優劣の呪縛からの解放――身体の論理[2]

♦ 以前NHKの報道にもあったが、ロシアのウクライナへの軍事侵攻に隠れた形で、ミャンマーでは内戦が泥沼化している。無抵抗の住民をも巻き込む大規模な空爆を展開した国軍と、抵抗勢力との戦闘が深刻化しているのである。内戦ということでは、例えば、古くロシア革命期においてレーニンボリシェヴィキ政権が行なった大量殺人(赤色テロ)のことがすぐ思い浮かぶが、それはともあれ、私は今、政治というものそのものの恐ろしさに改めて思い至る。――戦争は政治の破綻ではない。むしろ政治がむき出しになって継続することなのだ。そのように高橋和巳は繰り返し語っていたが(「戦争論」「暗殺の哲学」)、まさにその通りなのであろう。政治がむき出しになることは、人間の闘争本能と支配欲がむき出しになることなのである。戦争を根絶するためには、政治がむき出しにならないようにしなければならない。しかしそれは決して不可能なことではないであろう。

♦ ところで、芸術は政治と違って、決して戦争にはなり得ないものである。ただ、芸術にはビジネスやコンクールといった競争的なものが内部に侵入する可能性が十分にあるのであり、実際競争的なものの侵入による弊害が少なからず見られるのである。

私は2018年6月13日の投稿において、ピアニストのピレシュの次のような言葉を引いた。(テレビの字幕は元の言葉を忠実に再現するものではないが、ここでは字幕に従う。)

「今は音楽ビジネスやコンクールばかりが注目されます。芸術の存在余地がない、表面的なものばかりです。若者たちはそこから逃れられないと思い込んでいます。でも、そんなことはない。彼らは自らの本質(their own nature)をとことん探るべきなのです。芸術や創造の源、つまり音楽の根源を探求せねばならないのです。」

♦ そして、私はこのピレシュの言葉に次のようなコメントを添えた。

「商業主義の世界においては、多くの人に受けるものしか求められない。また競争主義の世界では点数化し得るものしか問題になり得ない。そこで若者たちも、世間の尺度や評価者の基準に良く合致する演奏をしようとする。しかしこのような演奏は、たとえ表面的には面白く個性的なものであろうと、創造的な演奏ではあり得ない。他人の眼の奴隷になり、自分を飾ることしか考えず、自分自身の魂に問いかけることのない演奏が、創造的な演奏であるわけがないのである。というのも、創造の源、即ち音楽や芸術の源(source)は、他ならぬ自分自身の自然本性(nature)であるからである。

ピレシュは、自分を見失ってしまっている若者たちを何とか覚醒させようとしているのである。」

――「音楽することと哲学すること――ピレシュの言葉(1)」 2018.06.13

♦ さて、少し回り道をしたが、次に前稿の末尾で触れた、ダンサーの勅使河原三郎氏の「自分は人との競争が苦手である」とういう言葉について考察することにしたい。(続く)

https://www.youtube.com/watch?v=BBn-LXlfG1w&list=PLSVowH80CLGweLgW_Z098zybrfsIxIE8u&index=2&t=80s

優劣の呪縛からの解放――身体の論理[1]

♦ ダンサーで振付家勅使川原三郎氏を特集する番組(日曜美術館)を録画で観た。この番組では様々なシーンが連関なしに羅列されていて、番組制作者が一体何を理解し何を伝えようとしているのかが観ていてよく分からなかったのであるが、それはともかくとして、ここでは『風の又三郎』(2022年9月公演)に向けて行なわれた、愛知県芸術劇場でのワークショップ形式のオーディションにおいて、勅使河原氏が地元東海圏のバレエダンサーたちを相手に語っていたことに注目してみたい。

♦ 氏が諭すように語っていたことを再構成してみると、――

確かにダンスというのは表面上行なうという外向きのことであり、胸や顔や手や足つきといった、表面のいちばん出っ張っているところを人は見たがる。しかし本当に大事なのは表面の反対側、つまり裏側なのである。

具体的に言うと、体を動かす上で最も大事な部分は脇の下である。そして喉、耳の下、股関節、足の裏。つまり体で隠れているところ、柔らかいところが、体をコントロールする上で大切なところなのである。

そして何といっても大切なのは呼吸。呼吸は眼に見えないが、体の動きを明快にするのである。

♦ そこで勅使河原氏は、見えないものこそが見えるものを作っているのであり、動かないものこそが動くものを作っているのであると言う。あるいは、表も裏も一緒なのであり、もっと言えば裏こそが表なのであると語る。因みに、氏は件の番組とは別のところでも、例えば、動きの芸術であるダンスは静けさtranquilityに達する道であり、動きと静けさは対照物として互いに必要とし合っている、つまりそれらはリンクしている、というようなことを述べているのであるが、これは言い換えれば、動きこそが静けさを作るということ、動きこそが静けさであるということであり、動きも静けさも一緒であるということである。

♦ 以上に見たような、裏と表、見えないものと見えるもの、動きと静けさといった反対物の連結、同一性ということは、言葉としてだけ見るならば特に目新しいことではないのであるが、重要なことは、それがダンスや振付などの創造的実践において、まさに身体によって、勅使河原氏が確信するに至ったことであるということである。つまり、氏が様々な形で語る反対物の同一性は、メルロ=ポンティが生涯追求し続けた〈身体の論理〉なのである。

