高橋和巳「孤立無援の思想」(1963)を読む (12)  ――孤独と連帯、ニヒリズムと創造――

♦ 作家で精神科医加賀乙彦氏(1929-)は、かつて親しく交わった高橋和巳(1931-71)について、4年前の或る会見(この会見の模様はyoutube動画で観ることができる)の席で懐かしい思い出を語っておられたが、ここでは今から半世紀前、高橋が亡くなって間もなくして書かれた加賀氏による回想文、「高橋和巳・荒廃の世代」(『虚妄としての戦後』1974所収)に少し触れてみたい。

♦ 回想は、記憶にまだ新しかった高橋の葬儀のことからはじまる。

「71年5月9日、青山斎場に集まった人々の多くは若い男女であった。団体でくり出してきたのではない、各自がみずからの意志で出掛けてきた、そんな孤独で思いつめた様子であった。

そして、祭壇横に立並ぶ師友の顔にも私は同じ様子を認めた。葬儀委員長の埴谷雄高をはじめ第一次戦後派の長老ともいうべき人々が、「人間として」の同人たちと並んで年若い作家の死を悼んで項垂れている。そこにはやはり党派に属しない孤独な顔があった。」

♦ 「孤独で思いつめた様子」、「党派に属しない孤独な顔」。――こうした孤独な人たちの間にこそ、真の連帯が生まれ得るのだ。加賀氏はそう思ったのである。私なりの理解を付け加えて言うと、真の連帯を作り得るのは、決して立場(イデオロギー)を同じくする人たちではない。立場というものは他人と共有し得るものであり、言い換えれば真に自分のものではないのである。日本が右傾化して再び戦争をはじめようとした時に、熱狂的ではないとしても気骨のある連帯を作って最後まで挫けずに抵抗することができるのは、イデオロギーを同じくする人たちではなくて、他人と共有し得ない「自分一人の思想や芸術を守ろうとする」真に孤独な人たちなのだ。蓋し、そのような人たちは尊敬の念の混ざった共感を互いに抱き得るのである。

♦ ところで、加賀乙彦氏が高橋和巳に共感を覚えるのは、二人が同じ世代、即ち第三の新人の次の世代に属することと深く関係するのであるが、加賀氏によると、この世代の多くは、戦争中は軍国主義にかぶれ、戦後は共産主義にかぶれた。つまり2度にわたって挫折を味わったのである。こうした苦い体験もあり、高橋は体制や党派を信じない。彼が信じ得るのは自分だけである。従って彼は世界の虚飾に欺かれることはない。彼はこの世界を荒地とか砂漠とか廃墟といった不毛の場所と見るのである。つまり現実世界の裏を見透かすのであり、「華麗な街の背後に焼け跡を見る」のである。

♦ これは現実世界の否定であり、徹底したニヒリズムであるが、高橋は「このニヒリズムから文学を創造しようとした」のだと加賀氏は言う。私はこうしたニヒリズムからの創造ということに、上で述べた孤独な人たちの連帯ということと同じような逆説を見出す。それはつまり、荒廃した不毛の地こそが、既成の理論や既成の思想に依拠しない真の創造を可能にする豊饒な地であり得るという逆説である。ところで、ニヒリズムからの創造は決してニヒリズムの克服ではない。「進むにつれて希望はいつも地平の彼方へあとずさりしていき、目の前には闇黒しかない」のである。しかしニヒリズムの克服といったような安っぽい話は無用である。私が思うに、ニヒリズムからの創造を企てることそれ自体に、意味が“あり“、価値が“ある“のである。つまりニヒリズムを深めることそれ自体が、ニヒリズムの否定なのである。