場合には恐らく件の齟齬はソクラテスとポリスとの関係をそれほど困難なものにしなかったのではないであろうか。しかしソクラテスは街で人々に問いかけるという仕方で哲学し、しかも裁判で長大な弁明を行なった。つまり真理への関わりが他人への関わりを経由した(また逆に後者が前者を経由した)のであり、それ故にソクラテスは結局死刑に処せられたのである。その「役目」を完全に果たした哲学者は歴史上ソクラテスただ一人であろうが、ともあれ「哲学者であるということ」は、他人を経由して真理に関わり真理を経由して他人に関わるということ、即ち真理の探究と実生活とが互いに関与し合うということであり、それは哲学の講義をしたり研究業績を作ったりすることなどとはまったく違って、つまり哲学研究者であることとはまったく違って、非常に危険なことなのである。

                               

                              (2016.02.14)