♦ ところで、件のオーディションとは別の場所でのインタビューで、自分は人との競争が苦手だし、優劣という価値観も好きでない、芸術にそんなもの〔優劣などというもの〕があるわけないし、人生にそんなものがあるわけない、と勅使河原氏が語る場面がある。では、氏はどうしてそのように言うのであろうか?(続く)

https://www.youtube.com/watch?v=qUJVVbdCQhE&list=PLSVowH80CLGweLgW_Z098zybrfsIxIE8u&index=15

パースペクティブ

♦ 内海信彦氏のfacebookへの投稿(9月26日)にこうある。――

「(・・・)自分の考えを入れない、主体的に思考しない若者が、高校教師や、予備校講師になり、大学の講師や、教授にもなれる日本とは、全体主義の既成事実化を教育の場で達成した、世界的にも類例を見ない完成形の全体主義国家です。(・・・)若者に絵を描かせると、パースがない、児童画を描く子がほとんどです。親や教師が子達の上に描いてあります。パースとは遠近法ですが、絵画専門バカが言うパースではありません。パースとは、希望の描き方です。希望の虹に向かう道を描くことです。パースは、主体的な思考を行う若者が築き上げる社会の描き方です。」(以上引用)

♦ さて、私の部屋の窓からは6kmほど離れた西新宿の高層ビル街がよく見渡せる。もし都庁まで歩くとしたら1時間20分ほどで行けるそうであるが、高層ビル街の更に向こうの方に行くには当然もっと時間がかかるであろう。では、純白の雲がたなびくあの青空まで歩いて行くとしたら・・・。このように、私の眼差しは1時間先の未来にも、1日先の未来にも、1年先の未来にも、更には無限に遠い未来にさえも及んでいるのである。――とはいえ、私は何も恣意的に空間的距離を時間で表してみたわけではない。我々は社会生活の必要上、あるいは学問研究の必要上、時間を空間的に表象せざるを得ないのであるが、実は時間それ自体は空間的なものではない。むしろ逆に、空間自体が根源的には時間的なものなのである。絵画を見て時間を感じたり、音楽を感じたりすることは、何ら不思議なことではないのである。

♦ ところで、上に見たように、私の眼差しはこの現在から近い未来に、そして遂には無限に遠い未来にも及ぶのであるが、このような眼差しは基本的な主体的行為であり、基本的な主体的思考であると言える。つまり、主体性が存在するということと、世界にパースペクティブが存在するということと、過去-現在-未来という時間性が存在するということは、同じ一つのことなのである。「児童画」にはパースペクティブが欠けているとすれば、それは要するに児童は未だ主体性=時間性をぬきにした生き方をしているからである。

♦ 希望とは私の眼差しである。希望とは未来を先取りする私の眼差しである。未来を先取りするということは、(時間を空間的に表象する場合のように)未来を現在化することではない。そうではなくて、この現在から、来るべき現在へと超越することである。希望とはこの超越の運動であり、この超越の緊張である。希望は現実逃避ではなくて、現実の現実性そのものである。

高橋和巳「孤立無援の思想」(1963)を読む (12)  ――孤独と連帯、ニヒリズムと創造――

♦ 作家で精神科医加賀乙彦氏(1929-)は、かつて親しく交わった高橋和巳(1931-71)について、4年前の或る会見(この会見の模様はyoutube動画で観ることができる)の席で懐かしい思い出を語っておられたが、ここでは今から半世紀前、高橋が亡くなって間もなくして書かれた加賀氏による回想文、「高橋和巳・荒廃の世代」(『虚妄としての戦後』1974所収)に少し触れてみたい。

♦ 回想は、記憶にまだ新しかった高橋の葬儀のことからはじまる。

「71年5月9日、青山斎場に集まった人々の多くは若い男女であった。団体でくり出してきたのではない、各自がみずからの意志で出掛けてきた、そんな孤独で思いつめた様子であった。

そして、祭壇横に立並ぶ師友の顔にも私は同じ様子を認めた。葬儀委員長の埴谷雄高をはじめ第一次戦後派の長老ともいうべき人々が、「人間として」の同人たちと並んで年若い作家の死を悼んで項垂れている。そこにはやはり党派に属しない孤独な顔があった。」

♦ 「孤独で思いつめた様子」、「党派に属しない孤独な顔」。――こうした孤独な人たちの間にこそ、真の連帯が生まれ得るのだ。加賀氏はそう思ったのである。私なりの理解を付け加えて言うと、真の連帯を作り得るのは、決して立場(イデオロギー)を同じくする人たちではない。立場というものは他人と共有し得るものであり、言い換えれば真に自分のものではないのである。日本が右傾化して再び戦争をはじめようとした時に、熱狂的ではないとしても気骨のある連帯を作って最後まで挫けずに抵抗することができるのは、イデオロギーを同じくする人たちではなくて、他人と共有し得ない「自分一人の思想や芸術を守ろうとする」真に孤独な人たちなのだ。蓋し、そのような人たちは尊敬の念の混ざった共感を互いに抱き得るのである。

