坂口安吾:文学はつねに政治への反逆であるが、 まさにその反逆によって政治に協力するのである。・・・ (3)  

最近、マイナンバーカードの不具合が次々と噴出し、そのことによって政治家の人間的レベルの低さが改めて露出してしまっているが、自分の権力を守ることに汲々としている大臣をはじめとする与党政治家だけでなく、勢力拡大を喉から手が出るほど欲している野党政治家にも、決意というものがまるで感じられない。つまり言葉にいわば凄みがないのである。また、政治家の言葉はたばこの煙のごとく空気よりも軽い。思想が人間性の自発的探求を源泉としていない限り、政治家がどれほど身振り手振りを交えて大声で叫んでも、一定範囲の人には響くとしても、思想に重みが生じることは決してないのである。

❤さて、安吾が言うには、戦後、世界連邦論(世界単一国家論)を唱え始めた咢堂こと尾崎行雄は、ついに、「日本人だのアメリカ人などと区別を立てる必要もなく、誰の血だなどと言う必要もない、守る必要のある血などあるはずがないのだ」と放言するに至ったが、この言葉はいささか凄みを漂わせている。ただ、咢堂の夫人はイギリス人――イギリスで生まれ育った英子セオドラ尾崎【写真】――であったので普通とは少し事情が異なるが、もし自分が純粋に日本人であり、日本人の妻と娘を持つならば、日本人だのアメリカ人などと区別を立てる必要などない・・・・・と言い切るには、悪魔的な眼が必要であり、妻と娘を人身御供に捧げるくらいの決意がなければならないのである。

❤咢堂の場合は悪魔の助力を必要としなかったかもしれないが、それにしても、守る必要のある血などあるはずがない・・・・・といった言葉は、「人間の一大弱点を道破」していることは間違いない。“ナショナル・アイデンティティ”、“国民意識”というのは、人間の一種本能的なものなのである。そして安吾は言う。「共産主義者などは徒に枝葉の空論をふりまく前に、先ずこの人性の根本的な実相について問題を展開する必要があった筈だ。咢堂の世界連邦論がこの根柢から発展していることは、一つの思想の重量であって、日本の政治家にこれだけの重量ある思想の持主はまずないだろう。この重量は人間性に就ての洞察探求から生れるもので、彼の思想が文学的であるのも、この為だ。」   

                                                                                                     



「咢堂小論」(1945)

❤政治思想が文学的であるということは、それが人間性の探求を源泉とするということである。但し、文学者や文学研究者の政治的発言に必ず文学性があるかというと、そうとは限らない。高橋和己のような人の場合は別にして、私が今まで経験した限りでは、文学者の政治的発言はたいていイデオロギー性が支配的であって、それ自体に深い文学性は感じられないのである。

坂口安吾:文学はつねに政治への反逆であるが、 まさにその反逆によって政治に協力するのである。・・・ (2)  



❤一昨日15日、LGBT法案の参院内閣委員会での審議を動画で視聴したが、最初に質問に立った、日本会議に所属する二人の自民党議員の話はまさに絵に描いたようなものであった。続く立憲の議員のまっとうな質問によってその稚拙さと悪質さが暴露されたことで多少溜飲を下げたが、くだんの二人は戦前多くの日本人が天皇制に憑かれていたように、強烈な差別思想に取り憑かれているのであろう。但し、取り憑かれているということは、“本気”であるわけではないということであり、いつでも別のものに取り憑かれる可能性があるということである。自己内省を欠いているからである。しかし、一般に政治家というのは自己内省を怠っているのではないであろうか。政治と自己内省は互いに正反対の方向に向かうものであるからである。

それにしても、例外的な政治家は存在しないのであろうか。

❤前の投稿で取り上げた「続堕落論」(1946)の中で、坂口安吾はかつて憲政の父と仰がれ軍国主義と闘った咢堂こと尾崎行雄が戦後唱え始めた「世界連邦論」のことに言及している。「続堕落論」に先立って執筆された「咢堂小論」をまず見てみると、そこでは次のように咢堂を称えている。――咢堂は部落の対立とか藩の対立とか、更に国家の対立といったような対立感情を越えて、世界を一つの国と見るべきだと説いた。志賀直哉は特攻隊を再教育せよという一文を朝日新聞に寄せ(1945.12.16)、これにより、「ただ一身の安穏を欲するだけの小さな心情」を露呈させたが、対照的に、咢堂の眼はスケールが規格外れのものであり、しかもその思考は人性そのものに根ざしている。咢堂は政治の神様と言われているが、文学の神様の志賀直哉よりよほど人間的であり、いわば文学的なのである。――

❤と言いながらも、ここからが注目すべきところなのであるが、安吾は咢堂の世界連邦論の難点を指摘する。――咢堂は部落とか藩とか国の限定を難じ、守るべき血など存在しないとしながらも、家庭という限定には眼を向けない。彼は対立感情というのは文化の低さに起因するとするが、文化が高まるにつれて家庭の姿はむしろ明確になるのであり、また(嫉妬などの)個人的な対立感情・競争意識も激化するのである。藩や国の垣根は越えることができるとしても、家庭や個人の垣根は文化が高度になればなるほど越えがたいものになるのである。このことを度外視していきなり世界連邦論へと構想を進めることは一種の暴挙であろう。――

❤たとえ国家間の対立が解決されても、個人間の対立が解決されない限り、人生の問題は解決されない。人生というのは帰するところ個々人の人生であるからである。しかしこうした「厳たる人生の実相」から、政治家や道学者はいわば必然的に眼を逸らすのである。

