松岡 健 『医道百景』――医の道は人の道なり

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♦ 呼吸器内科医としてコロナと戦っておられる著者の松岡医師は、その出自や経歴や実績の卓越性にも拘らず、偉ぶった雰囲気を微塵も感じさせない稀有な方である。編集部による紹介文にこうある。――先生は「たとえ病院という閉域社会の権力者の地位であっても、医師や看護婦、薬剤師や介護士など直属は語るに及ばず、非正規の掃除担当者や電話番の夜勤宿直員、更には下請取引先営業者に至るまで分け隔てることなく、全員を同列の人格として平等に接する・・・」と。これを読んで私は感銘を禁じ得なかった。

♦ しかしこのような人となりといったものは医師にとって本質的な問題ではないのではないか。――そう考える向きは少なくないかもしれない。しかしそうではないのだ。医師は患者(という具体的な人間)を治療するのであり、そうである以上、医師は科学という〈没人格・没価値〉の世界に閉じこもることを許されないのであり、何よりも死生観や慈愛や美意識といったものを要求されるのである。従って、本書の第89話にもあるように、例えば偏差値は高いが美意識が低い人たちが医師になるというのは大変困ったことなのである。著者は更に美意識“アート”が“サイエンス”を育むということも指摘している。

♦ このように医学は単なる科学(学問)ではない故に、言い換えればロボットやAIには原理的に医師の代わりは務まらない故に、著者は「医道(医の道)」という言い方をするのであるが、この道は行き先が予め定められた道ではない。即ち予めどこかに敷かれている道ではない。医師はみずから自分の道を切り拓いて行くのであり、自分の道を切り拓くことによって自分に出会い自分を見出すのである。また道が拓かれ得ることが前もって保証されているわけではない。医師は実際に道を拓くことによって、道が拓かれ得ることを証明するのである。

♦ 道を拓くことは、〈過去と現在〉そして〈他人と自分〉を未来に向かって交流させることである。「医の道」は「人の道」であるということを最後に強調しておきたい。