♦ ところで、加賀乙彦氏が高橋和巳に共感を覚えるのは、二人が同じ世代、即ち第三の新人の次の世代に属することと深く関係するのであるが、加賀氏によると、この世代の多くは、戦争中は軍国主義にかぶれ、戦後は共産主義にかぶれた。つまり2度にわたって挫折を味わったのである。こうした苦い体験もあり、高橋は体制や党派を信じない。彼が信じ得るのは自分だけである。従って彼は世界の虚飾に欺かれることはない。彼はこの世界を荒地とか砂漠とか廃墟といった不毛の場所と見るのである。つまり現実世界の裏を見透かすのであり、「華麗な街の背後に焼け跡を見る」のである。

♦ これは現実世界の否定であり、徹底したニヒリズムであるが、高橋は「このニヒリズムから文学を創造しようとした」のだと加賀氏は言う。私はこうしたニヒリズムからの創造ということに、上で述べた孤独な人たちの連帯ということと同じような逆説を見出す。それはつまり、荒廃した不毛の地こそが、既成の理論や既成の思想に依拠しない真の創造を可能にする豊饒な地であり得るという逆説である。ところで、ニヒリズムからの創造は決してニヒリズムの克服ではない。「進むにつれて希望はいつも地平の彼方へあとずさりしていき、目の前には闇黒しかない」のである。しかしニヒリズムの克服といったような安っぽい話は無用である。私が思うに、ニヒリズムからの創造を企てることそれ自体に、意味が“あり“、価値が“ある“のである。つまりニヒリズムを深めることそれ自体が、ニヒリズムの否定なのである。

高橋和巳「孤立無援の思想」(1963)を読む (11) 

♦ 鈴木耕氏は大学生の時に当時出た『邪宗門』を読んで一気に高橋和巳の大ファンになったそうなのであるが、その鈴木氏は(森友文書改竄に関わった)佐川宣寿前国税庁長官(当時)が国会での証人喚問において証言拒否を繰り返したことに触れつつ、佐川氏の学生時代の愛読書が『孤立無援の思想』であったという報道に関して、それは本当のことなのかと驚く。佐川氏は喚問の際には既に組織から離れていた。にも拘らず、組織の首枷から自由になることができなかった。これは孤立無援の思想とは途轍もなくかけ離れた生き方なのである。

♦ 鈴木氏によれば、高橋和巳は「徹頭徹尾、組織と個の軋轢を根底において描いた作家だった」のであり、「個がどこまで組織に殉じるか、いや、個がどのように組織に抵抗するか、「孤立無援」とはそれを象徴する言葉」である。ところが、佐川氏は国会喚問において徹底的に「組織」に殉じた。「離れてしまったはずの組織から自由になれない。それはもはや「洗脳」に近いと思うしかありません。官僚とは、それほどまでに組織との自己同一化を図らなければならない職業なのですか?/このところ「官僚が壊れている」という批判をよく聞きます。それが「官僚組織」という機構なのであれば、機構改革で修復することもできるでしょう。しかし「組織」ではなく、それを構成している「個」が壊れかけているとしたら、もはや修復は困難なのではないでしょうか。」(「言葉の海へ」第27回:佐川君への手紙、2018)

♦ 組織との自己同一化ということで私が直ちに思い浮かべるのは、ナチス・ドイツの歯車として与えられた命令を従順にこなし、無自覚的にホロコーストに加担した男、アドルフ・アイヒマンのことである。いわゆるアイヒマン裁判において彼は、「自分は上司の命令に従っただけだ」とひたすら主張した。彼が自分の罪の重さを自覚しておらず、良心の呵責を何ら覚えていなかったというのはどうも本当らしい。そして恐るべきことに、アイヒマンのように組織や上司に絶対的に臣従する――それ故に悪行に対する責任を(少なくとも心理的には)免れる――くそまじめな組織人間は、佐川氏だけではなくどこにでもいるのである。[参考:映画「スペシャリスト ~自覚なき殺戮者~」]

♦ 上に見たように鈴木耕氏は個が壊れるという言い方をしているわけであるが、個が壊れるということは私なりに解釈すれば、判断放棄に陥るということである。では、どうして人は判断を放棄するのか。それは例えば組織に何か不正があったとしても、それについて真偽や善悪の判断を行なわなければ、自分は何の責任も負わずに安全地帯に引き籠ることができるからである。実は、我々は学生時代から判断放棄の習慣を身につけさせられている。試験勉強というのはクイズを解く練習である。即ち、問題用紙に書かれていることの真偽や善悪の判断を一切免除されつつ――つまり一切の責任を免除されつつ――ひたすら予め用意されている正解を見つける練習なのである。

♦ ところで、判断することは葛藤することである。もし佐川氏がみずから判断を行なう人間っであったならば、上司からの命令があった時に彼は必ず葛藤したのであり、そのことによりもしかしたら心身ともに病んだかもしれない。しかし世の中が葛藤しない口先人間ばかりになったら一体どういうことになるのであろうか。その場合には、理想というものは単なるスローガンや抽象概念にとどまるであろう。

 

「いかなる理想も、それ自体が一つの葛藤体である個々の人間を通してしか、広まりも実現もされはしない。」(「葛藤的人間の哲学」)