世界連邦論に対する安吾の批判を更に追ってゆくことにしたい。(続く)

坂口安吾:文学はつねに政治への反逆であるが、まさにその反逆によって政治に協力するのである。・・・ (1)

❤先月の半ば、東京都内の或るJR駅の改札を出ようとしたところ、私は突然後ろから二人の警官に腕をつかまれ人の往来を邪魔しない場所に連れていかれた。カバン(ウエストポーチ)の中身を見せてくださいと高圧的な口調で言われたので財布とケータイを出して見せると、一人の警官が何の断りもなしにいきなりカバンの中に手を突っ込み、カバンの中をかなりの力でゴリゴリと引っ掻き回したあげく、ペンだけですねと言った。その時はあっけにとられて何も言えなかったが、後から考えると、G7サミットを控えた警戒活動だったのであろう。

❤無断で人のカバンにいきなり手を突っ込むという暴力は、もちろん公権力を「笠に着ている」から為し得ることなのであるが、かつて日本人は、天皇制(皇室の尊厳)を笠に着て、つまり良心と意識を天皇と国家に預けて、多くの外国人を“正当に”殺したのである。もちろん戦争によって多くの日本人も犠牲になったわけであるが、ここで問題にしたいのは、権力や権威(旧来の道義や制度あるいはイデオロギーや党派)を笠に着る生き方をすることによって、人間が人間として如何にダメになるかということである。

坂口安吾終戦の翌年1946年に発表した「続堕落論」において、天皇制についてほぼ次のような話をしている。――遠い昔のことであるが、藤原氏にしても将軍家にしても、天皇の前に額づき、そうすることによって天皇の尊厳を人民に強要した(自分がみずからを神と称し絶対の尊厳を人民に要求することは不可能なので)のであるが、今度の戦争においても、軍部は盲目的に天皇を崇拝し、そうすることによって、天皇をして絶対的命令を下し得る神に祭り上げた。つまり天皇を自分にとって便利な道具としてもてあそび冒瀆したのである。

❤では、一般の国民はどうだったのか。国民は天皇制のこうした欺瞞、カラクリを知らなかった。そうであるからこそ、最後は竹槍をしごいて敵の戦車に立ちむかい、勇壮に土人形となってバタバタ死んだのである。しかし国民は天皇を利用することには狎れていた。8月15日、「耐え難きを、耐え、忍び難きを、忍び・・・」という天皇の言葉があると、本心ではもともと戦争の終結を切に願っていたのにも拘らず、泣きながら耐え難きを耐えて負けることにしたのである。何たる欺瞞!何たる狡猾さ! 国民は天皇制というカラクリに「憑かれて」いたのである。そして戦後の今(1946年)になっても、代議士たちは天皇制について皇室の尊厳などといった馬鹿げ切ったことを言って大騒ぎし、国民も大方それを支持しているのである。――

❤さて、昭和天皇は単に軍部に利用されただけなのか、もし天皇という超越を取り払ってしまうならば日本という国は崩れてしまうのではないか、といった疑問はあるがそれはさておき、安吾によれば、天皇制というカラクリに憑かれていることは、人間の、あるいは人性の、正しい姿を失っているということである。では、人間の正しい姿とは何なのか。・・・それは、私の言い方で言えば、党派にせよイデオロギーにせよ何にせよ、何か権威や権力を「笠に着る」ことをしない生き方である。(続く)

坂口安吾 「もう軍備はいらない」(1952) ――武力ではなくて文化・文明の力に訴えよ!

 

❤大戦後、日本は憲法で軍隊を廃止し戦争を放棄した。しかし1949年に中華人民共和国が成立し、更にその翌年に朝鮮戦争が勃発すると、GHQの指令によって再軍備に転換し、そして1951年には日米安全保障条約を締結した。こうして軍備増強の機運が高まる中、1952年に坂口安吾は「もう軍備はいらない」というエッセイを発表した。

安吾は東京で空襲に遭った。その時の経験を語る中で、焼夷弾をタケノコに、また死体が折り重なる様を焼鳥に喩えている。この一見漫画風の比喩は、戦争による被災のむごたらしさを生々しく蘇らせる。

――焼夷ダンに追いまくられたのは、夜三度、昼三度。昼のうち二度は焼け残りの隣りの区のバクゲキを見物に行って、第二波にこッちがまきこまれ、目の前たッた四五間のところに五六十本の焼夷ダンが落ちてきて、いきなり路上に五六十本のタケノコが生えて火をふきだしたから、ふりむいて戻ろうと思ったら、どッこい、うしろの道にもいきなり足もとに五六十本のタケノコが生えやがった。

――公園の大きな空壕の中や、劇場や地下室の中で、何千という人たちが一かたまり折り重なって私の目の前でまだいぶって〔燻って〕いたね。

――まるで焼鳥のように折り重なってる黒コゲの屍体の上を吹きまくってくる砂塵にまみれて道を歩きながら、イナゴのまじった赤黒いパンをかじっていたころを思いだすよ。

❤このように数年前に敵国に攻撃される恐怖を身をもって経験し、そして戦争によって理性も感情も良心もすべて失われてしまうデカダンス(退廃)を深く味わった安吾は、しかし、日本の再軍備に対して次のような調子で猛反発する。――自分が中国などの国防のない国に侵攻し、そのあげくの果てに負けて丸腰にされていながら、今や国防と軍隊の必要を説き、まるでどこかに自国に攻め込んでくる凶悪犯人がいるかのように言うのは、ヨタモンのチンピラどもの言いぐさに似ているではないか。

