高橋和巳「孤立無援の思想」(1963)を読む (13) 

或る非暴力の極致が、権力の道徳的堕落を露呈させ、そのことによって一つの政権が倒れるということがかつてあった。

 

❤1963年6月11日、ベトナムサイゴンで衝撃的な事件が起こった。ゴ・ジン・ジェム政権による仏教徒に対する弾圧に抗議して、一人の老僧がガソリンをかぶって焼身自殺したのである(後に何人かの若い僧侶たちもこれに倣った)。老僧は支援者たちが拝跪する中、燃え上がる炎の中でも蓮華坐を保ち続け、絶命するまでその姿を崩さなかった。この模様はカメラを通じて世界中に放映されたのであるが、ゴ・ジン・ジェム大統領の義妹マダム・ヌーはアメリカのテレビインタービューで、「あんなのは単なる人間バーベキューよ」などと発言した。

 

❤かつて学生時代に破防法反対にからむ或る事件の際に、ハンガーストライキという苛酷な試練をみずからに課したことのある高橋和巳(ハンストをした当時は「奇妙にもまったく非政治的なジャイナ教ニヒリズムというべき立場にいた」)は、――自分も「一個の狂気の者」なるゆえに――決然とこの焼身自殺を弁護する側に立ったのであるが、それは断固、権力と正反対の非暴力の極致に与することであった。

 

「思うに、つねに勝ちつねに自己を正当とみとめることを至上命令とする権力の論理の 対極 に、

ただみずからの死を唯一の究極的武器とし、相手の面前で自害してみせる、

非暴力なるゆえに自己の人間性を剥奪する悲惨な矛盾というものが位置する。」

――「焼身自殺論」(1963.9.16) <>は引用者による

 

【注】 非暴力の戒めにより人殺しはできないので、他人を殺すのではなくて自分を殺す。しかし自分を殺すことも実は非暴力の戒めに背くことであり、非暴力の掟と矛盾することである。それ故に「悲惨な矛盾」と言われる。

 

❤また高橋は、「坊さんのバーベキュ・ショウには手をたたいてやりたくなりますわ」と放言したマダム・ヌーに触れつつ、次のように言う。

 

「しかしみずからの肉体にガソリンをかけ合掌したまま黒こげになる僧侶の姿と、

それを人間のバーベキュだと罵る政治の論理とのあいだにひらく深淵にこそ、

今なお人類が克服しえないでいる非人間性のいっさいが含まれている。」

 

【注】 ここで言われている非人間性に関してであるが、非暴力こそは人間を人間たらしめる徳なのだ。「焼身自殺論」の少し前に発表された「非暴力」(1963.7.15)では、「非暴力というものは、暴力に反対する消極的観念ではなく、人間存在を他の存在一般と区分する基本的条件なのである」と語られている。

 

❤マダム・ヌーの発言は宗主国アメリカのジョン・F・ケネディをも激怒させ、1963年11月の軍事クーデターでゴ・ジン・ジェム大統領は殺害された。このことを高橋は次のように予言していた。

 

「近代的思惟は国家や一つの体制の破滅を、階級矛盾や経済的破綻にのみ求めるように見えるけれども、しかしなお今一つ、為政者の道徳的堕落によってもまた[国家や一つの体制は]滅びるのであることを、ゴ・ジン・ジェム政権もまた遠からず思い知るであろう。」

 

❤芸術と宗教は魂の浄化(脱世俗化)として、

件の焼身自殺と同様に、非政治的なやり方で、しかも決して政治から遊離せずに、

個人にだけではなくて社会に寄与すべきものであると私は考える。