高橋和巳「孤立無援の思想」(1963)を読む (10) 

♦ 「人間にとってもっとも汲み尽くしがたいものは人間であり、人間の精神である。」――長文のエッセイ「暗殺の哲学」はこの言葉をもってはじまる。

高橋は司馬遷の『史記』の刺客列伝(ここには五人の人物が登場する)を読み返すことから、テロリズムについての考察をはじめるのであるが、「とらえがたい人間精神への、一種畏怖に似た歎息は増すばかりだった」というのが、刺客列伝を読み返した高橋の感想である。今の人々は心の闇といったような言葉を軽々しく用いるが、「容易に究めつくせぬ人間精神の深淵」に畏怖する文学的感性を具えている人は、この科学全盛の時代に果たしてどのくらいいるのであろうか。

♦ 話がそれるが、先日の安倍暗殺事件に関して、容疑者の生い立ちや犯行動機が巷で色々取りざたされているようであるが、そのような中で或る犯罪心理学者は、専門家を名乗る人たちの無責任な情報がNHKなどのメディアにおいて流れ続けてきたことに対して警鐘を鳴らしつつ、勝手なストーリーを作るのではなくて、「分からないことを分からないこととする」のが本来の専門家であると述べている。確かに学問scienceというものは厳しい自制を要するのである。しかし、それはそうとして、そもそも容疑者の心は原理的に言って、心理学や精神医学などの学問scienceによって客観的に認識できるものなのであろうか(これは診断-治療とは別の問題である)。

♦ そういえば、菅野保氏のyoutube動画 「内心の自由の重要性、あるいは「お前ら、心の話しすぎやねん」問題」 は、私にとってとても興味深かった。菅野氏は、「心理分析の内容など、どこまで行っても客観的事実にはなり得ない」と言うのであるが、これは言い換えれば、容疑者の内的動機は学問scienceによっても客観的に認識され得るものではないということであり、即ち、心とか精神というものはそもそも(例えば脳のような)純粋客体ではないということなのである。

♦ ついでに菅野氏の話をもう少し紹介すると、氏によれば、1客観的事実にはなり得ないものを公共の伝播に乗せることはプライバシーの侵害であり(報道すべきは安倍氏が広告塔になっていた統一教会への恨みが動機であるということまでである)、2「不遇な幼少時代を過ごした人たちは、歪んだ特権意識を持つようになりがち」といった類いの分析はステロタイプ的偏見・差別を生むだけであり、3事件を心の問題にすることは社会問題をなおざりにし、事件を風化させることである。・・・

♦ 「暗殺の哲学」に戻ろう。高橋はこう書いている。「司馬遷はなぜ暗殺が行われ、それが政治の力学の中で、どういう役割を果すか、あるいはどういう役割しか果せないかを、すでにある程度解答しているが、刺客列伝の投げかける問題の重さは、その解答をはるかに上廻っている。いやむしろ、司馬遷の史家としての卓越は、その解答よりも、究めがたい人間精神の謎から発する五つの微光のように、この五人の行動を解答しつくしがたい問いののままに投げ出した点にあるともいえる。」――

「問いのままに投げ出した」ということは、ポジティブな意味で言われていることに注意しなければならない。「人は問うことの絶対性以外の絶対性を本来必要とはしない」と、高橋は「葛藤的人間の哲学」の中で語っていた。

高橋和巳「孤立無援の思想」(1963)を読む (9) 

♦ 安倍元首相銃撃事件は政治的事件である。野党議員やジャーナリストの方々には政治の圧力に屈することなく、この事件が炙り出した統一教会安倍氏との浅からぬ関係、カルト宗教と政治家との癒着をとことん究明していただきたい。ただ、心配なのは、病的ともいえる萎縮が報道機関を深く侵していることである。

♦ 報道の世界だけではない。病的な萎縮は社会全体に蔓延していると思われる。私は先日或る哲学会の総会において、哲学研究者であり哲学教員である会員諸氏が、学会において現実に起こった不正に対して余りにも無関心であることを嘆いた。哲学には関心があるが現実における公正とか正義ということにはまったく関心がないということが、一体どうしてあり得るのか。それは哲学研究が現実の生から遊離してしまっているからなのであるが、ということは、哲学研究がその対象である哲学そのものからも乖離してしまっているということである。これは件の萎縮の病いの典型例に他ならない。

♦ 私は開会の辞において、哲学は語られるものである以前に生きられるものでなければならないということを強調した。しかし現象学に関するシンポジウムを聴いて確認したことは、最近の若い研究者はやたらに器用であることである。一見何か目新しいことを言っているようでいて、考察の基本はあくまでも(ハイデガーレヴィナスメルロ=ポンティについての)一般通念そのものなのである。また彼らは質疑応答においても実に如才ないのであるが、他の人間と格闘しないのは、そもそも自分自身が孤独の中で格闘していないからである。つまり真摯にかつひたむきに哲学を追及していないからである。――要するに、皆、タコツボという安全な場所に閉じこもってそこに安住したいのである。