❤さて、安吾は「国防は武力に限るときめてかかっているのは軽率であろう」と言うのであるが、では、どのようにして国を守るのか。彼は武器によって敵を服させるのではなくて、文化・文明によって敵を服させよと説くのである。たとえ我が国が腕力の強い国に征服されたとしても、日本の「文化水準や豊かな生活がシッカリした土台や支柱で支えられていさえすれば、結局キ印が居候になり家来になって隅ッこへひッこむことに相場がきまっている」というわけである。もちろん、最初は小さからぬ犠牲を払わざるを得ないが、しかし戦争をした場合には、たとえ戦争に勝ったとしても、それよりはるかに大きな犠牲を払わなければならないのである。

坂口安吾から我々へのメッセージは、私なりの言い方をすると、政治の土俵を相対化せよということである。何でもかでも政治の観点から捉えられ、政治の土俵が強大になって文化が貧しくなると、日本だけでなく全世界が間違いなく崩壊するであろう。日本の危機を乗り越えるとか、国民の未来を創造するなどというスローガンは限りなく虚しい戯言である。政治から独立した形で文化・文明を育てなければ、決して国は豊かにならない。

 

高橋和巳「孤立無援の思想」(1963)を読む (14)  --美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない。

❤「苛政猛於虎也」(ひどい政治は虎よりも猛々しい)という孔子の言葉が儒教の経典『礼記』にあり、高橋和己は当該箇所を書き下し文の形で引用しているのであるが、ここでは難しい漢文は避けてあらすじだけ紹介すると――

孔子がとある土地を通りかかったときに、墓の前で泣いている婦人に出会った。孔子は従者に、婦人に泣いている理由を尋ねさせると、舅、夫、子供が虎に襲われて死んでしまったということだった。孔子が「なぜ虎に襲われる危険な土地を去らないのか」と尋ねたところ、婦人は「よその土地に移って、ひどい政治に苦しむよりはましだから」と答えた。 https://manapedia.jp/text/3762

❤この故事に因んで、高橋和己は凡そ次のように語る。--個人的論理と天下の政治とが一貫したものとして統一されるべきであるという〈古典的態度〉からいえば、たった一人の人間であっても目の前で何かを嘆き悲しんでいれば、それは政治の責任であった。しかし政治というのは本来、そうした古典的態度とは異なる。本来政治は掛け替えのない個々人ではなくて、群れを問題にするものなのであり、従って別に苛政でなくても、個々人の特殊事情などは問題にしないのである。いや、それどころか、〈代議制多数決原理〉ともなれば、個々の苦悩や哀歓を、はっきりと大義名分をもって無視し抑圧し得るのである。--

❤件の古典的態度ということで、私は1970年頃に毎週観ていてた大岡越前のテレビドラマを連想したのであるが、現代の政治は大岡裁きの場合とは対照的に、具体的な個人ではなくて群れを問題にするのであり、また政治を行う方も、代議制多数決を原則とする限り、person(個人・人格)ではなくて非・パーソナルな数の力なのである。とすれば、政権与党が例えば名古屋入管で死亡したウィシュマさんの人権を蔑ろにするのも或る意味当然のことである。

❤去る4月21日に国会前で行われた、入管難民法改正案に対する抗議の模様を動画で観ていたところ、ジャーナリストの志波玲氏がインタビューで、「法律や制度が問題であるというより、人権とかどうでもいいと思っている、そういうメンタリティーこそが一番問題なのだ」と答えていたが、実は、政治権力に向かって人権を語っても、それは馬の耳に念仏であり豚に真珠なのである。数の力で政治を行う、非・パーソナルな政治権力にとって、人権というものはせいぜい漠然とした抽象観念でしかない。つまり政治にとっては、小林秀雄の有名な言葉を利用して言えば、「花の美しさ」は存在しても、「美しい花」は存在しないのである。

❤もちろん、例えばであるが、人権意識を有する野党政治家は人権を考慮して入管法改正案を廃案に追い込むことができる。しかし政治が為し得ること、為すべきことはそこまでである。政治に対して過剰な期待を抱いてはならない。最も重要なのは人々の生き方である。確かに、軍事費増強とか原発回帰(推進)とかといった狂気じみた政策を、今の政治とは別の政治によって変えさせることは不可能ではない。しかし政治が戦争という狂気に突き進むことを未然に防ぎ、世の中を“根本から”良くするためには、文学を含めた芸術が真にパーソナルな創造的活動として、また非政治的あるいは(政治を超えたという意味で)超政治的な活動として、政治に対抗する形で活発に行われなければならないのである。

 

関係の条件としての孤独 (4)――人間の弱さ

❤1949年7月15日に起こった三鷹事件の死刑囚・竹内景助(1967年に東京拘置所にて45歳で病死)の冤罪を立証し訴える書物は、昨年出た石川逸子『三鷹事件/無実の死刑囚/竹内景助の詩と無念』(2022)まで含めて何冊かあるようであるが、ここでは冤罪という観点からではなくて、人間の或る弱さ(人間誰しも多かれ少なかれ抱えていると思われる弱さ)という観点から、竹内死刑囚の人となりに少し触れてみたい。

 

❤私がここで参照するのは、加賀乙彦『死刑囚の記録』(1980)である。加賀は大学卒業後、1955年から57年まで東京拘置所に精神医として勤めたのであるが、20代のこの若き監獄医は、ゼロ番囚(大体が強盗殺人犯か強姦殺人犯)に対して、精神医として囚人の異常な精神状態を眺めるだけではなくて、更に、医師と患者という関係を捨てて、相手と人間どうしの付き合いをし、そのことを通して囚人の内面に入っていったのである。

 

❤1957年に竹内景助(1955年に最高裁で死刑確定)の房をみずから訪れた時も、やはり同じ人間として面会した。竹内は1951年の二審で死刑の判決が下された直後から、ずっと犯行を全面的に否認し続けたのであるが、その前までは、頻繁に、しかも大きく供述を変えていた。そのことが加賀の関心の的だったのであるが、加賀は単刀直入に質問をするようなことはしなかった。話題はニンニクや白菜の漬物のことから自然に家族のことへと移っていき、竹内は5人の子供のひとりひとりについて思い出話をしたりした。そしてそのうち、自分のことについて語り出す。

 

――おれは弱い人間なんですね。弱いから人をすぐ信用してしまう。党だって労組だって、大勢でお前を全面的に信用するといわれれば、すっかり嬉しくなって信用してしまった。それがあやまちの元でした。けっきょく、党によって死刑にされたようなもんです」。〔因みに竹内は非・党員〕

 

――〔共産党系の〕弁護士の言うとおりに噓の自白をしたんです。おれは弁護士にだまされたんです。しかし、考えてみればだまされた自分も悪い、その点ではもうジタバタはしないつもりです。

 

❤加賀は1957年1月に一人の共産党員が竹内のところに面会に来た際の接見表を、改めて注意深く読んだのであるが、そこには例えば次のような竹内の言葉が見られる。

 

――きみたちは、みんな、おれを死刑にしておきながら、党ばかりを可愛がっているじゃないか。おれは真実を語っているだけだ。きみらみたいに、党ばかりを考え、一人の命なんかより党を大切にする考えは白豚だ。

 

加賀は竹内の厖大な身分帳から、「彼の精神がいつも他人との関係において揺れ動く」ということに彼の弱さの特徴があることを読み取った。

 

❤しかし、他人との関係において精神が揺れ動く可能性、即ち自分が無実であることが分かっているのに、あれは共犯であったとか単独犯であったとかと供述する可能性は、実は大なり小なり誰にでもあるのではないか。そのような弱さは、誰しも多かれ少なかれ抱えているのではないか。

思うに、このような弱さを免れるためには、政治的な次元を突き抜けた真の孤独の境地を知らなければならないであろう。欲望の打算や感情の戯れから解放された真の孤独――これは孤高ではない――こそは、真の友情と信頼を育むことができるのである。

 

     **********

私は2022年9月20日 の投稿で、去る1月12日に亡くなられた加賀乙彦氏に言及しつつ、孤独と連帯について次のように書いた。

「日本が右傾化して再び戦争をはじめようとした時に、熱狂的ではないとしても気骨のある連帯を作って最後まで挫けずに抵抗することができるのは、イデオロギーを同じくする人たちではなくて、他人と共有し得ない「自分一人の思想や芸術を守ろうとする」真に孤独な人たちなのだ。蓋し、そのような人たちは尊敬の念の混ざった共感を互いに抱き得るのである。」

 

関係の条件としての孤独 (3)――孤独と表現 「物が真に表現的なものとして 我々に迫るのは孤独においてである。」

❤以前、NHKで「つながり孤独」という番組があったのを覚えている。調べてみると、

ツイッターFacebookなどのSNSが急速に普及するなか、“多くの人とつながっているのに孤独”という、“つながり孤独”を感じる若者が増えている。・・・SNSがなぜ孤独を生み出すのか?・・・」という内容の2018年の番組だったらしい。

ところで、私の見方はずいぶん異なる。私の見るところでは、

① つながっているのにも拘らず孤独なのではなくて、(本当の意味で)孤独でないからつながれないのである。

SNSは孤独を生み出すのではなくて、(本当の意味で)孤独であることを妨げるのである。

 

❤真の孤独とは一人ぼっちで寂しいということではない。真の孤独は賑やかなのである。

以下、茨木のり子の「一人は賑やか」という詩の後半部を引用してみる。

 

一人でいるのは賑やかだ

誓って負け惜しみなんかじゃない

一人でいるとき淋しいやつが

二人寄ったら なお淋しい

 

おおぜい寄ったなら

だ だ だ だ だっと 堕落だな

 

恋人よ

まだどこにいるのかもわからない 君

一人でいるとき 一番賑やかなヤツで

あってくれ

 

❤真の孤独とは、自分が自分自身と十全に向き合うことである。そして自分自身を凝視する者にとってこそ、世界は精彩に富むpittoresqueものとなるのである。

哲学者は次のように言う。

 

「自己に対して盲目な人の見る世界はただ一様の灰色である。自己の魂をまたたきせざる眼をもって凝視し得た人の前には、一切のものが光と色との美しい交錯において拡げられる。」(三木清『人生論ノート』)

 

❤私は散歩をしていて、道端にひっそりと咲く名も知らぬ小さな可憐な花に出会う。花は私に呼びかけ、私は花の呼びかけに応える。花は自分を見てくれて感謝しているかのようである。このように、私は孤独の境地においては、植物とさえつながり、植物とさえ対話することができるのである。つまり孤独は表現の次元を拓くのであり、我々は孤独であることによって孤独を超えることができるのである。

 