小林秀雄は「プルターク英雄伝」(1960)の中で「講壇哲学の堕落」ということを言っている。そして高橋和巳は「葛藤的人間の哲学」(1962)の中で、「丸山眞男が『現代政治の思想と行動』において指摘した政党・軍閥・官僚の無責任の体系は、意外に戦後の哲学の内部にも浸透していた」と語っている。既に60年前にこのようなことが指摘されていたのだとすると、今日における哲学研究者の異常なまでの〈萎縮=無責任〉は致し方ないのであろうか。

 

[はじめは安倍襲撃事件とからめて、高橋の長大なエッセイ「暗殺の哲学」(1967)に触れるつもりであったが、これについてはいつか言及することにする。]

 

★文学は哲学と同様に人間の現実の生を掘り下げて問題にするものであると思うが、文学研究者も哲学研究者と同様に現実の生から遊離してしまっているようである。つまり現実における公正とか正義ということにはまったく関心がないようである。

私とは関係のないロシア文学会に関するものであるが、以下のようなブログ記事を目にしたのでコメントを書いた。

https://yumetiyo.hatenablog.com/entry/2022/07/18/193717

 

 

高橋和巳「孤立無援の思想」(1963)を読む (8) 

♦ 今現に起こっている戦争を直ちに停止させること、あるいは今後戦争が起きないようにすることは、政治の役目である。それができるのは政治だけである。ただ、戦争という、しばしば発症する人類が罹患している不治の病い、人類にとって最も深刻な宿痾を“根治する”ことは、政治の役目ではない。

♦ 戦争という病いを治癒することができるのは、打算のない真の友好であるが、政治は人間関係や国際関係を調整するとしても、真の友好関係という人格的 personal な関係を作り出すことは政治の管轄ではない。しかも、政治は必ず権力闘争を生み、必ず意見対立を生むという点で、敵対の源であるとさえ言える。

♦ ところで、「孤立無援の思想」には、「数人の友人たちと夜の街を歩いていて、ふいに理由もなく暴漢にとりかこまれ、なんくせをつけられるという経験は誰しも一度や二度はもつものである。」――というふうにして切り出される話が出てくる。夫人によれば、高橋は学生時代に実際そのような経験をしたらしいが(高橋たか子高橋和巳の思い出』「出会い」)、ともあれ、高橋がこの話によって示そうとすることは、人間は情勢論的にのみ動くのではないということである。深夜の街で愚連隊ふうの者たちに喧嘩を仕掛けられたら、情勢判断のことなど吹き飛んでしまい、「内に秘めた各自の絶対志向」(絶対とは情勢に相対的ではないということである)が噴出するのである。

♦ この話で注目すべきは、被害者側の友人同士は、世に言う意味での思想的立場がほとんど同じであるか、あるいは同じ政治団体(例えば共産党)に属していても、各人の非情勢論的な咄嗟の反応は大きく分かれると言われていることである。即ち、或る者は三十六計を決め込み、また或る者は徒労に終わることが分かり切っている説得を始め、また或る者は激怒するあまり自分の体力を顧みずに乱戦の中核になり、また或る者は悲哀の表情を浮かべつつ殴られるにまかせてしまう・・・というように、各人の態度は千変万化なのである。

♦ 因みに、夫人は自分と夫との間に割り込んできた多種多様な友人知人の中に、5、6人自分が尊敬する人がいたと述べた後、こう加えている。「いま尊敬という言葉を使ったが、年上の男性については、頭のよさであれ美的洗練であれ気性の高潔であれ人格の温厚であれ、何らかの尊敬の情が感じられない男性は、私にとっては全く無縁なのである。ましてや世間の女たちと話をすることは何と苦痛であったことか。認識の度合、価値観、感受性の質など、何から何まで違うのである。」(「住んでいたアパート」)

♦ 話を戻そう。私が思うに、件の友人同士の間に真の友人関係があるとすれば、それは彼らが政治的立場を同じくするからではない。逆説的であるが、多岐に分かれる「内に秘めた各自の絶対志向」の相においてこそ、即ち非政治的な相においてこそ、真の友人関係というものがあり得るのである。そこで今の政治家たちに言いたい。こうした非政治的=非情勢論的な相が、政治の背景を成しているのでなければならないのである、と。

 

 

高橋和巳「孤立無援の思想」(1963)を読む (7) 


♦ はじめに、フェイスブックの友達からいただいた、政治家に関する貴重な言葉を引いてみたい。

「政治の世界というものは希望がないように見えますが、個人の良心が政治に抗うという事が奇跡的に起きると、本当に多くの人が救われるように思います。」

「政治の世界では権力のピラミッドの構造ができて、どうしても個人は大雑把に括られて蔑ろにされがちですが、その中で抗う人(政治家)という存在は極めて人間的で、良心と政治の両立を切り絵のような形で作っているアーティストのようなものだと思います。」

♦ 政治を良心と一致させることは、政治というものの本質からして無理である。しかし政治と(良心のような)政治を超えたものとを交わらせることは可能なのであり、従って政治家であるか否かに関わらず、我々にとって重要なことは、政治と超政治とをどのような仕方で交わらせるかということなのである。私は或る小さな組織の運営に当たっている中で様々な困難に出会い、つくづくそう思う。