「物が真に表現的なものとして我々に迫るのは孤独においてである。そして我々が孤独を超えることができるのはその呼び掛けに応える自己の表現活動においてのほかない。」(同書)

関係の条件としての孤独 (2) 「すべての人間の悪は 孤独であることができないところから生ずる。」  

三木清は1945年、豊多摩拘置所で獄死した。享年48歳であった。

「9月26日朝、看守が三木の独房の扉をひらいたとき、三木は木のかたい寝台から下へ落ちて、床の上で死んでいた。干物のように。」

――日高六郎『戦後思想を考える』(1980)

三木は、仮釈放中に逃亡していた治安維持法違反の被疑者を匿ったという廉で逮捕され、その数か月後に獄死した。巧妙に仕組まれた殺人であったとも言われるが、ともあれ、もし寒い季節に人にコートを与えるという親切心を持たなかったならば、彼はこのような無残な死に方をすることはなかったのだ。そのコートには三木のネームが入っていたのである。

 

日高六郎は上掲書において次のようなことを語っている。――

三木清が獄死したのは、敗戦の日から1か月以上経ってからである。三木の獄死のニュースを聞いて、ロイター通信の一人の記者、即ち民間人である一人の外国人記者が、人権蹂躙に対する怒りから、山崎内相に面会し、次いで10月4日にマッカーサー元帥をして政治犯の釈放を指令させたのであるが、それまでは、誰一人として政治犯の釈放の要求を掲げて、拘置所・刑務所に押しかけることはなかったのだ。

 

❤そして日高は言う。「三木清を獄中から救いだせなかったこと、戦争犯罪の問題を日本人民の手で追及し解決できなかったこと。それは、戦争終結をかちとるための運動が日本人民のなかからついに起こらなかったことと、まっすぐにつながっている。残念ながら、そこには人民の力の弱さがあった。」

では現在、日本人民はその無力を克服できているのだろうかと日高は問う。日高がそのように問うたのは今から40年以上も昔のことであるが、それでは2023年の現在においてはどうなのか・・・

 

❤最近、戦前回帰というようなことが言われるが、日本人は戦前から、その本質においてはそれほど変わっていないのではないか。つまり、無反省と無責任という点、そして人権感覚の鈍さという点は、口で何を言っているかはともかくとして、大して変わっていないのではないか。私は人が本質的に変わらない限り、社会は本質的には変わらないと考える。

 

「すべての人間の悪は孤独であることができないところから生ずる。」

という三木の言葉を、我々はよく噛みしめなければならない。

 

❤ところで、三木が逃亡者に親切にしたのは、相手と思想を共有するからではない。そうではなくて、寒さに凍える人間を見るに忍びなかったからであり、つまるところ、三木が愛と希望を糧に生きていたからである。私はそう思う。

 

「孤独は最も深い愛に根差している。そこに孤独の実在性がある。」

 

関係の条件としての孤独 (1)


❤三年間の刑期を終えて出所した男が、汽車で偶々隣り合わせになり手まで握らせてくれた女の家を探したのであるが、辿り着いたのは小さな娼家だった。

男は今まで牢獄に繋がれていたことを打ち明けていないこともあり、自分がどのような人間に見えるのかが気になり、女に色々尋ねるのであるが、例えば自分の眼について――

(男)「悪こすい眼をしていませんか。」

(女)「いえ、ちっとも、まるで子供みたいにぽかんとしていますわ、汽車の中でもこの頃の人にまるで見られない、のんびりした眼付だと思いました。」

(男)「世なれない眼付をしているというんですね。」

(女)「そうよ、田舍からきゅうに出ていらした方のようよ、こんな所に遊びにくるような人ずれがしていないわ。」

(男)「僕はまたずるい人間に見えそうで、気が引けてならないんです。」

(女)「あたしね、人様の眼ばかり見ている商売をしているもんですから、あんたを初めて見たときも、田舍から出ていらしたばかりの方だと思いましたの。」

・・・・・・

(男)「君は何故そんなに僕のことを信用するのかね。」

(女)「だってあんたは初めから商売女を扱うようになさらないもの、すぐ一緒になってくれなんてそんなこと言う方ははじめてだわ。」〔原文は旧字旧仮名〕

 

      室生犀星「汽車で逢った女」(昭和29年)

 

❤男は出獄人であり風貌も劣る自分に社交辞令ぬきに率直に向き合ってくれる女に心を動かされ、女の方も娼婦という卑しい身分の自分を最初から対等な人間として真っ当に扱ってくれる男に好意を抱く。二人は互いを信用する。

 

❤小説には書かれていないことを自由に述べることにすると、男は純真さを保ち、女はその純真さに感応する。二人は少なくとも芯の部分では世俗的な人間関係に毒されていないのだ。ということはつまり、二人は孤独というものを知っているということなのである。

男は出所後、妻にも友人にも突き放され孤独に陥ったわけであるが、やみくもに孤独から逃れようとするのではなくて、孤独を受け容れた。というより、そもそも男は――女もそうであるが――人間は所詮孤独であるということを人生のどこかの時点で達観した人間なのである。そうである故に、二人は世俗的な価値尺度に囚われずに麗しい関係を結ぶことができるのである。

単純に普通の人として

❤人の内面は顔に出るという話はよく耳にするが、ポートレートというのは絵画にせよ写真にせよ人物の内面を表現するものである。優れた画家あるいは写真家は、表層的な表情の奥に潜む内面を見抜くことができるのである。ところで、内面を表現するということは、眼に見えないものを見えるものにするということであるが、それは例えばカーテンを開いて今まで見えなかった外の景色を見えるようにするということではない。そうではなくて、眼に見えない内面を眼に見える外面と合体させるということである。

 

❤このようなことは静止しているポートレートにおいてこそ起こり得る。動画では考えにくい。動画というのは見えるものを次々と水平に並べるものであるが、静止しているポートレートは見えるものを限定することによって、平面に奥行きを――即ち見えないものの次元を――穿つのである。

 

❤ところで、写真家の藤原新也氏は香港の民主活動家、周庭さんの内面を次のように見抜いた。

「・・・だが何度も会っているうちに、彼女はイデオロギーによって動いているのではなく、単純に普通の人として、間違ったことを間違っていると言っているだけなのだということがわかった。

その彼女の背後に巨大な強権国家が迫り、今にも襲いかかろうと体勢を整えていることも彼女は知っているはずだ。だがその不安はおくびにも出さなかった。そこに日本の女の子とは異なる大陸方面の芯の強さを感じた。・・・」(『祈り』「戦士の休息」)

 

イデオロギーとは一定の立場であり、思考と行動のいわば絶対的な大前提となるものであるが、周庭氏は反政府デモの雨傘運動などにおいて、「イデオロギーによって動いているのではなく、単純に普通の人として、間違ったことを間違っていると言っているだけ」だということは、

イデオロギーを正当化し強化する〈魅力的な真実〉を捏造して自分の勢力の拡大を図ったりしないということ、専ら良識を働かせ良心に従って思考し行動するということを、意味するのである。

 

❤最後に述べておきたいのであるが、〈魅力的な真実〉がネットによって容易に拡散される時代に生きる我々は、画家や写真家に倣って人の人相をじっくり観る習慣を身につけなければならないであろう。〈魅力的な真実〉に取り憑かれないようにするためである。

 

自分の足で立つということ

❤以前、法務大臣は死刑のはんこを押した時だけニュースになる地味な役職だなどと繰り返し発言した大臣がいたが、法務大臣はみずから死刑執行に立ち会うべきであり、更に言えばみずから死刑執行のボタンを押すべきなのではないか。敢えてこのように言うのは、人は自分が殺されることは恐れるが、人を殺すことの恐ろしさは想像しないからである。戦争に関して言うと、人は他国に攻撃されることの恐怖に怯えるが、他国を攻撃することの恐怖は想像だにしないのである。思うに、殺人の正当性について真剣に問うことは、それ自体が反戦の活力となるであろう。
❤高橋和巳は「暗殺の哲学」(1969)の第2節において、ロシア革命をめぐって、カミュの『反抗的人間』と『正義の人々』に言及しつつ、〈殺人と正義〉という問題について綿密な考察を展開している。その内容に関しては別の機会に譲ることにして、ここでは「暗殺の哲学」第2節の結びの部分にある言葉を引いておきたい。
    やはり人命を超えるいかなる思想もなく、
   罪の意識と相殺される、いかなる論理も
   なかったのである。
❤冒頭で触れた前・法務大臣のことに話を戻すと、彼が死刑を他人事としてしか考えないのは、組織と個人が分離されているからである。両者は区別されなければならないが、しかし分離されてはならないのである。
ところで、写真家の藤原新也氏は或るインタビューの中で次のような話をしている。
――日本人は個人の顔を持っていない。集団の顔しか持っていない。組織の顔を持っているけれども、自分個人の顔を持っていない。日本人の人相がどんどん悪くなっているのは、自分個人の顔が消えていっているからである。
――今の社会では、自分を殺して生きている子が多い。子供は幼稚園のころから、自分を殺して生きていく。いい子で生きていく。学校でもいい子で、家庭でもいい子。自分を押さえて生きている。しかし写真を撮ることで、自分の隠しているものが全部出てしまう。その時はじめて本当の自分はこうなのだということに気づいてしまう。
❤しかし今の社会においては、組織や学校に圧迫されることなしに、個人の顔を持ち、本当の自分を自覚することは如何に難しいことか! 大人にとっても子供にとっても、「自分の足で立つ」ということは如何に困難なことか!
私は藤原氏の近著『祈り』(2022)の中の次の文と写真に、深い悲しさと一つになった感銘を受けた。
「さまよう」
渋谷スクランブル交差点。
家出少女。
身の回り一式のトートバッグが両肩に食い込んでいる。
だが、何か変。
この後ろ姿、髪は少々荒れているものの
整体を施す余地がないほど足はちゃんと地面をつかみ、
躰はすっくと垂直に立っている。
多分と思う。
垂直に立っているからこそ家出をしたのだ。
歪んだ家から家出をしたからこそ垂直に立っているのだ。
悲しい自立だが、
少女は自分だけの力で精一杯生きようとしている。
だから整体を施す必要のないほど
自分自身の力で身体矯正をしているということ。
        ――2008年 渋谷(東京)

 

高橋和巳「孤立無援の思想」(1963)を読む (13) 

或る非暴力の極致が、権力の道徳的堕落を露呈させ、そのことによって一つの政権が倒れるということがかつてあった。

 

❤1963年6月11日、ベトナムサイゴンで衝撃的な事件が起こった。ゴ・ジン・ジェム政権による仏教徒に対する弾圧に抗議して、一人の老僧がガソリンをかぶって焼身自殺したのである(後に何人かの若い僧侶たちもこれに倣った)。老僧は支援者たちが拝跪する中、燃え上がる炎の中でも蓮華坐を保ち続け、絶命するまでその姿を崩さなかった。この模様はカメラを通じて世界中に放映されたのであるが、ゴ・ジン・ジェム大統領の義妹マダム・ヌーはアメリカのテレビインタービューで、「あんなのは単なる人間バーベキューよ」などと発言した。