♦ さて、高橋和巳は「孤立無援の思想」の冒頭で次のように問う。――

一人の青年が、山奥で紅葉した樹々や、それらをいっせいに揺らす風や、渓谷を流れる水の清冽な響きに包まれながら感慨にふけっているとして、「その青年に対して自然の美に心を奪われるよりは政治問題について考慮すべきだと薦めうる確固たる論理が本当にあるのだろうか」、と。

結論だけ言うと、政治は自然の美的鑑賞などの人間の営みを中断させる権利を実は何も持っていないというのが高橋の答えである。

♦ ロシア軍のウクライナへの侵攻以来、或る意味で仕方のないことであるが、政治論議の傲慢というか跳梁跋扈が目に余るものになっているが、政治論議というものはそれ自体が政治的である(そうでないように巧みに装っているとしても)こと、そして政治は(審美性とか倫理性といった)超政治を駆逐し弾圧してならないということに、我々は気づかなければならない。繰り返すと、大事なことは、政治と超政治とをどのように交差させるかということなのである。

♦ 高橋はまた、政治の只中において文学的=非政治的なものが出現することがあるという話もしているが、これについては改めて取り上げることにする。

高橋和巳「孤立無援の思想」(1963)を読む (6)  

♦ 数日前のことであるが、安倍元首相が山口市内での講演で、敵基地攻撃能力について「基地に限定する必要はない。向こうの中枢を攻撃することも含むべきだ」という見解を示したそうである。本当に呆れ果てる。

武器によって戦争を抑止することはできないということは様々な人が指摘しているところであると思うが、私は更にこう言いたい。政治の土俵にのみ留まる限り、戦争を暫定的に停止させることはできても、戦争を克服することは永久にできないであろう、と。高橋和巳はその「戦争論」(1964)において、「戦争は政治の破綻ではなくて、むしろ政治のむきだしの継続なのだ」と述べている。

♦ 世に言われる「政治と文学」というのは、政治が政治の場で解決することができることに対して、文学が賛同し協力することの当否という問題に過ぎないのであるが、政治と文学の関係はそのようなものではないと高橋は言う。政治や政治的思考では解決できないこと、政治の論理によって無視されあるいは抑圧されるもの、――それを文学は引き受けなければならないのであると彼は主張するのである。

♦ ところで、高橋は平和には二種類あると言う。 ①一つは、消費と太平ムードとしての平和であり、②そしてもう一つは、超克さるべき何ものかである人間性の、その超克の場としての平和である。①の平和は目的とされる平和であり、戦争の反対概念である平和であるが、②の平和は違う。それは目的ではなくて手段であり、しかも貴重な手段なのである。

♦ 今の日本はいつ戦争を起こすか分からない状態にあるが、辛うじて平和を保っている。しかしこの平和は消費と太平ムードとしての平和であってはならない。我々はこの平和を(戦場においては不可能な)人間性の超克の場――つまり〈魂の浄化〉の場――としての平和たらしめなければならない。戦争を克服するために必要なのは魂の浄化なのである。そして文学の役割について真剣に考え続けた高橋は或るところで、文学は魂の浄化の作用を担う有力な営みであると述べているのであるが、ともあれ(宗教の内部にまでも侵入してしまう)政治の論理によって魂の問題が抑圧される限り、我々は永久に戦争の脅威に晒され続けるのである。

高橋和巳「孤立無援の思想」(1963)を読む (5)

♦ 昨年末より、自民党内において憲法改正の動きが活発化しているようであるが、国の権力者には憲法を改める前に、まずは己れ自身を改めてもらいたい。公の場で躊躇なく嘘をつき、平気で人を見下し、公文書を隠蔽・改竄し、やたらに好戦的であり、にも拘らず自分の犯罪や失政が暴かれると虚偽答弁を駆使して逃げ回る、そのような権力者には、憲法についてどうのこうのと語る前に、まずは眼を逸らさずにこれまでの自分の所業と向き合い、自己正当化や自己慰撫の欲望からみずからを解放して沈思黙考してほしい。そうすることによって、自分が憲法改正を唱えるなどおこがましいにも程があることを覚ってほしいのであり、そして何よりも、権力者というものは権力者としての己れの所業に全責任を負うべきことを理解してほしいのである。何しろ、高橋和巳の言葉を借りると、国家権力というのは人間の尊厳を汚し、人を貧窮化させ、その自尊心をこっぱみじんに破壊することができるのであり、極限的には、むきだしの形態において人を殺すことができるからである。

♦ ところで、高橋はその「戦争論」(1964)において、戦争は国家的規模の確信的犯罪であることを強調している。確信性こそは戦争を戦争たらしめるものであるというわけである。ところが戦後、戦争指導者や参与者は、そしてまた国民までもが、「国家的確信犯罪を外交上の過失や民族的破廉恥罪にすりかえてしまった」。そして確信犯罪の、過失や破廉恥罪へのこうしたすりかえは、戦後の平和運動の代表的な拠点であるヒロシマ原爆死没者慰霊碑に刻まれた、

「安らかに眠って下さい。<過ち>は繰り返しまぬから」

という祈りの言葉に典型的に示されていると高橋は言う。

高橋は激しい口調で語る。「あやまち? ほんとうにそれは過失だったのか。また、いったい何があやまちなのか。アメリカが原爆を投下したことか。日本が中国を侵略したことか。中国からの撤兵をなしえず、米英蘭にたいして宣戦を布告したことか。それとも十五年戦争の発端となった満州事変の謀略であるか。・・・それらすべてが国家的確信犯罪でなくて過失だったというのか。」