 

❤かつて学生時代に破防法反対にからむ或る事件の際に、ハンガーストライキという苛酷な試練をみずからに課したことのある高橋和巳(ハンストをした当時は「奇妙にもまったく非政治的なジャイナ教ニヒリズムというべき立場にいた」)は、――自分も「一個の狂気の者」なるゆえに――決然とこの焼身自殺を弁護する側に立ったのであるが、それは断固、権力と正反対の非暴力の極致に与することであった。

 

「思うに、つねに勝ちつねに自己を正当とみとめることを至上命令とする権力の論理の 対極 に、

ただみずからの死を唯一の究極的武器とし、相手の面前で自害してみせる、

非暴力なるゆえに自己の人間性を剥奪する悲惨な矛盾というものが位置する。」

――「焼身自殺論」(1963.9.16) <>は引用者による

 

【注】 非暴力の戒めにより人殺しはできないので、他人を殺すのではなくて自分を殺す。しかし自分を殺すことも実は非暴力の戒めに背くことであり、非暴力の掟と矛盾することである。それ故に「悲惨な矛盾」と言われる。

 

❤また高橋は、「坊さんのバーベキュ・ショウには手をたたいてやりたくなりますわ」と放言したマダム・ヌーに触れつつ、次のように言う。

 

「しかしみずからの肉体にガソリンをかけ合掌したまま黒こげになる僧侶の姿と、

それを人間のバーベキュだと罵る政治の論理とのあいだにひらく深淵にこそ、

今なお人類が克服しえないでいる非人間性のいっさいが含まれている。」

 

【注】 ここで言われている非人間性に関してであるが、非暴力こそは人間を人間たらしめる徳なのだ。「焼身自殺論」の少し前に発表された「非暴力」(1963.7.15)では、「非暴力というものは、暴力に反対する消極的観念ではなく、人間存在を他の存在一般と区分する基本的条件なのである」と語られている。

 

❤マダム・ヌーの発言は宗主国アメリカのジョン・F・ケネディをも激怒させ、1963年11月の軍事クーデターでゴ・ジン・ジェム大統領は殺害された。このことを高橋は次のように予言していた。

 

「近代的思惟は国家や一つの体制の破滅を、階級矛盾や経済的破綻にのみ求めるように見えるけれども、しかしなお今一つ、為政者の道徳的堕落によってもまた[国家や一つの体制は]滅びるのであることを、ゴ・ジン・ジェム政権もまた遠からず思い知るであろう。」

 

❤芸術と宗教は魂の浄化(脱世俗化)として、

件の焼身自殺と同様に、非政治的なやり方で、しかも決して政治から遊離せずに、

個人にだけではなくて社会に寄与すべきものであると私は考える。

優劣の呪縛からの解放――身体の論理[5]

♦ 昨日は淀橋教会にて「声楽アンサンブル・オリエンス」の第10回演奏会を楽しんだ。4つのパートが奏でる美しいハーモニーと共に、私の席のすぐ間近にいらしたソプラノの透明な歌声が、いまだに耳と心に残っている。プログラムはウィリアム・バードの曲のみで構成されていたのであるが、4声のミサなど演奏された合唱曲は、恰も人間の<肉声>の美――つまりは人間の肉体の美――の極みを目指すものであるかのように感じられた。因みに、人間の肉声の美というのは、どんなに技術が進歩しても、決してオーディオ機器には生み出すことのできないものである。それは要するに、人間の肉体は決して機械ではないからであり、また機械はあくまでも機械であるからである。

♦ ところで、久しぶりに肉声の歌声に抱擁されて改めて気づいたのであるが、我々は聴くという行為から普段遠ざかってしまっているのである。つまり、眼と同様に耳も、ほとんど情報把握のための道具に成り下がってしまっているのである。メルロ=ポンティは、「真の哲学は世界を見ることを学び直すことである」と『知覚の現象学』の序文で書いているが、我々は聴くことも同様に学び直さなければならないのではないか。

♦ 少し面倒な哲学的な話をすると、見ることを学び直すとは、見ることの起源・はじまりorigin★に回帰するということなのであるが、それは即ち、見ることが〈見えないものまで見る〉ことである根源的な次元に回帰するということなのである。分かり易い例で言うと、我々は自分の背中を直接見ることはできないが、しかし見るということは根源的には、自分の背中のような見えないものまで視界に入れること(これは見えないものを想像することでは断じてない!)なのである。ということはつまり、見るということは局在的でありかつ遍在的であるという自己超越性を有するということなのであるが、そのことを我々は絵画から、即ち画家の眼差しから、具体的に感じ取ることができるであろう。

 ★因みに、英語のoriginの語源はラテン語のoririであるが、

  オリエンスoriensという言葉は元々このoririの現在分詞である。

♦ 見ることと聴くことを同列に置くことは決して許されないが、しかし聴くことも根源的には、聴こえないものまで聴くこと、即ち聴こえる声と同時に、その背景を成す聴こえないもの=沈黙の声をも聴くことであると言うことができる。私は今回の演奏会で、会場全体に絶えず沈黙が響きわたっていることを経験したのである。

♦ 最後に強調しておきたいのであるが、見えるものと見えないもの、聴こえるものと聴こえないものが、不可分な関係にあることは、見るものと見えるもの、聴くものと聴こえるものが、いわば含み合いの関係にあること、即ち支配-被支配の関係にあるのではないことを意味するのである。 

優劣の呪縛からの解放――身体の論理[4]

♦ 先日浦和で行なわれたマギー・マラン作『May B』の公演に関する或る投稿を大変興味深く読んだ。この『May B』は「障がいがあるだけで社会から排除されがちな者達が、笑い、悲しみ、怒り、孤独に陥る様を見せる」ものだそうで、「社会からは劣っているかのように扱われる障がい者達は、処世術に長けた「健常者」には持ち得ない純粋さを持っている」という感想を投稿者は述べている。

そしてまた、元々モーリス・ベジャールのバレエ団にいたマギー・マランは、「バレエの<基準>が色々な人をダンスから排除している事に疑問を抱いてこの作品を作った」ということ、「美の<基準>を満たす事を目指す社会がどれほど歪んでしまうか〔過酷なダイエットやセクハラ問題など〕」ということも投稿では語られている。

♦ この場合の基準は差別をもたらし得るものであり、逆に言うとマギー・マランの作品は優劣の価値観からの解放であり得るのであるが、ところで、バレエの基準、美の基準というものの弊害については、別の観点からも指摘することができる。こうした基準は動作の流れの内発性=自然発生性を阻害する可能性があるのである。

♦ バレエのことから離れるが、漱石は『現代日本の開化』(明治44年、1911年)の中でこう述べている。西洋の開化は内発的であるが、日本の開化は外発的である。内発的というのは「内から自然に出て発展するという意味で、ちょうど花が開くようにおのずから蕾が破れて花弁が外に向う」ということであり、外発的というのは「外からおっかぶさった他の力でやむをえず一種の形式を取る」ということである、と。

外発的開化とは言い換えれば<基準>に則る開化であり、それ故にそこにおいては内発性=自然発生性が阻害され得ると言うことができる。

♦ ところで、開化の内発性、即ち開化の推移の内発性について、漱石は次のようにも説明する。「(・・・)人間活力の発展の経路たる開化というものの動くラインもまた、波動を描いて弧線を幾つも幾つも繋ぎ合せて進んで行くと云わなければなりません。無論描かれる波の数は無限無数で、その一波一波の長短も高低も千差万別でありましょうが、やはり甲の波が乙の波を呼出し、乙の波がまた丙の波を誘い出して順次に推移しなければならない。」

♦ こうした内発的開化には予め定められた基準はない。但し、基準はないとしても、開化の推移はまったく恣意的で偶然的であるというわけではない。ここでダンスの話に立ち戻ると、前稿で書いたように、それ自身は眼に見えない起点Originが、ダンスの眼に見える運動の全体を貫いているのである。つまり、ダンスの展開は、それが内発的である限り、偶然的であると同時に必然的でもあるのである。

初々しく新鮮な動きとは、そうした偶然的であると同時に必然的でもある動きなのである。

https://www.youtube.com/watch?v=LUrXcldVnow&t=6s

優劣の呪縛からの解放――身体の論理[3]

♦ 件のオーディションに集まった若いバレエダンサーたちに向かって勅使河原三郎氏は、(悲しみを表現するには)「それっぽくするのではなくて、本当にそうなるまで、動かないでやってみな。感じるまで感じて、それが外に出てくるように」と指導していたのであるが、或るインタビューの中では次のような言い方をしている。――どの作品にも大まかな構成の流れはあるが、固定された振り付けはない。とはいえ、リズムに合わせて成り行き任せに踊るのではない。むしろ厳密で明確な意思がダンサーに求められる。「テーマに対して自分は何を感じ、何を聞いているのか、その起点Originをまず客観視する。その準備ができれば、おのずとそのように体は動きます」。

♦ では、「起点Originを客観視する」にはどうすればよいのであろうか。即ち「厳密で明確な意思」を得るにはどうすればよいのであろうか。そのために必要なのは或る種の謙虚さである。「自分をゼロにして白紙の状態でその場に新鮮に立ち向かえる謙虚なダンサーが、良いダンサー」なのだと氏は言うのである。逆に、自分は難しい振り付けも完璧にこなすことができるという慢心が、つまりは優越意識・競争意識が、その場に新鮮に立ち向かうことを妨げるのである。自分をゼロにすること――これはシモーヌ・ヴェイユの言う「真空を受け容れること」に通じるかもしれない――は、優劣の呪縛からの解放に他ならない。

♦ ところで、起点Originと言われるものは、ダンスの眼に見える運動の全体を貫くものでありながら、それ自身は眼に見えないものなのであるが、それはレオナルド・ダ・ヴィンチが『絵画論』の中で語っている「蛇行線」のようなものではないであろうか。「各々の生物は蛇行する固有の仕方を有している」というダ・ヴィンチの言葉を受けて、ラヴェッソンはこう言う。「デッサン芸術の秘訣は、一つの中心波が幾つもの表面波となって展開するように、・・・一本のうねうねした線が対象の拡がり全体を貫いて伸びゆく、その独特の伸び方を発見することである」と。但し、対象の拡がり全体を貫いて伸びゆく一本のうねうねした線は、眼に見える線のいずれでもない。しかしそうした眼に見えない蛇行線が、見えるものを見えるものたらしめているのである。

https://www.youtube.com/watch?v=roHkzJIGHfg&list=PLSVowH80CLGweLgW_Z098zybrfsIxIE8u&index=1