♦ 高橋がこのように語ってから半世紀以上が経つが、今日では、権力者の責任をあやふやにする傾向はいっそう強まっていると思われる。それどころか、何か得体のしれないものに戦争の原因を帰する説まで出現しているようである。私は違和感を拭えない。(続く)

高橋和巳「孤立無援の思想」(1963)を読む (4)

♦ 目下の戦争をめぐって様々な情勢論が日々飛び交っているが、情勢論というのは如何にまことしやかなものに見えても、実はどれもこれも疑おうと思えば疑い得るものである。例外は原理的にあり得ない。このことは是非心得ておかなければならない。

♦ 一方、2013年12月にウクライナで反政府デモに立ち会ったことのある一人の友人が発した下記の言葉(叫び)は、個人の内面的な心情と志の吐露であり、情勢論と混同されてはならないものである。

 

「誰も路頭に迷いたくないと思うし、撃たれて死にたくもないだろう。痛いのはどの人種でも生き物でも一緒だ。」

「自分の意見を押し通す事だけに生きがいを見出すのではなく、そこに生きている人々を知る事の方が、私には大切だ。」

「自分は何のリスクも負わずに安全な場所から吠えたい。議論したい。そういう人ばかりだと思う。」

「私は、人が苦手でもありますが、人は誰でも幸せに生きる権利があると思います。残念ながら、それは安全な場所からリスクを負わずに追求する事は不可能なのではないかと思っています。言葉や理論で自分を飾り立てるのではなく、人を真剣に心配して自ら行動できる人間になりたいと思います。」

 

♦ ところで「情勢論」というのは、高橋和巳が言うには、「あくまで、世界や人類や歴史や国家のがわからの思考であり、生まれ成長し愛し死んでゆく各個人のがわからの思考ではない。」

これら〈世界や人類や歴史や国家のがわからの思考〉と、〈生まれ成長し愛し死んでゆく各個人のがわからの思考〉は、それぞれ〈政治〉と〈文学〉と言い換えることができるが、ここで指摘しなければならないのは、両者は別物であるということである。

♦ 政治というのは科学と同様に、我々が外界により良く<適応>するために用いる生活の便宜的手段である(福田恆存「一匹と九十九匹と――ひとつの反時代的考察」(1947)。即ち、政治は科学と同様に、我々に快適な生活をもたらすべきものなのである。そして高橋が言うように、政治は群れを問題にするのであって、個々人の特殊事情は問題にしない。政治とはそういうものなのであり、特に代議制多数決の原理は、個々の苦悩や哀歓を無視し抑圧することの立派な根拠となるのである。

♦ 一方、文学は情勢論を基礎とする政治と違って非情勢論的作業であり、決して外界への適応手段ではない。即ち、文学は快適な生活のためにあるのではない。(断るまでもなく、快適と幸福とは異なる。)そして文学は政治がまさに問題外とする、個人の内面的な心情や志を問題にするのである。――このように政治と文学は別物である。まずはこのことを押さえておきたい。(続く)

高橋和巳「孤立無援の思想」(1963)を読む (3)

♦ 先日、日本維新の会共産党の或る議員の懲罰動議衆院に提出したというニュースを耳にした。何かと因縁をつけて人を威圧し攻撃する人間はどこにでもいるが、権力欲や支配欲によって己れの自我を幻想的に巨大化させた者が他人を踏み潰す、そうした行為が国政の次元で露骨に為されるというのは驚きである。己れの惨めさに気づかない厚顔無恥な政治家には、是非みずからの行ないを省みてほしい。

♦ とはいえ、自分のしていることは正しいか否かという自問自答において、人はしばしば都合のよい理屈を捻り出して他人を騙し自分をも騙す。しかも特に

権力者にとっては、自己正当化はいわば至上命令なのである。ただ、自分のしていることは正しいか否かではなくて、美しいか否かという形で反省するならば、少し事情が異なるかもしれない。美は感覚的なものである限り、屁理屈を並べることによって美を捏造することはできないからである。あなたは自分のしていることは美しいと感じるかと、政治家に問うてみたいものである。

♦ しかしそれはそうと、肥大化した自我の持ち主に欠けているものは何なのか。それは言うまでもなく良心であるが、道徳とは少し別の角度から言うと、そのような者に欠けているのはみずからの実存の自覚である。そして加えて言うと、みずからの実存を自覚しない者が、他者の実存を気遣うはずはないのである。では改めて、実存とは何か。

高橋和巳は言う。

「限りある生の時間のうちに生き、一回性という動かしえない制限をもつ個別者は、無限の<順応>体として自分を訓練する必要はない。」

実存とは、有限な時間を一度限り生きる個別者の存在、各々にとって掛け替えのない個別者の存在のことであると、とりあえず言うことができるが、ところでここで注目したいのは順応という問題である。確かに総体としての人類は、自然や人間社会のみならず、みずから意志的に変革した情勢であっても、そこに順応しなければならない。しかし個別者はその必要はないのだ。ほんの一つか二つの役割であっても誠実にそれを果たすことができればそれで十分なのである。そのように高橋は言う。要するに順応ならぬ非-順応こそが彼にとっての問題なのである。

♦ 百万人が前に向かって歩きはじめているのに、その隊列の後尾でただ一人でうずくまって泣く、そういう脱落者(非-順応者)の話は印象的である。情勢論にかまけている者、統計的にしか人間を考えない者の視界には決して入らない、「各個人の生死や喜怒哀楽」といった掛け替えのないものは、掛け替えのないものである限り絶対的なものである。

しかし忘れてはならない。人はどんなに頑張っても独りで生きることは決してできないのだ。我々は <孤独と共存> という哲学的問題に高橋と共に立ち入らなければならないであろう。

高橋和巳「孤立無援の思想」(1963)を読む (2)

♦ 1963年は、「核兵器不拡散条約」(NPT)が国際連合で採択された年であるが(発効したのは1970年)、その年に発表した件の論考の中で高橋は、原爆はアメリカが保有する量だけで地球上の文明を十数回破滅させることができ、いずれ完成されるソビエト側における百メガトン級の水爆も同様の破壊力を有するということに言及しつつ、核兵器の存在を前提する「平和共存論」というものが矛盾したものであることを指摘している。それはどのような矛盾なのか。

♦ 或るごりごりの合理主義者は常々亡霊の存在を否定していたのであるが、執念深くも死んでからも、亡霊など存在しないことを証明するために、亡霊の存在を信じる蒙昧な人々の会合の席にみずから亡霊になって現われた。――高橋はハイネの『ハルツ紀行』にあるこのような寓話を引き合いに出している。これは簡潔に言い換えると、幽霊の存在を否定するために幽霊の存在を肯定する、という話であるが、核兵器の存在を前提する平和共存論、即ち戦争を抑止するために核武装するという考え方も同様に、(戦争を否定するために戦争を肯定するという)矛盾なのである。

♦ ところで、情勢論とは、その時その時の情勢に臨機応変に対応する考え方のことであるが、①核兵器の存在を前提する「平和共存論」は情勢論の最も端的な表れであること、②情勢論は、原爆は何のために作られたのかという問い、――あるいは原爆を保有し改良し続ける国家が平和の理念を掲げるのはまさに自家撞着なのではないかといった、非情勢論的な本質的・根本的な問い――を圧倒してしまうこと、③そして、政治は今現在の現実の勢力関係から離れては政治としての意味を失う故に、政治的思考の基礎には常に情勢論が位置することを、高橋は指摘している。

♦ さて、「核兵器不拡散条約」がまるで効力を発揮していないことから、核兵器を全面的に廃止する「核兵器禁止条約」が2021年の1月に正式に発効したのであるが、我が国は唯一の被爆国であるのにも拘らず、広島選出の議員が首相になってもなお署名も批准もしていない。日本政府のこうした対応は情勢論以外の何物でもないのであるが、では核兵器を全廃するこの条約そのものはどうなのであろうか。それは核兵器不拡散条約が一向に実効性を持たないという情勢に応じるものである限りは情勢論的なものであるが、何か別の要素を含んでいるのではないであろうか。

♦ この核兵器禁止条約は情勢論的次元と道徳的次元とが交差するものなのではないであろうか。否、そうでなければならないのではないであろうか。

高橋和巳「孤立無援の思想」(1963)を読む (1)

アメリカが北ベトナムへの爆撃を本格化させたのは1965年であるが、それより少し前の1963年に発表した論考の最後のところで、高橋和巳は次のように書いている。

「・・・現在ベトナムで戦われている戦闘についても、アメリカ側の北爆がいつ停止されいつ再開拡大されるか、フランスの仲介が功を奏するか、中ソの対立の及ぼす影響等々を一喜一憂し、テレビのニュース解説者のごとく庶民どうしが論じあってみても、本当のところは無意味である。」

庶民どうしの床屋政談は政治的無関心よりはマシだと思われるが、実のところは意味がないと言う。それは恐らく、北爆はいつ停止されるのか云々といったような床屋政談は、(熱狂的になり易く、根本的な問いを圧倒する)情勢論だからであろう。

♦ では、どうすることが有意味なのか。

「むしろ日々泥土の内に死んでゆく兵士の死骸のみを<非政治的>にひたすら凝視すること、そしてみずからの無力感と絶望を噛みしめることのほうが有意義である。」

なぜか。そうするとによって、戦争の相とは別に或る政治の相が見えてくるからである。

「なぜならそうすることによって、少なくとも二つの体制が対立しているゆえに戦われるという<戦争の相>とは別に、二つの体制が自己自身を保存するために、〔自分に〕直接火の粉のふりかからぬ場所〔ベトナム〕とその人民を犠牲にしている今一つの恐ろしい<政治の相>があきらかになるからである。」

♦ 私は大学紛争の時以来、政治論議に対して何とも説明できない違和感と不信感を抱いてきたが、この漠然として違和感と不信感の正体が分かってきたような気がする。今、映画『プラトーン』の激戦のシーンを観ているが、現在の情勢について喧々諤々と意見を戦わせる人たちではなくて、孤独の中で「みずからの無力感と絶望を噛みしめる」ことから出発する人をこそ、真に誠実な人間として私は心底信用するのである。